043話 ジーゲスリード入城2
帝国歴628年3月16日、ジーゲスリード伯爵家居城『グランドキルン』
約半年ぶりに、ショウマ・ジェムジェーオンは『グランドキルン』南大門をくぐった。
そこに、自分たちが生まれ育った内廷『西天宮』が存在する。
ジーゲスリード政変が発生したあの日、『西天宮』は炎に包まれた。
石造りの建物のため、建物そのものの全焼を免れたが、いまでも一部、黒く焦げた焼跡が残っている。
復旧は進めらていたが、本格的な再建はこれからだった。
ショウマは変わり果てた自分たちが生家を、しばし無言で見つめた。
弟のカズマ・ジェムジェーオンが呟いた。
「ここが炎に包まれたのだよな」
「ああ」
ショウマは頷いた。
否応なく、あの日、ジーゲスリード政変のことが脳裏に蘇る。
父アスマの姿も、胸の奥に浮かび上がった。
カズマが『西天宮』を見上げる。
「住むことはできるのか?」
「居住空間は、ミランダ様やユウマのために、優先して復旧したとのことだ」
父アスマの後妻ミランダと腹違いの弟ユウマは、政変後もジーゲスリードに残っていた。
ショウマとカズマは、『西天宮』に足を踏み入れた。
入口から廊下にかけて、火災の際に運び出された華麗な室内装飾や調度品が、仮置き場として無造作に並べられている。
「足の踏み場もないな」
「これでも、火災で多くが焼失したとのことだ」
カズマが調度品のなかから、派手に装飾された皿を取り出した。
「オレ、こんな豪華な皿で食事していたのか」
「そうだな」
「気になって、美味い食事なんて出来なそうだ」
「ここで暮らしていた頃、何度も、カズマはこういった皿を割っていたぞ」
カズマが苦々しい笑みを浮かべた。
「確かに。……自分の家のはずなのに、なんか落ち着かないなあ」
ショウマも同感だった。
――しっくりこないな。
機能性よりも、華美であることそれ自体が目的の調度品や家具。
以前は、これらの物に囲まれて暮らすことに、何の疑問も抱かなかった。
しかし今は、豪奢過ぎて心地悪さを感じる。
もちろん、物が変化したわけではない。
変わったのは、自分たちの感覚だった。
――環境によって、当り前と捉える感覚は育まれるのか。
ショウマは、カズマから皿を受け取り、元の場所に戻した。
さらに、ショウマとカズマは、懐かしき異空間となった『西天宮』の奥へと進めた。
その時。
ふたりの往く手に、ひとりの若い女性が現れた。
ショウマは反射的に身構え、警戒を強める。
だが次の瞬間、彼女は勢いよく駆け寄り、ショウマへ身体ごと飛びついてきた。
思わず、ショウマはその身体を受け止めていた。
彼女が耳元で囁いた。
「お・に・い・さ・ま」
こんな行動、こんな言葉、ショウマに実行しようとする人物は、ひとりしか心当たりがない。
ショウマは女性の身体を抱きかかえたまま、ため息を吐いた。
「信じられない! ため息で返すなんて。せっかく、可愛い妹が精一杯の愛情表現で、久しぶりに再会した兄を出迎えたというのに」
サヤカ・ジェムジェーオン。
ショウマとカズマの同腹の妹だった。
士官学校の制服を身につけたサヤカが、ショウマから離れると、ふたりの進路を大の字で立ち塞いだ。
同じ血を受け継ぐだけあって、顔立ちは人目を奪うほど整っている。
士官学校に入学したのは、敬愛するアンナ=マリー・マクミラン大佐の影響だった。
ショウマは、政変後もジーゲスリードに残った妹をずっと案じていた。
「サヤカ、元気そうで安心した」
思い掛けない形だったが、壮健なサヤカの姿を見られて、胸をなでおろした。
カズマが続いた。
「久しぶりだな。サヤカ。本当に元気で何よりだ」
「直接、ふたりと会うのは久しぶりだけど、あたしはここ最近、ショウ兄とカズ兄の姿を映像で何度も見ていたから、そういう感じはしないの。不思議ね」
サヤカが両手を後ろ手に組み、ショウマとカズマの顔を覗き込んできた。
「ふたりとも、少し痩せたみたい」
ショウマは問い返す。
「サヤカのほうこそ、少し痩せたのではないか。軟禁されていたと聞いていた。身体は大丈夫なのか」
この報せを聞いたとき、ショウマは怒りを隠すことことができず震えた。
サヤカが首を傾げた。
「軟禁? 何のこと?」
「ジーゲスリードでサヤカは捕われていると聞いていたのだが」
サヤカが自分自身を指さした。
「あたしが?」
「違うのか?」
「ああ、そういうものなのかしら。けれども、ここ『グランドキルン』のなかでは行動が自由で、士官学校にも普通に通っていたわよ。確かに、士官学校への往復の際、監視の人が付いていたけれども、幼い頃から、どこに行くにも、護衛は常にいたでしょ。だから、自分が改めて軟禁されているという感覚はなかったわ」
「不自由はなかったのか」
「そういわれてみれば、『グランドキルン』と士官学校以外は、外出禁止だったわ。けれども、毎日、士官学校で、あれだけの量の課題を出されたら、外に出掛ける暇なんてありっこないわ」
「そうか。……良かった」
「良くないわ。士官学校がこんなにも大変だなんて、聞かされていなかったわ」
ショウマは心の底から安堵した。
――無事でよかった。
だが、次の瞬間、サヤカが俯き、何かを考え始めた。
顔の表情も険しくなっていく。
カズマがこの変化に気づいた。
「サヤカ、どうした?」
サヤカが顔を上げた。
瞳の光が増幅していた。
「ショウ兄とカズ兄。訊いていい?」
「ああ」
ショウマは応じながら、嫌な予感を覚えた。
――この表情。
サヤカが何かを決心した時の顔だった。
「いまから、ふたり揃って、どこに向かおうとしているの?」
カズマが振り返って、ショウマの顔を覗った。
一瞬、ショウマは言葉に詰まった。
しかし、サヤカに隠すことではない。
「ユウマとミランダ様の処だ」
「やっぱり」
瞬間、サヤカの目に炎が灯った。
腰まで伸びる金髪を振り払って、大きな瞳に強い意志を宿した。
改めて、大の字に仁王立ちして、ショウマを睨み付けてきた。
「ショウ兄、教えほしいことがある」
強い口調だった。
こうなった時のサヤカは、誰にも止められない。
ショウマは心中でため息をつきながら、平静を装い応じた。
「なぜ、それほど剣呑なんだ」
サヤカが一歩踏み出した。
「何言っているの? あたしはいたって平穏よ」
「もう怒っているだろ。どうして、そうなった」
「質問しているのは、あたしの方!」
「何が聞きたい」
サヤカの視線が、ショウマを真っすぐに貫いた。
「ショウ兄、教えて。ユウマをどうするつもりなの」
ショウマは得心した。
――やはり、その件か。
サヤカの表情から、ユウマの話題が避けられないことは、予想していた。
――さて、どうしたものか。
正直、ショウマはユウマの措置をどのように決着させるか、いまだ迷っていた。
ユウマとその母ミランダと面会を約束したこの段階においても、結論は出ていない。
暫定政府軍に錦の御旗として担がれたのは、14歳のユウマ自身の意志でない。
それは理解している。
だが、不問に付せば、後に禍根を残すことになる。
再びユウマを担ぎ出し、利用しようとする者が現れれば、国はまた乱れる。
隣からカズマの視線を感じた。
横を向くと、硬い表情のカズマがこちらを見ていた。
カズマは口に出さなかったが、ジーゲスリードに入ってから、ずっとユウマのことを気にしていた。
サヤカが語気を荒げた。
「視線を逸らさないで」
ショウマはサヤカに視線を合わした。
焦れたサヤカが、さらに一歩前に詰め寄ってきた。
「ねえ、どうなの」
ショウマは思わず、視線をサヤカから離してから、言った。
「ユウマは自らの意思で行動したのではない」
「そうよ。ユウマはあの暫定政府に担がれただけ」
ショウマはサヤカに視線を戻した。
「ユウマ自身に罪があるとは思っていない」
「ユウマの意思とは関係ないのだから、当り前じゃない」
「サヤカはユウマに罪があると思っていたのか?」
サヤカが首を大きく振った。
「思っている訳ないじゃない。ショウ兄がそう思っているなら、安心した」
サヤカは大きく息を吐き、肩の力を抜いた。
その表情を見て、ショウマは続く言葉を飲み込んだ。
カズマが口を開いた。
「サヤカ、心配はいらない。オレたちがユウマをどうかするなんて、有り得ない」
「そ、そうよね」
サヤカの目は、半信半疑のままだった。
疑いの色を隠さず、ショウマを見つめる。
つられて、カズマもショウマに同意を求めるように言ってきた。
「そうだろ、兄貴」
ショウマは後頭部に熱い血が集まってくるのを感じた。
サヤカはまだしも、カズマまでがこの次元で考えていることに、憤りが込み上げてきた。
ユウマの問題は単純な家族の問題ではない。
高度に政治的な判断を要する問題だ。
ショウマは無言でカズマを睨みつけた。
カズマが慄然とした目を、ショウマに返してきた。
――家族のなかでいがみ合っても、仕方がない。
ショウマはひとつ息を整え、静かに告げた。
「ユウマを今回の件で罪に問うことはしない」
カズマとサヤカが、同時に、安堵の表情を見せた。
「そうさ。サヤカ」
「あたしもね、そう思っていたんだけど……」
サヤカが言いにくそうに続けた。
「でも、義母さまがとても心配しているの。あたしは『心配しなくても、兄さんたちも解っているから、大丈夫です』と何度も言ったんだけれども……。義母さまの心配する顔をずっと見ているうちに、あたしも『もしかしたら』って」
サヤカが言う義母さまとは、父アスマの後妻ミランダのことだった。
弟ユウマはアスマの5人の子供たちのなかで、唯一人、彼女の実子だった。
ミランダの立場を考えれば、憂慮する気持ちも理解できる。
カズマが眉を寄せる。
「『もしかしたら』って、どういう意味だよ」
サヤカがショウマとカズマに頭を下げた。
「ごめんなさい」
「サヤカは、オレたちがユウマをどうにかすると思っていたのか」
「カズ兄、しつこい。だから、あたしも謝っているでしょう」
「けどなあ」
「あたしは大丈夫だと思ってた。だから、義母さまにも、そう伝えたって、言ってるでしょ。もし、ショウ兄やカズ兄がユウマをどうにかしようものなら、あたしが絶対にユウマを護るって約束したんだから」
ショウマはサヤカの言葉の裏にある危惧を理解した。
――なるほど、ふたりは考えたのだな。
カズマとサヤカは、ショウマがユウマを冷徹に処分するかもしれないと危惧していた。
だからこそ、カズマは軽々に、ユウマのことを話題に出せなかったのだ。
はは、カズマが声に出して笑いながら、サヤカの頭を撫でた。
「サヤカは相変わらずだな」
「もうやめてよ。それに、相変わらずって何よ」
「サヤカは全然変わってない。思い込んだら一直線。その姿を見て、ようやく自分の家に戻ってきたと実感できたよ」
サヤカが、頭を撫で続けるカズマの手を振り払った。
「ちょっとぉ、カズ兄やめてよ。あたし、もう子供じゃないんだから」
「まあ、まあ」
カズマが笑いながら、さらにサヤカの頭を撫で続けた。
サヤカがふくれっ面をつくりながら、カズマの腹に拳を入れた。
カズマが大げさに腹を押さえた。
ショウマはふたりの姿を、傍目で見ながら歩き始めた。
「さあ、行くぞ。サヤカ以上にミランダ様やユウマのほうが心配しているだろう」
先を進むショウマの後方から、カズマとサヤカの足音が続いてきた。
「面白い」
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