039話 ジーゲスリード奪還戦3
帝国歴628年3月15日の昼。ジェムジェーオン伯爵国首都ジーゲスリード。
すでに、太陽は高くなっていた。
ハイネスからジーゲスリードに向かう『勝唱の双玉』率いる遠征軍の旗艦船『ギュリル』は、まもなく首都ジーゲスリードに到着しようとしていた。
ショウマ・ジェムジェーオンの胸は、重く沈んでいた。
ここまで、暫定政府軍からの抵抗はなかった。
それはつまり、暫定政府軍が、野戦を避け、ジーゲスリードでの籠城戦を選んだということだった。
兵士たちの士気が低下している。
だが、暫定政府軍はまだ十分な戦力を残している。
しかも、ショウマたちは、時間を掛けた包囲戦という選択を採れない。
帝国中央から『常勝の軍神』ヴァイシュ・アプトメリア侯爵の到来前に、決着する必要があった。
短期決戦を目指せば、戦闘が激しくなることは必至だった。
隣に座る双子の弟カズマ・ジェムジェーオンが、何度も足や手を揺さぶった。
「ジーゲスリードから出てくれば、いますぐにでも出撃できるのに……」
カズマもまた、同じ未来を見据えている。
――カズマらしい。
ジーゲスリード攻城戦が始まれば、市民に犠牲者が出ることは避けられない。
この軍のなかにも、ジーゲスリード出身者が多数存在する。
彼らもショウマやカズマと同じように複雑な想い抱いていた。
故郷に戻る歓喜、恋人の安否の心配、友人や家族のなかで敵同士となる悲壮。
ジーゲスリードが近づくにつれ、軍全体の空気が重く沈んでいった。
やがて、ジーゲスリードの街が、肉眼でも視認できるまでに近づいた。
ショウマは船『ギュリル』の司令官席に座ったまま、オペレータに尋ねた。
「ジーゲスリードまでの距離は」
オペレータが即座に応答した。
「約5000です」
この場所は、前方がジーゲスリードの街まで開けており、背後が小高い丘となっている。
陣を築くのに適した土地だった。
ショウマは全軍に伝えた。
「全軍停止。この場所に布陣する。そして、ジーゲスリードの暫定政府に対して、私ショウマ・ジェムジェーオンの名をもって、最後の降伏勧告を行う。回答期限はいまより2時間後とする」
戦いの前の独特な昂揚感と緊張感に包まれた。
期待、不安、恐れ、決意。
様々な感情が渦を巻き、戦場特有の異様な昂揚が軍勢を包み込んだ。
それから、1時間後。
西方要衝オステリアから、ギャレス・ラングリッジ元帥が2個師団を率いて、戦線に加わった。
ハイネスから『勝唱の双玉』が率いてきた6個師団の軍勢と合わて、8個師団の軍勢となった。
ここに、ジェムジェーオン伯爵国の首都ジーゲスリードに対する攻撃布陣が完成した。
――あとは、暫定政府の出方次第だ。
軍事的に、圧倒的な優位を築き上げ、ジーゲスリードと対峙していた。
だからこそ、ショウマは願った。
――降伏を選択してほしい。
これ以上の犠牲者は、誰一人として出したくなかった。
攻撃開始まで、残り10分。
降伏勧告の回答期限、2時間が迫っていた。
すでに、ジーゲスリード攻撃準備は、すべて整っていた。
遠征軍の旗艦船『ギュリル』の艦橋。
司令席中央で、ショウマ・ジェムジェーオンが無言のまま、遠くに見えるジーゲスリードの街を見据えていた。
士官たちも、誰ひとりとして声を発さない。
張り詰めた空気のなかで、時がゆっくりと経過するのに耐えていた。
カズマ・ジェムジェーオンは、落ち着かない気分を足や手を揺さぶることで、紛らわしていた。
――落ち着かない。
艦橋の時計を確認した。
総攻撃のデットラインまで、残り5分。
その時だった。
〈ジーゲスリードから通信が入りました〉
うわずったオペレータの声が、艦橋に響いた。
急遽、もどかしい時間が破られた。
『ギュリル』の艦橋が堰を切ったようにざわつきに包まれる。
安堵の吐息も入り交じっていた。
アンナ=マリー・マクミラン大佐がショウマに顔を向けた。
ショウマが頷き、アンナ=マリーが目で応えた。
そのあと、オペレータに指示した。
「通信を繋げてください。併せて、ギャレス・ラングリッジ元帥にも繋いでください」
〈承知しました。暫定政府の交渉相手は、マクシス・フェアフィールド元帥です〉
「わかりました。こちらは私アンナ=マリー・マクミラン大佐が臨みます。通信をこちらに回してください」
〈回線、繋ぎます〉
艦橋の中央モニターに、マクシス・フェアフィールド元帥の姿が映し出された。
皺が年輪のように刻まれた顔は威厳に満ちており、ピンと正した姿勢も威風堂々としていた。
――まさか、敵として対峙することになろうとは。
カズマは、幼少の時から見知っているマクシスの姿を、複雑な想いで見詰めた。
堰を切ったのは、アンナ=マリーだった。
「お久しぶりです。フェアフィールド元帥」
「マクミラン大佐か」
「フェアフィールド元帥。あなたほど経験のある人であれば理解しているはずです。これ以上の戦闘継続は無意味だと」
ふっ、マクシスが小さく冷笑した。
「マクミラン大佐。貴官とワシは同じジェムジェーオン武家御三家の当主の立場にあるが、いまや政治的立場が異なる。ワシは暫定政府の代表の身で、貴官は軍の大佐に過ぎない。交渉は政治的代表の地位にある者、つまり、ショウマ・ジェムジェーオン様としか行わない」
アンナ=マリーが苦い表情を浮かべた。
その時、別の男性の声が割って入った。
「同じジェムジェーオン防衛軍の元帥として、私が対応しよう」
モニターが映し出したのは、別の船に乗艦していたギャレス・ラングリッジ元帥だった。
「ラングリッジ卿か」
「フェアフィールド元帥、あなたに訊きたいことがある」
マクシスが再び冷笑した。
「武官としての立場だけであれば、ワシとラングリッジ卿は対等だ。だが、マクミラン卿にも伝えた通り、現在のワシには政治的な立場がある。ショウマ様としか、交渉する気はない」
ギャレスが表情を曇らせた。
「フェアフィールド元帥、なぜ、自らで退路を塞ぐのだ」
マクシスの左眼がわずかに揺れた。
だが、即座に、厳しい表情に戻った。
「何度も言わせないでほしい。ワシはショウマ・ジェムジェーオン様としか話さぬ」
マクシスが画面の向こうから呼びかけてきた。
「傍にいらっしゃるのでしょう、ショウマ様」
ショウマがアンナ=マリーの制止を振り切り、進んできた。
「待たせたな、マクシス」
「ショウマ様、お久しぶりですな」
「まさか、このような形で、マクシスと向き合うことになるとは、夢にも思わなかった」
「ワシもです。ここまで長く生きてきましたが、人生とは自らの予想を超える驚きをもたらすものですな」
カズマは、胸の奥がざわついた。
――なぜ、マクシスは暫定政府軍に与した?
カズマの思い出のなかのマクシスは、そのどれもが、優しい顔で包み込むものだった。
ジェムジェーオン伯爵家に対する高い忠誠心を示していた。
自分たち『勝唱の双玉』と争う理由など、どこにもなかった。
アンナ=マリーがその横で、会談の映像を全軍に流すように指示していた。
――この会談を政治的に利用しようとしているのか。
一瞬、憤りが込み上げたが、すぐに意図を理解した。
この会談は、個人間の会話ではない。
この内容次第で、何万もの兵士と市民の命が左右される。
ジェムジェーオンの市民全員が、知る権利がある。
ショウマがマクシスに告げた。
「本題に移ろうではないか」
「そうですな」
ショウマが、これまでよりも強い口調で言い放った。
「これ以上、戦いを続ける必要はなかろう」
マクシスの表情は変わらなかった。
何も言わず、ショウマをじっと見据えてきた。
ショウマが、抑えた口調で繰り返した。
「戦いは終わっている。そう思わないか。マクシス」
「ほう、そうですかな……」
「改めて述べる必要はないと思っていたが、説明しよう。私たちは圧倒的な数の兵で、ジーゲスリードを取り囲んでいる。いまこの時も、私たちに味方したいと、ジェムジェーオン全土から兵士たちが集まっている。戦いの帰趨は見えた。これ以上、戦闘を続けるのは意味はない。いたずらに犠牲者を増やすだけだ」
ハハハ、マクシスが声に出して笑った。
「決着はついている、と」
「そうだ」
「ならば、ショウマ様が、この会談の場で、ワシに降伏を宣言すればよい」
「独創的でおもしろい解釈だな。だが、残念ながら、私が言いたいことはまったく逆だ。暫定政府軍の最高司令官であるマクシス・フェアフィールド元帥が、私、ショウマ・ジェムジェーオンに降伏を宣言するべきと思っている」
「ご冗談を。ワシらには、まだジェムジェーオン最精鋭の軍隊と、不落のジーゲスリードが残されています」
「あくまで、降伏を拒否するというのか」
「なぜ、ワシらが降伏する必要があるのか、理解できません」
ショウマが目線を宙に向け、一瞬、目を閉じた。
乾いた口唇を舐め、モニター越しにマクシスの瞳を覗き込んだ。
「なぜ、現実を無視して、頑なに降伏を否定し続けるのか理解に苦しむ」
「確かに、ショウマ様たちが多くの兵を集めたは事実です。しかしながら、戦闘とは兵力差だけで決まるものではありません。これまで、イル=バレー渓谷やハイネスで、ショウマ様自身が、それを証明してきたではありませんか」
「私たちには大義があった」
再び、マクシスが冷笑した。
「何を仰いますか。ワシらにも故アスマ・ジェムジェーオン伯爵の遺志という正義があります。そして、忘れないでほしい。ジーゲスリードに残っている兵は士気高く、意気盛んであることを」
「激戦になれば、また、多くのジェムジェーオン市民の血が流れる。マクシスはそれを憂慮しないのか」
「もちろん、ワシも危惧しております。そして、最善の解決法を知っています。ショウマ様がワシらに降伏してください」
堂々巡りだった。
会見の様子を観ていたカズマは、頭を抱えた。
ショウマとマクシス、お互いが黙した。
――なぜ、マクシスは降伏を選択しない。
カズマは苛立ちを覚えた。
負け続けたうえでの籠城、ジーゲスリードの兵士の士気を保つことは厳しく、援軍の当てもない。
暫定政府は、どこに勝機を見出すつもりなのか。
ショウマが、この沈黙を破った。
「帝国中央より『常勝の軍神』ヴァイシュ・アプトメリア侯爵が到着するのを待つつもりか。それが、降伏を拒否する理由で、時間を稼ごうという腹づもりか」
ひとつ間があいた。
マクシスが首を傾げた。
「ショウマ様が何を仰っているのか、ワシは理解できませんな」
「ならば、理解できるように、私の口から説明しよう。暫定政府が弟のユウマを国主として擁立して、政権の正当性を、ヴァイシュ・アプトメリア侯爵およびシャニア帝国に主張しようとしている。違うか」
カズマはショウマの意図を察した。
――なるほど、そういうことか。
ショウマが敢えてこのことを口にしたのは、マクシスを糾弾することが目的ではない。
映像を観ている兵士たちに、真実を突きつけるためだった。
「心外ですな。ユウマ様こそ、正統な国主となるお方です。新たなジェムジェーオン伯爵のもと、一丸となるのを邪魔しているのは、ショウマ様たちです」
カズマの頭に大量の血が逆流してきた。
――弟ユウマまで利用するのか。
マクシスが、自らの正当性を主張するために、ユウマを政治の道具として、扱っている。
怒りが胸の奥で爆ぜ、身体が震えた。
ショウマが反論を口にしようとした時だった。
「待て」
画面の向こうから、マクシスとは別の人物の大きな声が響いた。
マクシスが声の発生方向に顔を向けた。
マクシスの顔色が変わった。
「パ、パーネル……」
ロイ・パーネル中将が、画面の端に姿を現した。
その表情は静かで、しかし決意に満ちていた。
「フェアフィールド元帥、あなたは暴走している。潔く退場していただくことが、この国のためになる」
「何を言っているのだ、パーネル中将」
「言葉通りの意味と理解してください。フェアフィールド元帥には、この舞台から身を退いていただきたい」
マクシスが怒りに震え、怒号を飛ばす。
「誰か、この不届き者を退出させよ!」
だが、マクシスの言葉に従う者はなかった。
「なぜ、ワシの命令に従わぬのだ!」
パーネルが告げる。
「私たちは、これ以上、あなたが暴走するのを看過できない」
「血迷ったか!」
「笑止。血迷っているのは、フェアフィールド元帥、あなたです。ユウマ様は、あなたが担ぎ上げた神輿に過ぎません。ジェムジェーオン伯爵家の室に踏み入り、国に混乱をもたらす元凶は、あなただ」
マクシスの横顔が引き攣り、口唇が震えた。
「この裏切り者め!」
「国を裏切ったのは、フェアフィールド元帥、あなただ。あなた以外すべてのジーゲスリード市民も兵士も、ショウマ・ジェムジェーオン様を次の国主と望んでいる。直ちに、この場で降伏を宣言してください」
つい先ほどまで威厳に溢れていたマクシスの顔は、すでに失われていた。
信頼していた側近に裏切られ、動揺していた。
紅潮し必死に言葉をつぐ姿は、愚者そのものだった。
慌てうろたえたマクシスの甲高い声が響く。
「パーネル、貴様、……自分が何を喋っているか理解しているのか」
「当然、理解しています。そのうえで、もう一度言います。降伏を受け入れてください」
「臆病者め。命が惜しいのか」
「なぜ、冷静に判断できないのです。フェアフィールド元帥、武人としての本当の誇りを捨てたのですか」
「誰でもよい。早く、この裏切り者を捕らえよ」
「残念です……」
「な、なんだ、それは……」
パーネルの右手には、拳銃が握られていた。
パン。
乾いた炸裂音が響く。
次の瞬間、マクシスの左胸が鮮血に染まった。
その身体がゆっくりと崩れ落ちる。
倒れた床に、真っ赤な血が拡がっていった。
艦橋にいた士官全員が、モニター越しに繰り広げられた一連の光景に息を呑んだ。
カズマもまた、この事態に呆気にとられ、言葉を失なっていた。
――何が起きているのだ。
倒れたマクシスから、カメラが切り替わる。
拳銃を手に持ったパーネル中将が映しだされた。
パーネルがショウマを確認するなり、最敬礼した。
「小官はロイ・パーネル中将であります。大変お見苦しいものをお見せしました。申し訳ございません」
ショウマが短く息を吸い、静かに言葉を紡いだ。
「パーネル中将」
「はっ」
「私は、この戦いを速やかに終わらせたいと強く願っている。貴官にその協力をお願いしたい。私の申し出を受けてくれるか」
パーネルが深く頭を垂れた。
「謹んでお受けいたします」
「頼む」
「私だけでなく、ジーゲスリードの兵士や民衆はショウマ・ジェムジェーオン様を国主として迎えたいと願っております。少しだけ時間をください。必ずや、兵士や民衆を説得して、ジーゲスリードを開場してみせます」
「わかった。貴官に、2時間の時間を与える」
「必ずや、期待に応えてみせます」
ジーゲスリードとの通信が途絶えた。
それは、ジェムジェーオン暫定政府が、実質的に降伏を受託した瞬間だった。
「面白い」
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