035話 西部戦線1
帝国歴628年3月6日深夜。ジェムジェーオン伯爵国の首都ジーゲスリード。
ハイネス攻防戦が決着した3月9日から遡ること3日前。
ジェムジェーオン防衛軍本部庁舎の10階の一室。
防衛軍の前統合幕僚本部長『麗髭卿』ギャレス・ラングリッジ元帥は、フェアフィールド元帥の命により身柄を拘束され、この部屋で軟禁されていた。
ギャレス・ラングリッジ。
180㎝を超える長身、50歳を超えても無駄な贅肉は一切ない若々しい身体、威風堂々たる顔立ちに、象徴ともいえる美しい鬚。
人々は敬意を込めて『麗髭卿』と呼んでいだ。
ギャレスはジェムジェーオン騒乱が始まって5ヶ月もの間、この部屋に閉じ込められている。
鉄格子付きの窓、電子ロック制御の部屋のドアによって、内部より開かない。
外部との接触は一切閉ざされていたが、世間の動向を把握していた。
――『勝唱の双玉』が蜂起し、暫定政府軍と戦闘を繰り広げている。
慕う者たちが、運ばれてくる食事や差入れの書物のなかに、密かに情報を忍ばせていた。
ギャレスは、この部屋で軟禁されてから、朝と夜の2回、部屋のなかで運動することを日課にしていた。
この夜も、身体を動かしたあと、ベッドの上で瞑想していた。
カラン。
部屋の外、廊下で小さな物音がした。
日常、物音ひとつ無い静けさが支配する時間だった。
ギャレスは瞑想を解き、目を細めた。
次の瞬間、部屋の扉が開いた。
3人の男が一斉に部屋のなかに飛び込んでくる。
「ラングリッジ閣下、お助けに参りました」
ギャレスは無言のまま、3人の男を観察した。
全員、ジェムジェーオン防衛軍の軍服を着用している。
リーダー格とみられる男がギャレスに近づき、行動を急かした。
「閣下、お急ぎください。さあ、脱出します」
残る2人は、扉を開けたまま、外の廊下を警戒している。
ギャレスはリーダー格の男に尋ねた。
「貴官の所属と名前は」
「小官はバルボア中尉です。マクシス・フェアフィールド元帥の司令本部の作戦部に所属しています。ついに、フェアフィールド元帥が、ラングリッジ閣下排除に動き始めました。我々はこれを看過できません。ラングリッジ閣下はこの国に必要なお方です。お助けするためにここに来ました」
ギャレスは立ち上がりながら、淡々と問う。
「ここから脱出して、どこに向かうのだ?」
「ハイネスです。かの地で『勝唱の双玉』のふたりと合流していただきます」
ギャレスは一歩、彼らに近づいた。
「疑問がある。質問に答えてもらおう」
バルボアが苛立ちを露わにする。
「閣下、いまは非常事態です。ご質問があるのであれば、移動の途中でお答えします。護衛に見つかる前に、早くご出立の準備を……」
「現在、ザカリアス大将の遠征軍がハイネスを包囲し、雌雄を決する最中だ。いまから、自分が向かったとて、意味がない」
バルボアの表情が、わずかに揺れた。
「戦局をご存じで?」
「概要はな。詳細は知らぬ」
バルボアが頷き、強い口調で言った。
「もし、ラングリッジ閣下が暗殺されたとなれば、ハイネスが受ける衝撃は計り知れません。それに、ラングリッジ閣下がハイネスに姿を見せれば、ハイネス守備隊の士気が上がることでしょう」
「フェアフィールド元帥が自分を排除しようとしていると言っていたな」
「そうです」
ギャレスは一歩下がって、距離を取った。
「それはおかしいな」
「……何がですか?」
「フェアフィールド元帥が自分の命を狙うという話だ。自分は『暫定政府に味方しない』と、軟禁当初から伝えている。フェアフィールド元帥はそれを了解したうえで、私をこの場所に閉じ込めている。もし、私の存在が危険であれば、『勝唱の双玉』がイル=バレー要塞から蜂起した時点で排除しているはず。なぜ、今なのか?」
バルボアの眉がわずかに跳ねた。
「状況は変化しているのです。『勝唱の双玉』が蜂起した当時と、現在では情勢が異なります」
「その変化とやらを、説明してもらえないか。依然として、暫定政府軍は優勢と理解しているが」
バルボアが両手を広げた。
「なぜ、従っていただけないのですか? 我らは閣下をお助けしようとしているのに」
「バルボア中尉といったな」
「はい」
「2年前、貴官がドナルド・ザカリアス大将ととも話していた姿を憶えている。その際、軍服の襟章は少佐だったはずだ」
バルボアの顔から血の気が引いた。
沈黙。
バルボアがギャレスの顔をねめるように見つめてきた。
ギャレスはさらに一歩、距離を取った。
「何か言ったらどうだ」
「……驚きました」
バルボアが薄く笑った。
「まさか、私の面が割れているとは。……元帥とは直接話したこともないのにも関わらず、小官のような下っ端の顔を記憶しておられるとは」
「一度見た顔は忘れない」
「素晴らしいです。ですが、……残念です」
バルボアの笑みが冷たく歪んだ。
何度か頷き、ため息をついた。
そして、バルボアがドア近くで待機する2人に告げた。
「計画を変更する。ラングリッジ元帥はこの場で始末する」
部屋の扉近くで外を見張っていた2人の男が無言で頷いた。
ギャレスの逃げ道をなくすため、部屋の扉側を塞ぐ位置を取った。
バルボアが腰から、レーザー銃を取り出した。
銃口を、ゆっくりとギャレスへ向ける。
「元帥閣下、僅かですが、死期が早くなったようです。安心してください。苦しまないよう、一発で頭を仕留めます」
「せめて、殺される理由くらい聞かせてもらえないか?」
バルボアが小さく笑った。
「フェアフィールド元帥がラングリッジ元帥を生かしたままで捕えているのは、いずれ、ふたりが共闘するため。ジェムジェーオン武家御三家の当主であるおふたりは、国内に大きな影響力を持っています。ザカリアス大将が歩む覇道にとって、障害となるのです」
「なるほど、ザカリアスらしい。自分の殺害をマクシス・フェアフィールド元帥に被せて、フェアフィールド家とラングリッジ家を争わす算段か。ザカリアスのやり方は、自らの道を示すのではなく、他人の道を潰すこと。消去法で己の存在を誇示する。そんな人物が国の頂点に立てば、国を滅ぼすだけだ」
バルボアがレーザー銃を構え直す。
「ご高説ありがとうございました。ですが、心配は不要です。これから閣下は、何も憂う必要のない世界に旅立たれます」
銃口が、ギャレスの眉間を捉えた。
その瞬間。
ギャレスの身体は横へ跳ねた。
レーザー光は、ギャレスの身体に当たらず、床を抉り白煙を立ち上げる。
チッ。バルボアが舌打ちした。
「これは見苦しい。『麗髭卿』ギャレス・ラングリッジ元帥ともあろう方が、往生際が悪いとは思いませぬか」
「泥臭くとも、床を這いつくばっても、僅かな可能性があるのであれば、生きる道を選択する。それが自分のやり方だ。これまで幾多の戦場のなかで、学んできた。最後の瞬間まで、諦めたりはしない」
「残念です。……仕方ありません」
バルボアが横の2人に目配せしてから、命じた。
「元帥を取り押さえよ」
2人がギャレスを押さえようと動き出した。
その時。
開いたままだった部屋の扉の向こうから、閃光が走った。
乾いた破裂音。
バルボアの部下2人の頭部に、同時に穴が穿たれた。
「なにっ」
バルボアが振り返った。
次の瞬間
閃光が走り、バルボアの額にも穴が空いた。
バルボアの身体が、糸の切れた操り人形のように、仰向けに崩れ落ちる。
その向こう。
部屋の扉の前に、ひとりの男が立っていた。
「間に合った」
ギャレスは男の顔を確認した。
今度の男の顔には、見覚えがなかった。
「今夜は、客人が多いな」
「そのようですな」
「貴官の所属と名前を、聞かせてもらおう」
男は丁寧に一礼した。
「小官はウェン・ズーフォン大尉です。現在の所属は本部情報部。かつての上官スン・シャオライ中佐の命により、『麗髭卿』ギャレス・ラングリッジ元帥を救出しに参りました」
ギャレスはウェン・ズーフォン大尉を観察した。
――やはり、見憶えはない。
名前は背影人の姓名だったが、顔立はジェムジェーオンを含む東方人の特徴を帯びている。
唯一、背影人らしさは黒髪だけだった。
垂れ下がった前髪が、顔の右側を覆っていた。
ウェンが微笑んだ。
「小官は背影人のクォーターなのです」
「そうか」
「名乗るたびに同じ反応をされます。出自の説明までが自己紹介の一部になっています」
ギャレスはわずかに表情を緩めた。
「自分も皆と同じ反応だったな。期待を裏切れず、申し訳ない」
「いえいえ。むしろ、異なる反応をされると、小官が困ります」
「では、ウェン大尉、本題に移ろう。まず、自分から貴官に訊きたい。貴官のかつての上官、スン・シャオライ中佐は、現在ザカリアス旗下の士官だったはずだ」
ギャレスの指摘に対して、ウェンが一切揺るがずに応じる。
「その通りです。だからこそ、ザカリアス大将が元帥閣下を排除する動きを掴めました。そして、小官がここに遣わされたのです」
「命を救ってもらった身で言いにくいが、……貴官やスン・シャオライ中佐が、なぜ自分を救い出そうとするのか、理解できない」
「その説明は、小官の役割です。まずは、小官が元帥の命を狙っていないと理解していただければ十分です」
ギャレスは、改めてウェン・ズーフォンを見据えた。
――喰えない男だ。
穏やかな表情の裏に、鋭い観察眼と冷徹な判断力が潜んでいる。
そして、刺客三名を一瞬で仕留める腕前。
情報部の人間らしい影の匂いが漂っていた。
「で、貴官は自分に何を望む」
「元帥にお願いがあります。ただ、お願いする人物は、小官でもスン・シャオライ中佐でもありません。ショウマ・ジェムジェーオン殿下です」
「ショウマ様?」
「はい。現在、スン・シャオライ中佐は、ショウマ殿下と行動をともにしています」
ウェンが懐から書状を取り出して、ギャレスに差し出した。
「これは?」
「ショウマ・ジェムジェーオン殿下からの言伝です。小官が印刷してきました。ショウマ殿下は離れた場所にいるため、直筆でないのは、ご容赦ください」
ギャレスは書状を受け取り、開いた。
最初の一文を読んだ瞬間、目が細くなる。
『蒔絵の漆塗りの万年筆を、脱出時に持ち出し忘れたことを悔いている』
それは、ショウマとカズマが士官学校に入学する際、ギャレスが贈った万年筆のことだった。
ショウマとギャレスしか知らない、私的なやり取り。
――間違いなく、ショウマ様だ。
書状の本題は、ショウマからギャレスに対する依頼だった。
『西部要衝オステリアへ向かい、蜂起した兵士たちとオリバー・ライヘンベルガー男爵の軍勢と合流し、暫定政府からオステリアを奪還してほしい』
『勝唱の双玉』は、激戦のハイネスから動けない。
だからこそ、ギャレスに託された。
ギャレスは2度読み返し、書状を閉じた。
「……ウェン大尉。貴官に従おう」
「承知しました。小官に付いてきてください。移動手段は外に用意しています。早速、オステリアに向かいましょう」
ウェンが軽く頭を下げる。
ギャレスは、5ヶ月ぶりに戦場へ戻る男の顔になっていた。
軟禁の静寂のなかで眠っていた闘志が、目を覚ましていく。
こうして、ギャレス・ラングリッジ元帥は、軟禁されていた首都ジーゲスリードの防衛軍本部庁舎を抜け出し、西部要衝オステリアへ向けて動き出した。
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