033話 クードリア秘密都市ラオジット3
帝国歴628年3月6日、ジェムジェーオン北西クードリア地方、ラオジット。
ラオジットのサロン街地区、老朽化した外観で偽装された最新のセキュリティで固められた建物の一室。
この部屋で、ショウマ・ジェムジェーオンは、白髪白髭の老人と対面していた。
この部屋には、ショウマと白髪白髭の老人の他、初老の男と白い仮面を装着した体格の良い人物と華奢な体格のふたりが控えている。
仮面のふたりは、老人の背後にまわり直立の姿勢をとった。
初老の男は、部屋の隅の給仕場で、コーヒーを用意していた。
ショウマは目礼して、白髪白髭の老人の対面に、腰を下ろした。
「そんな厳しい顔をせずに、リラックスしてください。わたしのような老人では、あなたを組み伏せることなどできませんよ」
「申し訳ありません。何から話をすればいいか、頭を整理しています」
「こちらこそ、突然お呼び立てしてしまいました。お詫び申し上げます、ショウマ・ジェムジェーオン殿」
柔らかな物腰。
だが、その奥に潜む何かは隠しきれていなかった。
――やはり、この老人が私を呼んだのだ。
ショウマは改めて、確信した。
「失礼ですが……」
「そうでしたな。自己紹介がまだでしたな。わたしは、この街の者たちから『長』と呼ばれております。しかしながら、ショウマ殿にそう呼ばせるのは、無礼が過ぎましょう。わたしの名はガオ・オンピン、どうか『ガオ』とお呼びください」
ガオ。亡き『光』国の民、影背人の名前だった。
凹凸の少ない顔立ちと、細い眼が特徴的だった。
コーヒーの香ばしい芳香が部屋を充たした。
初老の男が横目でショウマを観察しながら、テーブルにコーヒーカップを並べ、ガオの横に座った。
「どうぞ」
早速、ガオがテーブルのコップを手に取り、コーヒーを口を付けた。
ショウマはガオを見据えた。
「私をこの地に連れきた理由を聞かせていただけませんか」
ガオが静かにコップをテーブルに置いた。
「ショウマ殿、急いておられますかな?」
ガオには年齢を重ねて獲得したであろう貫禄があった。
若輩のショウマでは遠く及ばない。
「はい」
ショウマは素直に頷いた。
ガオが相好を崩した。
「正直なお方ですな」
「ガオ様の仰る通り、私は急いでおります」
「ショウマ殿のお立場を考えれば、当然でしょう」
ショウマは息を整え、言葉を紡ぐ。
「ご存じのことだと思いますが、ジェムジェーオンはいま、混乱の只中にあります。ハイネスでは、弟カズマが暫定政府の遠征軍と戦い、首都ジーゲスリードでは、弟ユウマが暫定政権に傀儡の当主として担がれています。私も、何かを成し遂げねばなりません」
まあまあ、ガオが軽く手でショウマを制した。
「あなたの話の前に、この街のことをお話しさせてください」
ガオが、ショウマの焦りの表情を見て、諭した。
「長い話ではありません」
ガオが立ち上がった。
老人とは思えない凛とした立ち姿だった。
窓際まで進むと、ショウマにこちらに来るように手招きした。
「この街はラオジットといいます」
ショウマは立ちあがり、窓際まで進む。
「聞いております」
「ラオの隠れ家。ラオジットの由来です。ジェムジェーオンをはじめ、帝国各地で迫害を受けた影背人たちが集まり、自分たちの活動拠点を築いた。それがこの街の始まりです。影背人たちのリーダーがラオでした」
ガオが窓の外を指差した。
「ご覧ください」
サロン街は、夜が更けるとともに、さらに賑わいを増していた。
老若男女を問わず、様々な人種の人間が、往来していた。
「どうですか」
「まさか、閉鎖空間にこれほど賑わいをみせている街が存在していようなど、夢にも思いませんでした」
「平等」
ガオが顔を外に向けたままで、その言葉を発した。
「この街を支えている思想です。ラオは『平等』を街を造る礎にしました。影背人だけでなく、西方人や北方人、もちろん、ジェムジェーオン人でさえ分け隔てしないと」
「ジェムジェーオン人さえも?」
「そうです」
「それで街を守れるのですか」
ガオが小さく笑った。
「鋭いお方だ。街の歴史は失敗と挫折の繰返しです。結果、ラオが目指した理想とかけ離れた部分もあります。完全な開放は諦め、いまは出入りを厳しく管理しています。わたしは、ラオから続くこの街を守る責務を負っています。そして、ラオの理想が根底に流れるこの街を、わたしは誇りに思っています」
ガオが話を一度止め、ショウマへ向き直った。
「ショウマ・ジェムジェーオン殿、あなたにお聞きします。この国を、どこに向かわせようとしていますか?」
柔和な表情は消え、その眼には鋭い光が宿っていた。
――試されている。
ショウマは一瞬で悟った。
ガオが、ショウマのことをジェムジェーオン伯爵に値するかを見定めている。
現在のジェムジェーオンは、他国人に対して、排他的傾向が強い。
影背人のガオにとって、決して住みよい国とはいえない。
一方で、ガオはラオジットの為政者だった。
本国ジェムジェーオンの情勢が定まらなければ、クードリア地方やこの街が安定しないことを理解している。
求められているのは、その両方を満たす答えだった
――みつけた。これでお互いが妥協できるはずだ。
その回答を口に出そうとした時、胸の奥に何かが引っ掛かった。
――本当にそれでいいのか。
街で感じた「あの不協和音」が、再び胸を締め付ける。
一瞬のうちに、様々な思考が駆け巡る。
ショウマは宙を仰ぎ、語り始めた。
「士官学校時代から、私は弟カズマと、この国、ジェムジェーオンの未来について考え、話をしてきました」
「おふたりが描いた未来とは、どのようなものですかな」
「誰もが笑って暮らせる国。それを、ふたりで造りあげようと」
ガオの顔は、最初の柔和な表情に戻った。
だが、その顔の奥には失望が広がり、もはや、その感情を隠そうとしなかった。
「そうですか」
ガオが踵を返しソファに戻ろうとする。
その背に向けて、ショウマは言葉を重ねた。
「誰もが笑って暮らせる国、それは何か? この未来像を実現するには、何をすればいいのか、首都ジーゲスリードの市民の多くは、澱み、沈み、諦めている。対して、ここラオジットの市民は、生きることに貪欲で、前向きな人間がたくさんいる。この街の人々に出会ったことで、ようやく、その輪郭が見えてきた気がします」
ガオの足が止まった。
ゆっくりと振り返る。
「ほう。……話を続けてください」
「当然ですが、常に笑っている人間などいません。苦しみ、泣き、憎しみさえ抱く。それでも、自分の力が及ばなかった結果なら、人は時間とともに再び笑えます。しかし、原因が不平等や不公正にあると感じた時、人は憤りを抱え続け、やがて諦観へと沈む。首都ジーゲスリードを覆う閉塞感は、まさにそれです」
ガオが静かに言う。
「ショウマ殿はまだ若い。そのため、理解できないかもしれませんが、世は不条理や不公正に満ちています」
「そうだとしても、私が見て観ない振りをしたら、未来は変わりません」
「現状のままを望む者も、多いのでは」
「人も組織も、不変であり続けることはできない。昨日と同じ満足を得るには、昨日以上の何かが必要になる。だからこそ、絶えず変化が求められるのです」
ガオの口調に、わずかに毒が混じる。
「お言葉ですが、何不自由なくジーゲスリードの宮殿で暮らしてきたショウマ殿に、市井の人々が、何を望んでいるかが判るというのですか?」
「ガオ様の言う通り、私は恵まれた立場を享受してきました。ですが、ジーゲスリードを追われて以来、様々な立場の人々と出会い、話し、共に過ごしました。この経験が影響したのかもしれません。私自身が変わらねばならないと、強く思うようになっています」
ふぅ、ガオが深くため息を吐いた。
「ショウマ殿の想いは判りました。ただ、口で言うのは簡単なことです。具体的な方針はあるのですか?」
「私からガオ様に質問させてほしい。この街は『平等』を基礎に築かれていると仰いましたが、すべての人間が何の代償もなしに、等しく同じ権利や同じサービスを与えられているのですか」
「そんなことはあろうはずない」
「では、何が尺度になるのですか」
ガオが少し押し黙った後、答える。
「……金、でしょうな」
「ジーゲスリードでも、金は力を持っています。ですが、最終的に身分の壁が大きく立ちはだかります。金は使えば減り、努力しなければ得られない。対して、身分は、いくら行使しても減らない。どちらの方が、健全でしょうか」
「短絡的に考えない方がいいです。金もまた差別を生み出します」
「だからこそ、再分配の仕組みが必要と理解しています。ただ、再分配の仕組みも、時が経つにつれ、仕組みそれ自体が既得権益となる。だから、仕組みすべを時限的にするべきだと考えています」
ガオが渋い表情を浮かべた。
「ショウマ殿の理屈は全面的に正しい。だが、わたしはこの小さな街でさえ、それを完全に実現できずに苦しんでいる。まして、ジェムジェーオン一国となれば相当難しい。それに重要なことを理解していますか?」
「何ですか」
「その考えを突き詰めていけば、ショウマ殿自身の存在を、自ら否定することにもなる」
「当然、そうなるでしょう。ですが、誰もが笑って暮らせる国、……それは、正直に努力した人間が、報われ幸福に生きることができる社会を築くことです」
ガオが目を細めた。
「興味深いお方だ。本当はもっと話したいところですが…… そろそろ実務の話をせねばなりません」
「正直に申し上げます。私は、ガオ様にラオジットの自治権と引き換えに、今回の戦いでの力添えを得ようと考えていました」
ガオが怪訝な表情をした。
顎に手を触れたあと、ショウマの目を見据える。
「続きを聞かせてもらえますか」
「この提案は、私が描く未来像を、裏切ることになる。クードリア地方、ラオジットもジェムジェーオンの一部です。恒久的な例外や特権を約束してはならない。ただ、現実には、体制を急激に変更できない。時限的に、ラオジットに現在と同じ自治権を与えます。ですが、この街と同じ平等をジェムジェーオン全土に渡らせた暁には、このラオジットも、私に統治させてください」
ガオは息を呑んだ。
「つまり……、力添えを求めるだけでなく、この街そのものを差し出せと言うのですか」
「はい」
ガオが口を開き、何か言いそうになったが、結局、口を閉じた。
ゆっくりともとの席へ戻り、ショウマにも座るよう促した。
「ショウマ殿、あなたは頭の良い方だ。なぜ、自治の話だけに留めようと思わなかったのですか」
「私はガオ様をパートナーと考えています。そのためには、同じものを見なくてはならない。ガオ様がこの3日間、私に自由にこの街を確認する時間を与えた意味がそこにあると思っています」
ははは、ガオの表情から毒気が抜けた。
「ショウマ殿、……あなたは本当に興味深い人だ」
「興味深いとは?」
「失礼。あなたが真剣だというのは、その目を見れば判ります。その目は、……父君アスマ・ジェムジェーオン様とよく似ておられる」
「ガオ様は父と面識があったのですね」
「はい。初めてお会いしたのは、かれこれ15年程前です」
ショウマの胸に、ひとつの疑問が浮かんだ。
――ラオジットは閉鎖空間とはいえ、これだけの規模の街を、どうやって秘匿し続けてきたのか。
出入りする人間は多い。
すべての口を塞ぐことなど不可能だ。
――ジェムジェーオン政権の上層部が、意図的に隠蔽していた。
情報コントロール。
そうでなければ、ラオジットの存在が明るみに出なかったのほうが、不自然だ。
ガオが静かに語り始めた。
「わたしたちはジェムジェーオン伯爵に、資金と情報の提供を約束しました。もちろん、無償ではありません。見返りにクードリア地方での自由を保障頂きました。お互いの利害は一致していました」
「クードリアがジェムジェーオン伯爵家と通じているならば、なぜ、クードリアで戦いが起きたのですか。直近で発生した7年前の第3次クードリア掃討戦は、双方とも凄惨な結果となりました」
ガオが目を伏せた。
「わたしはラオジットの市民すべてと、クードリア地方の多様性を愛しています。しかし、指導者として街を未来に導いていくには、愛だけではなく、覚悟が必要です。あの戦闘は……必要悪でした。そして、想定以上の被害を生みました」
ショウマは皮肉な口調を隠すことなく、質した。
「必要悪、ですか?」
ガオが遠い目をした。
「ここラオジットには多くの者が流れ着きます。活性を保つには、多様性を受け入れねばならない。しかし、多くの人間が流れ込み、街の未来を脅かす思想が、激情とともにうねりとなった場合、非情の決断を採らねばならないこともあるのです」
ショウマは、過去十年の戦乱を思い返した。
ライヘンベルガー男爵独立騒動などの周辺諸国の動揺。
クードリアに多くの人が流れ込んだのは、想像に難くない。
「それでは、あの第3次クードリア掃討戦は……仕組まれた戦いだったのですか」
ガオが肯定も否定もせず、曖昧に首を振った。
ショウマはガオを注視した。
「膿を外に出す必要があった、……ということですか」
ガオはショウマをしっかりと見つめる。
「良い指導者になるには、鋭い感性が必要です。人は論理では動かない。感情が動いた時、初めて行動に移る。その点、ショウマ殿は高い感性をお持ちのようだ。良い指導者になる素養を持っています。ただし、その感性はいずれ、自分の身を深く削り取ることになるでしょう」
ガオの隣に座る初老の男が、口を開いた。
「あの戦いは規模が大きくなりすぎた。誰も制御することはできなかった。我々はあなたがたと同様、……いや、それ以上に多くの同胞を失った」
ガオが初老の男を遮った。
「ユアン、黙りなさい」
ユアンと呼ばれた初老の男が不満な表情を浮かべた。
「しかしながら……」
ガオが頭を下げた。
「ショウマ殿、申し訳ありません。ここにいるユアンをはじめ、ラオジット市民の多くが先の戦争で肉親を失っております」
「なぜ、こんなことに……」
「前マクミラン家当主のロディ・マクミラン卿とは、お互いに、クードリアの未来を案じておりました。わたしどもにとっても、卿の死は大いなる逸失でした」
ショウマは闘いの戦死者に思いを馳せた。
第3次クードリア掃討戦。
当初のジェムジェーオン軍総司令官はロディ・マクミラン大将だった。
アンナ=マリー・マクミランの父であり、武家御三家のひとつマクミラン家の当主ロディは、このクードリアの地で謎の死を遂げた。
暗殺説すら囁かれている。
「戦闘が泥沼化したことの原因……ということですか」
「和平を望む者だけでなく、戦いを望むものがいたのは事実です」
それ以上誰も言葉を発しなかった。
この場を沈黙が支配した。
重く、深く、逃げ場のない静寂。
やがて、ガオが口を開いた。
「そろそろ、この会をお開きにしましょうか。ショウマ殿、お力添えの件については、明日ご返答します」
ショウマはまだ言い足りない思いを胸に抱いていた。
――だが、退き時だ。
冷静に判断し、頷いた。
「承知しました」
こうして、ガオ・オンピンとショウマ・ジェムジェーオンの会合は、粛々ながら確実に、歴史の歯車を動かして幕を閉じた。
「面白い」
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