003話 勝唱の双玉3
帝国歴628年2月22日、イル=バレー渓谷。
ジェムジェーオン側出口には、冷たい風が吹き抜けていた。
まもなく、イル=バレー要塞駐留軍と、ジェムジェーオン北部方面軍との戦闘の火が噴こうとしている。
ジェムジェーオン伯爵の継承順位2位にして、『勝唱の双玉』の弟、カズマ・ジェムジェーオンは、イル=バレー要塞駐留軍の旗艦船『トレメンタ』のAS格納庫に、多くのASパイロットとともに、出撃の刻を待っていた。
カズマは、目前にそびえる最新型ASリゲル03を見上げる。
――頼むぞ。
胸の奥から、戦いへの昂ぶりが震えとなってせり上がってくる。
〈戦闘準備開始〉
鋭いアナウンスが格納庫に響き、パイロットたちは一斉に機体へと駆け込んだ。
カズマもコックピットハッチを開け、ASリゲル03に身を滑り込ませる。
身体が暖かい透明なゼリーに覆われているかのような浮遊感に包まれた。
コックピットシートは、自動的にカズマの身体に合わせてかたちを変えて密着した。
操縦ヘルメットを被ると、プラグインが始まり、左目のコンソールに、起動初期化ログが流れ出した。
〈接続完了〉
コンソールに表示された。
いま、ASリゲル03が、カズマの制御下におかれた。
これまでの訓練で反復してきたように、機能の稼働状態、バッテリー残量、装備品の確認を進める。
――どれも問題ない。
いつでも、出撃できる。
初めての実際の戦闘が、いままさに、目の前に迫っていた。
――静かなものだな。
カズマは、自らが想像していたよりも、自分自身が落ち着いていると自覚した。
――さあ、魂よ、奮い立て。
オレがやるべきことは、先頭に立ち、皆を奮起させ、引っ張ることだ。
いや、違う。
――できるか、できないかじゃない。やるか、やらないかだ。
カズマは、自らに言い聞かせた。
旗艦船『トレメンタ』のAS格納庫。
出撃を控えるする多くのパイロットたちの中に、アンナ=マリー・マクミラン大佐の姿があった。
彼女は、初陣へ向かおうとするカズマ・ジェムジェーオンを、複雑な思いで見つめていた。
幼い頃のカズマの姿が、ふと脳裏に甦る。
笑い、泣き、無邪気に駆け回っていた少年、そのカズマが、いまは戦場へ向かおうとしている。
胸の奥が張り裂けそうな痛みに締めつけられた。
アンナ=マリーはたまらず、ASコクピットから、カズマとのプライベート通信を開いた。
「カズマ、何度も言ってきたけれど、もう一度言わして。出撃を考え直してもらえないかしら。
あなたは私たちの部隊にとって旗頭であり象徴なの。船に残って、味方部隊を指揮するべきと、私は思っている」
「あはは、冗談だろ、マリ姐」
「真剣に言っているわ」
「オレは兄貴と違って、じっと座って指揮するなんて性に合わない。マリ姐だって知っているだろ。身体を動かしこそのオレなのさ」
カズマは、士官学校時代、ASシュミレータや格闘体術などの科目で、常に首位を独走していた。
対して、双子の兄ショウマは、戦術論や指揮論といった机上科目で、入学以来、首位の成績を誰にも譲ることなく、トップの成績を修めた。
『勝唱の双玉』は、それぞれの得意分野で開学史上最高の成績を記録し、士官学校の伝説となっていた。
「それはそうだけれども、……あなたは初陣なのよ」
「マリ姐の初陣も、いまのオレと同じ年頃だったろう。誰だって通る道なんだって」
「何もこんな厳しい戦いでなくても……」
「楽な戦いなんて存在しないさ」
何を言っても、カズマの意志を曲げられそうにない。
アンナ=マリーは、わかっていたはずの結論に、静かに息を吐いた。
――分かってはいたけれども。
諦観を胸に落とし込み、言葉を続けた。
「わかったわ。ただし、これだけは約束してちょうだい。私とジョニー・マクレイアー少佐が、カズマをサポートする。だから、独断専行は絶対にしないこと。
それと、敵と対峙する時は、必ず数的優位を作ってから戦うこと。私たちが先に戦場に出るから、カズマは私からの合図を待って出撃して。いいわね? 絶対に守るのよ」
「わかった、わかった。約束するよ」
カズマの声の楽観的な響きに、アンナ=マリーの胸に不安がよぎる。
――だが、私はともかく、『疾風』ジョニー・マクレイアーがいれば。
『疾風』ジョニー・マクレイアー少佐。
イル=バレー要塞第一AS大隊の部隊長で、『怒涛』アレックス・ラングリッジ大尉や『死神』モニカ・オーウェル大尉の中隊を率いる、まさにエース中のエース。
彼がいる限り、最悪の事態は避けられる。
アンナ=マリーは時間を確認した。
頭を左右に振った。
左目の動きで、通信モードをプライベートから、パブリックに変更した。
「あと約10分で、暫定政府軍の北部方面軍と遭遇する。数はこちらとほぼ同数、2個師団。各々、作戦通りに行動してほしい」
パイロットたちは、コクピットのなかで頷いた。
全員が、現在の戦況を把握していた。
兵力は互角。
だが、彼らの胸を重くしているのは、つい先日まで同じ釜の飯を食っていた北部方面軍の兵士たちと、これから本気で殺し合わねばならないという現実だった。
緊張と悲嘆が入り混じった空気が、ヘッドフォン越しにひしひしと伝わってくる。
その時、『勝唱の双玉』カズマ・ジェムジェーオンの声が響いた。
「さあ、ゆくぞ。オレは恐れない。進むべき道は開けている。この戦いこそ、ジェムジェーオンをオレたちの手に取り戻す第一歩となる」
その一声で、兵士たちの迷いが吹き飛んだ。
沈黙していた者たちまでもが呼応し、どよめきが広がる。
カズマが負けじと声を張り上げた。
「全員、必ず生き残るぞ」
おお、咆哮が格納庫の鉄壁に反響し、巨大なうねりとなって広がっていった。
イル=バレー要塞駐留軍は、AS部隊を前面に押し出し、縦陣のまま突撃態勢を形成して、北部方面軍の中央陣を切り裂いた。
アンナ=マリー・マクミラン大佐は、戦場のただ中で周囲を見渡し、荒れ狂う戦況を冷静に見極める。
――作戦は成功だ。
事前に描いた通りの展開だった。
この作戦を立案したのは、要塞に残留したレッドマン少将だった。
「おそらく、北部方面軍を率いるデービス少将は、私が軍を率いてくると考えているはずだ」
イル=バレー要塞駐留軍のほぼ全軍を出撃させるこの作戦において、残った兵だけで要塞を守る役目は最も重い。アンナ=マリーもカズマ・ジェムジェーオンも翻意を促したが、レッドマンは要塞に残るのは、自分の役目として頑として譲らなかった。
「確かに、宣戦布告した張本人のレッドマン少将が、イル=バレー要塞に残るとは思わないはずですが……」
「デービス少将とは30年、肩を並べて戦ってきた。私の戦術を熟知している。その私の最もらしくない戦術が、全軍を縦陣にして、中央突破することだ」
「対陣するのがデービス少将だからこそ、意表を突ける策であると……」
「その通りだ。そして、この作戦は若い君たちのほうが、私より上手く遂行できる」
先陣を切ったのは、『疾風』ジョニー・マクレイアー少佐が率いるAS部隊だった。
その突撃は、見事に相手陣を切り裂いた。
そこに、アンナ=マリーが率いるAS部隊が襲い掛かる。
北部方面軍は、瞬く間に混乱した。
防衛に回った敵軍の反応が鈍い。
このままの勢いで、一気に中央陣を突き崩す好機が訪れていた。
その時、アンナ=マリーのもとに、オペレーターから無線が入った。
〈マクミラン大佐〉
即座に、アンナ=マリーは、様々な可能性を頭に描いた。
「どうしました?」
〈カズマ様が出撃すると、船のカタパルトデッキに向かっています〉
嫌な予感が、見事に当たった。
アンナ=マリーは、思わず頭を抱える。
「カズマ様を止めてください」
戦場は勝負の時を迎えている。
両軍の兵士とも、ここが正念場とばかりに激戦が繰り広げている。
――カズマの出陣は、いまではない。
カズマを護衛するために、『疾風』ジョニー・マクレイアー少佐を後方に戻せば、味方の攻勢が鈍る。
その選択は出来なかった。
〈何度も、マクミラン大佐の指示があるまで待ってくださいと、カズマ様に伝えているのですが、「この時に出撃しないで、いつに出るのだ」と言って、聞いてくれません〉
カズマの戦局の読みは正しい。
いま、この時が、この戦闘の帰趨を決める。
この序盤戦を制した陣営が、最終的にこの戦闘の勝利を掴むだろう。
アンナ=マリーは苦笑に似た息を漏らした。
――カズマが戦況を正しく理解すること自体は喜ばしい。だが……。
ここで、カズマを失うわけにはいかなかった。
「もう一度、止めて」
〈わかりました〉
アンナ=マリーは伝令に指示を与えながら、確信していた。
――恐らく、止められないだろう。
カズマの性格を考えると、諌止などお構いなく出撃するに違いなかった。
アンナ=マリーは戦況を再確認し、決断した。
――ジョニーは戻せない。ならば、自分が戻るしかない。
周囲を見渡し、近くの部隊長を呼び寄せる。
指示を与えたのち、ジョニー・マクレイアーを呼び出した。
「この戦場の指揮をマクレイアー少佐に委ねます」
「どういうことですか?」
「カズマ様が出撃しようとしています。私は援護に向かいます」
「指揮の件、承知しました。カズマ様はマクミラン大佐に任せます」
激戦の渦中、アンナ=マリーはASを操り、カズマ・ジェムジェーオンが出撃しようとしている旗艦船『トレメンタ』へと機体を向けた。
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