002話 勝唱の双玉2
帝国歴628年2月21日、イル=バレー要塞。
ショウマ・ジェムジェーオンたちがハイネスに潜入した日から遡ること2日前。
イル=バレー要塞の駐留軍は、ジェムジェーオン暫定政府に対し、宣戦布告し、反抗の意思を表明した。
同日、ジェムジェーオン伯爵国首都ジーゲスリード。
この報せは、たちまち、暫定政府軍の統合幕僚本部に届いた。
暫定政府の将校たちは内心で狼狽しながらも、平静を装い整列していた。
視線は、中央に鎮座しているジェムジェーオン防衛軍司令長官マクシス・フェアフィールド元帥に向けられていた。
元帥はこの報せを耳にしても、全く動じる様子がない。
何も言わず目を瞑って深く椅子に腰かけていた。
マクシス・フェアフィールドはもうじき60歳を迎えようという年齢だった。
白髪で背はそれほど高くないが、がっしりとした張りのある身体を維持していた。
兵士やジェムジェーオン市民から、『子熊』元帥という愛称で呼ばれていた。
不動のマクシスに向かって、横に立つドナルド・ザカリアス大将が歩み出て、発言を促す。
「元帥閣下、説明してもらえませんか」
ドナルド・ザカリアスは、フェアフィールド元帥とともに暫定政府の首脳のひとりだった。
眼鏡の奥に光る鋭い両眼と、背は低いが無駄な肉が一切ない痩身の壮年将校で、軍服を脱がしスーツを着せれば、やり手の実業家を想起させる。
マクシスは、姿勢を変えずに目を薄く見開き、顔を傾け、ゆっくりと言葉を発した。
「貴官はワシに、何を説明しろと言っているのだ」
「元帥閣下、言うまでもなく、イル=バレー要塞の件です」
ザカリアスの口調は挑発的だった。
将校たちが固唾を呑んだ。
もともと、イル=バレー要塞を含むジェムジェーオン北部一帯は、フェアフィールド元帥の派閥が盤石の基盤を築いてきた地域だった。
3人の軍司令、北部方面軍司令デービス少将、イル=バレー要塞駐留軍司令レッドマン少将、ハイネス駐留軍司令トマソン少将は、いずれもフェアフィールド元帥のもとで出世した子飼いの将軍たちだった。
そのひとり、イル=バレー要塞駐留軍司令レッドマン少将が、フェアフィールド元帥が首班を務める暫定政府に反旗を翻すことになった。
――レッドマン少将がフェアフィールド元帥を裏切るなんて。
フェアフィールド元帥の忠臣と思われたレッドマンが宣戦布告してきたとの報に、幕僚本部の将校たちが動揺した。それは次第に、不安へと変わろうとしていた。
「既に手は打っている」
マクシスの言葉は短かった。
その短い回答だけでは、将校たちの憂いを払拭するのに充分ではなかった。
ザカリアスが大きく手を広げた。
「どのような対応でしょうか? 小官をはじめ、ここに詰めた将校たちにも理解できるように、具体的に説明してもらえませんか」
マクシスは目を大きく見開いた。
目でザカリアスを追ったあと、椅子を浅く腰掛けなおした。
「貴官はワシにこの状況への対応を説明しろと言っているのか」
「もちろん、元帥閣下はご説明していただけると確信しております」
よかろう、マクシスは頷いた。
「既に、北部方面軍のデービス少将に緊急部隊招集を命じている。すぐさま、2個師団を集め、この部隊を2時間前にイル=バレー渓谷の出口に向かわせた」
「イル=バレー要塞駐留軍も2個師団の戦力を有しています。デービス少将とレッドマン少将は、ともに歴戦を重ねた名将。デービス少将が負けるとは言いませんが、万全とは言い難いのでは」
更なるザカリアスの追及にも、マクシスは動じない。
「まずは、敵軍をイル=バレー渓谷から出さないことが戦略的に重要なのだ。ジーゲスリード平野に進軍を許せば、討伐が容易ではなくなる。加えて、要塞反対側のバルベルティーニ伯爵国に、イル=バレー要塞への出撃を要請した。すぐにでも、バルベルティーニはイル=バレー要塞に兵を向けるであろう。レッドマンは出撃するにしても、イル=バレー要塞を防衛するため、兵力を残さねばならない。つまり、2個師団全軍での出撃はないということだ。これで、デービス少将の北部方面軍だけで、兵の数を上回る公算が高くなった」
「それで勝てますか」
「必勝だよ」
マクシスは口の端に笑みを浮かべた。
「万全に備えている。ハイネスに駐留しているトマソン少将に、後詰としてハイネス駐留軍の出撃を命じている。イル=バレー渓谷出口で、先発のデービス少将の北部方面軍と合流するのは、1日後だ。このことは、両軍に伝えている。デービス少将は、たった1日、イル=バレー要塞から出撃した部隊を足止めすれば、兵力差で圧倒できる」
ザカリアスが大きく手を広げながら、まわりの将校たちを見回した。
満面の笑みを浮かべ、大声をあげた。
「それが聞きたかったのです、元帥閣下。ご説明いただき、感謝いたします。小官をはじめ、ここにいる将校たちは、元帥閣下が泰然自若としている理由を納得しました」
将校たちの多くが、安堵の表情を浮かべた。
この緊急事態を解決するため、マクシス・フェアフィールド元帥は周到に準備している。
直接、元帥の口から説明を受けて、ようやく安心した。
ザカリアスが何度か頷いた。
だが、その安堵は、薄氷のように脆いものだった。
この場を閉めようと、ザカリアスが言葉を口にしようとしたその時、ひとりの将校が口を開いた。
「小官には、ひとつ理解できないことがあります。なぜ、レッドマン少将はフェアフィールド元帥に反旗を翻したのですか?」
ザカリアスが質問した将校に問い質した。
「元帥閣下の言葉を聞いていなかったのか」
「レッドマン少将と元帥は、長い間に渡り、ともに戦ってきた間柄と聞いています。さらに、イル=バレー要塞駐留軍に『勝唱の双玉』が加わっているという噂を耳にしました。このことが関係しているのですか?」
「敵軍が流した偽情報に、兵士たちを統率する立場の貴官が惑わされてどうする。元帥閣下は、既にデービス少将やトマソン少将に敵軍討伐の下知を与えている。あとは作戦を遂行するだけだ。何の心配もいらない。対策は十分と判らないのか」
ザカリアスが早口で、発言した将校に詰め寄っていく。
――逆効果だ。
マクシスはザカリアスの応対に閉口した。
マクシスとザカリアスは、この会議の開催前に、お互いの役割を決めていた。
ザカリアスが将校たちの想いを代表してマクシスを煽り、マクシスが不動の姿勢で受け止める。
将校たちの動揺を抑え、ガス抜きするためだ。
もうひとつ、巷間で、行方不明となっている『勝唱の双玉』のふたりが、イル=バレー要塞蜂起に参加しているという噂が流れていたが、このことには触れないと決めていた。
だが、将校の口から『勝唱の双玉』の名が挙がった瞬間、場の空気は一段と重く沈んだ。
ザカリアスの態度は自分の考えを押し付けるもので、将校たちの疑念を増幅する効果しか生まない。
場を鎮めるため、マクシスは言葉を発した。
「ワシも『勝唱の双玉』の噂を耳にした。だが、ザカリアス大将と同じく、偽報だと思っている」
将校がマクシスを強く見詰めた。
「元帥がどうして、そのように判断されたかお聞きしてよろしいでしょうか?」
「ワシがこの噂を偽報と判断したのは、もし『勝唱の双玉』が生き延びていたのであれば、正々堂々と姿を現せばよいからだ。ワシらに対抗して、武力行使という手段を採る必要はなかろう」
「なるほど。『勝唱の双玉』に対する元帥のご意見はその通りだとして、では、なぜ、レッドマン少将は反旗を翻したのでしょうか?」
将校の言葉には、払拭しきれない疑念が含まれていた。
マクシスは俯いて、視線を下げた。
――いまは非常時だ。手段を選んでいる場合ではない。
覚悟を決めて、語り始める。
「レッドマンは不満を抱いていた」
ザカリアスを含む将校たちの顔が、一斉にマクシスに向けられた。
マクシスは視線を下げたまま続けた。
「イル=バレー要塞はジェムジェーオン防衛軍の最前線だというのは、言うまでもなかろう。絶えず、バルベルティーニ伯爵国と小競り合いを繰り返している。レッドマンは命の危険にさらされている最前線の任務から解放されることを望んでいた。暫定政府の発足直後から、ワシのもとに首都ジーゲスリードへの転属希望が、何度も提出されていた」
「レッドマン少将はイル=バレー要塞駐留軍司令という重責の身でありながら、自らの命を惜しんでいたということですか!」
「残念だが、……その通りだ」
攻防兼備のレッドマン少将は、マクシス・フェアフィールド元帥を、長い間支えてきた。
人柄は実直で自分の主張よりも組織の調和を重んじる。
そのレッドマン少将のイメージと、マクシスが語った姿とは大きく乖離していた。
だが、これまで最前線で戦い続きてきたマクシス・フェアフィールド元帥という人物の言葉の重みは、将校たちのなかに芽吹くかもしれなかった疑いの念を、吹き飛ばすに充分だった。
次第に、レッドマン少将に対する反感の声が広がっていった。
「許すまじ、レッドマン!」
「小官に、レッドマン討伐の下知を」
将校たちの声に押されるようにマクシスは立ち上がった。一気に捲し立てた。
「とにかく、ワシらはイル=バレー要塞から出てくる敵軍を叩き伏せるのみだ。いまは、それに集中する」
「承知」
将校たちが一斉に立ち上がり、マクシス・フェアフィールド元帥に向かって敬礼した。
「それでは、皆、頼んだぞ」
マクシスは統合幕僚本部の席を立った。
帝国歴628年2月22日、正午。
フェアフィールド元帥から命令を受けたデービス少将の北部方面軍は、イル=バレー渓谷出口に到着した。
デービスは率いてきた軍勢を、予定通り、渓谷出口を塞ぐように布陣させた。
いまだ、イル=バレー要塞駐留軍は到着していない。
軍司令デービス少将は、北部方面軍の旗艦船『プロディフィオ』の艦橋で、モニターを見据えた。
両岸を切り立った岩壁に挟まれたイル=バレー渓谷。
だが、出口にあたるこの場所は開けている。
いまは、静かなこの渓谷も、何時間後に、レッドマン少将率いるイル=バレー要塞駐留軍がここに到着すれば、一変するはずだった。
「あとは奴らが到着するのを待つだけだな」
デービスのレッドマンに対する怒りは、いまや憎悪に昇華していた。
レッドマンとデービスは、マクシス・フェアフィールド元帥旗下で、ライバルとして互いに功を競い合ってきた間柄だった。時に、利害が絡むことや功を競ってきたため、昵懇の仲とはいえなかったが、お互いを認め合ってきたつもりだった。
マクシス・フェアフィールド元帥傘下の仲間のひとりと信じていた。
その元帥を裏切る。
レッドマンは越えてはならない一線を越えた。
――ハイネスのトマソン少将の援軍などいらぬ。
デービスが率いる部隊だけで、レッドマンを叩き潰す。
その決意が、拳を固く握りしめる手に宿っていた。
約2時間後。
オペレータの声が船『プロディフィオ』の艦橋に響いた。
「イル=バレー要塞から出撃した部隊を視認しました。敵部隊の兵力は2個師団。敵軍の進軍速度を考えると、15分後に戦闘状態に突入します」
デービス少将はがなり声を発した。
「敵戦力の報告は確実なものか」
オペレーターが即答した。
「間違いありません」
ふむ。デービスは片目を瞑った。
――意外だ。
2個師団ということは、イル=バレー要塞駐留軍のほぼ全軍だった。
あの慎重な性格のレッドマンが要塞を空にして全軍で出撃してこようとは。
イル=バレー要塞反対側のバルベルティーニ伯爵国から攻撃を受ける可能性があるにもかかわらず、レッドマンは要塞に兵力を残さず、全軍を投入してきた。
まるで、攻勢を得意とするデービス本人の用兵のようであった。
――それだけ、レッドマンも必死の覚悟ということか。
いいだろう。叩きのめしてやる。
デービスはマイクをとった。
「敵軍は2個師団。兵力は互角。敵はレッドマンの軍だ。あやつの用兵は熟知している。まず、左翼か右翼に威嚇攻撃を仕掛けてくる。二次攻撃を許すな。予定通り、最初の攻撃を飲み込み、喰らいつけ。それを合図に一気に攻勢に移る。そうなれば、この戦場は、われらデービス部隊のものとなる」
北部方面軍の士気は最高潮だった。
――レッドマンの戦い方は熟知している。
戦闘準備万端で、イル=バレー要塞駐留軍を待ち構えた。
デービスは、イル=バレー渓谷の出口を塞ぐため、横方向に展開布陣させていた。
その分、各軍の陣は薄く拡がることになった。
相手の出方に合わせて、一気に反撃体制を整える。
左翼と右翼の部隊には、敵軍の動きに合わせ攻勢を受け止め、こちらから先制攻撃を仕掛けないように指示を下していた。
だが、イル=バレー要塞を出撃してきた敵軍は、縦陣を敷きこちらに向かってきた。
予想以上の進軍速度で、北部方面軍の中央陣に向かって、錐型で突撃してくる。
「まさか」
デービスは拳を叩き付けた。
「指揮をとっているのは、本当にあのレッドマンなのか」
デービスの部隊は攻勢局面を得意としているが、図らずも守勢局面を迎えていた。
敵の進軍速度よりも早く左翼と右翼を畳み込んで、中央を突破してくる敵部隊を囲むことができれば、包囲殲滅の大きなチャンスとなる。
しかし、それが出来なければ、敵軍に自軍中央を食い破られる。
「中央に進撃してくる敵軍を包囲する。左翼と右翼には早急に対応を開始しろと伝えよ」
「は、はい」
予期していなかった守勢を迎えて、各部隊の反応が鈍い。
特に、様子見を命じられていた左翼と右翼の動きはバラバラだった。
――このままでは、中央を突破される。
デービスは矢継ぎ早に、指示を与えた。
「中央、集中砲火で敵軍の進軍を足止めするんだ」
「左翼と右翼は敵軍を囲め」
「AS部隊の出撃を急がせろ。敵のASの進行を許すな」
――正念場だ。
デービスのこれまでの戦場経験が告げていた。
ここを耐えることが出来れば、ハイネスから出撃したトマソン少将の部隊と合流できる。
トマソンの力を借りることは本意ではなかったが、敗北するよりましだ。
トマソンが率いるハイネス駐留軍と合流すれば、兵力で上回れる。陣形を再編すれば、絶対に負けない。
イル=バレー要塞を出撃した部隊と暫定政府軍の戦いは、統合幕僚本部のマクシス・フェアフィールド元帥や北部方面司令デービス少将が想定したよりも、はるかに早い速度で動き始めていた。
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