001話 勝唱の双玉1
『勝唱の双玉』とは、アクアリス大陸の創世伝説において、この大地を産み落としたとされる聖獣獅子アクアリスが、神より授かった二つの秘宝を指している。
その秘宝には、それぞれ智の光と勇の焔が宿り、聖獣獅子アクアリスが幾度の試練を越え、勝利へと歩むための力となったと、古き時代より語り継がれてきた。
その物語は、いまもなお人々の胸に脈打ち、帝国の根幹を支える始まりの神話として息づいている。
アクアリス大陸を統べるシャニア帝国の封建領主国のひとつ、ジェムジェーオン伯爵国。
大陸前脚地方を領するこの地で、兄ショウマ・ジェムジェーオンと弟カズマ・ジェムジェーオンは、生まれ落ちた瞬間から運命を分かち合う双子の兄弟だった。
ジェムジェーオンの『勝唱の双玉』と呼ばれるようになった。
若く、凛々しく、そして美しい。
その姿は、まるで伝承から抜け出した『勝唱の双玉』として、ジェムジェーオン市民の目に、未来を照らす希望の光として映っていた。
帝国歴628年2月23日早朝、ジェムジェーオン伯爵国の北部要衝都市ハイネス。
『勝唱の双玉』のひとり、ジェムジェーオン伯爵家世子ショウマ・ジェムジェーオンは、無明の隧道のなかで、歩みを続けていた。
突入を始めてから、既に20分以上が経過している。
濃密な闇。
暗黒と静寂の世界は永遠に続いていくと思えた。
闇はまるで生き物のように、身体に絡みつく。
心の弱い部分に浸食してきた。
暗黒のなかへと身体を吸い込もうとする。
心を徐々に締め上げ、比例して不安を膨張させていく。
ショウマは必死に抵抗するように、ゆっくり、静かに、ひたすら前へと足を進めた。
呼吸音が聞こえる。
自身の呼吸に加えて、仲間のものが混じっている。
漆黒の闇に視覚が奪われたのに対して、嗅覚が鋭敏になっている。
隧道のなかの黴臭くじめじめしている空気のなかで、自分や仲間が緊張から分泌されたアドレナリンが、鼻孔をかすかに刺激した。
ショウマは右手に伸ばした。
自身の手さえ暗闇に呑み込まれて視認できない。
そこにあるはずの自分とそれ以外を区分する境界が消失していた。
――まるで、今の状況を表しているかのようだな。
今回の計画の成功率は、ほぼゼロ。
それでも、ショウマたちに残された選択肢は他になかった。
唯一の可能性。状況を打開する道、それがこの計画の遂行だった。
何度もシミュレーションし、皆で協議してこの賭けに臨んだ。
ショウマは左の掌で自分の頬を覆った。
――暖かい。
手の表面が温もりを知覚する。
顔の頬に残る掌の感覚、ようやく、自分自身の存在を実感した。
その時、遠くにゴォーと低い轟音が響いた。
地鳴りのような振動が、隧道を震せる。
ショウマと仲間たちは足を止めた。
「バトルシップのエンジン音だな」
暗闇のなか、仲間のひとりが囁くように言った。
エンジンの重低音が連続する。
「ハイネスの基地からバトルシップが出撃しているようです」
「始まったか」
どの声も硬い。緊張に満ちていた。
ショウマは短く命じた。
「進むぞ」
ショウマの声に押されて、皆が足を前に進めた。
その間も、幾重ものバトルシップのエンジン音が絶え間なく響き続けた。
地上の基地から、バトルシップが連続で出撃しているという証だった。
やがて、天井に続く梯子が現れた。
天井の金網を慎重に外し、上部の空間に進んだ。
相変わらず、光はなかったが、進んできた隧道よりも少し広い通路となっていた。
暗闇の遥か先に、赤い電子光がぼんやりと浮かび上がっている。
仲間のひとり、アレックス・ラングリッジ大尉が、警戒から最小限の声量で発した。
「俺が、先に行って、確認します」
アレックスが足早に赤い電子光のもとに近づいた。
扉に耳を当て、じっと、扉の向こうの様子を探っている。
……
赤い電子光でぼんやりと浮かび上がったアレックスの姿。
10秒ほどその姿勢で、様子を伺った後、手招きした。
ショウマたちは、静かに扉のもとに寄った。
扉に耳を当てたままアレックスが言った。
「物音なし。人の気配もありません」
「例の格納庫か?」
「おそらく。ここに認証機があります」
アレックスが赤い電子光に照らされた虹彩認証機を指さした。
「扉が開錠したら、まず俺たちが先に踏み込みます。ショウマ様は、ここでお待ちください」
ショウマは無言で軽く頷いた。
続いて、虹彩認証機に瞳を近づけた。
カチ、軽い音が響いた。
〈パターン特定〉
虹彩認証機のディスプレイに緑色光でと表示され、同時に、扉が開いた。
仲間たちが、素早く、静かに、一斉に、扉の向こうの格納庫のなかに踏み込んでいった。
幸いなことに、格納庫は無人だった。
アレックス・ラングリッジ大尉を先頭に突入した仲間たちが、暗い格納庫のなかを隅々まで丁寧に確認した。
しばらくして、アレックスが言う。
「誰もいません」
ショウマは大きく息を吐いた。
仲間たちも、全員の張り詰めていた緊張感が、弛緩していく。
格納庫のなかは、所々で輝く電子光が、部屋のなかをぼんやりと浮かび上がらせていた。
モニカ・オーウェル大尉が部屋の隅に、歩み寄った。
「スイッチがありました」
「点けてくれ」
「はい」
スイッチを押すと、格納庫の天井の明かりが、輝いた。
暗闇に慣らされていた眼に、突然の灯は光が強すぎた。
ショウマは眩しさに、思わず、目を閉じた。
数秒後、ようやく眼が開いた。
そこには、全長3・5M、紫光に輝くAS、リゲル‐02カスタムが1台と、最新式のASリゲル‐03が100台ほど燦然と並んでいた。
奧には、バトルシップが2隻格納されている。
2個中隊の戦力だった。
「す、すごい……」
仲間たちがこの装備に息を呑んだ。
「まさか、これほどの装備が……」
「この格納庫は、20年前の北部大震災の時に作られた被災支援物資倉庫だった。復興後に、父アスマが軍事格納庫に変更していた」
父アスマから聞かされていたこの倉庫の経緯だった。
ショウマの説明に、アレックスが反応した。
「それにしても、なぜ、暫定政府軍はこの格納庫の存在に気づかなかったのでしょうか?」
「公式には、この被災支援物資倉庫は、廃棄されたことになっている。今回使用したあの秘密の接続路を含めて、この格納庫の存在を知っているのは、ジェムジェーオン伯爵家と軍の最高幹部のみだ。ロックを解除させる虹彩認証も、その者たちのみ登録している」
アレックスが怪訝な表情を浮かべた。
――アレックスの表情も、当然だ。
暫定政府軍の首脳のひとりは、ジェムジェーオン防衛軍の最高幹部、司令長官マクシス・フェアフィールド元帥だった。立場上、彼はこの倉庫の存在を知っていたはずだ。
「いま、私たちがハイネスに潜入しているとは、暫定政府も思ってはいない。そのため、この倉庫も接収されていなかったのであろう」
「ショウマ様が考えていた通りになりましたね」
「そうだな」
ショウマも疑念を払拭しきれずにいたが、いまはその疑問を追求している時ではなかった。
立ち上がる時はいまだった。
ショウマは紫光のASの前に進んだ。
ジェムジェーオン伯爵家の一族のみが騎乗を許される紫光のAS。身体の奥から興奮が突き上げてくる。
紫光に輝くASを見上げた。
――何にせよ、戦いの舞台に上がることだけは許されたか。
熱く、震えが止まらなかった。
恐怖によるものか、緊張によるものか、はたまた、これから始まる険しい戦いを予測してか、ショウマ自身にも判然としなかった。
アレックス・ラングリッジ大尉は、ショウマ・ジェムジェーオンが昂然と紫光のASの前に身を置く姿に、目を奪われた。
黄金色輝きながらなびく髪、彫像の如く圧倒的な美の若者ショウマ・ジェムジェーオン。
荘厳な情景だった。
アレックスだけではない。この場に居るすべての人間が、ショウマの立ち姿に心を魅了されていた。
神々しい儀式に口を挟むことは禁忌にも似ていた。
――だが、俺たちにはやらねばならないことがある。
アレックスは意を決して、言葉を発した。
「ショウマ様、よろしいですか」
一瞬の間のあと、ショウマが顔を向けた。
アレックスは続けた。
「作戦を進めませんと、カズマ様のほうが」
「そうだったな」
ショウマが頷いた。
「ここに至る途中、基地から出撃するバトルシップが出撃する音が聞こえたな。あの量からするとほぼハイネス駐留軍のほとんどが出たと思うが……」
「間違いありません。音から52隻のバトルシップが出撃したのを確認しました」
ショウマに問いに応じたのは、ツインテールの髪の毛に赤縁メガネを掛け、幼い少女のような外見をしたモニカ・オーウェル大尉だった。
「ということは、ここハイネスにはほとんど戦力が残っていないということだな」
「はい。ハイネスに配備されているバトルシップは2個師団約50、ほぼ全軍がハイネスから出撃したと考えてよいかと」
アレックスはモニカの言葉に頷いてから、ショウマを凝視した。
「今ごろ、イル=バレー要塞から出撃したカズマ様たちは、渓谷出口で待ち受ける北部方面軍司令デービス少将の部隊と交戦していると思われます」
ショウマが微笑した。
「予定通りであれば、カズマたちの部隊が戦闘を開始したのは、1日以上前のはず。それだけ時間が経過していれば、ここハイネスの部隊も戦闘の情報を掴んでいるとみて間違いない。そして、ハイネスの軍勢は動いた」
一瞬の沈黙。
ショウマが周囲を見やってから、続けた。
「戦場から最も近い拠点のここハイネスを預かるトマソン少将は、駐留しているほぼ全軍を援軍に出した。つまり、カズマたちが奮戦し、暫定政府軍が苦戦しているということだ。
そして、トマソンも最前線を預かる将のひとり、兵力を出し惜しむのは愚策と判断した。たとえ、イル=バレー要塞から出撃したカズマたちが、士気高く精鋭だったとしても、兵力は限られる。最終的に兵数や兵站が勝敗を決する。最悪の場合でも、足を止めて持久戦に持ち込めば、首都ジーゲスリードからの援軍も頼れる」
「トマソン少将はそのように考えていると思います」
「想定通りだ。戦局は、私たちの思惑通りに推移している。つまり、現在、ここハイネスはもぬけの空に等しいはず。私は皆に確認したい。私自身の願望が、現実認識の判断を誤らせてはないかを」
アレックスは大きく頭を振った。
「いえ。小官の考えもショウマ様と同じです。ここハイネスには、間違いなく僅かな戦力しか残っていません。ハイネスの守備に残したASは最大で200にも満たない。しかも、固まって配備されているとは考え難い。であれば、ここにある戦力で対処できます」
アレックスの言葉にここにいる全員が頷いた。
超エース級の2人、『怒涛』のアレックス・ラングリッジ大尉、『死神』のモニカ・オーウェル大尉を筆頭に、今回の突入部隊に選ばれたその他メンバーも、ジェムジェーオンのエース級のパイロットたちだった。
ショウマが皆に視線を送った。
「甘い考えかもしれないが、ハイネスの守備隊も、私たちと同じジェムジェーオンの市民だ。戦うのではなく仲間に加えて、一緒に暫定政府軍に立ち向かっていきたい。もちろん、私も前面に出て、呼びかけるつもりだ」
「小官たちが全力でショウマ様をお守りします」
戦場に紫光のASが舞い降りる。
居合わせた士官たちは、身を引き締めた。
紫光のASの起動キーは、ジェムジェーオン伯爵一族の登録済みのDNAだった。登録していない人間が紫光のASにライドインしても、起動すらできない。
紫光のASは、ジェムジェーオン伯爵家そのものを意味していた。
絶対の忠誠の対象であり、どんな犠牲を払ってでも護らねばならない。
ショウマが左手を振り上げた。
「命令を再度、確認する」
一同がショウマに向けて、整列した。
「モニカ・オーウェル大尉以下は、直ちにハイネス行政府と放送センターを占拠する」
「はい」
「アレックス・ラングリッジ大尉、そのほかの者は私とともに、ハイネス残留部隊を鎮圧する」
「承知」
この場の全員が、敬礼をショウマに向けた。
「これより、ハイネス奪取作戦を開始する。一同の奮戦を期待する」
ショウマ・ジェムジェーオンは紫光のASにライドインする前に、自問した。
――勝てるか。
ここまでの流れは、想定した通りの状況となった。
とはいえ、決して楽観視できない。限りなくゼロに近い可能性が、僅かに光が見え始めたに過ぎない。
――頭で考えてもダメだ。
シミュレーションは何度も行ってきた。あとは、変化する状況や条件のなかで、最善の選択を採ることだ。
亡き父アスマ・ジェムジェーオンの顔が浮かんできた。
〈頼んだぞ、ショウマ〉
そう言われた気がした。
――よし、これで間違えない。
ショウマ・ジェムジェーオンは自身に向かって勝利を宣言した。
胸の奥で、静かに、しかし確かに火が灯るのを感じた。
「面白い」
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