028話 ハイネス攻防戦10
帝国歴628年3月9日、ジェムジェーオン北部ハイネス。
遠征軍の旗艦船『モノポライザー』の艦橋。
最上段に設置された司令官席で、遠征軍の総司令ドナルド・ザカリアス大将は、ハイネス攻城戦の映像をじっと見つめていた。
――この調子を維持できれば、ハイネス守備部隊はじきに限界を迎える。
ザカリアスは安堵の息をついた。
初日の奇襲で、本陣が危機に晒された時は、さすがに心中穏やかではなかった。
だが、物量で押し切る戦術へ切り替えてからは、戦局は明確に遠征軍優勢へと傾いている。
伝令が運んでくる報告も、その優勢を裏付けるものばかりだった。
ザカリアスはテーブルに置かれた紅茶入りのティーカップを手に取り、ゆっくりと口に運んだ。
――この段階に至れば、小細工など無用だ。
焦る必要はない、着実に時間を掛けていい。
ハイネス守備部隊を、ひとつずつ確実に潰していけば、いずれ落とせる。
改めて、全軍に命令を下した。
「相手の挑発にだけは乗るな。各隊、課せられた目的を果たすことだけに集中するのだ」
その時だった。
側近の参謀長ヒューゴ・マクスウェル准将のもとへ、下士官が駆け寄り、ひそひそと耳打ちを始めた。
ふたりの表情が曇る。
下士官が去るのを見届け、ザカリアスは声をかけた。
「マクスウェル准将、何かあったのか」
マクスウェルが目だけで頷いたあと、ザカリアスのもとに速足で寄ってきた。
耳元に顔を近づけて、小声で言った。
「オステリアに向かったスン・シャオライ中佐から『至急ザカリアス閣下に伝えたいことがあるため、ハイネスに戻ってくる』と、連絡がありました」
「む?」
思わず、ザカリアスは声を漏らした。
「スン・シャオライ中佐がわざわざハイネスに戻ってくる? 通信では駄目なのか」
「内密に話がしたいとのことです」
「それでは、オステリアに向けた3個師団は、誰が率いているのだ?」
マクスウェルが言いにくそうに続けた。
「そのことですが……、スン中佐は軍勢を引き連れたまま、ハイネスに戻ると聞いています」
ザカリアスの眉がぴくりと動いた。
「それはおかしな話であろう。内密の話に、軍勢を戻す必要があるのか」
「確かに、閣下の仰る通り、不可解です」
マクスウェルが首を傾げた。
ザカリアスの頭に血が昇った。
――スンは何を考えているのだ。
この勢いでハイネスを攻め続ければ、ハイネス陥落は時間の問題だ。
だが、その間にオステリアが敵軍の手に落ちて、新たな反抗拠点となってしまえば、第二のハイネスとなる。
その芽を摘むがために、軍を割いて、オステリアに送ったのだ。
――それを勝手に戻すとは。
怒りが喉元まで込み上げる。
――落ち着け。
ザカリアスは深く息を吸い、冷静さを取り戻す。
改めて、マクスウェルに指示を出す。
「内密の話の件は了解した。スン中佐に、軍勢の指揮をいずれかの者に委ねて、ただちにオステリアに向かわせろと厳命せよ。そのうえで、本人は、少人数でこちらに向かうようにと」
「承知しました」
マクスウェルが頭を下げ、ただちに、伝令をスン・シャオライ中佐に伝えるように指示を出した。
遠征軍の司令部からの命令は、スン・シャオライ中佐に確かに届いた。
命令を受け取ったスン中佐からの返答も届く。
「司令部の指示に従います」
この回答があったにもかかわらず、3個師団の軍勢はオステリアに向かうことなく、まっすぐハイネスの遠征軍本隊へと迫ってきた。
遠征軍の司令部からは、再三、停止命令を発出された。
それでも、軍勢は止まらない。
スンの部隊は、まるで何かに導かれるように、一直線に進んでくる。
ついに、接近してくる3個師団の軍勢を抑止するため、ハイネスに布陣するジェムジェーオンの遠征軍の陣から、部隊が出撃した。
同じ頃、遠征軍バルベルティーニ陣。
謎の軍勢接近の報が届き、ベリウス・クラウディウス将軍が率いる黒騎士第二軍団の司令部は、ざわつき始めていた。
遠方の地平線に、船が巻き起こす砂埃が舞うのを認めた。
肉眼でも、かすかに部隊の影を確認できる距離となっていた。
クラウディウスは椅子を蹴り上げるように、立ち上がった。
「どういうことなんだ!」
バルベルティーニの若手士官のひとり、アスセット少尉が押し出されるように立ち上がる。
「ジェムジェーオン司令部からは、あの部隊は味方で、ハイネスから距離10000の地点に留まると報告を受けています」
「距離10000だと? すでに、肉眼で確認できる位置に迫ってきている。それより近い距離に迫っているのは、明らかではないか」
「は、はい。その通りなのですが……」
「どの程度の兵力なのだ」
「3個師団の戦力と聞いています」
「……3個師団だと」
クラウディウスの本能が、鋭く警鐘を鳴らしていた。
――間違いない。これは敵襲だ。
3個師団がこの遠征軍を背後から襲えば、戦局は違った方向へと舵を切ることになる。
可及的速やかに、対処が必要だった。
クラウディウスは早口で、アスセット少尉に命じる。
「再度、ジェムジェーオン司令部にあの部隊の正体を確認しろ。至急だ」
「はい」
アスセット少尉が椅子に座り、身体をコンソールのほうに向き直した。
ジェムジェーオン司令部と連絡を取るため、ヘッドセットを頭に装着した。
その時、艦橋のクルーたちがざわついた。
〈衝突だと! どういうことなんだ〉
〈憶測はいらない。現在の状況を正確に報告してくれ〉
クラウディウスはクルーのひとりに声を掛けた。
「どうしたのだ?」
「接近してくる部隊と、それを抑止するために向かったジェムジェーオンの部隊が、……戦闘状態に突入したようです」
クラウディウスの背中に、冷汗が流れた。
――決断が遅れたか。
ジェムジェーオン遠征軍の対処は、すでに後手に回っている。
ここでさらに、対処を躊躇すれば、取り返しのつかない事態に陥る。
アスセット少尉が、視線をクラウディウスに向けていた。報告するタイミングを窺っている。
クラウディウスは顔を向けた。
「ジェムジェーオンの司令部は何と言っている」
「同じ答えです。当該の部隊は、味方のはずだと」
「戦闘が始まっているのに、まだそんな根後を言っているのか!」
「詳細は調査中とのことです。ジェムジェーオンの司令部は混乱しているようです」
「接近している部隊は、どのくらいの距離まで近づいている。こちらで測った結果を伝えてくれ」
「……お待ちください」
アスセット少尉がモニターをのぞき込み状況を確認した。
青い顔で、答えた。
「およそ2500です」
クラウディウスは天を仰いだ。
――近づけすぎだ。
すでに、迎撃限界を超えいる。交戦距離だ。
直ちに、接近する部隊を潰さねばならない。
でなければ、クラウディウスたちを含む遠征軍は、この戦場でハイネス守備部隊との挟撃を受けることになる。
悠長に、調査などに時間を費やしている場合ではない。
クラウディウスは、横目でガルバ大佐を見た。
「ガルバ。分かっているな。止めてくれるな」
ふぅ、ガルバが深く息をついた。
「できることならば、クラウディウス閣下には、ジェムジェーオンの司令部からの要請を受けて、出撃していただきたいと思っていますが……」
「あいつらの回答を待っている間に、俺たちが全滅することになるぞ!」
ガルバが苦笑した。
「閣下の言、尤もです。仕方ありませんな」
「もちろん、俺自らがASで出撃するぞ」
「止めたとて、無駄なのでしょうな」
クラウディウスはニヤリと笑った。
「俺はバルベルティーニのトライデント『赤槍』だ。トライデントは、常に戦場の最前線に立たねばならない。ガルバは引き続き、この艦に残り、ジェムジェーオン司令部と連絡を継続してくれ。できれば、ザカリアスからの追認を取ってくれ」
「承知しました」
クラウディウスはバルベルティーニ黒騎士第二軍団に向けて命じた。
「すぐに、ASランサー部隊に出撃の準備を整えさせよ」
黒騎士第二軍団のASランサー部隊は、クラウディウスの親衛隊だった。
ガルバが念を押す。
「決して、無理はなさらぬよう」
「ああ、判っている。だが、心配は無用だ。敵はどこぞの衆、俺たちはバルベルティーニ黒騎士第二軍団の敵ではない。無理せずとも、目の前の敵を打ち破るのみだ」
クラウディウスの胸に、久しく忘れていた昂揚が湧き上がった。
――ようやく、本領を発揮できる。
ジェムジェーオン到着以来、自らが率いるバルベルティーニ黒騎士第二軍団は行動を制約され続けてきた。
その鬱憤を晴らすとともに、武名を轟かせる好機が訪れたことに、胸が高鳴っていた。
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