027話 ハイネス攻防戦9
帝国歴628年3月9日、ジェムジェーオン北部ハイネス。
アンナ=マリー・マクミラン大佐は、カズマ・ジェムジェーオンがハイネスを脱出するため、ASドックに向かい、脱出準備に入ったのを見届けた。
扉が閉まった瞬間、胸の奥でそっと息を吐いた。
――これで、未来に希望が繋がる。
カズマの性格からして、ハイネスを脱出する案に対して、抵抗を示すことは分かっていた。
むしろ、説得できたこと自体が奇跡に近い。
もし、脱出を説得する相手が双子の兄ショウマ・ジェムジェーオンだったら。
きっと、アンナ=マリーがすべてを説明する前に状況を理解して、行動を起こし始めていたかもしれない。
その時、私はショウマにどのような感情を抱いただろうか。
――つくづく、わたしは。
アンナ=マリーは頭を振った。
――いま、考えることではない。
通信装置を操作し、副官のローランド大尉を、ミーティングルームに呼んだ。
あらかじめアンナ=マリーの命令を受けて、報告準備を済ませていたローランドが、すぐさま部屋に現われた。
「ローランド大尉であります」
「連絡は取れましたか」
「ジョニー・マクレイアー少佐とは連絡が取れましたが、アレックス・ラングリッジ大尉とは連絡がつきません。ラングリッジ大尉のAS部隊は、現在、戦場の最前線を支えています」
アンナ=マリーは頷いた。
「……分かりました。仕方ありません。マクレイアー少佐の状況は」
「ジョニー・マクレイアー少佐は補給のため、ハイネスのASドッグに戻っています。マクミラン大佐からの連絡依頼とほぼ同時に、マクレイアー少佐自身から『仮眠室で休んでいるので、マクミラン大佐が呼んだら、遠慮せずに起こしてほしい』という言付が、司令部に届いていました」
「了解しました」
アンナ=マリーは、ジェムジェーオンの『疾風』、ジョニー・マクレイアー少佐の戦術眼に、改めて感嘆した。
――さすがね。
前線の指揮官が、現場の第一線に立ちながら、全体の戦局を読むことは難しい。
自分の持場である前線を維持することに力を注けば、全体に目が届かなくなるからだ。
それでも、ジョニーはアンナ=マリーからの連絡を事前に予測していた。
つまり、冷静に戦局を把握していたということだ。
「マクレイアー少佐が休憩している仮眠室には、このミーティングルームから連絡できますか?」
ローランドが机の引き出しを開いた。
「可能です。番号表はこのなかに」
アンナ=マリーは番号表のファイルを取り出した。
「これですか」
ローランドが頷いた。
「アレックス・ラングリッジ大尉への連絡は継続しますか?」
アンナ=マリーは少しだけ考えた後、首を振った。
「いいえ。連絡は不要です」
戦場で、アレックスは、劣勢の味方を鼓舞しながら、果敢に遠征軍へ立ち向かっているはずだ。
いま、ハイネス守備隊が前線を維持できているのは、ジェムジェーオンの『怒涛』、アレックス・ラングリッジのAS部隊が奮戦しているからだ。
すでに、アレックスにはアンナ=マリーから作戦を伝えてある。
あとは、自らの判断でカズマ・ジェムジェーオンと合流してくれると願うしかない。
「他に何かありますか」
「私はこの部屋からマクレイアー少佐に連絡することにします。ローランド大尉、ご苦労でした」
ローランドは深く一礼し、静かに部屋を後にした。
ミーティングルームひとりに残されたアンナ=マリーは、ファイルを手にしたまま、ほんの一瞬だけ目を閉じた。
――ここからが、本当の正念場。
ゆっくりと息を吸い、通信装置へ手を伸ばした。
すぐに、応答があった。
銀髪のジョニーの顔がモニターに映し出された。
「ジョニー・マクレイアー少佐です」
「仮眠中のところ、申し訳ありません」
「マクミラン大佐からの連絡をお待ちしていました。むしろ、連絡がないようであれば、小官の方から大佐に連絡を入れるつもりでした」
「いま、話ができますか」
「この場所では難しいです。少しだけお待ちいだけますか。移動します」
「わかりました。5番回線に繋いでください」
5番回線はこのミーティングルームに繋がる直通回線だった。
「すぐに、掛け直します」
通信を切れ、静寂が部屋に訪れる。
アンナ=マリーは椅子に深く身をゆだね、目を伏せた。
――本当にこれでいいのだろうか。
カズマだけであれば、ハイネスから逃がすことはできる。
だが、ハイネス守備隊の主力戦力が壊滅してしまえば、今後、軍勢同士による大規模戦闘は不可能になる。
イル=バレー要塞も、既に失陥している。
残されているのは、身を隠しながら、ゲリラ的に抵抗を続けていくことになる。
かといって、降伏すれば、カズマの身の安全は保障できない。
故アスマ・ジェムジェーオン伯爵の三男ユウマ・ジェムジェーオンを君主として擁立する暫定政府にとって、『勝唱の双玉』の存在は邪魔者でしかない。
つまり、カズマの脱出成功は、ジェムジェーオン国内の混乱が継続することを意味する。
――ジェムジェーオンにとって、正しいことなのだろうか。
アンナ=マリーは小さく頭を振り、呟く。
「……違う」
脳裏に浮かんできたのは『勝唱の双玉』のふたり、ショウマとカズマの顔だった。
この命を賭しても、ショウマとカズマを護らねばならない。
ピピピ。
通信端末から、着信音が鳴り響いた。
アンナ=マリーは姿勢を正して、応答ボタンを押した。
「アンナ=マリー・マクミラン大佐です」
「ジョニー・マクレイアー少佐です」
ジョニーは個室の通信室に移っていた。
他の人物に話が聞かれる心配はない。
「お待たせしました」
「時間がありません。手短にいきます。前線で戦っているマクレイアー少佐から、現在の戦況について率直な意見を聞かせてください」
「この何時間かで、確実に、戦いの潮目が変わりました。互角の攻防だったものが、明確に味方の劣勢へと傾いています」
「この状況から、逆転するのは難しいですか」
「無理です。物量の差が顕著です。これから守備を固めたとしても、時間の経過とともに、状況は悪くなる一方と思います。現状のハイネス守備部隊の戦力では、この戦況を覆すのは不可能。それが私の判断です。力及ばず、申し訳ありません」
「前線で戦っている少佐たちは、不利な状況のなかで最善の結果を出しています。無能なのは、私たち司令本部です。最も回避すべき消耗戦に突入してしまいました」
「誰の責任でもありません、遠征軍が意図的に消耗戦を仕掛けてきたのです」
短い沈黙。
ジョニーが静かに切り出した。
「いまはまだ、私のAS部隊は戦えます。ですが、次にここに戻ったとき、同じ事が言えるかどうか確信がありません。……例のプランEを実施するならば、このタイミングしかありません」
アンナ=マリーは黙って、目を伏せた。
もう一度だけ、自分自身に問い掛けた。
――本当にこれでいいのか。
迷っている時間は、もう残されていない。
――決断の時だ。
アンナ=マリーは顔をあげた。
「カズマ様をASドッグに向かわせています」
ジョニーがモニター越しに大きく首肯した。
「承知しました。カズマ様と合流します。私の部隊が身命を賭して、プランEを完遂してみせます」
アンナ=マリーは深く頭を下げた。
「頼みます。マクレイアー少佐」
ジョニーが苦い表情を浮かべた。
「この作戦で、一番苦しい役回りとなるのは、マクミラン大佐、あなたです。……敢えて、私から大佐に確認させてください。本当によろしいのですか?」
「大丈夫です。これは私の役割です。マクレイアー少佐には、カズマ様の助けとなってください。願わくば、アレックス・ラングリッジ大尉と合流してください」
いつも冷静なジョニーが、初めて表情を崩した。
数秒の間、視線を宙に彷徨わせた。
泣き出しそうな顔のまま無理に笑顔を作って、アンナ=マリーに応えた。
「承知しました。大佐のご武運をお祈りしています」
「マクレイアー少佐も」
通信が途切れた。
――もう迷いはない。やるしかない。
アンナ=マリーは立ち上がる。
迷いのない足取りでミーティングルームを出る。
向かう先は、ハイネス市庁舎のハイネス市庁舎の貴賓応接室、司令部だった。
アンナ=マリーの命を懸けた、最期の戦いがここから始まる。
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