026話 ハイネス攻防戦8
帝国歴628年3月9日、ジェムジェーオン北部ハイネス。
首都ジーゲスリードから派遣された暫定政府遠征軍と、ハイネス守備部隊との攻防戦は、ついに4日目へ突入していた。
連日の戦闘で、両軍とも疲労は極限に達している。
それでも、これまでは戦列は崩れることなく、互いに一歩も引かぬ攻防を続けていた。
だが、戦闘4日目を迎えて、均衡は、ついに遠征軍へと傾き始めていた。
兵力差という残酷な現実が、じわじわと戦場の空気を塗り替えていく。
ジェムジェーオンの『疾風』ジョニー・マクレイアー少佐は、ASのコクピットのなかで、歯を食いしばった。
――このままでは、持たない。
胸の奥で膨らみ続けていた不安が、いまや確かな形を持ち始めていた。
だが、退くことはできない。
ここで踏ん張らねば、ハイネスは落ちる。
通信が入った。
「マクレイアー隊、補給の時間だ」
兵力差の劣勢を挽回するため、ハイネス守備隊は全開で戦っていた。
最新鋭のASでも、全開モードで戦えるのは、2時間が限界だった。
エネルギーパックを交換しなければ、戦場で動けなくなり、鉄塊と化してしまう。
ジョニーは、部下たちに、基地への帰還を命じた。
ハイネスのAS補給基地。
前線から、白銀のラインが入った『疾風』ジョニー・マクレイアー少佐の機体を先頭に、マクレイアー隊が帰還してくる。
コックピットハッチが開き、パイロットがASから地面に飛び降りる。
ジョニーがヘルメットを脱ぎ、銀髪を照明の光でか輝かせながら、ドッグを歩いた。
いつもの凛々しさを保っていたが、その表情には隠しきれない疲労が滲んでいた。
チーフメカニックのヤング大尉は、ジョニーに近づき、肩を軽く叩く。
「お疲れさま」
振り向いたジョニーの表情は、ひどく強張っていた。
だが、ヤングの顔を認めた瞬間、ジョニーの緊張した表情がわずかに和らいだ。
バツが悪そうに苦笑しながら言った。
「ヤングか、……脅かすなよ」
「悪かった」
ジョニーが首を横に振った。
「いや、ヤングは悪くないな。ピリピリしているのは、私だな」
士官学校の同期で、15年来の友であるヤングは、ジョニーの変化を敏感に感じ取った。
どんな状況でも涼しい顔を崩さなかったジョニーが、ここまで疲弊した表情を見せるのは初めてだった。
この戦いの厳しさを、改めて実感した。
「今日、何回目の出撃だ?」
「3回目だ」
ヤングは息を呑んだ。
全開モードでのAS操縦は、パイロットの肉体を限界まで酷使する。
通常であれば、1回でもエネルギーパックを空になるまで使い切れば、確実にパイロットの体力は限界となる。
ジョニーはそれを3回連続で耐え抜いている。
「……厳しいな」
「仕方ないさ」
「敵もよく続くな」
「数の力だ。交代で、パイロットを戦場に繰り出している」
寡兵のハイネス守備部隊は全兵力を投入しなければ暫定政権の遠征軍の攻勢を防ぐことが出来ない。
戦闘、補給、短い休息、戦闘。その連続。
それに対し、3倍以上の兵力を有する遠征軍は全兵力のうち半分を稼動させていれば、兵力差の優位を保ったまま、戦線を維持することができる。
部隊を順にシフトさせ、常に残り半分の部隊に充分な休息を与えていた。
時間が経つほど、その差は残酷なほど明確になっていく。
ジョニーが歩きながら脱いだヘルメットをヤングに預けた。
ヤングはそれを受け取り、ジョニーの後ろに続きながら話し掛けた。
「ジョニーの部隊が無事で良かった」
ジョニーが足を止めた。
複雑な表情を浮かべたあと俯いた。
「全部隊を戻すことが出来なかった。……マッテリー大尉の中隊が全滅した」
「……そうか」
「ああ」
短い言葉に、戦場の重さが凝縮されていた。
ジョニーが顔を上げ、歩き出す。
「それでも、私の部隊は筆頭AS大隊だ。最前線に立たねばならない」
部下を失った心痛、肉体的な疲労。
それでも、ジョニーには前に進まねばならない責務が重くのしかかっていた。
ヤングには、ジョニーの心情が痛いほど伝わってきた。
「わかった。こちらも全力で整備して、送り出す」
「頼む」
「補給物資が不足してきている。予備のエネルギーパックが底になった。いま、使用済みバッテリーにエネルギーを再充填しているところだ」
「30分で戻る。どこまでエネルギーは回復できるか?」
「80%ほどだ」
「十分だ。頼んだ」
ヤングは足を止め、真剣な声で伝える。
「わかった。ジョニーは、……少しでも、休め」
階段を上がりかけたジョニーが振り返る。
「あと、左足のブースターの出力が一定していない。調整を頼む」
「戻るまでに、完璧にしておく」
ジョニーが仮眠室へ向かう背中を見送りながら、ヤングは胸の奥が締めつけられるのを感じた。
『疾風』ジョニー・マクレイアーの後姿は、英雄ではなく、戦場に削られた兵士の重さを帯びていた。
同時刻、ハイネス市庁舎の貴賓応接室。
仮の大本営としているこの部屋は、いつになく静まりかえっていた。
士官たちは一様に黙したまま、モニターに映し出された戦場の映像に釘付けになっていた。
遠征軍の数の力が、戦場を支配し始めていた。
戦局が悪い方へと傾きかけているのは、誰の目にも明らかだった。
カズマ・ジェムジェーオンは名目上のハイネスの最高司令官だった。
その立場ゆえ、ASに騎乗し、戦場に出ることを止められていた。
――このまま座っていても、敗北が待っているだけだ。
こんな時、じっとしていられる性分ではない。
カズマは立ち上がり、アンナ=マリー・マクミラン大佐のもとに歩み寄った。
「アンナ=マリー・マクミラン大佐。この状況で、出し惜しみは意味がない。オレはASで出るぞ」
振り向いたアンナ=マリーの表情は険しかった。
ぎゅっと口を閉じた。
アンナ=マリーが数秒逡巡し、立ち上がった。
「カズマ様、こちらへ」
部屋の外に、連れ出された。
そのまま、小規模のミーティングルームの扉を開いた。
ドアを閉めて、二人きりになりと、アンナ=マリーがカズマに椅子に腰掛けるよう促した。
「ちょっと待ってて。すぐに戻るから」
アンナ=マリーがそう言い残して、いったん部屋の外に出た。
副官のローランド大尉を呼び付けて、指示を与えた。
こうしている間にも、カズマの焦りは膨らんでいくばかりだった。
アンナ=マリーが部屋に戻るや否や、カズマは言い放った。
「マリ姐、止めてくれるな。オレは何と言われてもASで出るぞ」
アンナ=マリーが扉を静かに閉めた。
厳しい表情で、目の前に座った。
「カズマ。あなたにはASに乗って出撃してもらうわ」
カズマは思わず瞬きをした
――意外な反応だな。
絶対に、反対されると思っていた。
「本当にいいのか?」
「ええ。……カズマにはASに騎乗して、ハイネスを脱出してもらう」
その言葉に、カズマの思考は止まった。
――脱出?
アンナ=マリーの表情を確認した。
静かに、真っ直ぐにカズマを見つめていた
「マリ姐、聞き間違えたのかもしれない。もう一度言ってくれ」
「カズマ、分かって。必要な護衛は付ける。何としても、この包囲網を突破して、ハイネスを脱出してほしいの」
直後、頭に血が駆け上がってきた。
「オレに、ハイネスを捨てて、逃げろと言っているのか!」
カズマは、思わず大声を出してしまった。
アンナ=マリーが表情を変えず、小さく頷いた。
「その通りよ」
「そんなこと、オレが望んでいると思っているのか」
アンナ=マリーが人差し指を口に当てた。
「静かに。部屋の外に声が漏れるわ」
カズマは必死に自らを押さえ込んだ。
血が沸騰し、滾り駆け上がってきた。
アンナ=マリーを睨みつけながら、声を抑えて言った。
「マリ姐は、……オレに、何を言っているのか、理解しているんだよな」
「もちろん」
「だったら……」
「もし、カズマが単純にカズマ・ジェムジェーオンという存在であれば、戦力として出陣してほしいとお願いしている」
「何を言っている?」
「いま、カズマは、カズマ・ジェムジェーオンであり、かつショウマ・ジェムジェーオンなのよ。『勝唱の双玉』を失ったら、私たちはすべてを失う。この危機だけは、絶対に回避しなければならない」
「兄貴が戻らないと思っているのか」
「そうは思っていない。いや、……思いたくないというのが正確かもしれない」
アンナ=マリーが項垂れた。
カズマはアンナ=マリーの肩に手を置いた。
「兄貴は絶対に戻ってくる」
アンナ=マリーが顔を上げた。
その瞳は揺れていたが、すぐに指揮官の光を取り戻した。
「私はこのハイネス守備部隊の責任者として、個人の願望と現実を混同させてはならない立場にある。現在、ショウマ・ジェムジェーオンは消息不明。これが現実。そして、残っているのはカズマ・ジェムジェーオン、あなただけなの」
カズマは全身から力が抜けていくのを感じた。
アンナ=マリーの肩に置かれた手も、弱々しく落ちた。
頭の熱くなっていた部分が急速に冷めていった。
発すべき言葉が見つからなかった。
「私たちには未来への希望が必要なの」
「……」
「ジョニー・マクレイアー少佐とアレックス・ラングリッジ大尉には、戦前より、最後の手段としてこの作戦を伝えている。もし、他に採るべき手段がなくなったら、カズマを連れて、ハイネスを脱出してほしいと。彼らは、今後も必ず、カズマの力となってくれるはず」
カズマはハッとした。
「じゃあ……ここ、ハイネスはどうなるのだ」
「私が残るわ」
アンナ=マリーの目は澄んでいた。
――そういうことか。
カズマは頭を左右に振った。
だが、アンナ=マリーの覚悟を覆して、この事態を解決する妙案は思い浮かばなかった。
「マリ姐が……ハイネスに残って戦うのか」
「ええ。誰かが残った兵士をまとめなくてはならない」
カズマは頭を抱えた。
「これ以外に方法はないのか」
「どうか、理解してほしい」
カズマは顔だけ上げて、アンナ=マリーを見つめた。
「マリ姐……」
アンナ=マリーが微笑んだ。
「お願い、カズマ。この機を逸することはできない。これ以上、戦況が悪化すれば、カズマを逃がすことも出来なくなってしまう」
カズマは、アンナ=マリーの言葉を、頭では理解した。
だが、身体が動かなかった。
今度は、アンナ=マリーがカズマの両肩に手を置いた。
「さあ」
促され、カズマは立ち上がるしかなかった。
何も考えることができず、ただ、真っ白だった。
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