017話 ジェムジェーオンの病巣1
帝国歴628年2月27日。
薄暗い室内には、彫刻が施された機能的な机と椅子が一脚ずつ置かれ、背後の壁には墨絵の掛け軸と一輪の花が静かに飾られていた。
驕奢ではない。だが、そこには研ぎ澄まされた品格が漂っていた。
椅子には、白髪白髭の老人が座っていた。
色白の肌に深い皺が刻まれているが、その身体は年齢を感じさせぬほど均整が取れている。
机上の文書に、じっくり眼を落としていた。
その傍らで控えていた初老の男が、気ぜわに声を掛けた。
「長、報せには……何と」
老人は文書に目を落としたまま、男のせわしい呼びかけを、小さく手で制した。
「申し訳ございません。使者の者が、一刻も早くこの報告からご対応をと申しておりまして、……つい」
初老の男が頭を下げた。
老人はようやく顔を上げた。
「……私たちが仕掛けた鳥籠のなかに、鳥が舞い降りてくるであろうと」
その声は、年齢を感じさせぬ張りを帯びていた。
「その鳥とは」
初老の男の声には、緊張感が滲んでいた。
「鳳凰の可能性もある」
「なんと」
驚愕の声が洩れた。
老人は椅子から立ち上がった。そのまま、部屋の隅まで歩み寄った。
そこには、影に溶け込むようにして片膝をつき、顔を伏せて待機するふたりの人影があった。
ひとりは身体の線の細い華奢な人物、もうひとりは肩幅の広い恵まれた体格の人物。
どちらも白い仮面をつけており、その異形の姿は、静寂に包まれた部屋のなかで異様な存在感を放っていた。
老人は仮面のふたりの目前に立ち止まり、穏やかに語りかけた。
「手伝っていただけますか」
華奢な人物が、顔を伏せたまま、高く澄んだ声色で答える。
「もちろんです」
「顔を上げ、お立ちください」
仮面のふたりが身を起こした。
老人はふたりの手を、両手で包み込むように取った。
「武力とは、ハードウェアとソフトウェアが揃って初めて機能します。私たちは、最新鋭のASを保有していますが、パイロットは実戦経験が乏しい者ばかりです。歴戦を経験した優秀な指揮官がいなければ、せっかくの装備も無用の長物です。是非とも、あなた方の力をお借りしたい」
華奢な体躯の仮面の人物が答える。
「私どもでよろしければ、ぜひ」
「よろしくお願いします」
老人は頭を下げた。
恰幅の良い体躯の仮面の人物は上背もあり、老人を見下ろすようになった。
一歩下がり、深く頭を下げ、野太く力強い声で言う。
「路頭に迷い行き場のない我々を、長は救ってくださいました。今回のことで、少しでもその恩を返させてください」
「恩義など感じる必要はありません。私たちとあなた方は、この国においては根無し草。同類、いや、友人です。友に助けの手を差し伸べるのは、当たり前のことです」
「必ずや、ご期待に応えさせていただきます」
「よろしくお願いします」
恰幅の良い仮面の人物が、神妙な口調で訊ねる。
「長に、ひとつだけ確認したいことがあります」
「何でしょうか」
「我々の行動に制約は必要ですか?」
「鳥籠の鳥が激しく暴れまわった場合の話ですか」
老人の眼が、一瞬鋭利に輝いた。
「ご理解が早く、助かります」
「現場の判断は、すべてあなた方にお任せします。私から述べることはひとつです。あなた方の安全を第一に。そのために、無理に生かして捕える必要はありません」
「鳥籠の鳥が、鳳凰であってもですか?」
「本物の鳳凰であるならば、賢い選択をするでしょう。虚勢を張り格好を重視するようであれば、その鳥は見た目が美しいだけで、中身は違うものでしょう。そんな偽物に、私は興味がありません」
「長の言葉を聞いて、心置きなく行動できます」
その言葉は、冷淡でどこか残酷な響きを宿していた。
同日、船『ギュリル』の艦橋。
ショウマ・ジェムジェーオンは、前方に広がるクードリア地方の荒涼とした赤土の風景を見渡していた。
ジェムジェーオン北西、クードリア地方。
ここは『ジェムジェーオンの病巣』と呼ばれ、国際的にも統治難地域として知られる土地だった。
北部ハイネスから西部オステリアへ向かうには、首都ジーゲスリードを経由するか、この『赤の大地』クードリアを抜けるしかない。
首都ジーゲスリードは暫定政府の支配下にあった。
ショウマは、クードリア地方を通過してオステリアに向かうことを選択した。
船『ギュリル』は、冠雪した山脈に囲まれた高原地帯を進む。
剥き出しの山肌、まばらな草木、赤茶けた岩床が果てしなく続いている。
「ここが、あのクードリアか」
「そうです。ここが『赤の大地』です」
横に並ぶラリー・アリアス中尉が答えた。
ショウマは目を細めた。
寒々しい光景が、胸の奥に重く沈む。
クードリアは長く無政府状態に近く、反体制勢力の巣窟となっていた。
ジェムジェーオンの歴代当主たちは掃討戦を繰り返したが、そのたびに多くの血が流れた。
多くの兵士たちの血が、この赤土に染み込んだ。
それが『赤の大地』と呼ばれる所以だった。
かつて流された多くの血が、何十年も染み込み、乾き、風に削られ、赤い粉となって舞っている。
その粉が、ギュリルの甲板に薄く積もっていた。
「アリアス中尉も、7年前の掃討戦に?」
「はい。従軍しておりました」
アリアスの表情が引き締まる。
前回、7年前の第3次クードリア掃討戦は、歴代でも最も凄惨な戦いだったと記録されている。
「大変な戦いだったな」
「はい。アスマ・ジェムジェーオン伯爵は並々ならぬ決意で、この掃討戦に臨まれました。最終的には、直に指揮を執ったほどです」
「そうだったな。当時のことは憶えている」
「小官も念願のAS部隊に配属されて、初めての大規模戦闘でした。鮮明に当時のことを記憶しています」
「父は私に『赤の大地の解放なくしてジェムジェーオンの未来はない』と、常々言っていた」
その時だった。
〈背後よりAS出現〉
オペレータの叫びが艦橋に響いた。
空気が一変する。
ショウマは即座に応答した。
「敵か」
〈不明です。後方より高速接近してきます〉
「数は」
〈7、8、……いや別方向から、この『ギュリル』を包囲するように展開。数が増加中、……約30〉
「30機ものASが……」
〈距離5000に接近〉
アリアスが身を乗り出してきた。
「こちらもASで応戦しましょう」
この船『ギュリル』には、50機のASを搭載している。
ショウマを護衛するため、ラリー・アリアス中尉をはじめ、精鋭パイロットが揃っている。
だが、ショウマは首を振った。
「まだだ。全容がわからない。下手に応戦しては、かえって危険だ」
「承知しました」
ショウマは『ギュリル』のクルーに命じる。
「バトルシップ、全力加速だ」
船『ギュリル』が唸りをあげて加速する。
――狙いは何だ。
確かに、クードリアの治安は良いとはいえない。
だが、こちらはバトルシップで進む武装した正規軍。
一介の賊が、武装した1個中隊の軍隊を相手するのは、経済合理性に見合うと思えない。
〈敵ASがこちらを狙っています〉
追手のASが、対艦バズーカ砲を『ギュリル』に向けて発射した。
アリアスが反応する。
「撃ち落とせ!」
船『ギュリル』後方の機関砲が弾幕を作って、対艦砲を撃ち落とした。
チッ、アリアスが舌打ちした。
「……友好を意思はなさそうだな」
ショウマは前方の操縦士に鋭く尋ねた。
「逃げ切れるか」
「全速でも……難しいかもしれません。一瞬の速度では、ASに勝てません」
「ASは、全開で迫れる時間は限られるはずだ」
「その通りですが……」
「とにかく、いまは逃げる。バトルシップは全速だ」
再度、アリアスがショウマに出撃を求めてきた。
「AS部隊を出撃準備に入ります」
ショウマは思考を巡らせた。
アリアスに身体を向けて回答した。
「出撃は私から指示する。準備だけしてくれ」
「承知」
アリアスが艦橋から飛び出し、AS格納庫へ向かった。
船『ギュリル』は全速で航行を続ける。
外の風景が変わってきた。
荒野一辺倒だった風景に緑が混じり始めている。
水が近い証拠だった。
左右の山肌も近づいている。進路の先の道は狭い谷となっていた。
ショウマの背中を、嫌な感覚が這い上がった。
――なんだ。この感覚は。
外の様子をモニター越しに凝視する。
――自分が敵の立場だったらどうする。
ショウマは、唐突に、前方右の崖を指さした。
「艦砲を発射する。用意だ」
「な……!?」
船『ギュリル』のクルーたちが驚愕の目でショウマの顔を窺った。
だが、ショウマは迷わず続ける。
「仰角30度、11時の方向」
一瞬の間。
砲撃長の声が『ギュリル』の艦橋に響く。
「艦砲発射準備、……完了!」
「発射!!」
複数の光線とミサイルが、崖の側面に集中した。
大きな地響きと破壊音。崖が崩れた。
その奥で、自然では発生しえない炎と黒い煙が上がった。
――やはり。
崩落した岩の下から、複数のASの残骸が覗いた。
潜んでいた伏兵だった。
クルーたちが歓声を上げる。
ショウマは一喝した。
「前方だ」
伏兵のASすべてを、仕留めきれていない。
前方から2機のASが対艦バズーカを抱えて迫ってくる。
ロックオンされる寸前、ショウマは指示した。
「いまだ!! 面舵いっぱい。そのまま、正面に、ありったけの艦砲を斉射」
船『ギュリル』は右へ大きく傾斜しながら、艦砲を発射した。
敵ASが放った対艦ミサイルが2発迫ってくる。
一発は左舷をかすめて抜けたが、もう一発が左舷後方に直撃した。
左舷後方で爆発。
艦内に凄まじい衝撃が走り、ショウマは膝をついた。
「ASは仕留めたか」
一機は撃破していた。
だが、もう一機は砲撃の雨をすり抜け、船『ギュリル』に迫ってくる。
「くそ。残っている」
クルーたちが悔しがる。
だが、ショウマひとりだけ違う反応を見せた。
「狙い通りだ」
ショウマは握り拳を作った。
その瞬間、残ったASの上方で、崖がさらに崩れ落ちた。
崩れた土石が、ASを呑み込んでいく。
艦砲を斉射したのは、このための布石だった。
艦橋に歓声が満ちる。
ショウマだけは冷静に、船『ギュリル』の被害状況を確認した。
「被害報告を」
〈負傷者2名、死者はなし。しかし、左舷エンジンなど機関が損傷しました。出力低下。これまでの速度での航行は無理です〉
死者が出なかったのは幸いだった。
だが、船『ギュリル』の左舷エンジンが損傷したのは深刻だった。
――逃げ切るのは難しいか。
ショウマは次の行動を決めないといけなかった。
「追手のASは?」
〈一定の距離を保ったまま、こちらを追尾中〉
ショウマは腕を組んだ。
――さて、相手はどう出てくるか。
船『ギュリル』は左舷エンジンを損傷したまま、出力を落としながらも前に進んでいた。
〈報告します。敵ASは相変わらず、一定の距離を保ったまま、散開しつつその数を増やしています〉
ショウマはクルーに指示して、敵の全量を把握するため、艦橋のカメラを操作した。
――思った以上の兵力だ。
ひと呼吸置き、全クルーに告げた。
「この『ギュリル』はエンジンを損傷した。これ以上進んだとしても、結局、囲まれる。逃げ切ることは出来ない。ここで止まる」
『勝唱の双玉』ショウマ・ジェムジェーオンが搭乗する船『ギュリル』は、『赤の大地』クードリアの大地のど真ん中で、機関を停止させた。
「面白い」
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