013話 新たなる戦いの序曲1
帝国歴628年2月25日。
ジェムジェーオン北部イル=バレー渓谷で勃発した戦闘の結末は、瞬く間にシャニア帝国全土へと駆け巡った。
その報せには、長らく姿を潜めていたジェムジェーオンの『勝唱の双玉』が、ついに表舞台へ返り咲いたという衝撃が伴っていた。
寡兵ながら『勝唱の双玉』に率いられたイル=バレー要塞駐留軍は、ジェムジェーオン暫定政府が送り込んだ軍勢を連続して撃破し、北部の要衝ハイネスを陥落させた。
その華々しい勝利は、まさに伝説の『勝唱の双玉』の再来と呼ぶにふさわしいものだった。
この報せはジェムジェーオン国内にとどまらず、シャニア帝国の各地に波紋を広げていく。
とりわけ、ジェムジェーオン伯爵国を含むアクアリス大陸の前脚地方の諸国は、ただちに何らかの対応を迫られた。
各国のインテリジェンス機関は、ほぼ同時に情報収集を開始する。
『勝唱の双玉』の復活が、自分の国だけでなく、アクアリス大陸や帝国を揺るがすかを探っていた。
アクアリス大陸前脚地方。
早速、ジェムジェーオン伯爵国の周辺国、北のニューウェイ子爵国、東のバルベルティーニ伯爵国、西のパイナス伯爵国、南西のライヘンベルガー男爵国は動きを見せていた。
ジェムジェーオン東方に位置するバルベルティーニ伯爵国。
当初からジェムジェーオン暫定政府を支持してきたこの国は、『勝唱の双玉』の再登場という衝撃的な報せを受けるや否や、即座に対抗措置へ動いた。
もぬけの殻となっていたイル=バレー要塞を、電光石火の勢いで占拠した。
国内では、一部の主戦派が勢いづき、声を荒げた。
「この機を逃さず、さらにジェムジェーオンへ侵攻すべきだ」
だが、宰相ジャン=ルイジ・アコスタそれら主戦派の意見を一蹴した。
バルベルティーニの国内の事情が、他国への干渉を許さなかったからだった。
バルベルティーニ南部のデル=サニト都市群が、自治権を超え、完全独立へ向けて不穏な動きをみせていた。
国内の火種がいつ爆ぜてもおかしくない状況で、これ以上兵力を外へ割く余裕などない。
「いまは、国内の安定が最優先だ。イル=バレー要塞を落としたことで良しとし、あとは、既に派兵しているクラウディウス将軍にまかせればいい」
アコスタはそう判断し、ジェムジェーオンへの追加派兵を見送る結論を下した。
ジェムジェーオン南西に位置するライヘンベルガー男爵国。
その当主オリバー・ライヘンベルガー男爵は、報せを受けるや否や、臣下へ即座に命を下した。
「ジェムジェーオンへの出兵準備を整えよ。我らは『勝唱の双玉』を支援する」
ライヘンベルガーとジェムジェーオンは、アスマ伯爵の時代から同盟関係を築いてきた。
さらに、現当主オリバーのもとには、『勝唱の双玉』ショウマとカズマの同腹の姉、シオンが嫁いでいる。
両家の絆は、単なる外交関係を超えた血縁によって結ばれていた。
これまでもライヘンベルガーは暫定政府を認めない姿勢を示していた。
だが、政治的配慮から具体的な行動は控えていた。
しかし、『勝唱の双玉』が再登場したことで、その慎重な姿勢を変えようとしていた。
周辺諸国の中で最も早く『勝唱の双玉』への支持を明確にする。
「必要とあらば、ライヘンベルガーは『勝唱の双玉』への軍事支援も辞さない」
オリバーは迷いなく国内外に向けて宣言した。
ジェムジェーオン西方に位置するパイナス伯爵国。
アクアリス大陸前脚地方において、ジェムジェーオン伯爵国と並び称される大国であるパイナスは、これまでジェムジェーオンの騒乱に対し、あくまで静観の姿勢を貫いてきた。
しかし、その態度にも変化の兆しが生まれつつあった。
きっかけは、ライヘンベルガー男爵国が『勝唱の双玉』支援を明確に打ち出したことだった。
当主アルベルト・パイナス伯爵は、臣下を前に短く命じた。
「ライヘンベルガーが『勝唱の双玉』を支持するならば、パイナスは暫定政府を支持する」
近年、パイナスとライヘンベルガーは幾度も抗争を繰り返してきた。
両国の関係は、もはや修復困難なほどにこじれている。
ゆえに、敵の味方である『勝唱の双玉』よりも、敵の敵である暫定政府に味方することは、必然の流れだった。
ジェムジェーオン北方に位置するニューウェイ子爵国。
ジェムジェーオンとニューウェイの国境にそびえるマクスローズ山脈を越えた先、アスミラル盆地を中心に広がる小国だった。
当主タイガ・ニューウェイ子爵は、ジェムジェーオン暫定政府に与するものと目されていた。
その理由は明白だった。
タイガのひとり娘ミランダはアスマ・ジェムジェーオン伯爵の後正妻であり、三男ユウマの実母。
暫定政府はそのユウマ・ジェムジェーオンを伯爵位継承者として推戴している。
タイガは、首都アスミラルの宮殿にジェムジェーオンのニューウェイ在大使ボーモンドと、ニューウェイの重臣たちを集めた。
ジェムジェーオン暫定政府からは、『勝唱の双玉』が籠るハイネスへの出兵要請が届いていた。
ボーモンド大使が慇懃な態度でタイガに挨拶した。
タイガ・ニューウェイは君主というよりは、軍人然とした立派な身体をしていた。
太い声で、鷹揚に応じる。
「ボーモンド大使よ。話とは何だ?」
「御多忙のところ、ご参集いただき、感謝いたします。早速ながら、我らジェムジェーオンのお願いをお聞き届けいただければと」
「余に依頼とは。その中身を聞こうではないか」
ボーモンド大使が、暫定政府への協力を求めた。
「お恥ずかしながら、先日、ジェムジェーオンの北部要衝ハイネスが賊徒に占拠されました。ここニューウェイ子爵国首都アスミラルからハイネスまでは、バトルシップでわずか2日の距離。ぜひ、殿下にハイネスへの出兵をお願いしたく存じます。ジェムジェーオンは殿下の力を必要としております」
タイガは、ボーモンドの勢いを制するように、ゆっくりと口を開いた。
「大使、そう結論だけを急くものではない」
快諾を得られなかったことに、ボーモンドが露骨に心外の表情を浮かべた。
「お言葉ながら、殿下はご息女ミランダ様、そしてお孫ユウマ様の将来を、どのようにお考えでしょうか」
その声音には、ニューウェイの参戦を当然とみなす傲慢さが滲んでいた。
――やはり、ジェムジェーオンはニューウェイを下に見ているのか。
タイガは左腕をひじ掛けに乗せ、左手に顔を乗せた。
沸々と湧き上がる憤りの感情を、ぎりぎりのところで押しとどめる。
「大使が言いたいことは、こういうことか。ジェムジェーオン暫定政府は、ニューウェイに対して、ミランダとユウマという人質を取っている。だから、おとなしく要請に従え、と」
ボーモンドが慌てて、顔の前で手を振った。
大きく頭を下げ、謝罪した。
「滅相もありません。他意はございません。もし、ご不快であったならば、お詫びいたします。ミランダ様やユウマ様の将来は、殿下のお力添えがあって、初めて磐石となると申し上げたかっただけです」
タイガは腕を組み、目を閉じた。
もちろん、娘のミランダや孫のユウマは可愛いい。
そして、タイガにとって、ユウマの後ろ盾となることで、東方の大国ジェムジェーオン伯爵国を実質的に掌握する好機でもあった。
――だが、忘れもしない。あの屈辱を。
4ヶ月前。
ジェムジェーオン暫定政府が国主としてユウマ・ジェムジェーオンを推すと宣言した。
この宣言に対して、ユウマの祖父であるタイガは、後見人としてニューウェイの軍勢を、ジェムジェーオンの首都ジーゲスリードに派兵し駐留することを、暫定政府に打診した。
「余は不安定な政情を憂いている。ニューウェイの軍の一部を、首都ジーゲスリードに駐留させてもよい」
「お気遣いに及びません」
「バルベルティーニの軍勢がジーゲスリードに駐留していると聞く。血縁もないバルベルティーニに頼るより、縁戚であるニューウェイを頼るのが真っ当であろう」
「ご提案には感謝が尽きませんが、ジェムジェーオンはニューウェイに軍勢派兵を依頼する気はありません。これ以上の議論は無用です」
申し出を一周したのは、ジェムジェーオン暫定政府首脳のひとり、ドナルド・ザカリアス将軍だった。
――あの時は、無下に断ったではないか。
しかも、そのザカリアスはジェムジェーオンの平民上がり。
成り上がり者が、ニューウェイ子爵である余に対して示した態度は許されざる無礼にあたる。
――まずは、ザカリアスら暫定政府の謝罪が先にあるべきではないか。
その後、暫定政府から謝罪どころか連絡すら一切ない。
にもかかわらず、暫定政府は、都合が悪くなると、厚顔無恥にもニューウェイに支援を求めてきた。
タイガは目を開き、ボーモンド大使に尋ねた。
「ジェムジェーオンはニューウェイをどのように考えているのだ」
「もちろん、心強き縁戚であり、大切な同盟国と考えております」
ニューウェイはジェムジェーオンの分家として興った国だった。
さらに、アスマの父リューマの異母兄リューガが子爵位を継ぎ、現当主タイガはその息子だった。
タイガには、ジェムジェーオン伯爵家の一門としての強い自負があった。
「余は貴国の誠意を先に示すべきと考えているがな」
「殿下の仰ることは尤もです。その話はジェムジェーオン本国にお伝えします。必ずや十分な報いをさせていただきます」
タイガは冷笑した。
「大使の空約束でなければいいがな」
「どうか、私をご信頼ください」
「しかしながら、この要請に応えるかどうかはニューウェイにとって重要な問題だ。余だけでは決められない。臣下の者にも話を聞かねばならない」
タイガが視線を向けると、首相ブラックバーンが静かに頷いた。
彼は、主君タイガが、この戦闘において積極的にジェムジェーオン暫定政権に与さないのは、戦略の問題ではなく、タイガ自身の感情の問題だと理解していた。
「恐れながら、申し上げます」
タイガの思惑はともかく、ブラックバーンらニューウェイの土着貴族にとって重要なのは、大国ジェムジェーオン伯爵国への影響力ではなく、ニューウェイ子爵国を独立国家として維持していくことだった。
今回の騒動では、ニューウェイはジェムジェーオンのどちらの陣営にも与さない。
それが、ニューウェイが生き残るための最良の選択だった。
『勝唱の双玉』が世の噂通りの傑物ならば、ジェムジェーオンはどちらに転がるか分からない。
「昨今、西方で隣接するコントラニーニ男爵国が政情不安定に陥り、大量の難民がニューウェイに押し寄せています。ニューウェイの国軍はコントラニーニと接する西方国境の治安を維持するため、出動を余儀なくされています。現在のニューウェイには、ジェムジェーオンに出兵させるための余力はありません」
ボーモンドが顔を紅潮させた。
「ニューウェイは、ジェムジェーオンを、……いえ、ミランダ様やユウマ様をお見捨てになるおつもりか!」
「ニューウェイの実情を、率直に申し上げたまでです」
ブラックバーンが顔色一つ変えずに、ボーモンド大使に返した。
タイガは悠然と、わざと余裕を見せつけるように、ゆっくりと喋った。
「国家同士の交渉の場である。ジェムジェーオン大使、感情的に発言するのは控えてはどうかね」
ボーモンドが悔し気にタイガの顔を見上げた。
「では、タイガ殿下の口から、ハイネス派兵をお認めになってくださるのですね」
「大使よ、落ち着いて聞いてほしい。余は個人としては、ジェムジェーオンを、もちろん、娘のミランダや孫のユウマを助けたい。しかし、国主といえども私情だけで、国軍を動かすわけにはいかない。ブラックバーン首相の言葉通り、現在のニューウェイには他国に派兵する余力がない。その点を斟酌してもらいたい」
タイガの言葉が終わるや否や、ボーモンドが詰問した。
「昨秋には、ジェムジェーオンに派兵を打診してきたではありませんか!」
タイガは表情を硬くした。
「その際、余を一顧だにせず、必要なしと拒絶したのは、ジェムジェーオン暫定政府ではないか!!」
ボーモンドが青ざめ、言葉を失った。
「物資などの援助が必要であれば、言ってくれればいい。余の気持ちだ。なんとか捻出しようではないか」
巷説の予想に反して、ジェムジェーオン暫定政府によるニューウェイ子爵国への支援要請は、失敗という結果に終わった。
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