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婚約破棄で破滅予定の悪役令嬢ですが、赤字領地を黒字にしてみせます  作者: gachapin2223


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第46話 火の消えた製粉所

 翌朝、製粉所の前には、思っていた以上の人が集まっていた。


 夜のうちに応急確認だけは済ませたが、水車の軸も歯車も、簡単に直る損傷ではない。普通なら、専門の工匠を待ち、数日かけて部材を揃え、それから再稼働を目指すところだ。


 だが今のローゼンベルク領には、その“普通”を待つ余裕がない。


 止まれば、粉が止まる。粉が止まれば、パンが止まる。冬支度の最中に、それはそのまま生活の断絶へつながる。


 レティシアが現場へ着いた時、職人頭ハンスがすでに腕を組んで損傷箇所を見上げていた。頑丈な体躯に、煤けた作業着。無口で気難しいと評判の男だが、その目は逃げていなかった。


「見立ては」


 レティシアが問う。


「きれいに壊されてる」


 短い答え。


「軸受けは替えがいる。歯車は応急で継げるかもしれんが、精度は落ちる。水流の制御も見直しだ」


「時間は」


「昼夜回して、最短で……」


 そこでハンスは言葉を切った。


 視線の先には、集まった人々がいる。


 農夫。荷運び。パン屋。洗濯場の若い衆。縫製場の手伝い女たちまで混じっていた。頼んだ覚えのない顔も多い。


「何だこれは」


 ルカが小声で呟く。


 最初に前へ出たのは、オットーだった。


「粉が止まったら、うちの窯も終わりだ」


 腕を組み、いつものぶっきらぼうな声で言う。


「だから来た。文句あるか」


 続いて、農夫のトーマスが帽子を握ったまま口を開く。


「水路の泥上げなら俺らでもできる。木材運びもな」


「女手もいりますよ」


 そう言ったのはベルタだった。洗濯係長らしく、きっぱりした調子だ。


「紐を綯うのも、布で仮留めするのも、見てるだけじゃないんで」


「縫製場から針金の代わりに使える留め布、持ってきたよ」


 イーダの声も混じる。


 レティシアは一瞬、言葉を失った。


 これまでの自分なら、まず人を下がらせ、危険だからと線を引き、自分ひとりで背負える形へ作り替えようとしたかもしれない。そうして管理できる範囲に落とし込み、足りないままでも計算だけは崩さぬように動いたはずだ。


 けれど今、目の前にあるのは別の形だった。


 私財を切り、賃金を払い、必要なものを隠さず配った。その姿を見た者たちが、自分たちの側から来ている。


 誰かに命じられたからではなく。


「お嬢様一人に背負わせるな!」


 後ろの方から、誰かがそう叫んだ。


「今度は俺たちが動く番だ!」


 呼応するように、ざわめきが広がる。


 熱のあるざわめきだった。怒りでも不安でもなく、動く前の人間が持つ熱。


 レティシアはその光景を見渡した。


 かつて自分を冷たい悪役令嬢と見ていた者たち。噂だけを信じ、距離を取っていた者たち。その顔が今は、ひとつも“見物人”の顔をしていない。


 評価が変わった、などという軽い言葉では足りない。


 これは、立場の反転だ。


「……ありがとうございます」


 胸の奥で何かが静かに揺れたが、声は崩さずに済んだ。


「では、仕事を分けます。感情で集まったのなら、数字で回しましょう」


 ルカが横で、わずかに口元を上げる。


「そう来ると思った」


 レティシアはすぐに指示へ移った。


「トーマスたちは水路。泥と流木の除去を最優先。ハンスは軸受けと歯車の見立てを続けて。オットーは木工に慣れた者を選んで補助へ。ベルタとイーダは布と紐の仮留め班。怪我人が出た時のために薬草係も置きます」


 指示が飛ぶたび、人が動く。


 迷いのない動きだった。すでに誰も、レティシアの言葉を“お飾りの令嬢の指図”とは受け取っていない。


 作業はすぐに苛酷さを増した。


 水路には思った以上に土砂が入り込み、流木が引っかかっていた。軸受けを外すだけでも大人二人がかり。歯車の欠けた部分を削り直し、合うように継ぐには、ハンスの怒声と職人たちの経験が要る。


 オットーは大きな手で木材を押さえながら怒鳴る。


「そこじゃねえ、角度だ角度! パン切るより難しいんだぞ!」


「親方、今それ言いますか!」


「うるせえ、手を動かせ!」


 ベルタは濡れた布を腰に巻きつけ、仮留め用の布帯を次々渡していく。


「イーダ、それじゃ緩い! 冬の洗濯物より重いんだよ!」


「わかってる、手は抜いてないよ!」


 声が飛ぶ。水が跳ねる。木が軋む。煤と泥で誰の身なりも区別がつかなくなっていく。


 その中を、レティシアも止まらず歩いた。記録板を持ち、必要な部材と人手を数え、足りない箇所へ回す。暖かい部屋の机で命令するのではない。現場の泥の匂いの中で、今どこが詰まっているかを見ていた。


 日が傾いても、誰も帰ると言わなかった。


 夕方には灯りが持ち込まれ、夜には湯と簡単な握り飯が配られる。オットーのところで焼いた固いパンまで届いた。パン屋本人が復旧作業にいるのだから妙な話だが、それでも誰かが窯を回してくれているのだろう。


「交代で食べて!」


 ベルタが怒鳴る。


「倒れたらそれこそ終わりだよ!」


 徹夜の作業。


 それは美談ではなく、ぎりぎりの現実だった。失敗すれば冬の供給が途切れる。だから誰も手を抜けない。


 真夜中を過ぎた頃、ハンスが水車の軸を見上げて低く言った。


「……回すぞ」


 一斉に人の動きが止まる。


 仮継ぎした歯車。調整し直した水路。応急の固定具。どれも完璧ではない。だが、今は完璧さより動くことが要る。


 水門が少しずつ開かれる。


 冷たい流れが水路へ落ち、羽根を押す。


 最初は、ぎ、と鈍い音だけだった。


 次いで、もう一度。


 歯車がぎこちなく噛み合い、重たい回転が生まれる。


 誰も息をしていないような静けさの中で、水車はゆっくり、けれど確かに回り始めた。


 火の消えた製粉所に、ようやく音が戻る。


 小さな歓声が上がったかと思うと、それはすぐ大きく広がった。泥だらけの顔で笑う者、肩を叩き合う者、その場に座り込む者。オットーなどは「よし!」と叫んだあとで、急に咳き込んでいた。


 レティシアはその音を、しばらく黙って聞いていた。


 ひとりでは戻せなかった。


 本当に、そうなのだと、回り始めた歯車が教えてくる。


 その時だった。


 製粉所の入口の方で、馬のいななきと車輪の音が重なる。


 ルカが振り返り、顔をしかめたあと、すぐに目を見開いた。


「……来た」


 夜明け前の薄明かりの中、道の先に王家の紋章を掲げた馬車が止まる。


 降りてきたのは、灰色の外套をまとった数人の官人たちだった。先頭には見覚えのある、感情の薄い横顔。


 フリードリヒ・アーレンス。


 王国監査院の最終監査団が、ついに領地へ到着したのだった。

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