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婚約破棄で破滅予定の悪役令嬢ですが、赤字領地を黒字にしてみせます  作者: gachapin2223


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第12話 売れ残りには理由がある

開店前の混乱が少しだけ落ち着いた翌日も、レティシアはいつも通り早い時間に店へ入った。


窯の熱気、小麦の匂い、木箱の軋む音。もうこの店の朝の音には、少しだけ耳が慣れてきている。以前のような混乱一色ではなく、どこで流れが止まり、どこで人が余計に動いているのかが見えるようになった。


そして見えるようになったからこそ、今度は別のものが気になり始めていた。


売れ残りである。


「親方、昨日の残りはこれだけですか」


店の奥、廃棄かごのそばでレティシアが問うと、オットーが振り向きもせず答えた。


「見りゃわかるだろう」


かごの中には、大きい丸パンが三つ。少し固くなった焼き菓子が二枚。小さな食事パンはない。黒パンも残っていない。


昨日だけの偶然ではない。


数日見てきた限り、この傾向はかなりはっきりしていた。


「やはり、大きいものほど残りますね」


「そういう日もある」


「そういう日が、多すぎます」


オットーがむっとした顔を向けるが、レティシアは構わず帳面を開いた。


今日は新しく、売れ残り表を作ってきている。品目ごとに、焼いた数、売れた数、残った数、時間帯、最後に売れた時刻。それだけの簡素な表だが、これまでの記録より一歩踏み込んでいた。


「ルカ、昨日までの分も写して」


「はい」


ルカはもう慣れた手つきで木炭筆を走らせる。粉まみれの帳面の隣に、売れ残り表が並んだ。


その横で、エルザが包み紙を整えながら覗き込む。


「まだ数えるんですね」


「まだ、ではなく、ここからです」


レティシアは表の空欄を指先で押さえた。


「前は何が減ったかを見ました。今度は、何がいつ止まるのかを見ます」


「止まる?」


「売れ行きが鈍る、という意味です」


口にした瞬間、自分の中で別の言い回しが浮かぶ。


回転が悪い。


その方が、ずっとしっくりきた。


朝のうちに動く品と、昼以降まで棚に残る品。その差は単なる人気の有無ではない。棚の上で長く滞る品は、それだけ資金も場所も縛る。回転が悪いものを同じ調子で焼き続ければ、数字は必ず鈍る。


そういう考え方があまりに自然に頭へ浮かぶ自分に、レティシアはほんの一瞬だけ目を伏せた。


だが、すぐに顔を上げる。


今は言葉の出どころより、使い道の方が大事だ。


「今日は売れた時刻も拾います」


レティシアが言うと、エルザが少し眉をひそめた。


「そんなの、忙しい時にいちいち書けるかしら」


「ですから簡易メモ札を使います」


小机の上に、小さな札を並べる。時間帯別の簡易メモ札だ。朝、昼前、昼過ぎ、夕方前――大まかに区切っただけのものだが、売れた品ごとに札を移す形なら、いちいち文を書く必要はない。


「黒パンが売れたら朝の箱へ、小さい食事パンが昼前ならこちらへ。最後に数えれば、どの品がいつ動いたかがわかります」


エルザは札を一枚手に取って、表裏を見た。


「変なの」


「便利ですよ」


「便利かどうかはやってみないと」


「ええ、ですからやってみます」


そこへ、オットーが焼き上がりを運んできた。


「で、今日は何を減らす気だ」


「まだ減らしません」


レティシアは即答した。


「先に見ます」


「昨日まででも十分見ただろうが」


「無駄を見たのと、需要を見るのは別です」


レティシアは棚の上へ並んでいくパンを見た。


黒パン、小さい食事パン、大きい丸パン、焼き菓子。数は昨日と大きく変わらない。動線改善で朝の詰まりは減ったが、焼く中身そのものはまだ親方の感覚に委ねられている。


だからこそ、次に触るべきはそこだった。


開店すると、いつものように客がぽつぽつ入り始めた。


朝早いのは、仕事前の男たちと、家事の合間に寄る女たちだ。彼らが求めるものは驚くほどはっきりしている。すぐ食べられるもの、持ち運びしやすいもの、値が重くないもの。


黒パンと小さい食事パンがよく動く。


反対に、大きい丸パンの前では立ち止まっても、買わずに去る客が多い。


「今の方、丸パンを見てお帰りになったわね」


レティシアが小さく言うと、エルザが頷いた。


「朝はああいう人、多いです」


「どうして?」


「切り分けるのが面倒なのよ。あと、急いでると重いし」


その言い方に、レティシアは目を向けた。


「前からわかっていたの?」


「そりゃ、見てれば」


エルザは少し怪訝そうな顔をした。


「朝は職人さんとか荷運びの人が多いから、量よりすぐ持っていける方がいいんです」


「……今、もう一度言って」


「え?」


「量より、のあたりから」


エルザはきょとんとしつつも、言い直した。


「お嬢様、朝の客は量より早さです」


その一言が、すとんと胸へ落ちた。


量より早さ。


まさにそうだ。


朝の客にとって必要なのは、腹を満たす最大量ではない。待たずに、迷わず、すぐ買えること。大きな丸パンは家族向きであって、朝の個客向きではない。


レティシアは思わず札の余白へそのまま書きつけた。


「……何ですか、それ」


エルザが覗き込む。


「大事な観察よ」


「そんなの、みんな何となく知ってることだと思ってた」


「何となく、で終わらせてきたから、今こうして見直しているのです」


レティシアは静かに言った。


「あなたは客を見ているのね」


エルザが一瞬だけ言葉に詰まる。


「見てるっていうか……売る側なんだから、普通でしょう」


「普通ではありません」


レティシアは売れ残り表へ新しい欄を足した。


客層。


「ルカ、品目と時間帯の横に、客の種類もざっくり分けて記して」


「職人、主婦、子ども、使い走り……そのくらいでいいですか」


「ええ、十分です」


ルカは素直に書き込みながら、ちらりとエルザを見た。


「助かりますね」


「何がよ」


「感覚で終わらせないで済むので」


エルザは少しだけ頬を赤くした。


「別に褒められるようなことじゃないわ」


「褒めています」


レティシアが言うと、彼女はますます落ち着かない顔になる。


けれど、その目つきは前よりずっと真剣だった。


昼前になると、朝とは客層が変わる。家で食べる分を買い足す女たち、学校帰りの子ども、少し遅れて出てきた老人。ここでも動くのはやはり小さいものだ。大きい丸パンは数人が立ち止まるものの、買うのは限られる。


焼き菓子は子どもに動くが、数が多い日は確実に残る。


「親方」


昼の合間にレティシアが声をかける。


「大きい丸パン、今日は何個焼きましたか」


「十二だ」


「明日は十にしてください」


オットーが眉をひそめた。


「もう減らすのか」


「二つだけです」


「そんな半端な数字に意味があるか?」


「意味があります。急に半分にして外せば、ただの賭けです。二つ減らし、その分、小さい食事パンを四つ増やしてください」


「四つ?」


「ええ。朝の回転が違います」


またその言葉が自然に出る。


回転。流れ。滞留。


この世界の商売人が使わないわけではないだろうが、レティシアの中では妙に手馴染みが良かった。


オットーは不満げに鼻を鳴らした。


「小さいのを増やして売れ残ったら?」


「その時は戻します」


「ずいぶん簡単に言うな」


「試さずに最適な数はわかりません」


レティシアは売れ残り表を見せた。


「ただし、もう“何となく”では決めません」


オットーは紙を覗き込み、苦い顔をする。


そこにはここ数日の数字が並んでいた。大きい丸パンが毎日いくつ残り、小さい食事パンは朝のうちにどれだけ消え、焼き菓子がどの時間帯で鈍るのか。今まで空気のように過ぎていったことが、もう逃げられない形で並んでいる。


「……ちっ」


舌打ちまではしなかったが、それに近い息を漏らしてから、オットーは肩をすくめた。


「わかったよ。明日は二つ減らす」


「ありがとうございます」


「礼を言われる筋合いでもねえ」


「協力に対して礼を述べただけです」


それを聞いたエルザが、包み紙を折りながら小さく笑う。


「お父さん、最近ちょっと押されてる」


「うるせえ」


そのやりとりの最中にも、レティシアは客の動きを見ていた。


誰がどこで迷うか。


どの札の前で足が止まるか。


焼き上がり時刻の札を見て待つ客はどれくらいいるか。


単に棚を見るのではなく、客を見る。


それを意識した途端、店の景色は少し違って見えた。


午後、売れ残り表を整理していると、ルカが帳面を差し出してきた。


「時間帯別に分けると、はっきりしますね」


「ええ」


レティシアは頷いた。


「同じ一個でも、朝に売れる一個と夕方に残る一個では意味が違います」


「それ、親方にもわかるようにまとめますか」


「そうね。明日からは品目ごとに色印をつけましょうか」


「色?」


「黒パンは丸、小さい食事パンは線、大きい丸パンは三角。視認性を上げます」


「……また妙な言葉を使いますね」


ルカが小さく言った。


「何かしら」


「いえ。お嬢様の考え方って、たまに……」


そこで彼は言葉を切る。


「たまに?」


「変に整理されてるな、と」


レティシアは一瞬だけ黙り、それから淡く微笑んだ。


「整理されている方が、お好みではありませんか」


「嫌いではないです」


「なら結構」


それ以上は深追いさせないように返すと、ルカもまた無理には続けなかった。


夕方、店を閉める頃には、今日の売れ残りもかなり形が見えていた。


大きい丸パンはやはり残る。


だが全部ではない。時間帯と客層を見れば、必要な量はある。ただ、今の焼き数が多すぎるのだ。


焼き菓子は波がある。


小さい食事パンは、朝の分が足りない日がある。


そして、それらを最も肌で掴んでいたのは、意外にもエルザだった。


「お嬢様」


片づけの最中、彼女が少し言いにくそうに口を開く。


「朝の小さいの、たぶんあと二つ増やしてもいいです」


「根拠は?」


「今日、売り切れた後で二人断ったから」


レティシアは顔を上げた。


「覚えているのね」


「そりゃ、客が残念そうに帰ると気になるもの」


「では明日から、それも書きましょう」


「えっ」


「買えずに帰った客の数です」


エルザは一瞬ぽかんとした後、思わず吹き出した。


「そこまで数えるの?」


「そこまで見ないと、足りているかどうかわかりません」


「……本当に、何でも数字にするんですね」


「感覚を否定するためではありません」


レティシアは静かに言った。


「あなたの感覚を、店の武器にするためです」


エルザはしばらく何も言わなかった。


けれどその後、小さく「わかった」とだけ返した声には、最初の頃の刺はほとんど残っていなかった。


店を出る前、レティシアは売れ残り表と簡易メモ札を重ねて見直した。


まだ数日。まだ仮説の段階。


それでも、売れ残りには理由があると、もうはっきり言える。


売れないから残るのではない。


必要な形、必要な時間、必要な量に合っていないから残るのだ。


それはつまり、変えられるということでもある。


革手帖を開き、今日のまとめを記す。


売れ残りは品目の良し悪しではなく、時間帯・客層・大きさ・焼き数の不一致による。大きい丸パンは朝の回転が悪い。小さい食事パンは朝に不足気味。


その下へ、さらに一行。


エルザは客をよく見ている。感覚を記録へ落とせば強い。


書き終えた時、空になった夕方の棚が目に入った。


同じ空の棚でも、朝と夕では意味が違う。


無駄に空なのか、きちんと売れて空なのか。


その違いを見分けられるようになったことを、レティシアは小さな前進だと思った。


売れ残りには理由がある。


ならば、その理由を一つずつ潰していけばいい。


店はまだ、変われる。

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