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パーフェクト人間ユウジ  作者: よんまるよん
第一部 帰ってきたユウジ

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14/15

第14話 助けてもらう方法が分からない

 白紙のまま動かない「誰かに頼む」の式について、ユウジは、約束を思い出した。


 みんなの生活に関わることを、一人で決めない。


 それなら、この行き詰まりも、一人で抱えるべきではないのだろう。ユウジは翌日、チナツに相談した。相談という行為自体が、すでに人生二周目にして初の試みだったのだが、本人に自覚はない。


「候補地の情報を集めるのに、外の人の協力がいる。でも、誰に頼めばいいか分からない」


 チナツは、宿題を出した。


「じゃあ、考えて。助けてくれそうな人を、十人」


「十人」


「そう。名前と、その人に何を頼めそうか。十人でいいから」


「分かった」


 ユウジは、素直にうなずいた。


 チナツは、少しだけ安心した。十人なら、途方に暮れることもないだろう。頼るという練習の、最初の一歩にはちょうどいい。我ながら、いい宿題を出した。


 翌朝、チナツは自分の甘さを知ることになる。


▽△▽


 朝食前の居間で、ユウジは紙の束を差し出してきた。


 厚さ、約一センチ。


「できた」


「……何これ」


「助けてくれそうな人。八十六人」


「十人って言ったよね!?」


「考えてたら、増えた」


 チナツは束を受け取り、めくった。


 めくって、絶句した。


 卒園者。名前、年齢、現在の仕事、園にいた時期、得意なこと。元職員。退職の理由と、今の連絡先の調べ方まで。地域の建築士。学校の関係者。近隣の施設。少し離れた場所に空き家を持っている人。一人につき数行、几帳面な字で、その人が何を手伝えるかが書かれている。


 情報量は、完璧だった。八歳の情報網ではない。


 問題は、全員の名前の横に、もう一行ずつ、書き足されていることだった。


 ――仕事が忙しい時期のため、×。


 ――お母さんの介護があるため、×。


 ――前に園を手伝ってもらったばかりのため、×。


 ――交通費がかかるため、×。


 ――頼むと迷惑になるため、×。


 チナツは、束を最後までめくった。


 八十六人、全員に、×が付いていた。


「……あのさ」


「うん」


「助けてくれそうな人を探せって、言ったよね」


「探した。八十六人」


「で、全員に×付けたの?」


「みんな、大変だから」


 ユウジは、当然のことのように言った。


「この人は今、仕事の繁忙期だし、この人は家族の介護があるし、この人には前も助けてもらったし。大変な人に頼んだら、もっと大変になる」


「私たちも大変なの」


「うん。だから、俺がやればいい」


「話が戻ってる!」


 チナツは、紙の束で自分の額を押さえた。


 八十六人分の調査能力と、〇人分の依頼能力。この男子の頭脳は、人を頼らない理由を探させたら、たぶん世界一である。しかも本人は、×を付けるたびに、相手を思いやったつもりでいるのだ。


「……逆にすごいよ。八十六人調べて、一人も頼れないって結論出すの」


「褒められた?」


「褒めてない」


▽△▽


 その日の午後、チナツは事務室の前で、園長先生の電話を聞いてしまった。


 盗み聞きのつもりはなかった。届け物を頼まれて、扉の前に立っただけである。扉は少し開いていて、先生の声は、廊下まで漏れていた。


「――ええ、ええ。お気持ちは本当にありがたいです。……いえ、大丈夫です。人手のほうは、何とか目処が。……そんな、お忙しいのに申し訳ないですから。ええ。うちのことは、うちで何とかしますので」


 受話器を置く音がした。


 チナツは、届け物を持ったまま、廊下で固まっていた。


 電話の相手は、声の調子からして、手伝いを申し出てくれた誰かだ。卒園者か、元職員か。そして先生は、断った。ありがたいです、大丈夫です、うちで何とかします、の三点セットで。


 ――どっかで、聞いた言い方。


 毎日聞いている。紙の束に、八十六回書いてあった。


 チナツは、扉の隙間から、事務室の中を見た。


 先生の机には、書類の山。会議の資料、行政とのやりとり、仮住まいの候補の資料。山は毎日増えているはずなのに、なぜか毎朝、少しだけ片づいている。そして先生は、片づいた分だけ、新しい仕事を積む。


 チナツは、知っている。夜中に廊下を歩く音のことも、朝いちばんに事務室の書類がそろっている理由も。


 ――そうか。


 ――この園、二人いるんだ。


 助けているつもりで、相手の無理を隠す奴。頼られたら全部引き受けるくせに、自分は誰にも頼らない奴。片方は八歳で、片方は園長先生で、お互いに相手の心配ばかりして、自分の欄だけ白紙にしている。


 似た者同士が、無理を打ち消し合って、外からは何も見えなくなっている。


 チナツの背中を、冷たいものが走った。


 これは、コンクリートのひび割れと、同じだ。


 外からは見えない場所で、静かに進む劣化。見つかったときには、たぶん、報告書が要るくらいになっている。


▽△▽


 夕食のデザートは、プリンだった。


 こぶしの家で、プリンは事件の火種と決まっている。案の定、年下の子の容器が机の縁で跳ね、床で原形を失った。


 ユウジの手が、自分のプリンをすっと差し出す。いつもの、完璧な初動である。


 その手首を、チナツがつかんだ。


「待った」


「え」


「あんたも、食べたいでしょ」


 居間が、少し静かになった。年下の子は、床のプリンと、宙で止まったプリンを交互に見ている。田村さんが台所から、いつもどおり新しいプリンを持ってくる。事件は、それで解決である。ユウジのプリンが出動する必要は、最初からない。


 ユウジは、つかまれた手首のまま、言った。


「俺は大丈夫」


「その言い方、嫌い」


「どうして?」


「大丈夫って言えば、誰も心配しなくて済むと思ってるから」


「心配しなくていいよ」


「それを決めるのは、あんたじゃない」


 ユウジは、動きを止めた。


 チナツは、手首を離さないまま、続けた。


「心配するかどうかは、心配する側が決めるの。あんたが『大丈夫』って言っても、私が心配なら、私は心配するの。それを止める権利、あんたにないから」


 ――心配する側が、決める。


 ユウジの頭脳が、その一文を、何度も読み返していた。


 考えたことも、なかった。心配は、かけるものであり、かけないように管理するものだった。前世の十八年も、今世の八年も、ユウジの仕事は、自分という項目を全員の心配リストから削除しておくことだった。削除しておけば、みんなの荷物が軽くなる。それが優しさだと、疑ったことがなかった。


 でも、チナツは言う。リストに載せるかどうかは、リストの持ち主が決めるのだと。


 俺が消しても、消しても、チナツのリストには、俺の名前が載っているのだと。


 それは、管理できない領域だった。世界最高の頭脳の、外側にある領域だった。


 ユウジは、何と答えていいか分からず、宙に浮いたままのプリンを見た。


「……食べて」


 チナツは手首を離し、自分のプリンを開けた。


 ユウジは、自分のプリンを、静かに机へ戻した。ふたを開けて、一口食べた。


 おいしかった。


 おいしいと感じたことが、なぜか、少しだけ胸に痛かった。


▽△▽


 その夜、事務室の明かりは、日付が変わっても消えなかった。


 園長先生は、翌週の会議の資料を作っていた。自治体と、法人と、学校と、建築士。全員が納得する形で、子どもたちの生活を分断しない案を通すための、大事な会議である。


 資料は、何度も書き直された。この一枚の出来で、あの子たちの通学が決まるかもしれない。あの子の面会場所が決まるかもしれない。そう思うと、手が抜けなかった。


 ようやく区切りをつけて、先生は立ち上がった。


 立ち上がった瞬間、視界が、すっと暗くなった。


 床が、傾いた気がした。


 先生はとっさに机へ手をつき、崩れかけた体を支えた。書類の山が、ずれて、数枚が床へ滑り落ちる。


 数秒、そのままの姿勢で、呼吸を整える。


 ……大丈夫。少し、立ちくらみがしただけ。


 先生は落ちた書類を拾い、何事もなかったように、鞄へ入れた。


 こぶしの家の自室で、ユウジは目を開けていた。


 パーフェクトな耳は、聞いていた。


 事務室の方向。椅子の音。よろめく足音。手のひらが机を叩く、鈍い音。紙が床を滑る音。


 ユウジは、布団の上に起き上がった。


 胸の奥で、八年間眠らせていた何かが、ゆっくりと目を覚まし始めていた。

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