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パーフェクト人間ユウジ  作者: よんまるよん
第一部 帰ってきたユウジ

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13/15

第13話 子どもたちの引っ越し会議

 引っ越し会議、と子どもたちが呼ぶことになるその集まりは、丁寧に準備された。


 職員たちの方針は、最初から一貫している。


 子どもたちを、何も知らないまま移動させない。


 説明資料は年齢別に三種類作られた。小さい子には絵の紙芝居。小学生には地図と写真。中高生には、候補地の条件を並べた一覧表。分からない言葉を残さないよう、職員同士で何度も読み合わせをして、「仮住まい」は「工事のあいだ住む場所」に、「移転」は「お引っ越し」に書き直された。


 そして生活グループごとに、希望と不安を聞く時間が設けられた。


 こぶしの家の順番は、日曜の午前。居間の机を囲んで、子ども六人と、職員の田村さんと、記録係の職員がひとり。


 ユウジは、この日を待っていた。


 膝の上には、何もない。何もないが、頭の中には、ある。全候補地の比較。通学路の安全性。面会のしやすさ。通院の距離。工期との調整。全部を計算し尽くした、全員にとって最善の移転案が、発表の瞬間を待って、頭の中で行儀よく整列している。


 丸めた紙を額にぶつけられて以来、書くのはやめた。だが、考えるのをやめろとは言われていない。みんなの話を聞いて、それから最善の案を出す。完璧な段取りである。


 会議が始まる直前、田村さんがユウジの隣にしゃがんで、小さな声で言った。


「ユウジ。先に言っておくね」


「はい」


「今日は、ユウジの答えを発表する会議ではないよ」


「…………」


「みんなが、自分の言葉で話す日。ユウジの仕事は、聞くこと。いい?」


 完璧な段取りは、開始十秒前に崩壊した。


▽△▽


 会議は、田村さんの短い説明から始まった。


 建物の足の骨が弱っていること。直すあいだ、別の場所で暮らすこと。場所はまだ決まっていないこと。決める前に、みんなの気持ちを聞きたいこと。


「正しい意見じゃなくていいの。わがままでもいいの。思ってることを、そのまま教えて」


 最初に手を挙げたのは、小学四年の子だった。


「転校したくない。友だちと離れたくない」


 次の子が続く。


「僕は、同じ部屋のケンタと一緒がいい。部屋が分かれるのは、やだ」


「あたしは、静かなところがいい。前にいたところ、車の音がうるさくて眠れなかったから」


 少し間があって、いちばん年下の子が、小さな声で言った。


「……はやく、おひっこししたい」


 みんなが、その子を見た。


「だって、おうちの骨、弱ってるんでしょ。こわれたら、こわいもん。はやく出たい」


 通院を続けている子は、うつむいたまま言った。


「お母さんとの面会の場所、変えたくない。あそこじゃないと、お母さん、道が分かんなくなるから」


 高校生は、腕を組んで、最後にひとつだけ言った。


「俺は、どこでもいい。どこでもいいから、早く決めてほしい。決まってないのが、いちばん落ち着かない」


 ユウジは、聞いていた。


 言われたとおり、口を挟まず、全部聞いていた。


 そして、頭の中で、静かな異常事態が起きていた。


 ――希望が、一致しない。


 転校したくない子の希望を叶える候補地は、静かな場所を望む子の希望と合わない。早く出たい子と、急に決めないでほしい気持ちは、正面からぶつかる。部屋を分けない条件を足すと、面会場所の条件が崩れる。どこでもいいから早くという希望は、全部の希望と少しずつ衝突する。


 計算しても、計算しても、全員の丸が付く答えが、出ない。


 最善の移転案は、確かにある。総合点のいちばん高い案なら、計算できる。でもそれは、誰かの希望を、点数の名の下に削った案だ。今この居間で、生の声を聞いてしまったあとでは、あの整列していた完璧な案が、急に、他人の顔をして見えた。


 ――完全な、一つの答えが、ない。


 世界最高の頭脳が、生まれて初めて、その種類の問題と正面から向き合っていた。


▽△▽


 チナツは、ずっと黙っていた。


 発言の順番が回ってきそうになるたび、視線を机に落として、やり過ごした。


 言っても、無駄だからである。


 九年間の経験則が、耳元でささやいている。大人は聞く。うなずく。メモも取る。それで最後は、大人の事情で決まる。「みんなの気持ちを聞いて決めました」という一文が付くだけ、聞かれないより、たちが悪いこともある。


 だから、黙っている。期待しなければ、裏切られない。


 田村さんは、チナツを急かさなかった。


「チナツは、話したくなったらでいいからね」と一度だけ言って、あとは他の子の話を聞いている。時間が経つ。会議は終わりに近づく。


 チナツは、机の木目を見ていた。


 木目の向こうに、いくつかの顔が浮かんでは消えた。歯ブラシを二本持って、夜まで待つ気だった男子の顔。廊下に置かれた、ぬるい水。「決まっていないことを、決まったみたいには言いません」と言った、園長先生の顔。


 ……言うだけなら、ただだ。


 どうせ裏切られるにしても、言わなかった後悔より、言った証拠のほうが、ましかもしれない。


 会議の最後、田村さんが「他にはいい?」と見回したとき、チナツは、手を挙げずに口を開いた。


「……三つ、ある」


 部屋が、静かになった。


「私は、同じ学校へ通いたい。転校は、もうしたくない」


 記録係のペンが動く。


「こぶしの家のみんなと、一緒がいい。ばらばらは、やだ」


 ペンが動く。


「あと……引っ越す日を、急に決めないでほしい。『明日出るよ』みたいなのは、もう、やだ」


 最後のひとつは、声が少しだけ揺れた。


 田村さんは、うなずいた。大げさに褒めなかった。よく言えたね、とも言わなかった。ただ、三つを自分のメモにも書き取って、チナツの目を見て、こう言った。


「その三つを、できるだけ守れる方法を探すね」


 できるだけ、という言葉を、チナツは聞き逃さなかった。約束ではない。保証でもない。大人の言葉の中では、まだ疑っていい部類の言葉だ。


 ただ、記録係の書類の上に、自分の三つの希望が、他のみんなの希望と同じ大きさの字で並んでいるのが、席から見えた。


 ――記録は、された。


 それが何になるのかは、まだ分からない。分からないが、チナツは、書かれた三行から、しばらく目を離せなかった。


▽△▽


 会議のあと、中庭で、ユウジがチナツに追いついた。


 言おうかどうか迷って、結局、言ってしまうのがユウジである。


「あのさ。俺の考えてた案でも、チナツは同じ学校に通えたよ」


「……だから何?」


「希望どおりだった。こぶしの家も、分かれない案だった」


 自慢のつもりはなかった。ただの、計算結果の報告だった。俺の案は、ちゃんとチナツの希望と合っていた。だから、あの案は正しかった。そう確認したかっただけである。


 チナツは、足を止めて、ユウジに向き直った。


「偶然、合ってただけ」


「偶然じゃないよ。計算して――」


「先に聞かなきゃ、意味ないでしょ」


 チナツは、言葉を探しながら、ゆっくり続けた。


「あの三つはさ、あんたの紙に書いてあっても、私の希望じゃないの。私が、自分の口で言って、書いてもらって、初めて私の希望なの。……分かる?」


「…………」


「答えが合ってるかどうかの話じゃないの。誰が言ったかの話なの」


 ユウジは、立ち止まったまま、長いこと考えた。


 結果は同じ。中身も同じ。それでも、俺の紙に書かれた「同じ学校」と、チナツが自分の声で言った「同じ学校」は、別のものだという。


 計算の外側に、また、新しい式が現れていた。


 ――結果だけ正しくても、過程が間違うことが、ある。


 床下で怒られた夜から、ずっと解けなかった式に、初めて、変数の名前がひとつ、書き込まれた気がした。


▽△▽


 その夜、ユウジは机に向かった。


 頭の中の完璧な移転案を、呼び出す。


 候補地の比較。点数。順位。あの日、行儀よく整列していた、俺だけの最善案。


 ユウジは、それを、消した。


 紙なら破るところだが、頭の中なので、静かに白紙へ戻す。惜しいとは、思わなかった。あの案には、今日の居間で聞いた声が、一つも入っていない。四年生の友だちの名前も、面会の道が分からなくなるお母さんのことも、揺れていたチナツの三つ目も、入っていない。


 ――作り直そう。


 今度は、全員の希望を横に並べて、削る順番を俺が決めない案を。ぶつかる希望は、ぶつかったまま、大人たちに見えるように整理して。決めるのは、俺じゃない。


 手順を組み直していくと、途中で、どうしても必要な項目が出てきた。


 候補地の情報は、外の人に聞かなければ集まらない。面会や通院の調整は、関係する機関の協力がいる。子どもの計算だけでは、届かない場所が、いくつもある。


 つまり、誰かに、頼む必要がある。


 ユウジの手が、止まった。


 直し方なら、何百通りも計算できる。作り方も、守り方も、計算できる。


 なのに、「誰かに頼む」の一行だけ、その先の式が、白紙のまま動かない。


 頼まれるのは、いつだって自分の側だった。前世の十八年も、今世の八年も、ずっとそうだった。頼み方というものを、ユウジは、二つの人生を合わせて、一度も計算したことがなかったのである。

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