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パーフェクト人間ユウジ  作者: よんまるよん
第一部 帰ってきたユウジ

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12/15

第12話 完璧な無資格工事

 床下の暗闇で、ユウジは働いていた。


 高さ五十センチほどの空間を、音もなく移動しながら、基礎に補強材を組み付けていく。頭の中には完成済みの構造計算。手元には、数日かけて少しずつそろえた材料。市販の鋼材と、金物と、特殊な配合で練った補修モルタル。


 施工は、完璧だった。


 既存の基礎は、傷ひとつつけない。ひび割れには適切な処置を。荷重の流れは計算どおりに整え、締め付けの力は一本ごとにミリ単位で管理する。人間の検査機器では測れない精度で、建物の足元が、着実に安全になっていく。


 ユウジにとって、これは工事ではなかった。


 困っている建物と、困っている人たちを、助けているだけである。


 三分の二ほど進んだところで、点検口の方向から、小さな明かりが近づいてきた。


 懐中電灯を口にくわえ、パジャマのまま床下を這ってくる人影がひとつ。


 チナツだった。


「……見つけた」


「チナツ。ここ、埃がすごいから」


「うるさい」


 チナツは、ユウジの目の前まで這ってきて、懐中電灯を突きつけた。


「一人でやらないって、言ったよね」


「危険じゃないよ」


 ユウジは、心から言った。


 落下の危険はない。粉塵も、この程度なら問題ない。工具の扱いも完璧で、怪我の可能性はゼロ。約束の「危険なこと」には、あたらない。それに昨日、先に話してもいる。抜かりのない、約束の遵守である。


 チナツの声が、床下の暗闇に響いた。


「危険かどうかを、あんた一人で決めるな!」


 建物の下で叫んでも、上で眠る人たちには届かない。それが分かっているから、チナツは思い切り叫んだ。叫びながら、半分泣きそうになっていることが、自分でいちばん腹立たしかった。


 ユウジは、手を止めなかった。


 ここで止めれば、中途半端な補強が残る。それは本当に危険だ。だから、続ける。続けながら、頭のどこかで小さな声がした。チナツの言った「危険」と、俺の計算した「危険」は、たぶん、別の言葉なんじゃないか。


 小さな声は、締め付けの音に、静かにかき消された。


 夜明け前、工事は完了した。


 こぶしの家棟の基礎は、その夜のうちに、この国のどの新築より安全になった。


▽△▽


 数日後、建築士が追加の詳細調査にやってきた。


 報告書にあった「詳細調査を要する」の、その調査である。建築士は助手と二人、機材を抱えて床下に潜り、一時間後、妙な顔で出てきた。


「園長先生。少し、よろしいですか」


 応接室で、建築士はタブレットの写真を先生に見せた。


「基礎に、補強が入っています」


「補強? 工事はまだ何も」


「ですよね。うちも入れていません。ですが、入っているんです。図面にない補強が、それも……その、大変申し上げにくいのですが」


 建築士は、言葉を選んだ。


「極めて、高品質です。荷重の流れの理解が完璧で、既存部を一切傷めていない。正直、うちの事務所でこの精度が出せるかどうか。教科書に載せたいくらいの施工です」


「……それは、良いことでは、ないのですね」


「ないんです」


 建築士は、きっぱり言った。


「誰が施工したのか分からない。材料の証明書もない。施工記録もない。つまり制度の上では、この補強は『存在しない』んです。どれだけ実物が優れていても、確認のしようがないものを、安全の計算に入れるわけにはいきません」


 話は、補強の扱いだけでは済まなかった。


 劣化の進行度を測るはずだった調査は、現状が変わってしまったため、一部やり直し。何者かが床下に出入りした経緯も、施設として整理しなければならない。報告書は書き直し。行政への説明も、一からやり直しである。


「建物は、確実に安全になりました」


 建築士は、疲れた顔でまとめた。


「そして手続きは、確実に遅れました」


▽△▽


 その日の夕方、園長先生は、ユウジとチナツを事務室に呼んだ。


 呼ばれた理由に、二人とも心当たりしかなかった。


 先生は、怒っている顔ではなかった。困っている顔とも、少し違う。長年の「原因不明」の記録の束を、机の端に、なぜかそっと置いている顔である。直った加湿器。直った玩具の列。応急処置された屋根。


「単刀直入に聞きますね」


 先生は、二人を順番に見た。


「床下の補強、誰が施工したのか、心当たりはありませんか」


 ユウジは、目をそらした。


 窓の外を見た。夕方の空に、ちょうど、すずめが飛んでいた。


「……鳥かもしれない」


 隣で、チナツが息を吸った。


「その鳥、今度は床下に入ったんだ」


「飛べるのに?」


「あんたが言うな」


 先生は、二人のやりとりを、黙って見ていた。


 それから、深くは追及しなかった。証拠はない。八歳の子どもが基礎補強をしたなどと、報告書に書けるはずもない。ただ、先生は最後に、こう言った。


「誰がやったにしても……その人は、この園を助けたかったのだと思います。それは、分かっています」


 ユウジの肩が、少しだけ動いた。


「でも、その人に伝えたいの。助けてもらった側は、『ありがとう』と『どうして相談してくれなかったの』を、両方言いたくなるものなのよ」


 二人は、事務室を出た。


 廊下を歩きながら、ユウジは先生の言葉を、頭の中で三回、再生した。三回再生しても、後半の意味が、うまく計算できなかった。


▽△▽


 中庭のベンチで、チナツは正座するように座り、ユウジを隣に座らせた。


「言いたいことは、分かってるよね」


「……補強は、成功した」


「そうだね。コンクリートは直したかもしれないけど、約束は壊した」


「でも、安全になった」


「安全になったよ。それで、手続きは遅れた。調査はやり直し。先生の仕事は増えた。引っ越しの話は、早まった」


 チナツは、指を折りながら数え上げた。


「あんたの完璧な工事の結果が、これ。どうして分かんないの。みんなが知って、納得して、責任を持って進めなきゃ、意味ないの」


「俺が責任を持つよ」


「八歳に持てない責任があるの!」


 チナツの声が、中庭に響いた。


 ユウジは、黙り込んだ。


 頭の中で、何かが渋滞を起こしていた。


 工事は成功した。計算は正しかった。建物は安全になった。どの項目にも、間違いはない。全部に丸が付いている。丸しか付いていないのに、結果の欄には、怒っているチナツと、仕事の増えた先生と、早まった引っ越しが並んでいる。


 ――完璧に成功したのに、怒られている。


 前世と今世を合わせて、初めての経験だった。


 失敗して怒られたことなら、何度もある。花瓶を割って、時計を壊して、怒られてきた。あれは分かる。壊したからだ。


 でも今回は、壊していない。直したのだ。完璧に直して、それで怒られている。


 世界最高の頭脳が、演算の途中で、初めて答えの出ない式の前に立ち止まっていた。式の名前を、ユウジはまだ知らない。


▽△▽


 数日後、職員会議で方針が決まった。


 調査と手続きのやり直しで、工事の計画は後ろへずれる。その一方で、建物の安全評価は宙に浮いたままになった。正体不明の補強は計算に入れられない。つまり書類の上では、こぶしの家棟は「詳細不明の建物」になってしまった。


 結論。一時的な生活場所への引っ越しを、当初の想定より早く、具体的に決めなければならない。


 説明を聞いた子どもたちの間に、ざわめきが広がった。仮住まいの候補、学校のこと、グループのこと。決めることが、一気に増えた。


 その夜、チナツはユウジの部屋の前に立った。


 戸は開いていた。ユウジは机に向かって、何かを猛烈な速さで書いている。覗き込むと、紙の上には、仮住まいの候補地の比較表らしきものが、すでに三枚。


 チナツは、無言でその紙を取り上げた。


「あ」


「あんたはさあ」


 チナツは、紙を丸めた。丸めながら、言った。


「今度は、みんなの話を聞いて」


「聞けば、直していい?」


「直すことから離れろ!」


 丸めた紙が、ユウジの額に命中した。


 パーフェクトな反射神経は、よける判断をしなかった。よけてはいけない場面だということだけは、なぜか、計算より先に分かったのである。

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