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パーフェクト人間ユウジ  作者: よんまるよん
第一部 帰ってきたユウジ

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10/11

第10話 ユウジは一度死んでいる

 物置の豆電球の下で、ユウジは話し始めた。


 自分は前に、一度死んでいること。


 その前は、この若葉園で育ったこと。同じ玄関の前に置かれて、同じ名前で、同じこぶしの家で暮らしたこと。勉強も運動も苦手だったこと。


 十八歳になって、園を出る日の朝、逃げてきた強盗が園に入り込んだこと。人質にされかけた園長先生をかばって、撃たれたこと。


 白い場所で、神様に会ったこと。


 何でも願いを叶えると言われて、パーフェクト人間にしてもらったこと。


 生まれ変わる場所は、もう一度、若葉園の玄関前をお願いしたこと。


 チナツは、遮らずに最後まで聞いた。


 聞き終えて、最初に確認したのは、能力のことでも、死の瞬間のことでもなかった。


「……神様が、泣いてたの?」


「うん」


「なんで?」


「分かんない」


「あんたがアホだったからじゃない?」


「アホは関係なくない?」


「大ありだと思う」


 チナツは、こめかみを押さえた。


 転生。神様。前世。どれも、まともに信じられる話ではない。ただ、この男子に関しては、四メートルの垂直跳びのほうを先に見てしまっている。信じられない話の在庫が、もう一つ増えたところで、棚は同じ棚である。


 問題は、この話が本当かどうか、確かめる方法だ。


「証拠は?」


「証拠……」


「能力は見せられるでしょ。でも前世は、口だけでどうとでも言える。この園で育ったって言うなら、あんたにしか知りようがないことを見せて」


 ユウジは、少し考えて、立ち上がった。


「じゃあ、玄関に来て」


▽△▽


 深夜の玄関は、常夜灯だけがついていた。


 ユウジは靴箱の上の壁を指さした。そこには、古い木製の掛け時計が、静かに振り子を揺らしている。


「これ、前世の俺が十二歳のときに壊した」


「はあ」


「廊下で野球の素振りをして、飛んでいったバットが直撃した。先生にすごく怒られて、自分で直すって約束して、三日かけて直した」


 ユウジは椅子を持ってきて、時計をそっと壁から外した。


「そのとき、裏に彫った」


 時計の裏板が、チナツの目の前に向けられる。


 埃をかぶった木の板に、彫刻刀の拙い文字が、確かに刻まれていた。


 ――ユウジ 十二さい


 ――こんどはこわさない


 チナツは、文字を指でなぞった。彫り口は古い。埃の積もり方も、最近彫ったものではない。時計の裏なんて、外さなければ誰にも見えない場所だ。職員だって、知っているとは思えない。


「……直したとき、ネジが一本足りなくなって」


 ユウジは、時計を元に戻しながら続けた。


「探しても見つからなくて、しかたなく手持ちの別のネジで代用した。なくした一本は、そのあと大掃除のときに、靴箱の下から出てきた。捨てるのが悔しかったから、靴箱のいちばん下の段の、奥の柱の隙間に差してある」


「……見ていい?」


「どうぞ」


 チナツは膝をつき、靴箱の最下段に頭を突っ込んだ。奥の柱の隙間。指を差し入れると、小さくて硬いものが、指先に触れた。


 錆びた、ネジが一本。


 チナツは、ネジをつまんだまま、しばらく靴箱に頭を突っ込んだ姿勢で固まっていた。


▽△▽


 次は、倉庫だった。


 棚の下の段から、ユウジは古いボストンバッグを引き出した。埃よけの布を丁寧にたたんで、脇に置く。


「これが、前世の俺の荷物。園を出る日に持っていくはずだった」


「これの存在は、まあ、職員に聞けば知れるけど」


「うん。だから、これ」


 ユウジはバッグの内ポケットから、手のひらサイズの小物入れを取り出した。安っぽい缶のケースに、三桁のダイヤル錠が付いている。


「卒園のとき、先輩がくれた貴重品入れ。番号は俺しか知らない」


「……番号は」


「五、一、六」


 チナツはダイヤルを回した。五。一。六。


 かちり、と小さな音を立てて、錠が開いた。


 中には、数枚の小銭と、プリペイドカードと、折りたたまれた便箋が一枚、入っていた。


「読んでいいよ」


 チナツは便箋を開いた。


 鉛筆の、不器用な字。書いては消した跡が、何か所も残っている。


 ――先生へ


 ――今までありがとうございました。ごはんも、うんどう会も、しんろの相談も、ぜんぶありがとうございました。


 ――俺は元気にやるので、心配しないでください。


 ――俺がいなくなったぶん、少し楽をしてください。


 チナツは、読み終えて、顔をしかめた。


「何これ」


「先生への手紙。出ていく日に、こっそり置いていくつもりだった」


「感謝の手紙で、なんで最後が『楽をしてください』なの」


「先生、いつも働きすぎだから。俺がいなくなれば、世話する子が一人減るから、そのぶん――」


「はいはい、分かった。もういい」


 チナツは便箋をたたみ、缶に戻した。


 分かったのは、手紙の意味ではない。この手紙が、間違いなく目の前の男子の書いたものだ、ということである。八年前に封じられた手紙の中まで、今と寸分たがわず、アホだった。


 これ以上の筆跡鑑定は、いらない。


▽△▽


 倉庫の床に、二人は座り込んだ。


 チナツは、転生の仕組みを理解したわけではなかった。神様のくだりは、正直、まだ半分も飲み込めていない。


 ただ、ひとつだけ、はっきりした。


 この男子は、嘘をついていない。


 そして、はっきりした瞬間、チナツの中に湧いてきたのは、感動ではなかった。


 怒りだった。


「……それで?」


「何が?」


「一回死んで、生まれ変わって、パーフェクトになって。それで、また誰かを守って死ぬつもり?」


「今は死なないよ」


 ユウジは、事もなげに答えた。


「今の体は、頑丈だから。銃くらいなら平気だし」


「死ななければ、何してもいいの?」


「みんなが助かるなら」


「それ、自分を捨ててるのと同じだから」


 ユウジは、きょとんとした。


「捨ててないよ。俺が自分で選んでるんだから」


「選んで捨ててるの!」


 チナツの声が、倉庫に響いた。


 ユウジには、本当に分からなかった。困っている人を助ける。自分はそのために動く。全部、自分の意思だ。誰かに強制されたわけでも、投げやりになっているわけでもない。どこにも「捨てる」要素がない。


 チナツには、それこそが見ていられなかった。


 選択肢を並べるとき、この男子の皿には、最初から自分の分が載っていない。載せ忘れているのではない。載せる習慣が、そもそもないのだ。前世の手紙がその証拠だ。十八年間の感謝を書いて、最後に頼んだことが「俺がいないぶん楽をして」。自分の幸せを願う欄が、一行もない。


 母に振り回されてきたチナツは、知っている。


 自分を勘定に入れない人間の周りでは、いつか必ず、誰かが泣く。


▽△▽


「条件、出すから」


 チナツは、指を三本立てた。


「秘密は守ってあげる。誰にも言わない。その代わり、三つ」


「うん」


「一つ。危険なことをする前に、私に話すこと」


「うん」


「二つ。みんなの生活に関わることを、一人で決めないこと」


「うん」


「三つ。『俺は大丈夫』で話を終わらせないこと」


「……善処します」


「そこだけ返事が役所なの、なんで」


 チナツは念を押して、小指を突き出した。指切りなんて子どもっぽいと思ったが、この男子には、書面より儀式のほうが効きそうな気がした。


 ユウジは、真面目な顔で小指を絡めた。


 約束は、成立した。


 成立したのだが、このときユウジの頭の中では、静かな解釈が一つ、走っていた。


 ――危険なこと、というのは、俺が怪我をするかもしれないことだな。


 ――俺の体は怪我をしないから、たいていのことは、危険じゃない。


 パーフェクトな頭脳による、完璧な抜け道である。


 チナツが聞いたら小指ごとひねり上げそうな解釈は、口に出されないまま、夜の倉庫にしまい込まれた。


▽△▽


 翌朝。


 園長先生は、事務室で一通の封筒を開けていた。


 差出人は、建築士事務所。雨漏りの修理をきっかけに、法人が依頼していた、建物全体の点検の報告書である。古い建物だから、悪いところの一つや二つは出るだろう。修繕の予算を考えながら、先生はページをめくった。


 めくる手が、止まった。


 報告書の中ほど。図面に赤い印がいくつも付いた、そのページ。


 ――こぶしの家棟 基礎内部に想定を超える劣化。詳細調査を要する。


 先生は、報告書をもう一度、最初から読み直した。


 二度読んでも、書かれていることは変わらなかった。


 子どもたちの暮らす建物の、足元の話だった。

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