再会
魔王城の中庭は、思っていたよりも静かだった。
剣を抜いたまま、俺は物陰から様子を窺う。
そこに広がっていた光景に、思わず息を呑んだ。
子供たちの笑い声。
柔らかな日差しの中、彼女は腰を落とし、同じ目線で話している。
――魔王。
けれど、その姿は“敵”として想像していたものとは、あまりにも違っていた。
(……真緒)
胸の奥が、きしりと音を立てる。
名前を呼びたい衝動を、必死で押し殺した。
子供の頭に手を置き、少し不器用に笑う仕草。
それだけで、確信できてしまう。
間違いない。
あの人だ。
――でも。
今の俺は、血と泥にまみれたボロボロの姿だ。
勇者としてでもなく、恋人だった頃の俺でもない。
(声をかけていいのか……?)
一歩、踏み出せない。
その時だった。
「……あれ?」
子供の一人が、こちらを見て目を丸くした。
「ねえ、魔王さま。あそこに……」
その声につられて、彼女が顔を上げる。
視線が、真っ直ぐに俺を捉えた。
一瞬、時間が止まったように感じた。
「……みんな、先に戻ってて」
穏やかな声だった。
子供たちは不思議そうにしながらも、素直にその場を離れていく。
そして、彼女はゆっくりと俺の方へ歩いてきた。
「……大丈夫?」
最初にかけられたのは、そんな言葉だった。
敵を見る目じゃない。
怯えでも、怒りでもない。
ただ、傷ついた人を見る目。
「ひどい怪我……どうして、こんなところに」
近づくにつれ、彼女の表情がわずかに強張る。
俺は、ようやく声を絞り出した。
「……会いに、来た」
「私に?」
小さく、眉をひそめる。
「ここは、あなたが来る場所じゃない。
それに……あなたは、人間でしょう」
言葉の一つ一つが、正しい。
だからこそ、胸に刺さる。
「俺は……勇者だ」
はっきりと告げた。
その瞬間、彼女の瞳が大きく揺れた。
「……勇者?」
俺は、喉の奥に溜まった息を吐き出すように言った。
「俺は、確かめたかった。
魔王が、本当に……真緒だったのか」
一瞬、彼女は言葉を失ったように目を瞬かせた。
「……え?」
小さく、聞き返す声。
その響きが、胸の奥に突き刺さる。
「……今、なんて……?」
彼女は一歩、近づいてくる。
まるで、聞き間違いであってほしいと願うように。
「真緒……って……」
その瞬間だった。
彼女の表情が、ゆっくりと崩れていく。
眉が震え、唇がかすかに開いたまま、言葉を失う。
そして――
「……ゆ……?」
かすれた声。
名前になりきらない、その一音。
俺が何かを言うよりも先に、彼女の目から涙が溢れ落ちた。
「……うそ……」
ぽろり、と。
もう一粒。
彼女は片手で口元を押さえ、信じられないものを見るように俺を見つめていた。
彼女の涙を前に、俺は言葉を失っていた。
再会を夢見ていたはずなのに、実際にその瞬間が訪れると、胸の奥が詰まって何も出てこない。
ただ、目の前にいる。
それだけで、世界が歪んだ。
「……どうして……」
真緒の声は、泣きながらも必死に形を保とうとしていた。
「どうして……ここに来ちゃったの……?
その格好……その傷……」
彼女は一歩、また一歩と近づいてくる。
魔王としての威厳も、城の主としての距離も、すべて忘れたように。
俺は、ゆっくりと息を吸った。
「……気づいたら、ここに来てた」
それだけが、正直な答えだった。
「理由とか……使命とか……
そういうの、全部あとだった」
真緒は、泣きながら笑った。
「……相変わらずだね」
震える声で、そう言う。
「そういうところ……昔から」
その言葉に、胸が強く締めつけられる。
高校の帰り道。
駅までの道を遠回りして、意味もなく歩いた時間。
何も言わずに隣を歩くだけで、全部が楽しかった日々。
魔王として生きている彼女の姿しか知らない世界で、
今、確かに“あの頃の真緒”が、俺の目の前にいた。
真緒は、俺から目を離さずに続ける。
「……でも」
小さく息を吸って、
「あなたがここに来たってことは……」
一瞬、言葉が詰まる。
「……向こうの世界では……」
その続きを、彼女は言えずにいた。
俺は、はっきりとは答えなかった。
ただ、目を逸らさずに立っている。
真緒は、それだけで察したように、小さく息を呑んだ。
「……そう、なんだね」
涙を拭いながら、でも逃げずに俺を見る。
「……ねえ、ゆう」
静かな声。
「どうして、ここまで来ちゃったの?」
責める声じゃない。
試す声でもない。
ただ、知りたいという声だった。
俺は、迷わず答えた。
「……好きな人に、会いたかった」
それだけだった。




