17.聖女のお願い
※大神官視点です。
「――お待ちしていました。大神官さま」
早朝から、私はシアに呼び出されていた。
人気のない建物の裏で、彼女は真剣な表情で私のことを待っていた。
おそらく、これまで私が犯してきた悪事についての話だろう。
覚悟はしていたが、いざとなると胸の辺りが痛んでくる。何とも情けない。
国のため、私情も常識も他人の想いも何もかも踏みにじって生きてきたのだから、最後まで悪人で通すべきだ。本当に、私は中途半端な人間であるな。
シアは、邪念すら見通すような正しい眼差しで、じっと私を見上げてきた。
「大神官さま。私は、ずっとあなたに言いたかったことがあります」
「聖女殿……」
すると彼女の小さな口から、思いもかけない言葉が紡がれる。
「もう私は聖女じゃありません。昔みたいに名前で呼んでくれませんか?」
「名前?」
他愛もない申し出をされて、今まで張っていた力が抜けていく。
「了解した。急に馴れ馴れしくするのも難しいが、まあ、善処するとしよう」
「駄目です。今すぐ名前で呼んで下さい! ヴァルタザールさま?」
自らの腰に両手を当て、体を前に傾けてすねたような仕草をするシア。
ここは怒る場面なのか? それより今、私のことを何と……
「…………シア」
「はいっ」
笑顔で返事がかえってきた。何がそんなに嬉しいのやら。
「シアよ。――私を責めぬのか」
「えっ。昨日私の分のおやつを間違って食べちゃったことですか?」
「違う」
いやあれはステラ殿が1つ余分に食べてしまったのが原因で……ではなくて。
「これまでのあなたの事なら、怒ってるけど怒っていませんよ。怒る気持ちより、もっと強い気持ちの方が大きいですから」
「そ、そうなのか……?」
怒りより強い気持ちとは、一体何なのだ。
彼女の顔を見る限り、不快な感情ではなさそうだが。
どうやら私の贖罪は、少し先送りになってしまったらしい。
女神に力を奪われ倒れてしまったシアは、こうして今では大変元気だ。
聖女としての力も取り戻している。
だが彼女は、聖女の地位を辞退し、ただの巫女になると言い出した。
理由を推し量ることはできないが、5年間も彼女を縛っていた鎖が解けたのだ。
これからのシアには、自由に生きる権利がある。
労いの言葉ぐらいは掛けるべきだろう……何の罪滅ぼしにもならぬがな。
「今までそなたはよく頑張ってくれた。これからは思う存分、我儘を言いなさい」
「はい。では、わがままを言います。ヴァルタザールさまの秘密を教えて下さい」
息を呑んだ。いつかはその真実を話すつもりだったが、まさか今だとは。
情報の出どころを、一応確かめておかねばなるまい。
「――それを誰に聞いたのだ?」
「猫神さまからです」
「……仕方ないな」
ミケル様のお節介に心の中で溜息をつきつつ、私は重い口を開いた。
「我が国では、過去に神と人とが共存していた名残りで、両者の血を引く末裔が存在する。私の家系を遡ると、古えの時代にギヨと婚姻を結んだ形跡があった」
「ギヨとは誰のことですか?」
「当時の魔神だ」
「!」
「私はその先祖返りらしく、魔力に邪悪な気が混じるようだ。動物に逃げられたり子供に泣かれたり、女性に遠巻きにして見られたりする。もう慣れたがな」
おかげで30にもなるというのに、ずっと独り身だ。悲しくなってきたぞ。
初対面のシアにも泣かれたな。私の本質を見抜く力は、聖女として当然だ。
その時のことを思い出しながら、私はにやりと自嘲的に笑ってみせた。
「ふっ……。どうだ? 魔神の血を引くなど、怖くなっただろう?」
「私、怖くないです!」
などと言って、シアが私の体にぴたりとくっついてくる。
昔も、こんな風におやつをねだってきていたな。
「どうした。最近やけに距離が近いが……まさか子供に戻ったのか?」
「子供じゃありません!」
そう叫ぶと、シアは抱きついてくる力を強くした。
「私、子供の頃からずっと大神官さまにふさわしい聖女になりかった。でも今は、聖女じゃなくてもヴァルタザールさまの隣に立てる存在になりたいんです」
「シア…………」
「大きくなったら、あなたのお嫁さんにして下さい。別に今からでも構いません」
「っ! な。何を言っておるのだ。正気か!」
まだ15歳だろう。せめて18歳にならないと我が国の法律では結婚は無理だ。
いやそういう問題ではなくて。
深呼吸し、私は精神を落ち着けることにする。
「はあ。――そなたはもっと、慎みのある性格ではなかったか?」
「そうでしたっけ? 私、昔からわがままでしたよね。勉強をさぼったり、落書きしたり、朝寝坊したりして」
シアは私の体からぱっと離れると、目を細めてとぼけたように首を傾げる。
幼い頃とはまた違った、どこか大人びた表情だ。
「そうだったな……」
5年前、感情を失くしていく彼女を見て後悔と絶望しかなかったが、こうしてまた色々な表情を見られるようになるとは感嘆と感謝をするばかりだ。
ずっとそばで見守っていけたなら、どんなにか幸せなことだろう。
だが、私にはそんな資格など――――
「いつか、私のわがままを聞いて結婚して下さいね? ヴァルタザールさま」
にっこりと綺麗な笑顔を向けられ、返答に窮した私は適当なことを口走る。
「そ、それは難問だな。まあ……善処しよう」
「約束ですよ?」
しまった。うっかり善処するとか言ってしまった。全部シアが可愛いのが悪い。
いや悪いのは私の心の弱さだな。他人から好意を向けられることが無さすぎて、何か勘違いをしているのだろう。きっとそうだ。シアが可愛いのは全然関係ない。
……ステラ殿にばれたら、私は瞬殺されてしまうのではなかろうか。
何かの視線を感じ辺りを見回す私を見て、シアが笑いをこらえているようだった。
次回で最終話となります!




