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リコリス・モノクローム・ガーデン  作者: ネオもろこし
黒白の神鏡(モノクローム・ミラー)編

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第二話「湖畔の黒き哲学者」2

第二章 月を愛でる影


 小型ボートは、音もなく「中ノ島」の砂利浜に乗り上げた。 波の音さえ凍りついたかのような静寂の中、キリコ(九十九霧狐)たちは慎重に森を抜け、島の中心部にある開けた岩場へと足を踏み入れた。


 そこは、まるで世界の果てのような場所だった。 頭上には、手を伸ばせば届きそうなほど巨大な満月が輝き、その蒼白い光が、湖面の氷と岩場を銀色に染め上げている。虫の音も、風の音もしない。 ただ、圧倒的な冷気と、肌を刺すような「異物」の気配だけが充満していた。


「……いたぞ」


 先頭を行くジン(夜刃迅)が足を止め、喉の奥で低く唸った。


 岩場の中央。 月光を浴びてぬらりと黒光りする、巨大な影があった。


 直径数メートルほどの、不定形の黒い流体。 コールタールのような粘性を持ちながら、その表面は水銀のように滑らかに波打ち、周囲の景色を歪んで映し出している。それは、誰も襲うことなく、ただ静かに夜空の月を見上げていた。


 その姿は、獲物を待つ捕食者というよりは、月光浴を楽しむ小動物のようにも見え――あるいは、深い思索に耽る賢者のようでもあった。


「……出たな、化け物」


 ジンが即座に背中のライダースジャケットを引き裂き、漆黒の翼を展開した。 バサァッ!! 鋼鉄の羽根が擦れ合い、殺気が膨れ上がる。 彼の脳裏には、数ヶ月前の悪夢が蘇っていた。大陸横断列車を飲み込み、暴走した泥の怪物。 あれと同じものが、今、目の前にいる。放置すれば、この島ごと飲み込まれ、世界へ拡散する災厄の種子。


「やるぞ、キリコ。……増える前に潰す」


「……待って、ジン」


 キリコが、フードの下から鋭い視線を投げる。彼女は両手で印を結び、『千里眼(狐の窓)』越しに怪物を観察していた。


「様子がおかしいわ。……殺気がない」


「騙されるな! 擬態かもしれねえだろ!」


 沈 黒燼(シェン・ヘイジン)もまた、無言で腰の直刀に手をかけ、紫煙を吐き捨てた。殲滅準備。 この泥が動き出せば、一瞬で距離を詰められ、消化液で溶かされるかもしれない。 一撃必殺の居合で、核ごと断ち切るしかない。


 三人が臨戦態勢に入った、その時だった。


 怪物は逃げもせず、襲いかかりもしなかった。 その表面に、二つの蒼い光――目のような発光器官がふわりと浮かび上がり、キリコたちの方をゆっくりと向いた。瞬きのように明滅するその光は、驚くほど理知的な色を帯びていた。


『……おや。人間の方々ですね』


 全員が凍りついた。 声が聞こえたわけではない。 鼓膜を介さず、脳内に直接、穏やかで知的な思考が流れ込んできたのだ。テレパシー。


「……喋った?」


 キリコが目を見開く。 黒胎が、言葉を操る? ただのエネルギーの塊、あるいは本能だけの獣だと思っていた存在が、コミュニケーションを取ろうとしているのか? それは、これまでの「黒胎」の研究データにはない、異常事態だった。


『驚かせて申し訳ない。……月が、あまりに綺麗だったので。見惚れていました』


「……はぁ?」


 ジンが毒気を抜かれたような声を出す。 怪物は、自らの身体を液状化させ、波打たせた。黒い泥が盛り上がり、人のようなシルエット――燕尾服を着た紳士のような形に変形していく。 そして、あろうことか、優雅に一礼するようなポーズをとったのだ。


『私は、名を持たぬ影。……ですが、便宜上「アトラ=ウンブラ」と呼んでいただければ幸いです』


「アトラ……ウンブラ?」


 ルカ・ノクスが、恐る恐る復唱する。


『ええ。古い言葉(ラテン語)で「黒い影」を意味するそうです。……この島に漂着した古い書物から、拝借しました』


 黒い影――アトラは、流暢な思念波で語りかけた。


『私は、ここで生まれ、ここで言葉を覚えました。……漂着するゴミ、ラジオの電波、そして風の音から』


 彼は、自分が何者であるかを理解し、自ら名付けたというのか。それは、単なる模倣ではない。 確固たる「自我」の証明だった。


「……ふざけやがって」


 ジンが翼を広げ、殺気を高める。知性があるなら、なおさら危険だ。悪意を持った知性は、ただの獣よりも遥かにタチが悪い。 かつてのオズシュタイン博士のように、あるいは魔王アヴァベルのように、知恵を持った悪意は世界を滅ぼす。


「人間を油断させて、食うつもりか? ……その手には乗らねえぞ」


 ジンが一歩踏み込む。


「騙されるな! こいつは世界を食う害虫だ! ……油断すれば、骨までしゃぶられるぞ!」


 ジンが『堕天の斬撃』の構えを取る。翼が刃となり、アトラの核を狙う。


「待ってください!」


 その前に、ルカが飛び出した。彼女は両手を広げ、ジンの前に立ちはだかった。 小柄な背中が、震えている。恐怖ではない。決意による震えだ。


「ルカ!? どけ! 危ねえぞ!」


「嫌です! ……ジンさん、見てください! この子からは、悪意を感じません!」


 ルカは、アトラを背に庇い、必死に訴えた。彼女の持つ《黎明の恩寵》の力は、相手の本質――魂の色を見抜くことができる。 彼女の目には、アトラの黒い身体の奥にある、純粋で透明な「心」が見えていた。


「ただ……寂しがっています。……とても、深く」


「寂しいだァ? ……泥人形がかよ」


「本当です! 彼はずっと一人で……自分が何なのか分からなくて、震えているんです!」


 ルカは、アトラの方を振り返った。 アトラは、ルカの行動に驚いたように、蒼い瞳を瞬かせていた。


『……ほう』


 アトラの思念が、興味深そうにルカを見つめた。その視線には、敵意も飢餓もなく、ただ純粋な好奇心が宿っていた。 初めて触れる、自分以外の「温かいもの」への憧憬。


『貴女は……私を恐れないのですか?』


「……怖くありません」


 ルカは首を横に振った。 彼女は、アトラに近づいていく。 ジンが止めようと手を伸ばすが、シェンがその腕を掴んで制した。


「……待ちなさい、坊や。少し様子を見ましょう」


「シェン!?」


「あの泥……確かに、今までの奴らとは『味』が違うわ」


 シェンは紫煙をくゆらせながら、興味深そうにアトラを観察した。 ルカは、アトラの目の前まで歩み寄ると、そっと手を差し伸べた。


「……私はルカ。ルカ・ノクスです。……貴方と、お話がしたい」


 アトラの身体が、さざ波立つ。 黒い触手が、ルカの手に向かってゆっくりと伸びてきた。

自分が読みたい物語を書いています。

可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。

(制作に関してAIを利用しています)

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