2 メロ男、襲来
土曜日朝。
茉白は、待ち合わせ場所へ向かう電車の中で、すでに帰りたかった。
理由は単純。眠い。だるい。
窓際の席に座り、片耳だけイヤホンを入れたまま、茉白は流れていく住宅街をぼんやり眺める。四月も半ばを過ぎ、車窓の桜はほとんど葉桜に変わっていた。朝の光はやけに明るく、休日らしい浮ついた空気をまとった乗客たちがこれからどこへ行くのか楽しそうに話している。
茉白は、黒の薄手パーカーに短めのプリーツスカート、足元は履き慣れたスニーカー。髪も軽く整えただけ。
別に手を抜いたつもりはない。
いつも通り。
今日会うのは、親友の彼氏と、その友達。
それ以上でもそれ以下でもない……なのに。
『絶対来てね!!』
『颯真くんの友達マジでイケメンだから!!』
『茉白ぜったい好きだと思う!!』
昨夜から送りつけられている日菜のメッセージを思い出し、茉白は眉を寄せた。
「……何を根拠に」
ぽつりと呟く。
自分が誰かを好みなど、日菜に分かるはずがない。
そもそも自分でも分からないし、そんな話をするのはいつも日菜で、茉白自身の話はしない。
恋愛に関しては昔からそうだった。
顔がいいとか、優しいとか、面白いとか。
そういうのは普通に分かる。
ただ、それが『付き合いたい』に繋がる感覚がどうにも理解できない。
友達でよくない? と思ってしまう。
つきあう意味が分からない。
電車が駅へ滑り込む。
扉が開くと同時に、スマホが震えた。
『もう着いたよー!』
茉白は時刻を見る。
待ち合わせ十分前。
……珍しい。
『早』
返信して立ち上がる。
ホームへ降りた瞬間、春風が髪を揺らした。
休日の駅前は人が多い。家族連れ、学生、恋人同士。駅ビルの巨大な広告モニターから流れる音楽と、行き交う人の声が混ざり合っている。
茉白は人の流れに沿って改札を抜ける。
「茉白ー!」
聞き慣れた声がした。
人混みの向こうで、日菜が両手を振っている。
今日の日菜はいつも以上に気合いが入っていた。淡い色のカーディガンに短めのスカート。明るい髪はゆるく巻かれ、揺れるピアスまで含めて、全身から「デートです」と主張している。
その隣に立つ男が、彼氏。水城颯真。
写真で見るより少し背が高い。
白いシャツに濃色のジャケットという無難な格好だが、姿勢が良いせいか妙にきちんとして見える。
茉白に気づくと、颯真は軽く頭を下げた。
「初めまして。水城颯真です」
「……どうも」
「黒瀬茉白ちゃん! ウチのマブ!」
「紹介雑」
「最高の紹介でしょ?」
日菜は笑いながら茉白の腕に絡みつく。ふわりと花の香りがした。いつもの日菜より甘い香り。
「はいはい」
日菜をあしらいながら、茉白はそれを見逃さなかった。
その瞬間、颯真の表情がわずかに緩んだ。
ああ、この顔。
写真より分かりやすい。
日菜を見る時だけ、少し柔らかくなる。
「……ほんとに好きなんだ」
「え?」
「何でもない」
茉白が視線を逸らすと、日菜がきょとんとする。
颯真だけは意味を察したらしく、少し気まずそうに咳払いした。
「それで」
茉白は周囲を見回した。
「もう一人は?」
「あ、それが――」
「ごめん。待った?」
すぐ後ろから声がした。
茉白が振り向く。
最初に目に入ったのは、長い脚だった。次に、肩。最後に顔。
背が高い。
颯真よりさらに数センチ高いだろうか。暗めの茶髪は柔らかく額に落ち、春風に前髪が揺れている。黒いシャツの上に薄手のジャケットを羽織り、首元には軽めのストール。片手にはコンビニのコーヒーを持っている。
いかにも気合いを入れてきたという感じではない。
なのに、妙に目を引く。
男は颯真たちへ軽く手を上げ、それから茉白を見た。
視線が止まる。
「……あ」
数秒。
茉白は眉を寄せた。
「何」
すると男は、あまりにも自然に言った。
「かわい」
「は?」
日菜が吹き出す。
颯真は露骨に顔をしかめた。
「一ノ瀬」
「何」
「初対面だぞ」
「だから?」
「だからじゃない」
一ノ瀬凪は、まるで悪びれる様子もなく茉白へ笑いかけた。
「ごめん。思ってたよりかわいかったから」
「何聞いてたん」
「口悪くて怖いギャル」
茉白は無言で颯真を見る。
「水城」
「俺じゃない」
「じゃ誰」
「日菜」
「えっ、ウチ!?」
日菜が自分を指差す。
「だって茉白、口悪いじゃん!」
「お前ほどじゃない」
「ウチ口悪くないし!」
「この前先生に『その課題量えぐ、正気? しねば?』って言ってたじゃん」
「あれは感想!」
「命の選択が?」
茉白と日菜のやり取りを見て、凪が楽しそうに笑う。
その笑い方に嫌味がないのがなんだか腹立たしい。
「君が茉白ちゃん?」
「ちゃん付けやめろ」
「茉白」
「急に距離詰めんな」
「黒瀬さん」
「それもなんか腹立つ」
凪が呆気に取られて一瞬黙った。
それから茉白の顔をじっと見て目元を細める。
「注文多いね」
「帰っていい?」
「まだ会って三十秒」
「十分経っとる」
えー!、と仰々しく声をあげ、凪が微笑んだ。
「楽しい時は過ぎるの早いね。俺はもうちょっと一緒にいたいけど」
「知らん」
凪はつれない茉白を見て肩を震わせながら髪を触ろうとする。
「かわいい」
露骨に避けて茉白が眉を寄せる。
「帰る」
「待って茉白ぉ!」
日菜が慌てて腕にしがみついた。
その横で颯真が深々と息を吐く。
「……一ノ瀬、本当にやめろ」
「何が?」
「そういうの」
「普通に褒めただけじゃん」
「お前の普通は信用できない」
凪は大げさに驚いて胸元を押さえた。
「親友なのに酷くない?」
「親友だから言ってる」
どうやら普段からこうらしい。
茉白は横目で凪を見る。
見た目だけなら、確かに日菜の言う通りだ。
イケメン。
それは認める。
ただし、面倒くさそう。その印象の方が圧倒的に強い。
「とりあえず行こ!」
気を取り直した日菜が両手を叩いた。
「今日めっちゃ遊ぶよ!」
「どこ行くの」
「まずショッピングモール!」
「普通」
「普通が楽しいの!」
そう言って、日菜は颯真の腕へ自然に手を絡めた。
颯真がほんの少し照れた顔をする。
茉白はそれを見て、口元を歪めた。
「水城、顔」
「何ですか」
「ニヤけてる」
「ニヤけてない」
真顔を取り繕うも、颯真の口元はどうも締まらない。
「いや、ニヤけてる」
「黒瀬さん」
「はい」
「一ノ瀬と話しててください」
「なんで罰ゲーム」
「俺罰ゲーム?」
凪がふたたび胸に手を当てる。
「傷つくなあ」
「全然傷ついてない顔してんじゃん」
「よく見てるね」
「……」
「もう俺のこと気になる?」
何を言っても無駄だと判断した。
「帰れ」
開始二十分、すでに面倒くさい。
茉白はそう結論づけた。
*
駅前の大型ショッピングモールは休日らしく混雑していた。
吹き抜けの中央広場では子供向けのイベントが開かれており、風船を持った家族連れが行き交っている。上階からは飲食店の香りが漂い、館内放送とざわめきが絶えず響いていた。
四人は並んで歩く。
正確には、日菜と颯真が前。
茉白と凪が、その少し後ろ。
「……なんでこうなった」
「何が?」
隣から返事が来る。
「組み合わせ」
「いいじゃん」
「よくない」
日菜と颯真が並ぶのはわかる、分かるのだが茉白はどこか納得いかない。
「俺は嬉しいけど」
「はいはい」
「流すの上手いね」
茉白は嫌そうに半歩横に避ける。流されると分かっていてどうして絡んでくるのか。いや、気を使っているのか。すぐに半歩は埋められた。
「慣れてきた」
「まだ会って三十分くらいだけど」
「もう充分喋った」
「俺は全然足りない」
茉白は返事をしない。
前方では日菜が何かを見つけて、颯真の袖を引っ張っている。
「あ! 見て颯真くん! あれかわいい!」
「どれ?」
「あのバッグ!」
「……値段見た?」
「見てない!」
「見てからかわいいって言おうか」
「えー!」
楽しそうだ。
ほんと、楽しそう。
茉白は少しだけ目を細める。
嫌ではない。
その感覚は、やはり変わらない。
日菜が笑っていると、自分も安心する。
ただ、二人の間にはもう、自分の入れない空気がある。
それだけが少し不思議。
「寂しい?」
突然、隣から言われた。
茉白の足が一瞬止まりかける。
「……は?」
「日菜ちゃん取られて」
「別に」
反射で答えた。
「そっか」
追及しない。
それが逆に気になった。
「何」
「何が?」
「なんか言いたそう」
「いや。否定早いなと思って」
「うざ」
「ごめん」
凪が軽く笑う。顔がいい。ムカつく。
茉白は凪を見上げる。
適当に喋っているだけに見えるくせに、時々妙なところを突いてくる。
見透かされる感じがして、少し嫌だ。
「ほら、茉白!」
日菜が振り返った。
「プリ撮ろ!」
「四人で?」
茉白はメンツを見回す。日菜も同じように視線を巡らせて大きく頷いた。
「もちろん!」
「やだ」
「なんで!」
「知らん男とプリ撮る趣味ない」
「知らん男」
凪が小さく復唱する。
「まだ他人判定なんだ」
「当たり前」
「じゃあ今日中に知り合いくらいになろ」
大きく一歩詰められて茉白が後退る。
「目標低」
「まずは現実的なところから」
「何の計画だよ」
呆れる。
日菜が先にプリ機に入って笑顔で手招きしている。ため息をついて諦めた。
狭いボックスの中は、甘ったるい香水と機械の熱が混ざった匂いがする。
「詰めて詰めて!」
「狭い」
「茉白もっとこっち!」
「無理」
日菜が位置を調整しようと茉白の肩を押す。
反対側には凪。
距離が近い。
思わず茉白が半歩避けると、凪もすぐに身体を引いた。
「ごめん」
さっきまでの軽い調子ではなく、普通の声だった。
茉白は少しだけ目を瞬く。無自覚に距離を詰めるくせに、意識すると無理らしい。
「……別に」
近づいてこない。
意外だった。
シャッターのカウントダウンが始まる。
『3、2、1!』
日菜は全力のピース。
颯真はぎこちない笑顔。
凪は自然に笑う。
茉白だけ真顔。
「茉白笑って!」
「無理」
「一枚くらい!」
「急に言われても」
「じゃあ」
凪が横から口を挟む。
「今から日菜ちゃん変顔するって」
「は!?」
「しないし!」
日菜が抗議した瞬間に次のシャッター。
日菜だけ本気で焦った顔。
茉白は耐えきれず、ほんの少しだけ笑った。
『撮影完了!』
「あっ!」
日菜が叫ぶ。
「今茉白笑った!」
「笑ってない」
「絶対笑った!」
画面に写真が表示される。
そこには、わずかに口元を緩めた茉白。
そして、その茉白を見ている凪。
「……」
茉白は一瞬だけ画面を見た。
凪はカメラではなく、自分を見ていた。
何となく居心地が悪くなって、すぐ視線を逸らす。
「これ盛れてる!」
幸い日菜は何も気づいていない。
颯真だけがちらりと凪を見る。
凪は何でもない顔で笑っていた。
*
ファーストフードで昼食を済ませた後、ゲームセンターへと移動する。
電子音に派手な照明。
クレーンゲームの景品がずらりと並び、奥では音楽ゲームの激しいリズムが響いている。
日菜と颯真は早々に協力型のゲームへ向かった。
「茉白もやる?」
「見てる」
「凪くんは?」
「俺も適当に見る」
「じゃ二人で遊んでて!」
「ワンセットにすんな」
日菜は笑いながら颯真を連れて行った。
茉白はその背中を見送り、近くのクレーンゲームの列へ視線を滑らせる。
特に欲しいものはない。
ぬいぐるみにお菓子、キャラクターグッズ。
どれも興味は薄い。
ただ、一台だけ、ほんの少し目に留まった。
白い猫のぬいぐるみ。
丸い顔に、妙にふてぶてしい表情。
「好き?」
横から声。
「別に」
「ふーん」
茉白はそのまま歩き出す。
数歩進んで別のゲームを見る。
また戻り、白い猫を見る。
「……」
「欲しいんじゃん」
「欲しくない」
「三回見たよ」
「数えてたの」
「見てたから」
さらっと言われる。
茉白は少し眉を寄せた。
「何で」
「何が?」
「そんな見てんの」
凪は少し考える。
からかうような答えが返ってくると思った。
「気になるから。君のこと」
あまりにも自然で、茉白は返事が一拍遅れた。一拍どころかフリーズしそうになる。
「……そういうの女全員に言ってんの?」
「言わないよ」
「信用ない」
「悲しいな」
読めない笑顔に茉白は顔をしかめる。
「顔が軽い」
「顔は生まれつきだから許して」
自信がある。むかつく。
凪は笑いながら財布を取り出した。
「取ってあげる」
「いらんって」
「俺がやりたい」
「取れなかったらダサいよ」
「プレッシャーかけるね」
「別に」
澄まして言ったけれど、凪の手元が気になりちらちらと見てしまう。
一回目、失敗。
「下手」
「まだ一回目」
二回目、少し動く。
「微妙」
「厳しいなあ」
三回目、ついにアームが白い猫の胴体を挟み、景品口へ落ちる。
ゴトン。
凪がしゃがんで取り出すと茉白に差し出した。
「はい」
差し出されたぬいぐるみを、茉白は見下ろした。
「……別に欲しいって言ってない」
「知ってる」
「じゃ何で」
「三回見てたから」
「それだけ?」
「それだけで十分じゃない?」
茉白は黙る。
こういうところだ。
いちいち、何かが引っかかる。
「……メロ」
思わず小さく漏れた。
「ん?」
「何でもない」
「今なんか言った?」
「言ってない」
凪の声が楽しそうに弾む。
「メロって聞こえた」
「……耳いいね」
「褒められた?」
「違う」
凪が笑いながらぬいぐるみを押しつけてきた。
「じゃ、それ持って」
「何で命令」
「せっかく取ったから」
「いらん」
「捨てる?」
「……」
茉白がぬいぐるみを見る。微妙にブサイクでそれが悪くない。
「じゃ持つ?」
「…………べつに欲しくなかったけど」
「うん」
茉白は白猫を受け取る。
柔らかい。
思ったより触り心地がいい。
抱えた腕に知らず力がこもる。
凪がそれを見て、少しだけ目を細めた。
「似合う」
「何が」
「ぬいぐるみ」
ぬいぐるみと言いながら茉白だけを見ている。
「似合わんでしょ」
「かわいい子がかわいいもの持つとかわいい」
「語彙死んでんじゃん」
「茉白に使い切った」
「いつ」
呆れながらも、茉白はぬいぐるみを返さなかった。
*
ゲームセンターを出る頃には、窓の外の光が少し橙色に変わっていた。
駅へ向かう途中、テイクアウトのドリンクを買おうと日菜が提案する。
日菜と颯真は店内へ。茉白と凪は外で待つ。
春とはいえ、夕方の風は少し冷たい。
茉白は白猫を片腕で抱えながら、スマホを見ていた。凪はそんな茉白の横顔を見ている。
「寒い?」
「別に」
即答。しかしわずかに鳥肌がたって身が縮こまる。
凪は何も言わない。
そのままふわりと茉白の首元に自分の撒いていた薄手のストールをかける。
「……は?何してんの」
「寒そうだから」
「寒くない」
「首縮めてた」
「癖」
「手も冷たそう」
「見ただけで分かんの」
「なんとなく」
茉白はストールを外そうとする。
しかし、首元を暖めると思ったより温かい。少しだけ悔しい。
「いらん」
「じゃあ返して」
凪が手を出す。
茉白はしばし凪を見つめてストールを引き寄せるようにつかんだ。
「……あとで」
「うん」
凪は笑った。
それ以上何も言わない。
「なに」
「いや」
「笑うな」
「かわいいなって」
本日何回目。茉白は握りしめていたストールを外そうとする。
「返す」
「ごめん」
凪は反省していない。視線が茉白から外れない。中途半端にスマホなど見ず、目の前にいる茉白を尊重しようとしている。
茉白はストールを巻いたまま、ぷいと顔を逸らした。スマホばかり見ていた自分が小さい気がして少し恥ずかしい。
茉白の視線の先。
ショーウィンドウに映る自分を見る。
片腕には胸に納まる白猫のぬいぐるみ。
首には男物のストール。
ものすごく、らしくない。
なのに、嫌ではなかった。
それが一番、気に入らない。
*
「今日はありがと!」
日が沈みかけ、街灯が一つずつ点き始めている。
日菜は満足そうだった。
颯真も穏やかな顔をしている。
「茉白、楽しかった?」
茉白に腕を絡め、嬉しそうに笑顔を向けてくる日菜に、いつものとおり茉白が答えた。
「まあ」
「その『まあ』は楽しかったやつだ!」
「勝手に決めんな」
意にも介さず日菜が、絡めた腕にぎゅっと力を込めて茉白に寄りかかる。
「また四人で遊ぼ!」
「考えとく」
「絶対ね!」
「はいはい」
いいとは言っていない、だから嘘はついていない、誓って。
日菜と颯真は反対方向の電車だ。
二人が改札の向こうへ消える。
茉白は白猫を抱えたまま、時刻表を見あげた。
「俺ら同じ方向」
隣から凪の声。
「やっぱり?」
「嫌そう」
「別に」
「じゃ一緒に帰ろ」
凪が片手を差し出す。もちろん取らずにホームへの階段を上る。
「勝手にどうぞ」
横に並ぶことまで拒否する気はもうなかった。
電車を待つホーム。
休日の夕方らしく混み始めている。
人が増えてくる。
後ろから大きな荷物を持った集団が通り、茉白が少し押された。
こけるかも。そう思った時、肩へ軽く手が添えられた。
「こっち」
茉白を人の流れから避けさせる。
触れたのはほんの一瞬。
すぐ手は離れた。
「……ありがと」
言ってから、自分でも少し驚く。
今日初めて、まともに礼を言った気がする。
凪も少し驚いた顔をした。
「ちゃんとありがとう言えるんだ」
「……は?」
「嘘嘘。ごめん」
「調子乗んな」
不機嫌な声で言う茉白を柔らかく凪が見る。
「でも嬉しい」
「安いね」
「茉白からだから」
「はいはい」
電車が到着する。
並んで乗り込み、ドア付近に立つ。
白猫を抱えた茉白は、窓に映る自分を見る。その隣に凪。
高いな、身長。
改めて思う。
「そういえば」
凪が口を開く。
「連絡先交換しない?」
「何で」
「今日知り合いになったから」
「目標達成?」
「うん。次は友達」
にこにこと微笑む凪を見て茉白が視線を逸らす。
「段階踏むんだ」
「現実的でしょ」
「いらん」
凪は顎に手を当てて考えるそぶりをしてから頷いた。
「じゃ日菜ちゃん経由で連絡する」
「それ一番だるい」
「じゃ交換しよ」
「……」
茉白は少し迷う。
断ってもいい。
今日会ったばかりで軽口が多い。
距離感も妙。
何より、いちいちメロい。
面倒くさい。
なのに、不思議と、完全に嫌ではなかった。
「……QR出して」
「やった」
「喜ぶな」
「嬉しいもん」
「きも」
「知ってる」
スマホ同士を近づける。
画面に表示された名前。
『一ノ瀬 凪』
アイコンは夕焼けの写真だった。
茉白は少し目を留める。
「これ、自分で撮ったの?」
「うん」
「へえ」
茉白が興味無さそうにスマホをスワイプして登録している。
「アイコンのこと聞かれたの初めて。写真好き?」
「別に」
「その返事今日何回目?」
「数えてない」
「俺は結構聞いた」
凪は自分の画面を見る。
「茉白のアイコン、猫?」
「駅前にいたやつ」
「飼ってる?」
「野良」
「撮ったの?」
「うん」
凪はスマホをじっと見つめた。
「上手いね」
「スマホだし」
「そうじゃなくて」
茉白が顔を上げる。
凪は画面を見ながら、何でもないように続けた。
「なんか、目線がいい」
「……何それ」
「猫かわいいって撮っただけじゃなくて、その場所ごと好きだった感じする」
言葉が引っ込む。
茉白こそそんなことを言われたのは初めてだった。
写真を褒められたことはある。
でも『上手い』とか『映えてる』とか、そういう言葉ばかり。
凪の言い方は、少し違う。
「適当に撮っただけ」
「そっか」
否定しない。
「でも俺は好き」
また簡単にそういうことを言う。
茉白は目を細める。
「何でも好きって言うじゃん」
「何でもじゃないよ」
「信用ない」
「今日二回目」
凪が吹き出すのを居心地悪い思いで見る。
「増えるかもね」
「じゃ信用貯めないと」
「頑張って」
「応援してくれる?」
「しない」
凪が笑う。
茉白は窓の外を見る。
街の灯りが流れていく。
今日一日、思っていたより疲れた。
そして。
思っていたより、楽しかった。
それを認めるのは癪なので、心の中だけにする。
茉白はぬいぐるみを抱く手にまた少し力を込めて、顔を半分だけ埋めた。
*
風呂を終え、ベッドへ寝転がった茉白のスマホが震えた。
『今日はありがと』
『白猫かわいがってね』
茉白はベッド脇を見る。
ゲームセンターで取ってもらった白猫が、枕元に座っている。
「……何でここ置いたんだっけ」
自分で置いたくせに呟く。照れくさいようなむかつくような不思議な気分でフリック入力をする。
『別にいらなかったけど』
送信。すぐ既読。
『でも持って帰ったじゃん』
『捨てるのもったいないし』
『優しいね』
『は?』
『物に』
『寝る』
『おやすみ』
一度スマホを伏せる。
数秒後、また震える。
「……何」
口に出してから画面を開く。
『笑った顔、かわいかった。今日のMVP』
「……」
茉白は無言になる。
プリクラ。あの時か。
『きも』
送ってから少し考えて追加する。
『女全員に言ってる絶対』
返事はすぐには来なかった。
別に待ってはいなかったが、ふたたび着信すると茉白は即メッセージを開く。そう、今は暇だから相手する。
『言ってないよ』
『少なくとも今日、一番かわいいと思ったのは茉白』
「……」
スマホを伏せる。
枕へ顔を埋める。
「メロ男かよ……」
誰にも聞かれない声で呟く。
何が腹立つって。
おそらく本人は、これを大したことだと思っていない。
さらっと荷物を持つ。
人混みでは自然に庇う。
寒そうならストールを貸す。
欲しいと言っていないぬいぐるみを、見ていたというだけで取ってくる。
そして何でもない顔で、かわいいと言う。
全部が自然。
全部、いちいちメロい。
けれど、距離を詰めるくせに、一歩引けば追ってこない。
嫌だと言ったら止める。
触れる時は必要な時だけ。
思っていたチャラ男とは、少し違った。
―――そこまで考えて。
「……知らん」
茉白は思考を打ち切った。
スマホを充電器へ繋ぐ。
白猫を見た。
「お前のせいだから」
ぬいぐるみは当然、何も答えない。
その頭を何となく指で押す。
微妙にブサイクな顔を見て、少しだけ笑った。
※
『どうだった?』
颯真から届いたメッセージを見て、凪はベッドの上でスマートフォンを弄っていた。
『何が』
『黒瀬さん』
『かわいかった』
『それは聞いた』
『面白い』
『一ノ瀬』
『何』
『あんまり遊ぶなよ』
凪の指が止まる。
しばらく画面を見る。
それから。
『遊んでないよ』
送る。
少し考えて、もう一度入力する。
『珍しく、普通に気になる』
送信。すぐ既読。
真面目な親友。彼女にいい顔したいとかそんなことではなく、たぶん本気で心配してる。
『余計心配なんだけど』
予想通りの答えに凪は吹き出した。
けれど笑いながら、今日のプリクラを開く。
日菜が焦って、颯真が苦笑して、自分がいる。
そして。
ほんの少しだけ笑っている茉白。
凪はその顔をしばらく見つめた。
第一印象は、確かにかわいいだった。
けれど今は、それだけではない。
興味なさそうな顔をしながら、日菜のことをずっと目で追っていた。
欲しいとは言わないのに、ぬいぐるみを何度も見ていた。
礼を言う時だけ、少し目を逸らした。
自分のことには無頓着そうなのに、人のことはやけによく見ている。
「……なんか気になるんだよな」
独り言のように呟く。
理由は、まだ分からない。




