月蝕傀儡
黒獅子は道なき道をひた走る。経過時間からティルたちはとっくに儀式場へ辿り着いているだろうとあたりをつけ、直接突入するために儀式場の窓を目指して山を回り込んでいるところであった。
「外の見張りが動いた様子はありませんね……。上手く忍び込んで首謀者の夫婦だけ相手に出来たら、ティルさんシユエさんだけでも制圧できている可能性もあるのでは?」
「そんなわけがあるか。その程度の連中ならばこの都は今日まで存続していない。ティルに成り代われると考えただけの何かを、奴らは持っているはずだ。」
遠眼鏡で様子を伺った透子が、道具をネメシアに返却しつつ希望的観測を口にする。それをすげなく切って捨て、ネメシアは進行方向を睨んだ。
森が途切れ、岩肌の露出した地面に変わる。穴だらけの岩肌と、その手前に造られた簡素な砦も見えてきた。
「飛び越えろ!」
「あいよ!!」
速度を落とすことなく、大きな弧を描くように黒獅子が飛ぶ。ティルと戦うことしか想定していない薄っぺらな防衛基地の上を悠々と通り過ぎる獣を、兵士たちは成すすべなく見上げるばかり。通り過ぎるついでにネメシアが何発もの雷を振らせれば、砦は瞬く間に火の海と化した。
「容赦ねえー!」
「乾いた竹はよく燃える。あの灼熱の中では再生も遅かろうし、這い出るには瓦礫が障害となるだろう。他の防衛拠点は距離があるから、あそこさえ潰しておけばブーシウどもとの戦いに邪魔は入らん。」
口笛を吹き鳴らして囃し立てる零毬と対照的に、ひたすら冷徹な少女は己が生み出した惨事に目もくれず目的地を見据える。儀式場の大窓に近づくと争っているような声が聞こえ、いざ乱入と黒獅子が跳躍準備で一瞬だけ静止したその時、逆に大窓から飛び出してくる者たちがいた。
「あッ、竹野郎とシユエじゃねえか!! 何やってんだ、なんだその大荷物!?」
ずしん、と重量を感じさせる着地をしたティルは左腕にシユエを抱え、右手に竹製の大きな箱を担いでいた。箱は水の一滴も漏らさないほど隙間なく竹が組み合わさったもので、ティルの能力で構築したものと察せられた。
「この中にホゥユエと器を匿っている! 奴らは某の力を一部使えるようになっていたのだ!! 干渉されて開花できない、手を貸してくれ!!」
ティルの叫びが終わる前に、激しい音を轟かせて岩山の一部が内から吹き飛ぶ。砕けた岩が雨あられと降り注ぐ中、儀式場だった場所からずるりと這い出てきた巨体が月を遮る。
鹿のように枝分かれした角、鰐のように大きな口には鋭い牙が並び、蛇のように細長くのたうつ胴体には凶悪な爪を備えた四肢。広げられた両翼が天を覆い闇を生む。
有翼の龍――この地の古い伝承より応龍と呼ばれる霊獣だ。応龍の姿を象った枯竹の傀儡が、ネメシアたちを見下ろしていた。
「奴ら、近くにいた兵士や仲間を竹に変えてあの傀儡を造ったんだ! 中に隠れてるはずだよ!」
「……なるほど。よく見れば兵士の鎧や武器も傀儡の一部として組み込まれている。翼の皮膜は絨毯か何かだな。ティル、貴様よりあちらの方が応用がうまいぞ、見習え。」
「言ってる場合かよ主サマ!」
零毬のツッコミとほぼ同時に襲い来る龍の爪。めいめいに回避行動をとり爪は地面を削るにとどまったが、
「暗すぎますぅ!! 月明りがないとなんにも見えませんよぉ!?」
現在時刻は深夜、現在地は光源一つ無い岩山の斜面。傀儡の落とす影の中は、常人には見通しようのない暗闇となっていた。
「零毬、視界に不自由は!? ティルは動けるか!」
「こんくらいは問題ない!」
「……すまない、某は無理そうだ。この箱を奪おうと干渉が続いている、守るのに集中させてほしい。」
「ふむ、透子! 零毬から降りて武器を出せ! 魔法でも何でも使って死ぬ気でティルを守れ!!」
「はいぃ!!」
主が飛ばす指揮に、黒獅子が素早く大男の傍へと動く。ネメシアは透子と一緒に滑り降りたかと思えば、ティルからシユエを取り上げ黒獅子の背へと放り投げた。
「うわあ! な、なにするんだい!」
「戦闘力皆無の貴様は邪魔にしかならん。大人しく零毬にしがみついていろ。零毬はシユエの護衛として回避に専念、余裕があれば透子の手助けに入れ!!」
「主サマはどうするんで!?」
「私は奴にひたすら攻撃する。現状、上空に攻撃できるのは私だけだからな。」
そう言って、右手に黒い剣を召喚した少女が敵を睨む。月を背に、覆い被さるように見下ろしてくる傀儡から嘲笑が降ってくる。
「何かできるとでも? ちっぽけな小娘が!」
「金舵から何も聞いていないのか?」
反応を待たず振り抜かれた剣から稲妻が舞う。ほんの瞬きの時間周囲を照らし、傀儡の胴体を光の矢が穿ち巨体を揺さぶった。焼け焦げた竹の破片と火の粉がばらばらと降り注ぎ、攻撃した少女本人も含め下にいた者たちが逃げ惑う。
「主サマ雷はちょっと!! アレが燃え落ちてきたら俺たちもただじゃすまないって!!」
「むぅ……わかった、だが翼だけは燃やした方がいいだろう? 視界を確保せねば透子が動きづらい。」
「燃やすんじゃなくて、普通に切り裂くのはダメなんですかぁ!?」
「雷の刃を作って飛ばしているのだぞ! 可燃物に当てたら燃えるのは必然だろうが! それとも何か、奴の背に登って直接切り落として来いと!?」
「主サマならできそうだけどなあ、っと!!」
言い合っている最中にも龍傀儡の反撃が始まった。剣や槍を爪のように生やした龍の手が獲物を引き裂かんと迫り、大槌を構えた透子がそれを迎え撃つ。
「大地の精よ、我が身に力を、山の如き不動の加護を!!」
魔法を重ねて強化した身体能力を存分に発揮し、振り抜いた大槌で龍の手をひしゃげさせた。魔法で生成された武器は薄く光っているが、明かりとしての恩恵は微々たるもの。闇の中へ退いていく手を見送り、頭上の竜へと目を凝らす。たまの身動ぎで差し込む月光以外は、音と風だけが彼女が敵の動きを知る術だった。
一方夜目の利く零毬は闇の中を昼同然に駆け回り、巨大な手をすり抜けるように躱し続ける。焦れた敵が狙いをティルや透子に移せば途端に反転攻勢、体当たりで攻撃を逸らし竹でできた指を噛みちぎり、と己の特性を存分に活用し立ち回っていた。
「なんなんだ、なんなんだお前らはぁ!? 揃いも揃って化け物だったのか、月の神を取り返しに来た月の使者だとでもいうのか!!?」
「いや、俺たちとあいつは関係ねえよ。てめえらが思ってるより世界は広くて色んな奴がいるってだけだ。あと俺は人間だからな!!」
「嘘をつけぇ!!」
「そりゃちょっと無理があるんじゃないかい!?」
「うちも人間のくくりに入れてくださいぃ!!!」
敵とシユエから同時に否定の声が飛び、一拍遅れて透子が抗議する。その一瞬、敵の意識が逸れた隙にネメシアは巨大な龍の足元へともぐり込んだ。体部分に負けないくらい長大な尾と両足で全体を支えているらしく、破壊すれば傀儡は容易に崩れ落ちるだろうが、そうすると零毬たちも巻き込んでしまうのは明白。
(ハリボテのくせに面倒な……)
内心悪態をつきながら少女は龍の背に登る。無駄にこだわった造形のおかげで手がかり足がかりに困らず、あっという間に翼の根元まで辿り着き、翼膜に剣を突き入れた。そのまま翼を支えている骨組み部分を駆け抜ければ闇の緞帳は切り裂かれ、月光が地を照らす。
「な、あッ! いつの間に!?」
やっと事態に気づいたブー夫妻が龍傀儡を操りネメシアを振り落とそうともがくが、彼女は裂いた翼膜の端を掴んでぶら下がり、さらに切れ目を入れた。重さと揺れで布は音を立てて破れ穴が広がり、ついでに少女の体も運ぶ。身をよじる龍傀儡の背に再び取り付いたネメシアは、今度は一息に龍の頭上に跳躍、落下の勢いそのまま眉間に黒い剣を突き立てた。
中から小さな悲鳴が聞こえ、傀儡の動きが止まる。
「貴様らは全てにおいて見掛け倒しなのだな。立派な都も、信仰も、立ち振る舞いも、この傀儡も。外側だけごてごてと飾り、繕って、一枚めくればゴミ同然。今の戦い方もそうだ。貴様ら、自ら戦場に立ったことが無いな? 他人を騙し動かしてすする甘い汁はさぞかし美味だったろうな?」
呆れと嘲りを滲ませた声で語りかけながら、少女は一度剣を引き抜き、龍傀儡の顔を削ぐように一閃。ちょうど眼球のあるあたりに収まっていたブーシウ、ブービエンの姿が露わになる。引き攣った顔で少女を仰ぎ見る二人に剣を突きつけ、
「“伏せ”だ。犬のように、この傀儡を地に下ろせ。損得勘定が出来る頭はあるのだろう、今逆らっても損をすると分かるはずだ。それとも痛みがなければ従わない馬鹿犬なのか? 鞭が欲しいならくれてやるが。」
まさしく言うことを聞かない馬鹿犬を見るような目で、ネメシアは命じた。
夫妻が目配せし合った瞬間に武器に雷を纏わせ追加で脅せば、ゆっくりと龍傀儡が身をかがめ始めた。ゆっくりゆっくり見える景色が地面へと近づき、作り物の龍は完全に地に這いつくばる。遮るものがなくなり月光が白く照らす中を、影と同化しそうなほど黒い巨獅子が駆け寄ってきた。
「手こずるかと思ったら随分あっさりだったなあ。せっかくの巨体なのに二本の腕しか動かさねえし、すっとろいし、直線的に追いかけてくるだけだし。まあ、ティルも逃げ方が小賢しいくらいで強いわけじゃなかったし、あれに勝って調子乗ってる時点でこんなもんか。」
「まさかこれほどまでに蓄えた力を、見せかけだけのハリボテに注ぎ込むほど阿呆とは思わなかった。最初真面目に警戒した私が恥ずかしいだろうが、ふざけたことをしよって……」
獅子に咥えられ傀儡から引きずり出された男女は抱き合って情けなく震えており、それを見下ろし理不尽な苛立ちをぶつけつつ、ネメシアはさっとティルの方を伺う。
竹の箱はほどけるように開き、匿っていた少女と盃のような形をした器が、月光を浴びて白く光る。器の中には少女と共になみなみと水が入っており、逃げてくるときに多少溢れたらしく周りが濡れていた。
「どう? 開花できそう?」
「ああ、始めてしまおう。」
シユエが零毬の背中から滑り降りてティルのそばへ寄っていき、器を覗き込みながら問えば肯定が返った。ティルの大きな手が水に沈む少女をそっと撫で、一呼吸分の沈黙を置いてから、その手は静かに天へと伸ばされる。濡れた肌が月光を反射するのを視認したか否かという瞬間、目の前は白に塗りつぶされた。
「きゃっ!」
「うわ、まぶしっ」
零毬や透子の声で、ネメシアはシユエの昔話にこんな描写があったと思い出す。こんなものがただの月光なわけがないだろうがと思いつつ瞼を閉じ、瞼越しでもまだ見える白が落ち着くのを待とうと体の力を抜いた。
直後、首筋を逆撫でた危機感に剣を振り抜くのと、誰かが彼女の服の背を掴み引き倒したのは全く同時のことだった。
轟音に耳が塞がる。
光が収まる。
視界が復帰して即座に周囲を確認すれば、彼女は人の姿に戻った零毬に抱えられるように倒れていた。これは気配や手の感触でわかっていたからいい。すぐ近くには透子も転がっており、彼女も零毬の手に引かれたらしく、3人揃って結界に包まれていた。零毬の篭手に仕込んでいた自動防御が働いたのだ。
「何が起きた……?」
身を起こして目に入ったのは、無数の枯竹。地面が見えないほど大量で、なおかつほとんどが砕け散って原型も残っていない。
右手に握っていた剣を見下ろす。
先ほど、何に危機感を覚えたのか。
先ほど斬ったのは――。
「最後の最後に悪あがきかよ、意味もねえのに! やっぱり痛い目見とくか!?」
よくわからないが何かしたとしたら夫妻しかいない。そう判断した零毬が怒鳴り、取り押さえようと立ち上がる。ブーシウもブービエンもボロボロで体は再生の真っ最中だ。それなのに、零毬より早く血塗れの手を伸ばしブービエンが、妻であるはずのブーシウに掴みかかった。
「なんてことしたんだ……! 皇帝陛下に献上する水をダメにしてどうする!?」
「うるさいねぇ! あいつさえ逃がさなきゃいいんだ、時間はいくらでもあるんだから!! 媚を売るのは次の皇帝にだっていい! 開花されてたら全部おしまいだったんだ、あたしの判断力に感謝しな!!!」
これまでの品のいい振る舞いなどかなぐり捨てた、おそらく素の言動で夫を突き放し、突き飛ばすブーシウ。盗人らしい開き直りの言葉が示す意味に気づき、ネメシアたち三人は一斉に振り返った。
無数の枯れ竹の海を三対の視線が泳ぎ、そしてすぐ、動きのある一点に集まる。グラグラと揺れ、さらに持ち上がった小山のようなそれから、乾いた音を立てて枯竹の破片が落ちてゆく。
まず見えたのは器。その陰からティルが顔を出し、彼の抱える少女たちが無事であることもわかった。
「器を盾に……? あれどんだけ頑丈なんだよ、っていや、そうじゃねぇッ! 何やってんだ、開花の条件は――!」
「生命の水はなくなった!! 今夜、お前が還る手段は失われた!! 今夜もあたし達の勝ち……ギャアッ!!!」
「黙ってろッ! “勝手な行動は全て禁ずる”!!」
ティルを指差し高笑うブーシウへ飛びかかり殴り倒し、隷属の陣を刻んだ石杭を突き刺す零毬。
「ま、待て、わしはもう逆らう気は、いてえぇ!!」
完全に戦意を喪失したブービエンにも容赦なく同じ処置を施した後、一連の荒々しさを引っ込め、機嫌を伺うようにそろりと主たる少女へ視線を向けた。
「すまねぇ主サマ、先にこうしときゃ良かった。」
「良い、気にするな。引きずり出してすぐ視界不良に陥ったから仕方あるまい。むしろ失態を犯したのは私の方かもしれん。おいブーシウ、先ほどの閃光に乗じて龍の尾を操り、我々を叩き潰そうとしたな。……やはりか。私が反射的にぶった切ったばかりに、空中分解した傀儡が一面に降り注いだのだな。」
「いやぁ、斬っても斬らなくても同じだったと思うけどな? だがどうする、ブーシウの言う通り、開花できないなら実質……その、負けっつうか……ここでさらに十年待つ気もねえだろ?」
「当たり前だ。まあ、まずは当人に確認してからにしよう。」
そう言って歩き出した主に従い、ブーシウたちを引きずってティルの傍へと零毬も歩いた。先に行動を起こしていたらしい透子が泣きそうな顔で振り返り、器を示す。
「あのぅ……頑張って魔法で水をかき集めたんですけど、力は散ってしまったみたいでぇ……しかも、月の力を受け取れるのは十年に一度だけ、今日、再挑戦とかはできないそうなんですぅ…………」
「……そうか。」
水面には不思議なことに、空で眩しいほど輝いている満月は映っていなかった。 代わりに水面の縁をなぞるように、大きくも細い三日月型の金色の光が浮かんでいる。
「この光は何だ?」
「器に残っている力の量だ。月の光は水に溶けることで器の中にとどまり、扱えるようになる。開花するためには、光が溶け込んだ水からさらに器へと力を移動させる工程が必要だった。」
「それを邪魔されたわけか。」
「――――ッ最後の最後によくも!! 私たちをまだ苦しめ足りないっていうの!!?」
拳を固く握り締め、肩を震わせていたシユエが、猛然とブーシウに掴みかかる。零毬はさっと離れて好きにさせてやりつつ見張っていたが、ブーシウは髪を引きちぎられ頬を打たれながらも「出し抜いてやった」とでも言いたげな、勝ち誇った目をし続けていた。それが主たるネメシアにも向けられていることに強い不快感を覚え、不死身だし腕一本ぐらい誤差だよなと半獣化し爪を向けたその時。
「…………ふふっ。」
傍らから聞こえた、場違いに軽やかな笑い声に零毬は振り返る。予想外に上機嫌そうなネメシアを見て、目を瞬かせた。
「主サマ……?」
「ふふふ。いや、これはこれで好都合だなと。」
その言葉の意図を読み取れず、ネメシア以外の者達がポカンと固まる。周囲の様子に頓着することなく、ひとしきりころころ笑った少女はティルの隣にしゃがみ込み、白い指でつい、と器のふちをなぞった。
「器に力さえ満たせば開花できるのか?」
「……できる、が、十年かけて蓄えられる力だぞ。 そんな膨大な力をどこか、ら……」
やや投げやりな態度で応えていたティルが急に言葉を切り、ハッとしたようにネメシアを見返す。笑みを深めた彼女の手のひらには小さな夜空がある。
あれほど労力を費やして取り返したグリフィスを、求めた本人である少女がその手で、そうするのが当然と言わんばかりの自然さで器へと放り込んだ。
ぽちゃん、と水音。
広がる波紋。
揺れる水面がふと不自然に凪ぎ、静かに、滑らかに三日月が肥えてゆく。 その様はまぶたが開き瞳があらわになるのに似ていて、誰かの目覚めを連想した零毬は、ティルが満月のごとき金の目をしていたことを思い出した。
水面の月が完全に満ちる。ホゥユエを抱えたまま、ゆらりと立ち上がった巨人がその中へ足を沈め腰を下ろせば、当然水は溢れて流れる。流れ落ちた水は地面に染み込むことなく、意志があるかのように細く枝分かれしながら広がっていき、見渡す限りが光の根に覆われていく。
「……あぁ、ああああぁぁああ!! なんて、なんてこった、この人殺しどもが!!!」
ようやく状況を飲み込んだブーシウが絶叫しながらネメシアに手を伸ばし、術に縛られべしゃりと這いつくばった。その体にも光の根は侵食し、ブービエンやシユエも同様だ。
「都の住人全員が! 今夜! あんたたちのせいで死ぬんだ!! ひどい、ひどいじゃないか、あたしたちはここで一生懸命生きてきただけなのに、 この鬼ども!! 大悪人!!! なんとか言え人殺し!!!」
「先ほどまで得意になっていたとは思えない喚きぶりだな。一度勝ち誇ってから盤面をひっくり返された気分はどうだ? 私は貴様らのような輩が大嫌いなのでな、ぜひ最悪な気分で逝ってくれ。」
わざわざ近づいて目線まで合わせ、わざとらしく無邪気な満面の笑みでブーシウを煽るネメシア。罵倒に対する返事とは思えない言葉に呆けた女の顔が、ぱきぱきと音を立てて別の何かに変わりだす。
「あ、い、いやだ、いや、いぃぃぃぃィイイィィィ――――――」
恐怖と絶望と哀願を織り交ぜた悲鳴は、肉体の変貌とともに甲高く引き伸ばされ、聞き苦しく歪み、やがて聞こえなくなった。そこにあったのはもはや人間ではなく、服を引っ掛けた一本の竹。色は人肌そのままの生っ白さなのが、硬質で節くれだった質感と乖離して気味が悪い。
「わしらの楽園が……永遠が…………」
往生際悪くぶつぶつ言っていたブービエンも竹へと変じて静かになり、怨敵の破滅を見届けたシユエは満足そうに笑い、ティルに歩み寄る。少女の体もすでに半分ほど変化しており、その足運びはひどくぎこちない。
「やっとここまでこれた。……やっと、やっと全部終わる。 今度こそお別れだね、ティル、ホゥユエ。」
「シユエ……今まで、す…………いや、ありがとう、だな。本当にありがとう。さようなら。」
「こっちこそありがとう。ホゥユエ、最後だし、これあげる。」
ティルの腕の中、相変わらず眠り続けるホゥユエの尻尾に、シユエが薄い布切れを結びつけた。 ネメシアから借りたものの儀式場乱入時に破れてしまった紗の切れ端だった。端についたままの小さな鈴が、ちりちりと控えめに音を奏でる。そっと立ち上がり、一歩下がったシユエは、
「さよなら!」
幼い頃のように笑顔で別れを告げ、ついに物言わぬ竹となった。
人が転じた植物もどきはざわざわと揺れ、葉の間から稲穂に似た何かを伸ばす。その正体を問うより先に、それは弾けて光を撒き散らし始めた。眩い満月にも負けない燐光がふわりと舞い、ティルへと吸い込まれていく。
「……なんだ? 星が……」
誰に聞かせるでもない、思わずこぼれたような零毬の声に、ネメシアは視線をティルから剥がし空を見上げた。月が明るすぎて夜空にしては淡い紺色が広がり、さっきまでかき消されそうだった星々がやけに輝きを増しているように見え……と、その実態を理解した少女が目を見開き身構えた。
ごう、と風が鳴る。輝く星々がティルへと殺到する。いや、それらは星ではなかった。先ほどの燐光と同じものがいくつもいくつも、都のみならず、この異界全体から飛来しているようだった。光を受け止めるティルの表情は伺えない。しかし、彼の枯竹色だった髪は命を吹きこまれるかのごとく青竹色に染まりつつある。人ならざるネメシアの目には、異界中に拡散していた生命力が、源たるティルに回帰していく様をはっきりと捉えていた。
(竹という植物は根を伸ばして増え、一個体で林を作り上げると聞く。この空間も、都の人間どももティルという一個体に内包されたものだったわけか……)
やがて命の光を平らげたティルが、座したまま体をひねり一行に向き直る。髪は生き生きとした青竹色に染まりきり、萎びたように細かった体は筋肉が膨れ上がってまるで別人。月暈の如き光の帯が彼の周囲を漂い、羽衣をまとっているように見えた。
「それが、貴様の真の姿なのだな。」
「なんと礼を言えばいいのか、言葉が見つからない……しかし、よかったのか。あの石を取り返すために、あなた方はここまで来たのでは?」
「構わん。私のものを他人に好き勝手されるのが我慢ならないのであって、私の意志で使い道を決めるなら何の問題もない。」
「そうなのか。」
けろりと答えた少女にティルは安堵を滲ませ、そして静かに月を見上げた。つられて見上げた空高くからは、無数の星屑が川の流れのようにうねりながら降りてきている。もうすぐここまで届くだろう。
「迎えが来たようだ。本当に世話になった、ありがとう。では、さらばだ。」
その言葉が紡がれ終わった直後、流れ落ちた星屑の川が天と地をつなぐ。風が竹林を吹きぬけた時のような、サラサラと涼やかな音を奏でて輝く粒子が地面に広がり、くるぶしが浸かるくらいの浅瀬を作り出した。温度を持たない、空気よりは重く、水よりは軽い感触が肌を撫でる。驚いた零毬や透子が足を動かせば、動きに合わせてキラキラ、小さな星々の飛沫となって散っていく。
転がる石や積もった枯葉には何の干渉も見せず、星屑の川は大男の乗った大盃だけをその流れに攫った。見た目に反して軽やかに浮き、波に揺られる盃舟を乗せて光の奔流は時が逆巻くように空へと戻っていく。ティルは遥か彼方の真っ白な月を見上げ、それ以降ネメシア達の方を振り返ることなく天へ昇っていくのだった。
「……主サマ、あの竹野郎はともかく、虎娘の方はどうなるんだ? 約束は果たされんのかな。」
「どうだろうな。さっき見えた限りではあの娘、竹にこそなっていなかったが、体は崩壊を始めているようだった。」
瞬く間に遠くなる綺羅星の群れを目で追いながら、零毬は傍らの主に問う。彼にしては珍しい心配するような声色なのは、『人外に振り回されたもの』としての共感や同情が嘘ではないからだった。対するネメシアは『常命のものに執着する人外』としてティルの内心を推量し、同調しつつも己の眼で見た事実だけを答えた。
ほのかな悲しみを共有しながら、一行は何となしにティルを見送り続ける。やがて空を往く影が月と重なって見えなくなる、その寸前。たなびく星屑の川の端がふと何かを象った。
「あっ! あれ、ねえ見ました!? 今の!」
「遠くてはっきりわからねえが、四つ足の動物っぽかったよな?」
「………………そうか。共に行くことを選んだか。」
不思議と、その『何か』はホゥユエであるという確信があった。
(生死の隔たりを超え、世の理に背いてでも共に在りたい。そう願うのは簡単だが、叶えることはひどく難しい……幸運なことだ。貴様も、私も。)
眩しげに目を眇めて月を、そこにいるだろう二人を見上げたまま、ネメシアの手は無意識に想い人の方へと伸ばされる。急に手を握られた零毬は少し驚いてネメシアの方を見たが、彼女の横側に穏やかな微笑みが浮かんでいることに気づくといったん口を閉じ、再び月に顔を向けた。
「せっかく俺達が味方してやったんだ。いい結果になってくれたほうが、俺たちも気分がいいってもんだよな。」
「……ああ。」
「あいつらもずっと一緒に過ごすんだろうな、俺たちみたいに。」
「あぁ、そうだな。……そうだといい。 」
同時刻、上空。きらめきを散らす天の川に運ばれ、白い月がぐんぐんと近づくにつれて、ホゥユエの身体は末端からボロボロ崩れていく。竹には変じず、しかし花と同じように燐光を吐き出し続ける少女の身体を、ティルは必死に抱え込み続けていた。彼の身体は既に生命力で満たされ、ホゥユエに貯めこまれた分は吸収されることなく宙を舞い、星屑と共にきらめく。
友だったものが霧散してゆく様を寂しげに見送るティルの腕の中、小さな奇跡が目を覚ました。
「…………ティル?」
喪失の日々はあまりに長く、声の記憶は失われて久しい。それでも、その一言だけで心は強く揺さぶられ、思い出があふれ出さんばかりに脳内を駆け巡る。おそるおそる覗き込めば、白い虎娘の金眼と目が合った。
絶句したティルと夢現のホゥユエ、二人はしばらく見つめ合い、やがてホゥユエがふと空を見て呟く。
「白い、月……」
「ッ……! そうだホゥユエ、約束を覚えているか? いつか某の故郷に連れて行くといっただろう? 今それを果たすぞ、一緒に行こう、一緒に……!」
ホゥユエの頬にぽつり、滴が落ちる。船はとうに雲の高さを超え、月は手が届きそうなほど大きく、少女の身体はもう頭部を残すだけとなっていた。
「なんで、そんな顔してるの? いっしょに行くに決まってるじゃん……約束、したんだから…………」
「ああ、あぁ、共に還ろう……!」
微笑みを湛えたまま、少女はほろりと崩れ去る。月が空を白く染めるほど強く輝く。光に飲み込まれたティルの隣には、確かに大きな虎の影が寄り添っていた。
幕を落としたように光が失せる。
白い月も、星屑の川も、不老不死を与える化け物もすでにそこにはなく。
ただ夜明けを目前に控えた、美しい空が広がるばかりだった。




