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ネメシアの獅子  作者: 翡翠のネコ
間章 孤月の巫女と常若の都
28/28

終焉に向けて


「前置きが長い!!!」



 ネメシアの怒声にシユエと、話に聞き入っていた透子がびくっと肩を竦ませる。ネメシアの隣で胡坐をかいていた零毬も同感、という顔で頷いた。


「全部話せとは言ったが、俺たちはお前らの出会いとか興味ねえんだよ。ブーシウどもが何をしたか、何をどうすりゃ奴らの目論見を潰せるのか、そこら辺をさっさと話せよ。」

「金舵は私たちに儀式を邪魔されなければ勝ち、という趣旨の発言をしていた。満月の夜に儀式が行われるならば、もう時間の猶予はないぞ。」

「なっ! そんなギリギリだったのかい!? 言ってくれなきゃ知らないよぅずっと埋まってたんだから! ええとじゃあとにかく急いでまとめるよ……」


 さて肝心なところを要約してもらうと、大体は予想した通りの内容であった。

 奇跡を目の当たりにした村人はティルを神と信じて崇め、命の水なるものを与えられたシユエを巫女として扱うようになった。

 時が流れるうちシユエが不老不死となっていることが判明し、月神信仰は神秘性と説得力を増して口伝に広まり、村をじわじわと活気づかせていく。人が増え入れ替わっていく中で、手の届くところに餌があれば、悪心を持つものが紛れ込むのも当然のことだった。


 百年も過ぎれば当時を知る者はいなくなった。シユエの味方も。


 それを見計らったかのように不老不死を求めた人々が動き出し、能力は人並みのままな少女は成すすべなく捕らえられ盾として使われた。欲深な者たちはティルから器を、命の水を、ホゥユエを奪い取りお社から追い出し、嘘の歴史と信仰ですべてを覆い隠した。

 嘘や神秘や欲に惑わされ、不死の民はゆっくりとだが増え続け、村は都へと成長。人手や建物が充実しティルをたやすく退けられるようになったころ、シユエは用済みとしてあの、対不死者用に造られた炉に投げ入れられたのだという。


「でも私は、何度も焼き尽くされながらもこうして炉を脱出したわけよ!」

「正気の沙汰じゃねえ……」

「つまり欲深どもの頭領が、例の夫妻だったというわけか。」

「そういうこと。命の水は一口飲んだきりでもこの通り不老不死の効能がある。それでも十年ごとに欠かさず奴らが儀式を行うのは、仲間を増やすためだけじゃない。ティルよりも強い力を維持するため、そして究極的にはティルに成り代わって月の神になるためなんだとさ。」

「はあ!? 出来んのかそんなこと!?」

「妄言だな、奴らはティルとやらの眷属となっているから不死性を得ているだけだ。肥大化した枝葉が、新たに地に根を張るならともかく親の木とそっくり入れ替われるとでも?」

「それでも奴らはできると信じているみたいだったよ。」

「愚かしい……長年力を奪われ気配が薄れても、この異界の主はティルのまま揺らいでいない、それが答えだろうに。まぁそれはさておき、奴らの鼻っ柱を折るには、昔語りにあった開花とやらが鍵か?」

「そうだね。ティルが開花さえできれば、強制的にすべての力がティルに還る。私も、ブーシウブービエンも、他の都の民も、この命を返すことになるだろう。そして彼が月に帰れば常若の都はもはやこの世界に存在し得ない、奴らの楽園は、私たちの地獄は完全に崩れ去るんだ!!」

「それで、開花ってどうすればできるんですか? こんなめちゃめちゃに追い込まれてもティルさんはまだ開花していない……つまりできない状態にあるって事では?」


 透子の指摘に、途端に渋面を作るシユエ。


「それがね~……奴らに奪われている“器”が必要なんだ。そもそもブーシウたちの言う儀式っていうのが、本来開花するときにやるもので、器に水を張って満月を移すと月の力を受け取れて、器が満ちた状態で帰りたいと願えば開花が始まるんだってさ。だから命の水を奪われる前に取り返さないと、空っぽじゃ意味ないんだ。」

「器さえ確保したらいいんじゃないんですかぁ? 次の儀式まで逃げ回れば……」

「イヤ無理だろ。都の住人全員と、外から送り込まれてくる兵士たちが血眼で大男一人を追い回すんだぜ? しかもこの異界は主サマの箱庭と違う、たぶんティルってやつもここから出られないんじゃねえか。限られた空間で多対一の鬼ごっこ、勝ち目がねえだろ。


何より、主サマが奴らを叩き潰したいって言ってんだ。とっとと叩き潰すのが俺たちの役目だろうがよ。」


 きっぱり言い切った零毬に、透子がのほほんと頷き返して笑った。


「それもそうですねえ。じゃあティルさんを連れて儀式場に突入って事でよろしいですかね?」

「あぁ。突入は夜、今のうちに腹ごしらえをしておけ、私は箱庭で待たせたままのつづらとも話をしておかなければ。」






 儀式は夜中、月が高く昇る頃に行われるとのことなので、社への潜入から今まで休みなく働いていた零毬と透子、ついでにシユエは腹を満たした後、夜に備えて休息をとることにした。

 寝室に布団を敷いて三人が雑魚寝するのを見届け、囲炉裏のある板間に戻ったネメシアの目がつづらに向く。とっ捕まってから一睡もしていないようで、据わった眼と固く温度の無い表情が余裕のなさを物語っている。


「渡した陣札を通して、今までの話は聞いていたな? で? 貴様はこれからどうする気だ。もうわかっているのだろう、金舵は奴ら、ブーシウブービエンの同類になっていること。ティルという怪物の力を取り込んだものは、常若の都を離れることができなくなるらしい。貴様らの親分が、貴様らを率いて旅路に戻る日は、もはや来るまい。」

「………………………」

「それとも、親分と同じようになってここで永遠に過ごすことを望むか? その場合私たちと敵対することになるわけだが、私に勝つ算段はあるか?」

「……あなたの御力で、親分を救うことは出来ませんか。」

「貴様は私をなんだと思っている、出来ない事の方が多いのだぞ。ましてティルとやらの力はこの世界とも私の故郷とも異なる理を持つ力だ、易々といじれてたまるか。

決別か心中か、選択肢は二つ。好きな方を選べ、どちらであっても貴様の身柄は楽団宝船と遭遇した時に解放する。」


 一方的な通告を終え、少女は興味を無くしたように視線を外し、棚から適当な書物を手にとって囲炉裏端に腰を下ろした。そのまま時間潰しの読書に没頭するネメシアをじっと見つめていたつづらだったが、やがてうつむき、何かを堪えるように拳を握り……覚悟を決めたらしく口を開き、


「少しの間、箱庭の外に出ていいですか。」






 よく眠り、食事も摂り、諸々の準備を整えた一行が箱庭を出る頃には、茜色が空を染め始めていた。

 獅子に変化した零毬の背に、ネメシア、透子、シユエ、つづらがずらりと並んで乗る。いつもより多い重量も化け獅子には負担にならない様子で、壁から壁へ飛び登り大穴を脱出し、儀式場目指して走り出した。激しく揺れる獣の背にしがみつきながらシユエは大きく息を吸い、


「ティルーーーーーーーーー!!! 

私だよ、シユエだよーーーーーーーーーー!! 

出てきて、一緒にホゥユエの所に行こーーーーーーーー!!?」


暗くなりかけた森の、木々の合間を少女の呼び声が駆け巡った。

 そう待たずして竹の鳴る音と何かの足音が近づいてくる。茂みを蹴散らして飛び出してきたティルは虎人形にまたがっており、ネメシア一行とシユエが共にいることを訝しみつつも、零毬と並走する形で会話できるくらい距離を詰めてきた。


「シユエ、長らく姿を見なかったがどこにいたのだ!? なぜその者たちと行動している!?」

「ずっとブーシウたちに閉じ込められていたんだ! この人たちが私を助け出しててくれてね。事情を話したら、奴らを潰すのも手伝ってくれるってさ!」

「……そうなのか。友人を助けてくれたこと、感謝する。しかしあの石は渡せない、ホゥユエを迎えに行くならなおのこと。」


 礼を述べつつも頑なにグリフィスを渡す気はないという態度を取る大男に、零毬が低く唸る。


「なんでティルがネメシアさんの石に拘ってるのさ?」

「シユエ、ただの石ではないのだ、あれはとてつもない力の塊だ。あれと器に満たした命の水を合わせれば、今度こそホゥユエを元に戻せるはずだ!」


 不思議がったシユエの問いに嬉々としてティルが答えた瞬間、空気が変わった。


「……何を言ってるの? 何年経ったと思ってるの? まだ諦めてなかったの!? いい加減にしなよ!!!」

「なぜそんな顔をする? ホゥユエが元通りになったら、シユエだって嬉しいだろう……?」


 少女の反応が予想外だったのか、大男は戸惑いに声を揺らした。直後宙を舞う小柄な影、疾走する獣の背から背へ躊躇いもなく飛び移ったシユエ。危険な行動に目を剥き慌てて受け止めたティルの腕の中でじたばた暴れて、甲高い声で激情そのままに喚き散らす。


「あんたは何にもわかってない!! 現状を考えてよ、たとえホゥユエが元に戻ったって、奴らがいる! 奴らは外の人間と結託して、不老不死のためにティルを飼い殺す気なんだよ!? 欲に目のくらんだ大勢の人間が敵になる、あっという間に捕まって、逃げることも死ぬこともできない、地獄だよ!!? 私はもう長いことそういう目に遭ってきた! ホゥユエを同じ目に遭わせるなんて許さない!!」

「…………そんな、それなら、どうすればいいというのだ……?」


「前にも言ったでしょ!? お別れを言わなきゃ!! これ以上奴らに利用されないように、苦しめられないように、貶められないように!! 

……ホゥユエを、解放してあげてよ!!!」


「ッ……!」


 友の必死の訴えに、彼は苦しげな顔で項垂れることしかできなかった。


「貴様の力、融通は利かんのか? 不都合な接続先を剪定したりは?」

「できない……伸ばした根を引っ込められないのと同じ、バラまいた種を回収できないのと同じだ。本能に刻まれた通りにしか扱えない……それ以外の使い方など某は知らない。……本当に、諦めるほか、ないと?」

「いっそ俺たちがなにもかもをぶち壊して、諦めさせてやろうか? もし俺がホゥユエって嬢ちゃんだったら、敵の手に渡った時点で開花してほしかっただろうぜ。人外の身勝手に振り回された同士だ、俺はシユエの肩を持つ。」



「………………………。


………………………………………わかった、腹をくくろう。


某の手で器を取り返し、全てを終わらせる!」



 牙を剥いた黒獅子の、脅しじみた発破でようやくティルが背筋を伸ばして顔を上げた。そうと決まればと、細長く節くれ立った指で懐を探り、取り出したグリフィスをネメシアへ差し出す。

 受け取ろうとした少女の手はしかし、どこからか放たれた鉛玉に邪魔され石を掴み損なった。


「主サマ!?」

「心配ない、当たらなかった!! だが……!」


 零毬はとっさに足を踏ん張り急停止、それでも地面に転がったグリフィスとはそれなりに距離が開いてしまい、さらには突如空から舞い降りた一羽の猛禽が、グリフィスを攫って行ってしまう。


「ッ今のはうちで使役している動物です!!」

「あちらから仕掛けてきたか……! ティル、シユエ! 貴様らは先に行け! 我々は野暮用を済ませてから合流する!!」

「わかった! シユエ、しっかりつかまっていろ!」

「うん!」


 簡潔なやり取りの後、獅子と虎はそれぞれ正反対の方向へ、全力で走り出した。零毬ははるか頭上で羽ばたく影を見据え、その一歩一歩に逃がさないという意思を込め瞬く間に速度を上げていく。


「さて、わざわざケンカを売ってくるとはどういうつもりなのやら。」


 獣道すらない険しい山中をものともせず、空をゆく鳥を見失いもせずむしろ距離を縮めていく黒獅子。不意に指笛が響き、呼ばれたように鳥の影が下降する。それを追いかけ木々を薙ぎ倒す勢いで突っ切った先には、予想通り楽団宝船が待ち構えていた。


「よぉ、昨日ぶりだな嬢ちゃん。うちのもんが世話になってたらしいな?」

「金舵親分……!」


 鷹を腕に留まらせながら、常と変わらぬ飄々とした態度の男が笑う。つづらは複雑な感情の乗る声でその名を呟き、零毬は毛を逆立てて唸り、ネメシアは零毬を宥めるように黒い毛並みを撫でつつ金舵を睨みつけた。

 黒獅子の背から飛び降り進み出たつづら、だが楽団に合流するでもなく半端な位置で――むしろ楽団と対峙するような位置で立ち止まり、楽団員たちの雰囲気が不穏に変わる。一方金舵だけは全てわかっていると言いたげな、何かを悟った表情でつづらに視線を注いでいる。


「どうしたつづら、なんか言いたげじゃねえか。」


 いっそわざとらしいくらい水を向けられて、苦痛と悲しみ、そして怒りがないまぜになった顔で口を開く。


「なんでだよ、親分……! どうしてこんなところで錨を下ろしてしまったんだ!! オレたちにはまだ、あんたが必要だったのに……!!」


 必要だった。

 過去形の言葉に、おそらく金舵心酔派だろう数人が色めき立つ。


「なんだよその物言いは! まさか今までの恩を仇で返す気か!?」

「つづら、宝船を降りるときは死んだ時だ、団の掟を忘れたわけじゃないだろう? 親分に従えないなら死ぬしかないぞ。」

「掟? 他でもない親分が踏みにじったそれに、守る価値があると思うのか!? 予定を超過して土地に留まるのも、現地の人間に肩入れするのも、掟に反しているだろうが!! だから団員の間でも意見が割れて揉め事が増えた! 空中分解を危惧したのもオレだけじゃなかったはずだ!! オレは、この内輪揉めをどうにかするために、恥を忍んで彼女たちを頼り、親分や都連中の秘密を暴いた!!


金舵はもう親分じゃない、都の住人になっちまってるんだ!! 不死の身体と引き換えに、二度と常若の都を離れられなくなった!」


 仲間たちをぐるりと見回し、もう一度金舵を見る。まっすぐに指を突き付け、罪状を読み上げるように叫んだ。


「あんたが何を考えてそうしたのか、オレには知る由もない……だが、間違いなくあんたの行いは楽団宝船への裏切りだ!! 親分なのに船の舵を手放したんだからな!!

宝船を降りるときは死んだとき、掟を大事にするなら、『楽団宝船』を守りたいなら! 落とし前をつけなきゃ、オレたちは前に進めない。そうだろう!?」


 それは畏敬するリーダーへの言葉ではなく、裏切り者への詰問。そして仲間たちに向けた告発だった。

 つづらの言葉を理解した者たちの、視線が金舵に刺さる。

「嘘だと言ってくれ」と縋る目、

「自分だけいい思いをする気か」と怒りに燃える目、

「信じてたのに」と悲しむ目、

「親分としての責務はどうした」と責める目、

味方に囲まれているとは思えない無言の圧にも怯まず、金舵は不敵に唇の端を持ち上げた。


「オレがオレの船をどこに留めようが、責められるいわれはねえ! 嫌なら降りりゃいい、今回だけ見逃してやる! だが、一緒に来るならお前たちも不死身にしてもらえるかもな?」

「惑わされるな!! 儀式は、不老不死の要はネメシア様たちの手で今夜崩れ去る! 不死身となった者たちはその道連れとなって朽ち果てる!! だから、オレたちはもう金舵親分には頼れない。そしてならず者であるオレたちが生きていくためには、楽団という船が必要だ! 納得できないなら力づくで奪えと、あんたが言ったんだよな、金舵!!」

「できるもんなら、ともな!!」


 啖呵を切り合いながら両者が同時に懐の短刀を投げる。金舵は叩き落としつづらは避ける、その一瞬のうちに楽団員の半数近くがつづら側へと移動した。


「おっとぉ……! なるほどなぁ、きちんと根回しは済ませてあったわけか。ま、そうじゃなきゃ正面切って喧嘩売るなんざ自殺行為だもんな!」

「用意は周到に、動くときは大胆に! あんたの教えだ!!」


 ピュイーーーーーーーーッ!

 鋭く吹き鳴らされた指笛、別の鳥が矢のごとく飛来し金舵の手からグリフィスをむしり取る。すぐさま金舵の鷹に撃墜されてしまったが小石は大きく宙を舞い、その瞬間を逃さず黒獅子が跳躍、以心伝心のネメシアが手を伸ばしグリフィスを見事掴む。


「よし、グリフィスを取り戻した! 我々は行くぞ!」

「ご協力ありがとうございました! この恩はきっと忘れません!」


 乱戦の中からつづらの礼を言う声と殺気が飛んでくる。黒獅子の行く手を遮らんと躍り出る楽団員が数名。


「お前らさえ行かせなきゃここは破綻しない! おれたちはまだ死にたくない!!」

「親分は死なせない、儀式の邪魔はさせない!!」

「は、無謀な連中だな!」


 鼻で笑い、足に力を込める。普通の武器は黒獅子に効かず、ネメシアは自衛できるし透子はその後ろに縮こまっている。零毬は躊躇いなく銃弾の雨を突っ切り人を蹴散らし、


「い……か、せ……な…………」

「キャー! いやーー!! 降りてくださいぃ!!!」

「がふっ!」


往生際悪く黒獅子にしがみつきよじ登ろうとした者も、透子に蹴り落とされて後方へ消えていった。


「零毬! 十時の方向、あの高い岩の上に登れ!」

「? おう!」


 指示に従えばさっきまでいた戦場と楽団宝船の者たちが一望でき、ネメシアが剣を掲げて宙に陣を描き始める。瞬く間に完成した陣が木の葉の如く飛んでいき、パッと広がって見渡す限りの大地を覆うと同時に少女が声を張り上げた。


「金舵側だけ不死身では不公平だろう、私が公平にしてやる!! 貴様らはその陣の中ではお互いに致命傷を与えられず、決着がつくまでは出ることもできない、そういう条件を付与してやった!! 存分に拳と議論を交わすんだな!!!」


 こちらに向かって来ていた数人が陣にはじき返されるのを確認し、今度こそ儀式場へ走る黒獅子。あとはネメシアの狙い通り、身内で手一杯になった楽団宝船はブーシウたちの加勢に来ることは出来ないだろう。


「もうだいぶ月が昇っちまったな、急ぐぜ!」






 一方その少し前、月神の社へ続く大通りは、武器と松明を手にした警備兵たちによって封鎖されていた。毎回儀式を妨害せんとやってくる怪物を、今宵も返り討ちにするためだ。ピリピリと張りつめた空気に虫の声と篝火の爆ぜる音ばかりがよく響く。

 そこに突如混ざった耳慣れない音に、兵士たちは一斉に身構えた。

 硬いものが石畳を叩く。空筒が擦り合わされるような低い唸り。そして鈴の音。それらが順番に繰り返されながら近づいてくる。強い月光に照らされる大通りの中央を、堂々たる足取りでやってくる何者かがいる。

 正体を見定めんと進み出て目を凝らした兵士が、ハッと息を呑んで仲間たちに怒鳴った。


「孤月の巫女様だ!! 武器を下ろせ、無礼だぞ!!」


 枯竹でできた虎人形にまたがり、向こう側が透けるほど薄く繊細な、紗と呼ばれる白布を被った少女が微笑む。虎人形は体を軋ませながら大きく跳ねて、兵士たちの前に降り立つ。紗の端々に縫い付けられた鈴がひときわ高く鳴って、少女の神聖さを強調していた。


「み、巫女様! ご復活お喜び申し上げます! ……どうして儀式場の反対からやってこられたのでしょう……?」

「わたくしの魂は月に還り傷を癒しておりましたの。新たな身体に転生して、再びこの地に降り立ちました。今日までこの地を守ってくれた敬虔なる神官たちへ、これから褒美を与えに行くのです。通してくださいますか?」

「ははぁっ、どうぞお通りください!」


 たおやかな、だが有無を言わさぬ圧を纏った少女の言葉に、一も二もなく従う兵士たち。怪物を阻むための門は開け放たれ、虎人形は少女を乗せたまま悠々と中へ入っていく。


「巫女様、儀式場までご案内を――」

「不要です。月から皆様のことは見ておりましたから。邪魔が入らないよう、あなた方は警備をよろしくお願いしますね?」

「……はっ!」


 信奉する巫女に仕事を任された、と喜色を浮かべた兵士たちに背を向け石造りの社を進み、完全に他者の気配が無くなったことを確認した少女シユエが虎人形に囁きかけた。


「うまくいったね、ティル! ネメシアさんにそれらしい小道具を借りといてよかった!」

「シユエのおかげだ。戦わずして正面から潜入できるとは感動ものだ、今まではどこから試しても警備に阻まれていたからな…」


 人形の中からティルが答える。虎人形内部の空洞にその巨体を隠し、ホゥユエと同じ顔のシユエを乗せ、嘘っぱちの巫女像をなぞる作戦は、拍子抜けするほどうまくいった。

 だが、兵士たちの表情を思い返して、シユエはふと苦い顔になる。


「ほとんどの住人は綺麗な噓しか知らないってのは本当みたいだね。さっきの奴ら、誰も私たちを疑ってなかった……知らずに悪事に加担させられてるのはかわいそうだけど、だからって利用され続けてはやれない。行こう。ティルは道分かるんだよね?」

「あぁ、儀式の日以外はここまで警備が厚くなかったから、構造を調べようと何度も出入りした。ホゥユエと器には手出しできないよう罠を仕掛けられ、岩山の社の中には分身を生やすこともできず何もできなかったが、それでも役に立つことがあってよかった。」


 その言葉通り迷いのない足取りで、大きく丁寧に掘り抜かれた石の廊下を走っていく。かっこかっこと乾いた竹が石の床を打つ音が響くが、人がやってくる気配はなく警備か儀式で全員で払っているのだろう。


「…………なあ。」

「? なぁに?」


 しばらく口を閉じて走ることに集中していたティルが、やけに言いづらそうに一言発した。


「某はな、自身にされたことに関しては、特に気にしていない。シユエやホゥユエへの仕打ちの方がよほど堪えた。しかしそれさえなければ、友人といることができるのならば、力を横取りされようが濡れ衣を着せられようがどうでもよかった。開花で確実に友を失うことの方がずっと恐ろしかった。

こうしてここまで来ても、某は故郷に帰りたいとは思えない。己の孤独を自覚した今、どうして帰りたいと思えようか。


……だが。他ならぬ友人たちがそれを望まぬなら、それによって苦しむのなら、解放しなければならぬ。そうでなければ某の友情は独りよがりだ……理解するまで随分かかってしまったが。今まですまなかった、むやみに苦しい思いをさせたろう、シユエ。」

「謝んないでよ! きっかけも、途中のあれこれも、ティルが悪かったわけじゃない! 私が二人と交流を続けなかったらあんなことにはならなかった……」

「その交流を許容したのは某とホゥユエだった。あの時間は心から楽しかったのだ、シユエ。……その思い出を、これ以上穢されないために心を決めた。」

「…………そっか、そうだね……私だって、楽しかったよ……。


…………行こう、もうすぐだ!!」


 赤い月門を視界に捉え、虎人形はさらに速度を上げた。




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