第八話:とびっきりの収穫
レヴィンは居間のテーブルで本を広げて、真剣な表情で熟読している。その本の表題は、『はじめての家庭菜園』――先日、ノーナが街の本屋で購入した一冊だ。
向かいに座ったノーナは、少し緊張した声色でレヴィンに問いかける。
「……どうでしょう。こういうの、興味ありませんか?」
その言葉とは裏腹に、興味があるのはノーナ本人であり、もっとあけすけに言えば……食費を浮かせたいのである。
「わかった。これを僕に作れ、ということか」
「いやいや、命令ではないですよ!? 私はいつだってレヴィン様の自主性を尊重します。……ただ、庭があるなら、野菜を育てるというのは、自然なことかなーと、思いまして?」
目を泳がせて語るノーナの思惑に感づいているのかいないのか、レヴィンは「そうか」と短く答えた。そして、鋭い眼光でノーナをにらんだ。
「当然のことながら……この本だけで、家庭菜園ができるわけではない」
レヴィンはそう言ってから、ノーナに園芸用品を購入してくるよう要求してきた。
発起人であるノーナは、戸惑いながらもレヴィンの指示どおりに道具を少しずつ買い足していった。
すると、それに応えるようにレヴィンは土を耕して、本格的に家庭菜園を始めたのであった。
そして、ついに初めて野菜――売り物と比べれば、小ぶりで不格好なもの――を収穫する日がやって来た。
庭の一角で屈んだレヴィンは、額に流れる汗を手の甲で拭った。大きな葉を丁寧に除けて、ひょっこりと現れたひしゃげた瓜を掴み取る。
「……できた」
連日、レヴィンが撒いた水をたっぷりその身に蓄え、黄色い皮が艶めいている。そんなふうにじっくりと見つめているうちに、胸の奥から熱いものがこみ上げてくる。
ああ、この気持ちを誰かに伝えたい。生まれて初めてそう思ったとき、まぶたの裏に浮かんできたのは、ノーナだった。
自分から言い出したくせに、なぜ今この瞬間に、彼女は近くにいないのだろう。そう思ってしまうほどに、感情が高ぶっていた。
レヴィンは収穫した野菜を目立つようにとテーブルの真ん中に置いて、それをじっと見つめたり居間をウロウロ歩き回ったりして、ノーナの帰りを待った。
帰宅したノーナは、いつもの調子で玄関の扉を開ける。そして、レヴィンの名前を呼ぼうとして、その途中で呼吸が止まる。
「……わっ!? こんな近くにいたんですね」
「そんなに驚くことか。それよりも、ノーナに見せたいものがある」
レヴィンはテーブルの上を指さす。ノーナがその指先を追ってみると、可愛らしい野菜が転がっていた。黄色い瓜の他にも、赤く小さな果実や、青い香草も置いてある。
「これは……レヴィン様が育てた野菜、ってことですよね? すごい、感激です……!」
弾むような声のノーナに、レヴィンがしたり顔でうなずいてみせる。
感極まったノーナは思わず両手を上げて、レヴィンに駆け寄ろうとして……すんでのところで踏みとどまった。
さすがに軽率な行動だったと、バツが悪そうに締まりのない笑みを浮かべて、テーブルに置かれた野菜の一つを手に取る。
「さっそく、この野菜を使って食事を作りましょうか」
ノーナは仕事用の鞄を片付けてから、慣れた手つきでエプロンを着けてその紐を縛る。一方のレヴィンは、もたもたと後ろ手で真新しいエプロンの紐を結ぼうとして、見かねたノーナに手伝われている。
小さな台所に二人が並んで立つと、手狭ではあったがどこか愉快でもあった。レヴィンはノーナの指示を受け、ぎこちないながらも料理の手伝いをする。
不慣れなレヴィンは担当するのは簡単な作業――野菜を洗ったり食器を運んだりするだけだ。それでも、自分が育てたものを自分が調理していく工程は、見ているだけでも心が浮き立つ。
「私の料理の腕はともかく……レヴィン様が作ってくれた野菜は、唯一無二のおいしさです!」
ノーナは目を閉じて、できあがった夕食を噛み締めていた。他にもレヴィンを褒めちぎる台詞を連呼していたが、当のレヴィンからは軽く受け流された。
レヴィンは空いた食器を流しに運んで、ふぅと小さく溜息をついた。そして、決意に満ちたような険しい表情で、ノーナへと振り返った。
「……作物を食べるためでも、花を愛でるためでもいい。園芸というものを、もっと続けてみようと思う」
テーブルを拭く手を止めて、ノーナが目をしばたたかせる。
レヴィンがここまでハッキリと、自分の意思を表すようになるとは驚きだ。知らず知らずのうちに、前向きな変化が起きていたのかと思いを馳せると、ノーナの胸は高鳴ってくる。
「はい。どんな庭ができるのか、楽しみにしています」
彼が嬉しいのなら、自分も嬉しい。ノーナは満面の笑みで応えた。
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晴天の下、涼やかな風がノーナの赤茶けた髪を揺らす。今日は休日、ノーナはうきうきと家の外――レヴィンの庭へと向かう。
野菜畑の奥、アーチ状の支柱の近くで、レヴィンが熱心に草木の世話をしている。咄嗟にノーナが後ろから声を掛けようと近寄り、ぐっと言葉を飲み込む。
ここで下手に驚かせて、彼の邪魔をしてはいけない。料理に関しては一日の長があると思っているが、この庭に関しては完全にレヴィンのテリトリーだ。
レヴィンが腕をおろし、深呼吸をしているところを見計らって、ノーナがおずおずと話しかける。
「精が出ますね、レヴィン様。最近、見違えるように作物の生育が良くなっていますね」
「そんなに慎重に話しかけてこなくても、君が近くにいるのは少し前から気付いている。……すでに知っているかもしれないが、僕には魔力の色や形が見えるんだ」
「あ、はい……以前、ロレインさんから聞きました。その能力を使って作物の状態を見分けている、ということですよね」
ノーナは日陰に置かれた椅子に座り、まじまじとレヴィンの背中、その横顔を見つめる。表情には生気が宿り、痩せぎすだった体にも、それなりに筋肉がついてきたように見える。
「レヴィン様の目には、魔力ってどんなふうに見えるんですか? ……というか、私の接近に気付いていた、ということは私の魔力もわかるってことですよね?」
好奇心旺盛なノーナの質問攻撃に、レヴィンは鼻を鳴らして笑った。それは人を小馬鹿にしているのではなく、単にあきれているときの反応なのだと、ノーナにはわかっている。
「君の魔力は、赤みがかった黄色……少し輪郭がぼやけていて、温かい色をしている」
レヴィンの返答を聞いて、思わずノーナは口元を両手で覆った。ニヤけた顔を隠すためだ。
(魔法に疎い私は、色を聞いてもよくわからないけど……なんだかちょっと、いや、かなり嬉しい気分!)
口を隠していても、そこから「ふふふ……」という不気味な笑い声が漏れ出ていれば、レヴィンも訝しげに眉をひそめる。
「――とおっ!」
ノーナは唐突に前方に両手をかざし、やけに威勢のいい声を上げた。何事かと不審がるレヴィンの視線の先には、風で飛ばされたらしい落ち葉があった。
どうやら、ノーナが珍しく魔法を使い、落ち葉を手元へと引き寄せようとしているようだ。……しかし、健闘むなしく、数枚の落ち葉がふわりと浮いたと同時に風が吹いてきて、さらに遠くへと飛んでいってしまった。
「いやー、今の見ました? 私、魔法はサッパリなんですよ。こんな魔力量でも、ちゃんと識別できるって聞いて、少しだけ安心しました」
ノーナは肩をすくめて苦笑している。それは自嘲するでもなく、やけにあっさりとした口振りだった。
しかし、レヴィンはキョトンとして首をかしげる。
「別に、ノーナの魔力が多いか少ないかなんて、誰も気にしない。僕も気にしたことがない」
ノーナの思考が停止する。それが彼なりの、わかりにくい励ましの言葉だと気づくまで、それなりの時間が必要だった。そして、理解が追いついた瞬間、ノーナは恥ずかしさと嬉しさで顔を赤らめた。
「そ、そうですか。……ありがとうございます」
素直すぎるレヴィンにはかなわない。そんな気持ちに反して、ノーナは唇をかんだ。
何気ない日常の、ふとした一瞬。レヴィンに対して、「不相応な好意」を抱いてしまいそうになる。
(もうっ……しっかりしなさい、私!)
その頻度が徐々に増えてきているのは……心身がたるんでいる証拠だ。ノーナは胸の息苦しさを感じるたびに、自分を律して感情を押し止めた。そして、作り笑いを浮かべて言った。
「それにしても、立派な庭になりましたね。少し前までは草ボーボーだったのに……大変だったでしょう」
「大変ではあったけれど、何もかも僕ひとりでやっているわけじゃない」
レヴィンがそう言って地面を指さすと、ぽっこりと不自然に土が盛り上がって、小さな人の形ができあがった。それはノーナも初めて目にする、使い魔だった。
「この地の魔力が豊富だからこそ、成せる技だ。……人の多い街ではこうはいかない」
以前よりも、レヴィンのほうから話しかけてくることが増えてきた。それを指摘してしまうと、レヴィンの機嫌を損ねるような気がしたので、ノーナはあえて口にしないようにしている。
視界の端では使い魔こと泥人形がよたよたと歩いて、近くに生えていた雑草を引っこ抜いていた。その様子を見て、ノーナは「おお~」と感嘆の声を上げる。
「見てのとおり、簡単な作業は彼らに任せている。でも、雨の日には溶けてしまうから……そのときは僕の園芸も休みだ」
ノーナが街で働いている間、レヴィンは晴耕雨読の日々を送っているようだ。
こうして休日にしかレヴィンの庭仕事を観察できないのは悲しいが、平穏な日常について本人の口から聞くことができたのはとても嬉しい。ノーナは目を閉じて、静かに幸福を噛み締めていた。
「なんて尊い、日々の営み……! お邪魔でなければ、私にも手伝わせてください!」
そう意気込んでくるノーナに対して、レヴィンは考えあぐねるように顔をしかめてから、
「……なら、使い魔の手伝いをして」
と小声で答えた。ノーナは力強くうなずき、腕まくりをする。そして、近くにあった小振りな鎌を手にして、泥人形と一緒に草取りを始めた。
服が汚れるのも気にせず、懸命に作業に打ち込むノーナの後ろ姿に向かって、レヴィンは困ったような、しかしどこか楽しそうに微笑んだ。




