第七話:園芸の才能
いつものようにノーナが目を覚まして、朝の支度を済ませた頃。同じくらいのタイミングで起きたレヴィンも、自室からぬっと姿を現す。
「おはようございます、レヴィン様。今日も早いですね」
「ん……おはよう」
ノーナは急いであくびを噛み殺して笑顔を作り、できるだけ爽やかに挨拶をする。ちなみに、こうしてレヴィンが挨拶を返してくれるようになるまで、数日を要した。
教団時代の名残なのか、それとも眠りが浅いのか、レヴィンは意外にも早起きだった。そして、現在は本人の体調が良ければノーナの指示を聞いて、朝食の手伝いをするようになった。
ノーナが鍋を揺らしながら、日中は一人でどう過ごしているのかと、レヴィンにしつこく聞いてみたところ、
「ロレインから何を吹き込まれたか知らないが……自分の世話くらい自分でできる。小さな子供じゃないんだから、そんなに心配しないでくれ」
と、億劫そうに答えてくれた。ノーナはそれもそうかと納得しつつも、もっと自分を頼ってくれていいのにと少し寂しさを覚えた。
「ということで、行ってきまーす。今日は夕方には戻ります」
高らかなノーナの挨拶に、レヴィンからの返事はない。朝食を終えて、そのまま自室へと引っ込んでしまったようだ。
苦笑するノーナは「ちゃんと鍵を掛けてくださいねー」と叫んでから、街にある宿屋へと向かって歩き出した。
自室に戻ったレヴィンは、硬く反発の少ないベッドに腰を下ろした。悲鳴のような軋んだ音を辺りに響かせ、憂鬱そうに溜息をつく。その足元には本が積まれている。
小さな窓から室内へと白い光が差し込んで、時折「チチッ」という鳥のさえずりが聞こえてくる。
(――そうだ。『自分の世話くらい自分でできる』……できるはずなんだ)
ぼんやりと鳥の影を目で追っていたレヴィンが、その瞳に強い意志を宿して、すっくと立ち上がった。そして手早く身支度を整え、玄関に向かって移動する。貧弱な扉の施錠をするため……ではなく、外に出るためだ。
ゆっくりと扉を開けてすり足で外へ出てみると、降り注ぐ陽光に目を細めてしまう。レヴィンは何度か深呼吸をして心身を落ち着かせ、一歩また一歩と玄関から離れていく。
くるりと振り返り、改めて自宅とその周辺を観察してみる。近くに民家はなく、良く言えば自然が豊か、悪く言えば人けの少ない辺鄙なところだ。
納屋を改築したというだけあって、お世辞にも綺麗な家屋には見えないが、すぐ隣には柵や石で囲われた、耕作地だった場所が残っていた。いつから放棄されていたのか皆目見当がつかないが、現在は雑草が伸び放題で見る影もない。
レヴィンは両手を突き上げて、背筋を伸ばした。よく晴れた空を飛んでいく鳥の声や、花から花へと飛んでいく蜂の羽音。レヴィンの目に映るものすべてが生き生きと輝いて見え、原始的な魔力が満ちている。
ここには自分の行動を制限するものや、厳しく咎める者もいない。これが自由なのだという実感が、五感を通して少しずつ体に染みこんでいくようだ。
「なるほど、これは……悪くない」
レヴィンが小さく独り言つ。その口角は、ほんの少しだけ上がっている。
それからレヴィンは魔法と、たまに自身の手足を使って、家の周囲を整地することにした。誰かのためではなく、自分自身が「そうしたい」と決意したのだ。
青々とした雑草を切っては抜き取り、硬い土を砕いては小石をどかし、ひたむきに作業を進めていく。
慣れない庭仕事に顔や体は汗と泥にまみれ、あちこちに切り傷ができたうえに、とても疲れた。それでも、レヴィンは不思議な充足感と確かな手応えを感じていた。
太陽が沈みかけて、空が赤く染まる頃。仕事を終えて帰宅しようとしていたノーナは、家を目前にして驚愕の声を上げることになった。
「えぇ!? どうしたんですか、その格好は!」
「土を耕している。まだ作業の途中だから、明日も続ける」
事もなげにレヴィンが言葉を返す。レヴィンが家の外に出ているのは、先日の宣言どおりなのでノーナにも理解できる。しかし、どうにも状況がおかしい。
すっかり変わり果てた様子のレヴィンと、見違えるような庭を交互に見比べ、ノーナは「ほう」と感嘆の吐息をついた。
「まさか、レヴィン様に園芸の才能があったなんて……驚きました!」
「そんな才能はない。ただ、自分のやりたいようにやっているだけだ」
ノーナは玄関の扉を押し開けたまま、レヴィンも家に入るようにと視線で促す。
「うんうん。レヴィン様の『好き』が、少しずつ見つかっているみたいで、私も嬉しいです。……でも、その服装は見直したほうがいいかもしれませんねぇ」
レヴィンは自分が今どんな状態なのか、わかっていないのだろう。ノーナは優しく目を細め、泥だらけになったレヴィンの服の裾から、枯れ草を取り払ってうなずいた。
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「……という出来事が、先日あったんです。すごい進歩でしょう!」
ノーナがテーブルから身を乗り出して、得意げにレヴィンについて語っている。その向かいにはロレインが座っており、のんびりと紅茶をすすっていた。
ここはロレインの行きつけである、街の喫茶店。今回は貸し切りではないようで、普通に一般の客も入っているようだ。
今日のノーナは仕事を休んで、ロレインとお茶をする――もとい、報告をする日なのだ。ノーナの熱のこもった報告に、ロレインは感心しきりだった。
「あと、少しずつですが、笑うようになったんですよ」
ノーナがそう言うと、「まったく想像できないわね」とロレインが苦笑して、丸眼鏡の位置を直した。それに同調するように、ノーナが大きくうなずく。
「こう、一瞬だけ頬がかすかに上がるんです」
「それはもう、貴方にしか見分けがつかないでしょうね……」
ノーナは嬉しそうにジェスチャーを交えて、普段どんな生活をしているのか、事細かに説明していく。
自分が新しい街でどんな仕事をしていて、レヴィンが家でどんな反応をしたかなど、心ゆくまで喋り続けた。……こんな取り留めのないうえに冗長な会話を、レヴィン相手にはできないからである。
そんなノーナの気持ちをくみ取ってか、ロレインはたまに相づちを挟みながら、ノーナの言葉を遮ることなく耳を傾けてくれた。そうやって、ノーナが気持ちよく語り終えたところで、ようやくロレインが話題を切り出した。
「レヴィン君は『魔力を視認する能力』を使って、効率よく庭の手入れをしているのかもしれないわね」
「それが、レヴィン様の特殊能力……ですか」
「まだ、完全に調査が終わったわけじゃないけど、報告書にはそう書いてあったわ」
ロレインは悩ましげに頬杖をついた。「魔力を視認する能力」――たしかに希少な能力ではあるが、過去に何件か観測されている程度のものだ。ロレインからすれば、それだけで神と呼べるほどの影響力があるとは考えにくい。
「レヴィン君とうまく交流できているのは喜ばしいけど……私たちの調査は難航していてね。そのうち、二人にご足労願うことになるかもしれないわ」
「私も、ですか」
何か思い詰めたような表情のロレインが、憂鬱そうに窓の外を見つめた。ノーナは眉をひそめて、その後に続く言葉をじっと待つ。
「実は、元教団幹部でいまだに逃げ続けている奴がいて……その捜索に時間と人手を取られているのよ」
「……そう、なんですか。ロレインさんたち調査機関からは、資金援助を受けてますからね。私でよければ協力します」
少なからず金銭関係もあるが、それ以上に二人の間には信頼関係が築かれているのだ。快く承諾するノーナに、ロレインはくしゃりと破顔する。
「ありがとう。もし、そのときが来たらよろしくね」
それから二人は雑談を交わして、喫茶店の前で分かれた。温かな日が差す昼下がり、ノーナは一人で街を歩きながら、ふとあることを思い出していた。
(レヴィン様、家にある本は読み尽くしたって言ってたっけ)
ノーナは街の本屋に立ち寄ることにした。大きな通りに面した本屋にふらりと入り、店の奥のほうにあった背の高い本棚を眺める。
とはいえ、特にこれと決めてあったわけではなかったので、無駄に様々な本棚の間を行ったり来たりしている。しかし、何気なく一冊の図鑑を手に取ったとき、脳裏に一閃が走った。
(いいことを思いついた! 買うなら園芸の本……いや、せっかくなら食べられるものを……家庭菜園についての本にしよう!)
それはレヴィンのためというより、自分の利益――食費を浮かす目的なのはあきらかだが、「レヴィンの利益にもなる」としっかり説明すれば、きっと聞き入れてくれることだろう。
そんなふうに一人で納得したノーナは、購入した本を大事そうに抱えて、上機嫌で帰路についた。




