第六話:スリリングなショッピング
「では、行ってきますね!」
それからノーナは街で仕事、レヴィンは家で留守番という日々が続いた。
家にあるものは自由に使っていい、というノーナの言葉に従って、レヴィンは居間に置かれた小さな本棚、その数少ない本をひたすら読み進めた。
どうやら、これらはノーナが収集していたものらしい。この国の歴史書や実用書、古典的な冒険譚から他愛ない日常を綴った随筆まで……突如として異世界に放り込まれたノーナ自身が学習に用いていたであろう、様々な本が並んでいた。
しかし、それも一日中読みふけっていれば、数日の間にすべて目を通してしまい、レヴィンは手持ち無沙汰になっていた。そうなると、ぼんやりと窓の外を見つめては、退屈そうに溜息を飲み込んだ。
かたやノーナは仕事を真面目にこなし、着実に街での評判と信用を築いていった。
それもこれも、レヴィンを幸福にするため。同居することになっても相変わらず、ノーナの原動力はレヴィンに関する事柄だった。
そんな、ある休日の朝。ノーナが険しい顔つきで、レヴィンの部屋の扉をノックした。
レヴィンには自由に過ごしてもらいたいが、このまま一歩も家から出ないというのも考え物だ。そう考えたノーナは、眠そうに目をこすっているレヴィンに一つの提案をする。
「食材が切れそうなので、買い物に行ってきます。それで、よければなんですけど……レヴィン様も一緒に市場に行ってみませんか?」
教団時代のトラウマか、レヴィンは未だに賑やかな人混みに慣れていない、とロレインから話を聞いている。しかし、ノーナは笑顔で、
「大丈夫ですって。何があっても、私がレヴィン様を守りますから!」
と、根拠のない自信と言葉でレヴィンを励ました。口調や態度こそ丁寧だが、並々ならぬ圧をかけるような雰囲気を醸し出しながら。
「いや、僕はそういう場所には……って、ちょっと何!?」
レヴィンはあからさまに顔をしかめ、億劫そうに頬を掻いて扉を閉めようとした。しかし、ノーナの片足が素早く隙間に滑り込んできたせいで、あっけなく阻止される。抵抗しようにも、ノーナは力づくでもレヴィンを引きずり出しそうな勢いだ。
「はぁ……いい加減、離れてくれ」
そして、結局はノーナに気圧され、渋々ながら同行する羽目になってしまった。
外出の支度をしている際、人目が気になるレヴィンは目深にフードを被って、整った顔を影で隠した。その様子を、ノーナはじっくりと観察している。
レヴィンの魅力を周りに知らしめられないのは、残念でもありほんの少しの安堵もあった。
「準備はできましたか?」
「ああ、逃げも隠れもできないみたいだからな」
傍目には不審者一歩手前の格好だが、それでも大きな一歩だ。嬉しさのあまり、ノーナは小躍りしながら家を後にした。
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「おおー、意外と賑やかですね!」
澄み切った青空の下、ノーナの弾んだ声が広々とした路地に響く。
威勢のいい声が飛び交い、厚手のエプロンをつけた商人や上等な外套を翻して歩く冒険者たちが、忙しなく目の前を通り過ぎていく。
以前、ノーナが住んでいた街よりは小規模な街だと思っていたが、市場にはたくさんの人や店が並び、雑然としていても活気があった。
目を輝かせて楽しげに周囲を見渡すノーナとは対照的に、レヴィンは後ろでうつむいて小さくなっている。
「レヴィン様、体調はいかがですか」
ノーナがそう言って心配そうにレヴィンの顔を覗きこもうとするも、レヴィンはふてくされたように顔をそらした。
「今さら気にかけるくらいなら、ここまで連れてくるな」
「……で、ですよねー」
あははと乾いた笑い声を上げて、ノーナがレヴィンから離れる。
たしかに、レヴィンのことを思えば、軽率な提案だったのかもしれない。しかし、ノーナの態度から反省の色は見えない。
レヴィンはやれやれとわざとらしく首を左右に振ってから、気丈に背筋を伸ばして前を見据えた。
「もう僕のことはいいから、早く用事を済ませてくれ」
「……わかりました! それじゃあ、足早に行きましょう!」
レヴィンの返事を待ち構えていたように、ノーナが元気よく顔を上げる。そして、足取り軽く歩き出した。
その切り替えの早さにレヴィンは口をへの字に曲げつつ、のそのそと後ろを歩いていく。
「ええと、まずはお肉と卵を買ってー……」
ノーナはテキパキといくつかの露店を渡り歩き、素早く値段を確かめては食品を購入していった。
その後ろでうつむいていたレヴィンも次第に街の喧騒に慣れて、少しずつ落ち着きを取り戻したようで、時折、周囲を観察している。
市場ではたくさんの人間が行き交い、それぞれが自由に行動している。長い間、外の世界から隔絶された場所で過ごしていたレヴィンは、そのギャップに戸惑うばかりだ。
(これが……普通の生活、というものなのか?)
雑多で騒々しい、人間らしい営み。すっかり忘れかけていた、しかしどこか懐かしい感覚が、雪解けのようにゆっくりと目覚めていく気がした。
「おや? アンタ……最近、宿屋で働いている子だろう? 若いのに大変だねぇ。ほら、これオマケしとくから、いっぱいお食べ!」
「わぁ、いいんですか? ありがとうございます!」
露店の店主から多めに野菜を受け取ったノーナが、満足げにレヴィンに品物を見せつけた。
本人ははしゃいでいるようだが、みるみるうちに荷物がかさみ、両腕で袋を抱えたり下げたりして歩くようになっていた。
そしてついに、見かねたレヴィンが無言で荷物の一つを奪い取った。すると、感極まったらしいノーナが目を潤ませて過剰なまでの礼を述べてくるので、レヴィンは苦々しい表情になってしまった。
何だかんだと言い合いながら、二人が連れ立って通りを歩いていると、不意に後方から車輪がきしむような音が響いた。
慣れない人混みで緊張していたのか、レヴィンの顔には疲れが浮かんでいた。そのせいで、荷馬車の接近に気づいていないようだ。
「――レヴィン様、こっちへ」
ノーナは咄嗟にレヴィンの手を引いて、荷馬車の通過をやり過ごす。互いの肩がぶつかり、今までにないほど密着する。
「……あ、ごめんなさい。勝手に触れてしまって」
やってしまった。事故を回避するためとはいえ、急な接触は不快に思われたかもしれない。
ハッとしたノーナは慌てて手を離したものの、緊張と恥ずかしさで上気している。とにかく火照った頬の熱を散らそうと、片手で顔をあおぐ。
対するレヴィンは、無言でうなずき返した。フードに覆われているせいで、どんな表情をしているのかノーナからは見えない。
浮ついた雰囲気を変えようと、ノーナは歩き出しながら話題を振る。
「そ、そういえば……レヴィン様の好きな食べ物ってなんですか? 甘いものとか、辛いものとか」
「好きも嫌いもない。ただ、与えられたものを受け取るだけだ」
レヴィンが吐き捨てるように言って、荷物を持つ手に力を込めた。
ふと思い返せば、レヴィンはノーナが出した食事をすべて平らげていた。案外、料理がうまくいっていたのかと、ノーナはほくそ笑んでいたのだが、実情は違ったようだ。
「ここにはいくつか屋台もあるみたいですし、レヴィン様の『好き』を探してみましょうか。――所謂、買い食いってやつです」
レヴィンの体験学習と自身の食欲を満たす、我ながら良いアイデアだ、とノーナは得意げに胸を張る。だがそのすぐあとに「値が張るものは駄目ですけど」と付け足して、小さく笑った。
すでに、必要な物はひととおり買い終えた。ならばこれは、慣れない土地で頑張っている自分とレヴィンへの、些細なご褒美だ。そんなふうに解釈したノーナは、にこにこと嬉しそうに屋台が建ち並ぶ一帯へと向かった。
香ばしい揚げ物に、色鮮やかな果物を搾ったジュースなどなど……屋台では多種多様な食べ物が売られていた。
はたとノーナが足を止め、流れるような仕草で屋台で黄色い蒸し饅頭を二つ購入した。ノーナはそれらを真ん中から割って、半円状になったものを二つ、レヴィンに手渡した。
「はい、どうぞ。一つは挽肉入り、もう一つは黒砂糖入りだそうですよ」
味の好みはない、と言っていたレヴィンに対する配慮か、塩気のあるものと甘いものの二種類を同時に渡すことにしたようだ。
少しだけフードを外して、レヴィンはおずおずと蒸し饅頭を受け取って、口に運ぶ。
「む……こういうものは、初めて食べた」
「どうでしょう、おいしいですか?」
レヴィンは咀嚼しながらコクリとうなずく。その素直で愛らしい反応を見ているだけで、ノーナの苦労は一気に吹き飛び、天にも昇る心地になるのだ。
「喜んでもらえてよかったです、本当に」
そう言ってノーナも蒸し饅頭をひとくち食べてから、自宅のある方向へと歩き出す。道の端で黙々と食べていたレヴィンは、少し遅れてその後ろをついていく。
「食べながら、歩くのか」
「うっ……まぁ、行儀のいい行為じゃないですけど、誰かから注意されるわけでもないし……」
予想外に痛いところを突かれたノーナが、早口で言い訳を重ねていく。レヴィンはその返答に関心があるわけでもなく、蒸し饅頭を見つめてポツリと呟く。
「教団にいたときだったら、間違いなく怒鳴られていた」
一瞬、ノーナは言葉を詰まらせる。どんな立場にあろうとも、自分はレヴィンを推してきた。しかし、それが本当に彼のためになるのだろうか。
かすかに胸のつっかえを感じながらも、ノーナはレヴィンをまっすぐに見据えて、はっきりと言葉を紡ぐ。
「もう教団は存在しないし、神様もいません。ここにいるのは一人の人間、ただのレヴィンです」
堂々と述べておきながら、ノーナは照れくさそうに笑った。それを見て、レヴィンもつられてかすかに口角を上げる。
「……そうか。僕はただの、レヴィン」
再びフードを目深に被ったレヴィンは、ノーナの台詞を噛み締めるように反芻した。
ノーナは歩幅を小さくして、自然にレヴィンの隣に並ぶ。そして、二人は蒸し饅頭を食べながら、並んで歩いて帰路についた。
二人が自宅前に到着すると、不意にレヴィンが足を止めた。扉を開けたノーナが振り返り、不安げに首をかしげる。
「大丈夫ですか? 今日はもう部屋で休んだほうが……」
レヴィンはノーナから視線を外して家の真横、雑草が生い茂っている一帯を見つめていた。そして、気だるげに言葉を紡ぐ。
「やっぱり人混みは疲れる。とても一人で行く気にはなれない。だけど、この家の周辺ぐらいなら……外に出てみようと思う」
その言葉を聞いた瞬間、ノーナは息をのんだ。少しずつでも、レヴィンが変わっていく……その過程を間近で感じられているのだ。こんな感動的なことはないと、小刻みに体を震わせていく。
「す、素晴らしい心がけだと思います! レヴィン様は、素晴らしい!」
「ノーナは僕を褒めたてるのが趣味なのか?」
「……はっ!? 今、私の名前を……!?」
「しかも、いちいち大げさ」
次々と襲いかかる衝撃的発言に目を丸くして、その場で固まっているノーナの脇を、レヴィンが何食わぬ顔で通り抜けて、さっさと家に入っていった。
ノーナはしばらく玄関で立ち尽くし、うっとりと宙を見つめて、喜びを噛み締めていた。




