第四話:推したい貴方
それからのノーナは、ロレインや支援組織からの援助を受けて、魔法や歴史、一般的な作法や社会の仕組み等々……多様な勉学に励んだ。つまり、この世界でしなやかに生きる能力を磨き続けた。
元々のノーナの身体は魔力こそあれど虚弱だったようで、体力のいる作業は苦手だった。しかも、前世の知識もすでに薄れつつあり、あまり役に立ちそうにない。
それでも、日々の運動を怠らず、持ち前の勤勉さと知識欲をいかして、たくさんの文字を頭に叩き込んだ。
そんなノーナの活力の源は、やっぱり推し神様――レヴィンだ。彼もどこかで頑張って生きているのだと思えば、力が湧いてくる。
たしかに、レヴィンの現在については気がかりだが、いつか彼と会う機会があった際に、情けない姿は見せたくない。これは言うなれば、「未来志向の推し活」という、一方的かつ強烈なモチベーションなのだ。
次第にノーナの地道な努力が実りはじめ、雑貨屋の店番といった短期の仕事に就くようになった。それからは、街の図書館の司書見習いや、いくつかの仕事を掛け持ちして、少しずつ生活環境が安定してきた。
食費や移動費を削って貯金をして、空いた時間に街中を見て回った。そして、街の外れにある質素なアパートメント、その一室を借りた。ついにノーナは、念願の一人暮らしを始めたのだ。
住まいを移すことについてロレインに報告すると、彼女は我が事のようにとても喜んでくれた。
「おめでとう、ノーナ。貴方ならきっとやり遂げるって、信じていたわ」
その晴れやかな一声を聞いて、ノーナの両目に熱いものがこみ上げてきた。
あの日、更生保護施設でロレインに励ましの声をもらったときから、実に一年以上が経過していた。
やがて、忙しくも前向きに毎日を過ごしていたノーナの元に、一通の手紙が届いた。通常の手紙とは違って、かすかに魔力を帯びた封筒――親展だ。
すっかり異世界生活にも慣れて、顔馴染みもできたが、こうして手紙を出してくる相手となると限られる。
案の定、差出人はロレイン・ブリズ。ノーナとロレインの二人は、定期的に連絡を取り合っている。とはいえ、わざわざ親展で手紙を送ってくるのは初めてのことだった。
要は特別な知らせだ。そう思うと、にわかに緊張が走る。
仕事から帰ってきたノーナは、狭い居間の小さな椅子に座って溜息をついた。それから丁寧に封を切り、便箋を広げて見る。
(あぁ……ようやく! 本当に長かった!)
手紙には「レヴィンが釈放されるので、会いに来てほしい」という趣旨が、流麗な文字で記されていた。
ノーナは目を輝かせて、椅子から飛び上がる。その拍子にバタンと椅子が倒れても、まったく気にしない。
この日をどんなに待ちわびていただろう。
ノーナ自身がこの一年間でかなりの苦労をしてきたように、レヴィンもまた相当な苦労をしてきたはずだ。
抱きしめていた手紙を机に置き、再び視線を落とす。ロレインの手紙には、集合場所や日時が書かれている。
(えーと、待ち合わせは……街の喫茶店?)
手書きの簡単な地図が添えられているが、目的地である喫茶店は人通りの少ない路地に面しているように見えた。
特段、更生保護施設から近いわけでもないのに、ロレインはなぜこの店を指定したのだろうか。ノーナにはさっぱり見当が付かない。
もしかして、ロレインの行きつけの店か、街で流行の商品を提供する店なのかもしれない。ノーナは笑顔でそう結論づけて、高鳴る胸を落ち着かせようと深呼吸をした。
当日はどの服を着ていこうか。何か手土産でも買っていこうか。頬を緩ませてくるくると踊りながら、ノーナは硬いベッドに倒れ込んだ。
(はぁー、楽しみすぎて胸が苦しい!)
目を閉じていても、あれやこれやと考えてしまう。これから当日までの数日間、しばらくはこの調子で、いつもより浮ついた日々が続くのだろう。
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そして来たる、約束の日。天気は快晴、時間は昼を過ぎたところだ。道行く人々もどこか陽気で、足取りも軽い。
ノーナが立っているのは、大通りからは一本外れた古めかしい店が建ち並ぶ路地。街の喧騒は鳴りを潜め、空から細長い陽光が差し込む。
先日の手紙に従って、ロレインに指定された喫茶店の前で、ノーナは落ち着きなく辺りを見渡していた。
初めて訪れる店ということもあり、少し早めに家を出てはみたものの、どうやら店の外に行列ができるほどの人気店……というわけではなさそうだ。
予定よりも早く到着してしまったので、まだロレインは来ていないかもしれない。それでも、店内の様子をうかがおうと、ノーナは店の扉をそっと押し開けてみた。
扉の開閉とともに小さく鈍い金属音が鳴って、店内に客の来訪を知らせる。
「――やっぱり早かったわね、ノーナ。さぁ、こっちよ」
ノーナが店内の様子をうかがうと、ふんわりと紅茶の甘い香りが鼻先をかすめた。見たところかなり雰囲気のある店内だったが、やけに客が少ない。
それと同時に、ロレインの声が聞こえた。緊張気味のノーナに向かって、ロレインが座ったまま手を挙げていたのだ。意外にも、彼女はノーナよりも先に到着していたらしい。見知った顔が見えて気が緩んだのか、ノーナは笑みを浮かべて、ロレインがいるテーブル席へと歩み寄る。
しかし、ロレインの隣に誰かが座っていることに気づいて、はたと足を止める。
そんなノーナの警戒を気にする素振りもなく、ロレインは「どうぞ」と言って、向かい合わせの位置へと着席を促す。
「ここは私がおごるから、好きなものを注文してね。……あ、私のおすすめはミルクティーよ」
そう言って、ロレインが慣れた手つきでメニュー表をテーブルに広げる。ノーナは戸惑いながらも、彼女に言われるがままに注文をした。
「私、仕事の息抜きをするときは、いつもこの店を訪れるの。今日は店主に無理を言って、少しの間だけ貸し切りにしてもらっててね」
なるほど、とノーナがうなずく。客の入りが少ないのはそのせいだったのか。……しかし、なぜ?
うろんげなノーナの視線は、自然とロレインの隣――フードを目深に被った人物へと向かう。一言も喋らず、ロレインによる紹介もない。ノーナの目には、とにかく不自然な存在に見えた。
「あのー……失礼ですが、こちらの方は?」
ここでまったりと紅茶を飲みながら、二人でレヴィンについての話に花を咲かせる予定だったのに、その計画が崩れてしまいそうだ。
遠慮がちな口調でも物怖じしない態度で、ノーナはロレインに問いかけた。
対するロレインは、隣の人物を一瞥しては口ごもり、その気まずい間をごまかそうと紅茶を飲んだ。
彼女にしては珍しい、もったいぶるような仕草に、ノーナは思わず首をかしげる。
「……ごほん。折り入って、貴方にお願いがあります」
カップを置いて居住まいを正したロレインが、いつになく真剣な眼差しでノーナを射抜く。
相手からそう切り出されると前世の習性が出てしまうのか、向かい合ったノーナも「は、はい」とぎこちなく姿勢を伸ばす。
「彼に、『居場所』を提供してほしいの」
そう言って、ロレインが隣の人物の肩を軽く叩いた。すると、その人が静かにフードを外す。暗い灰色の髪がはらりと揺れて、水底のような青い瞳が光る。
「――えっ? え……レヴィン様!?」
一瞬、ノーナの呼吸が止まり、頭のなかが真っ白になる。
ロレインの隣に座って黙りこくっていた人物――それは沈んだ表情をしたレヴィンだったのだ。
ノーナは勢いよく立ち上がり、ぷるぷると全身を震わせた。
嬉しさと恥ずかしさと驚きがない交ぜになって、顔が上気している。ついでに両足に力を入れて、逃げ出すまいとふんばっている。
「どどど、どういうことですか!? 説明してください、今すぐに!」
自分でも驚くほどの大声が出てしまった。やや間を置いてからノーナはハッとして、身をすくめる。目の前にいるレヴィンに、悪い印象を持たれたくない。
困った様子のロレインが、ノーナに向けて手をかざす。
「落ち着いて、ノーナ。言葉のとおり、貴方にレヴィン君の保護観察をお願いしたいの。……具体的に言うと、貴方の家を彼の住まいとして間借りさせてほしいのよ」
ノーナの体からしおしおと力が抜けていき、眉根を寄せながら椅子に座る。そんなタイミングで、ノーナが注文したミルクティーがテーブルに置かれていく。
とにかく、何か答えなくては。無言のままでは心証がよろしくない。ノーナはティーカップをむんずと掴んだまま、言葉を紡ぐ。
「つまり、下宿ですか。そもそも、なぜ私にそんな大役が?」
「貴方がもっとも適任だと思ったから。貴方にならレヴィン君のことを任せてもいいと、私が上に掛け合ったのよ」
光栄ではあるが、同時に荷が重いとも思った。この状況でレヴィンを直視することにためらいがあるのか、ノーナの視線が泳ぐ。
「私はともかく……レヴィン様はそれでいいんですか」
赤くなった顔を隠そうとうつむいたノーナは、熱々のミルクティーを少しずつ口に運んだ。ロレインは黙ったまま、レヴィンの反応をうかがう。
それから、しばらくは沈黙が続くかと思いきや、思いのほかあっさりとレヴィンが反応を示した。
「――僕は、なんだっていい」
その気だるげな声を聞いて、瞬時にノーナの胸が高鳴る。
ひどく冷めた、突き放すような口調。それでも、初めて耳にした推しの声だ。しかも、自分の問いに答えてくれたのだから、嬉しくないわけがない。
胸元を押さえつけて感動を噛み締めるノーナは、「ひぃ~! 生声だ~!」と素っ頓狂な奇声を上げて、上半身を反らせた。
その様子を見ていたロレインは苦笑する。おそらくは若干、引いている。ノーナはわざとらしく咳払いをしてから、正面を見据える。
「……やります。私にやらせてください。謹んでお受けいたします!」
――レヴィンのためならなんだってやる。図らずも、あの未熟な宣言が現実になるときが来たのだ。




