第三話:止まり木はどこに
受付での手続きを終えたノーナは、毛羽立った服の裾を揺らし、慣れた様子で白く無機質な廊下を歩いていた。
検査入院のため、数日間を過ごしていた病院での食事のおかげか、以前よりも少しだけ顔色が良くなっているようだ。
この保護更生施設には、ノーナの他にも多くの教団信者が入所している。ここを訪れるのは、事件や事故に関わる人々――被害者の他にも、捜査機関に携わる人や医療に当たる人など、多岐にわたる。
外観は古めかしい建物だと思っていたが、内部は意外にも活気があるようだ。時折、足を止めて壁に掛かった案内板を確認しつつ、施設の利用者たちを横目に観察していく。
きらびやかな鎧を纏った冒険者らしき格好の人や、用途不明な謎の形をした物品が、さも当然のように存在していて、それに誰も違和感を抱かない。改めて、ここが異世界だということを実感させられる。
どうやら施設内での魔法の使用は厳しく制限されているらしく、入り口の扉をくぐったあとも、何度も計測器らしき魔道具を目にした。
大して魔法を使えない者にとってはあまり関係のないものではあったが、そういう類いの危険性があるのだと思うと、少しだけ緊張してしまう。魔法がある世界ではどんな事故を想定しているのか……ノーナには見当もつかない。
やがて、ノーナはある扉の前で足を止めた。見上げる先には木製の表札があり、うっすらと「相談室」という、異世界の文字が書いてあった。
この場所に呼ばれたのは、ほかでもない。これから、ノーナへの事情聴取が行われるのだ。
小さく深呼吸をしてから、ノーナがドアノブに手をかける。
「……失礼します」
おそるおそる入った部屋には白衣を着た中年女性が一人、カルテを手にして椅子に座っていた。
「――ああ、こんにちは。どうぞ、そこに掛けて楽にしてね」
ノーナの来訪に気づいた女性が顔を上げ、ゆっくりとした所作で向かいの椅子へと誘導する。
ぎこちない表情のノーナが着席すると、キィと椅子がきしんだ。白衣の女性は丸い眼鏡のつるをつまんで、柔和に微笑む。
「初めまして。私は調査員の『ロレイン・ブリズ』よ。さっそくだけど、貴方の名前と年齢を教えてくれる?」
「ノーナ・スミシーです。十七歳です」
その返事を聞いたロレインは、カルテに視線を落として満足げにうなずいた。すでにこちらの情報を持っているのか、トントンとペン先でつつきながら確認作業をしているようだ。
「今日はよろしくね、ノーナ。家族構成を聞いてもいい?」
「……いません。父は事故で、母は病気で亡くなりました」
眉をひそめたロレインが「そう」と小さく呟いて、手にしたペンでカルテに文字を書き込んでいく。
教団から離れると同時に、容赦なく現実が押し寄せてくる。なるべく考えないようにしてきたけれど、事実なのだから仕方ない。
今さら外の世界に放り出されたところで、家族はおろか帰る家もなく収入もない。もはや、ノーナの手元には何も残っていないのだ。
「私は教団に入る前までは日銭を稼ぎながら、細々と生活していました。そんなあるとき、街で教団の幹部から声をかけられて……興味本位でついていった先で、現人神に出会ったのです」
「現人神、というと……レヴィン君のことね」
調子よくペンを動かしていたロレインが隙を見て、うつむきがちなノーナを一瞥する。
魔法の才や財力があれば、進学していたかもしれない年頃なのに、彼女にそんな選択肢は与えられなかったのだろう。ゆえに諦観しているのか、年齢の割に落ち着いているように見える。
「はい。彼をひと目見た瞬間、私は大きな衝撃を受けました。生まれて初めて、運命のようなものを感じたのです」
「あら、それはいわゆる『恋に落ちた』ということかしら」
そこは年相応な娘らしく色恋に興味があったのか、とロレインは驚きの声を上げた。そんなロレインの期待に反して、ノーナは首をかしげてうなる。
「うーん……実は、私と彼は言葉を交わしたことがありません。なので、自分でもこの感情がなんなのか、よくわかりません。今になって思えば、教団の影響下にいたこともあって、崇拝に近い感覚だったのかもしれません」
そう言ってノーナが苦笑を浮かべれば、つられてロレインも硬い笑みを作る。
「冷静な分析と回答、どうもありがとう。でも、思い出すのが苦しいときは、無理に答えなくてもいいのよ?」
「……わかりました。こちらこそ、お心遣いありがとうございます」
「まったく、貴方は他の信者と比べても冷静すぎて、逆に心配しちゃうくらい。心と体をほぐすためにも、お茶を飲まない?」
ロレインが机に向かって振り返り、軽く片手を振って魔法を使った。すると、いくつかの食器――ティーポットとカップがひとりでに宙に浮かび上がり、お茶を注ぎ始めた。そして、驚きの表情を浮かべているノーナの元へとカップが運ばれていく。
ふんわりと優しい香りが鼻孔を抜けていく。この世界でもいろんなお茶があるが、ロレインが勧めてきたものはハーブティーのようだ。
カップを受け取ったノーナが、ほっと短い溜息をつく。熱すぎずぬるすぎず、優しいぬくもりが、手のひらから体へと伝わっていく。
「まぁ、私は教団の中でも浮いてましたから。それに、私が推し……信奉していたのは、レヴィン様個人です。彼を囲って搾取するだけの教団には、さほど関心はありませんでした」
ノーナはお茶を一口すすってから、その半透明な茶色の水面をじっと見つめている。ロレインは静かにノーナの様子をうかがう。
「そう、本当は教団なんてどうでもよかった。私はただ、レヴィン様だけを見守っていたかったんです」
顔を上げたノーナはロレインの目をまっすぐに見据え、語気を強めて訴えかけた。
「レヴィン様は……無事、ですよね? 彼のためにできることがあれば、私はなんだってやります」
そんなノーナの紫色の瞳には、あきらかに焦りがにじんでいた。対するロレインは、少し困ったようにカルテに目を向けて何枚か紙をめくった。
レヴィン・ヘイロウ――齢十七歳、両親は六年前に事故で死亡。ノーナとは同い年で、寄る辺がない境遇も近いものがある。
彼の特殊な魔力については、現在も調査中。しかし、本人がとても大人しいため問題なく進んでいる、という話をロレインは同僚の調査員から聞いていた。
連日の事情聴取によると、レヴィンを引き取った親戚が彼の特殊な魔力に気づき、彼の意思を無視して悪用していたようだ。
彼を取り巻く親戚筋はあらかた取り調べを行ったが、すんでのところで逃走した奴が一人残っている、と下っ端の調査官がぼやいていた。教団にまつわる追跡調査は、まだまだ続きそうだ。
レヴィンのどこか影のある見た目も相まって、神秘的な魅力を感じるのは理解できる。
しかし、しょせんは「神様」としての能力を崇めているにすぎない。ほとんどの信者は、彼を「人間」として見ていなかったし、見る気がなかった。
ここに至るまでの調査資料を読んだ上で、そう決め込んでいたロレインは、ノーナの真摯な態度を見てハッとさせられた。
もしかしたら年齢や境遇が近い者同士、何か感じるものがあるのだろうか。少々、青臭い気もするが、彼女ならば……あるいは、と。
空のカップを持つ手に力を入れて、ロレインが切り出した。
「たしかに、彼は加害者かもしれないけど、被害者でもあるわ。情状酌量……彼にはまだ希望が残っていると、私は思っているの」
「それじゃあ……!」
はやるノーナの言葉を遮るように、ロレインは首を左右に振った。
「貴方の気持ちはわかるけど、今はまだ時間が必要よ。これから彼が『神様』ではなく『人間』として生きていくために、必要なものがたくさんあるの」
それに、とロレインが前置きしてから、
「レヴィン君のことを大切に思っているのはわかったわ。……でもね。まずは、貴方自身の生活を大切にしてほしい」
よどみない眼差しと口調で、ノーナをたしなめる。
調査員を務めているだけあって、ロレインの言い分には説得力がある。これにはさすがのノーナも肩を落として、黙りこくってしまった。
「もう、私には居場所がないんです。一応、文字の読み書きはできるけど、特別な技能も魔力もない。これからどうやって過ごせばいいのか、全然わからなくて……怖いんです」
喉を震わせて、ノーナが弱々しく言葉を紡ぐ。一度、素直に声にしてしまえば、どうにか押さえつけていた不安感が、胸の奥底からとめどなくあふれてくる。
「そんなに心配しなくても、私たちがちゃんと支援するから大丈夫よ。――この世界は、貴方が思っているよりもずっと不思議で奥深い。だから、もっと視野を広げていきましょう?」
負の感情の吐露を受けてなお一層、ロレインは優しく微笑む。そしてノーナに歩み寄り、その華奢な肩にそっと片手を置いた。
言葉に詰まったノーナは、胸元を苦しげに押さえながら、こくりと静かにうなずいた。




