第二話:早すぎる瓦解
「あーあ、今日も推し神様を拝めなかった……」
あの怪しげな儀式から数日が経過した。ノーナとしてなんとなーく活動していくうちに、徐々に自意識が同化していき、少しずつ記憶が蘇ってきた。
ここは、当たり前に魔法の力が存在する、ファンタジーめいた世界。この世界の人間を含む様々な生物が魔法を操り、あらゆる生活基盤に組み込まれている。
そして、現在ノーナが居ついている「天地命運教団」は、神にも等しい超人的な魔力を持つというレヴィンを、運命の神の依り代――「現人神」として担ぎ上げて崇めている、数十人程度の組織だ。
……どこからどう見ても怪しさ満載な組織だが、レヴィンだけは現人神と呼ばれても違和感のない、神秘的なオーラをまとっていた。初めて目が合った瞬間、全身に電流が流れたような激しい衝撃を受けたときから、ノーナの脳裏に焼き付いて離れない。
彼をここから助け出したいという気持ちは、転生後にもしっかり引き継がれているようだった。
しかし、唐突に始まった怪しい教団生活は、お世辞にも快適とは言えなかった。
水が入ったバケツを持って、教団の拠点である施設の軒下を歩くノーナは、盛大に溜息をついた。
(元々、体力がないせいか、すぐに疲れちゃうんだよねぇ)
どうやら、先日の儀式は「蘇生の術」と称されて行われたもののようで、意図的に異世界から魂を呼び寄せる儀式ではなかったらしい。
様々な疑問は残るが、今は目の前のこと――この世界を知り、慣れることの方が先だ。そんなふうに、最初こそ意気込んでいたノーナだったが、すぐに現実問題に直面することとなった。
情報収集をしようにも、この村社会のような小さなコミュニティから抜け出せないのだ。当然のごとく外出や情報は制限され、常に清貧であれと質素倹約を強いられる。
しかも、蘇生の術を施されるほどに、元のノーナは弱っていた。儀式は成功したとして、教団の幹部らしき人物から謝辞の声をかけられたが、いまいち心のこもっていない雑な対応だった。
一応、あの儀式のあとから、教団におけるノーナの待遇は良くなったらしい。……らしい、というのは以前の記憶が曖昧なせいだ。
ノーナの他にも、何人もの信者がこの施設で寝泊まりしているが、ノーナの変化――魂が入れ替わったことについて違和感を持つ者は、一人もいなかった。
ほとんどの信者は生気がないか、あるいは異様にギラついた目をしているかで、他人にはあまり関心がなさそうだ。
(推し神様に会えたら、こんな疲れなんて一気に吹き飛ぶのに)
こうして組織の施設で貧相な暮らしを送っていても、肝心の推し神様ことレヴィンの姿を拝めるタイミングは限られていた。
不定期に開催される信者に向けた集会や、客寄せの催しの際に、チラリと施設内を通り過ぎる場面を見かけたことはあったが、初めて会ったときのようにじっと目を合わせられる機会は一度もなかった。
若き青年、レヴィン。外見年齢はノーナと同じくらいで、わかることはその程度の情報のみ。
彼は常に分厚い謎のベールに包まれている。素性はおろか、彼自身の声を聞いた覚えがなく、本当は人間ではなく人形なのではないか、と囁かれているほどだ。
いつも魔石のついたチョーカーをしていることも、そんな憶測を補強する材料になっている。
運命の神の依り代、現人神と呼ばれる所以、特異な魔法を持つことだけは公言されているものの、それがどのようなものか具体的に知る信者は誰一人としていない。ただ、「そういうもの」として扱われている。
そもそも、この世界の運命の神とやらについて、ノーナはよく知らなかった。実際にそんな神がいるのか、それとも単なる謳い文句に過ぎないのか。十中八九、後者なのだろうと思っているが、とにかく真実が掴めない。
それでも、ノーナはめげなかった。これが二度目の人生だという自覚があれば、大抵の苦労は乗り越えられる。
剣と魔法の世界に転生したおかげで、何気ない日常生活すらも不思議と発見に満ちあふれているのだ。
(せめて、もっと強い魔法が使えたら、というのは高望みかなー)
元のノーナは魂だけで異世界に飛んでいける能力を持っていたのだから、さぞ強大な魔力の持ち主なのかと思いきや……現在のノーナの魔力は、スカスカの人並み以下だった。これには、さすがに他の信者にも驚かれた。
(たしか、元のノーナは推し神様――レヴィンの魔法を『増幅させた』……って言ってたっけ)
どんな手段を用いて、世界を越えて飛んできたのか。今となっては調べようがなく、再現もできない。
とはいえ、現代日本を生きていた身からすれば、魔法が実在すること自体が驚きなのだから、現在のノーナは深く思い悩まなかった。こうして生きているだけで幸運だ、と心から思っていた。
バケツを抱えて傾け、手洗い場に置かれた桶に水を流し入れる。ノーナはその冷たい水で顔を洗った。近くにあった硬いタオルで水気を拭き取り、曇った鏡に映った自分自身と目を合わせる。
もはや、この姿も見慣れたものだ。たしか、年齢は思っていたよりも若く、十八歳。焦げ茶色の髪は少しだけ肩に掛かる、レヴィンよりも短いくらいの長さで、瞳はくすんだ紫色。粗末な服を着ていて、特筆すべきことなど何もない、いたって平々凡々な容姿だ。
しいて特徴を挙げるならば、不健康なせいでどことなく不気味な印象がある。
どんな場面でノーナとしての記憶が蘇るのかは、自分自身でも予想がつかなかった。激しい頭痛や目まいを伴うことも多くあり、そのせいで周囲から気味悪がられたりもした。しかも、ノーナの記憶で上書きされるように、前世の記憶は次第に薄れつつあった。
しかし、そんな状況でもノーナはハッキリとわかっていた。
(この教団……やっぱりインチキ悪徳組織だよ)
レヴィンを間近で見守っていたいが、こんなトチ狂った教団からは逃げ出したい。最近のノーナの脳内は、その願いで埋め尽くされていた。
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――そんなノーナの慎ましくも悩ましい教団生活は、突然に終わりを迎える。
「皆様、どうか落ち着いて聞いてください。これからここは、捜査当局の管理下に置かれます」
ある日、いつものように運命の神へ祈りを捧げていたところ、物々しい格好をした人々が扉を押し破って侵入してきたのだ。
槍や杖といった武器や頑丈そうな盾、木箱や麻袋を持った者が次々と祈祷の場である広間になだれこむ。
「きゃあ! やめて、そのお守りに触らないで!」
「おい、勝手に祭壇に上がるな!」
どうやら告発か何かがあったのか、前世で言うところの「ガサ入れ」が、教団に対して行われることになったようだ。
大きな怒鳴り声に、耳障りな金切り声……人々の思惑と行動が入り乱れて、教団施設は一時騒然となった。
迫り来る捜査の手から逃れようと、教団幹部たちは必死の形相で施設内を走り回る。一方、状況を飲み込めない信者たちが、その姿を不安げに見つめて身を寄せ合っていてシュールな構図だった。
「うわー、大変なことになってきたなー」
当のノーナはというと、喧騒のなかで一人ぼんやりと立ち尽くしており、いつの間にやら捜査関係者らしき女性によって保護されていた。他の信者とは違って、これといって抵抗する理由も力もないので、極めて穏便に。
そうしてノーナは激流に押されるように、教団の施設を後にすることとなった。
そのあとは、急速に事態が進展して、トントン拍子に問題が解決していった。
ノーナの予想どおり、悪徳組織だった天地命運教団には解散命令が下され、ほとんどの幹部は身柄を拘束された。今後は取り調べを受けて、留置所や拘置所へと移動していくのだろう。
もちろんノーナを含む信者たちも、すぐに解放というわけにはいかず、しばらくは更生保護施設に入所して、事情聴取やカウンセリングを受けることになった。
これでようやく教団から逃れられる。そしていずれは、自由に外の世界へ出られるだろう。それ自体はとても嬉しいが、心残りも大いにある。
「……レヴィン様、どうかご無事でいてください」
教団の幹部がどうなろうと、全く興味はない。しかし、あの感情が消え失せたような、暗く虚ろな瞳が頭のなかでチラつく。
彼は今、どこで何をしているのだろう。そしてこれから先、どうなってしまうのか。ノーナにとっては自分の今後よりも、彼の行く末のほうが心配なのだ。
前任ノーナの言葉と肉体に残った記憶によれば、実のところ彼自身は幹部から搾取されていた弱い立場のはず。教団での事情はともかく、彼をどうにかして守れないものか。
しかし、自分にそんな大それた力がないことは、すでに嫌というほど理解している。ノーナは歯噛みしながら、更生保護施設――その重い扉を押し開けた。




