第一話:光る玉に導かれて
人生の転機というものは、得てして唐突に、思いもよらない形でやってくる。
「――起きなさい、私!」
頭のなかに張りのある声が響き渡る。その声によって、乃奈美の意識がぼんやりと浮上する。元より眠っていたつもりはないが、何が起こっているのかまったく理解できていない。
そんな乃奈美の視線の先には、白く光る球体が浮かんでいた。むしろ、その球体以外は闇そのものだった。
「よしよし、目が覚めたわね? 初めまして、乃奈美。私の名前はノーナ」
「……は? 何これ、球体が喋った?」
「まぁ、そうね。でも、貴方だって球体よ?」
いきなり何を言っているんだ、この玉コロは。もしや、ここは夢の中なのか。そんなふうに思った乃奈美が、自身の頬をつねろうかと片手を持ち上げようとして、ようやく気づいた。
乃奈美もまた、ノーナと名乗った球体と同じ見た目になっているのだ。
「手がない……というか、体がない!? どうやって喋ってんの、これ」
「そこは気にしないで。これから貴方には、別の世界に転生してもらうわ」
乃奈美らしき球体が、真っ暗な空間のなかでぴょんぴょんと飛び跳ねた。
「ええっ!? 私、そういうのに興味ないから、元に戻してほしいんだけど」
「残念だけど、地球っていう世界にあった貴方の肉体は、すでに滅びているみたいね。だから、こうして私が介入できているのだけど……」
「知らない間に死んでた。ていうか、さっきから話のスケールが大きい。貴方は誰なの? もしかして、神様?」
一つの球体がもう一つの球体の周りを回っている。多少、動きの違いはあれど、二つの球体はまったく同じ見た目をしている。
「あはは、神様というよりは信者ね。私は、異世界での貴方。……要は、同じ魂を持つ者よ」
せわしなく動いていた球体の動きがピタリと止まった。そして、かすかに上下に浮かんだり沈んだりした。溜息をついたか肩をすくめた動作のつもりらしい。
「……なるほどね。多世界における自分自身との遭遇、ってこと。そして、ここは世界と世界を繋ぐ、便利な亜空間!」
「さすがは私ね。理解が早くて助かるわ。これから乃奈美は私がいた世界、私の肉体で第二の人生を送るのよ」
ついさっきまで自分が死んだことを知らなかった上に、なぜか次の転生先まで決まっているとは。乃奈美は額を押さえようとして……できなかったので、代わりにうなり声を上げた。
「んんー……まだ理解が追いついてないけど、とりあえず話を続けようか。それで、貴方の目的は何? 滅亡寸前の世界から逃げてきた、とか?」
「私の肉体的には死にかけだけど、世界が滅亡するわけじゃないわ。ただ、私の小さな世界……私の推し神様が、危険な状況にあったのよ」
球体の一つが小刻みに震えた。相変わらず、その動作から感情は読み解けそうにない。
「え、なんて? 推し……神様?」
「……笑わないで、真面目に聞いてね? 推しはとある教団で『現人神』として崇められていて、私はその教団の信者だったの。それで、推しのために献金していたら、あっという間にお金が底をついてしまって。最終的には肉体を捧げることになって……謎の儀式の生け贄になってしまったの!」
球体が激しく動き出して、もう一つの球体にぶつかっていく。二つの球体が意味もなくじゃれるように空中でよろめき合う。
「いやいや、ちょっと聞いただけでも、とんでもない教団じゃない! なんで逃げなかったの!?」
「当時の私は、貴方みたいに冷静な思考を持ち合わせていなかったのよねぇ。頼れる身寄りはいないし、逃げ場がないと思い込んでいたのよ」
そう言って、ノーナは大きく溜息をついた。続けざまに、乃奈美も溜息をつく。
「生け贄に選ばれたことで、ようやく教団の異常性に気づいたわ。彼らは現人神と称して、推しを利用しているだけだって。それからは、どうにかして推しを助けようとしたんだけど……上手くいかなかった」
「うーん、内情は思ったよりヘビーだった。でも、推し活に捧げて散った人生……その熱い気持ちなら、私にも理解できるよ」
二つの球体がそっと寄り添い合う。腕がないので抱きしめられないが、気持ちだけは伝わっていると思いたい。
「だから、私は最後の力を振り絞って、推し神様の魔法を増幅させて……こうして貴方に会いに来たの。私の代わりに、貴方が次なるノーナになって、推し神様を救うのよ!」
「人の魂を残機みたいに扱うな! ……って突っ込んでも、どうせ行くしかないんでしょ!?」
「ええ、そのとおり。もうあまり時間もないみたいだし」
ノーナがそう言い終えるやいなや、暗闇で光を放っていた二つの球体が、タイマーよろしくチカチカと点滅しはじめた。
「ところで、私が異世界でノーナになるとして、貴方はどこに行くの?」
「私は貴方がいた世界――地球に行くつもりよ。新しい世界で、新しい推しを見つけたいわ!」
「この流れでしれっと推し変宣言しないでよ」
ノーナらしき球体が回転しながら上昇していく。その光は儚げで、次第に弱まっていく。しかし、その口調はどこか上機嫌だ。
「大丈夫、きっと貴方も彼を好きになるわ」
「こっちとしては、まだまだ聞いておきたいことがあるんだけど」
「細かい話はノーナとして目覚めたときになんとなーく思い出せるわよ」
そんな悠長な、と乃奈美が反論しかけたところで、ぐにゃりと視界が歪み意識が遠のく。たしかに、和やかに会話を続けるほどの猶予は残されていないらしい。
「それじゃあ、健闘を祈るわ」
「うん、お互いにね」
ノーナと乃奈美は、最後に短く言葉を交わした。
なんといっても、自分と自分なのだ。不思議なことに、あまり不安はない。言いたいことや成すべきことは、感覚的に共通しているのだろう。
やがて、暗闇に浮かんでいた二つの光は消え失せて、乃奈美の意識は眠るようにまどろんで沈んでいく。
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「――ご覧ください! これこそが紛れもない、神の御業です!」
高らかな叫び声によって、乃奈美の意識が一気に覚醒した。驚きで見開かれた紫色の瞳には、薄暗い天幕のようなものが映った。おそらくは室内だが、明かりは少ない。
視界の端では、風もないのにいくつもの細長い影がゆらゆらと動いている。近くでお香でも焚いているのか、甘い匂いが鼻腔をくすぐる。
とりあえず、無事にノーナとして転生できたようだ。……しかし、とにかく体が重い。気合いで手首を動かしてみたところ、固い場所に横たわっているということがわかった。
状況を理解するためには、つらくても起き上がらなければ。そう考えた乃奈美ことノーナが、肘を支えにしてずるずると上半身を起こすと、耳をつんざくような大きな歓声と、割れるような拍手が周囲から湧き上がった。
「わぁ、すごい! 本当に生き返った!?」
「やっぱり、あの御方の力は本物なんだ!」
ここはノーナが生け贄になったという謎の儀式の、真っ只中のようだ。得体の知れない観衆――怪しげなローブに身を包んだ人々が、辺りを埋め尽くしている。彼らは一様にこちらを見つめて、好奇か畏怖の表情を浮かべている。
(これは……私を歓迎している、ってわけじゃないよね)
起き上がったノーナが目を白黒させていると、その視線を遮るように人影が立ちふさがった。
「皆様、おわかりいただけましたでしょうか。彼こそが現代を生きる現人神……『レヴィン』様です!」
司会者じみた男の、不自然なまでに感情と抑揚を乗せた声が響き渡る。
しかし、ノーナの耳にはその声は届かない。ノーナはじっと一点を見つめていた。目の前に立った人物、その顔を穴が開くほど凝視していた。
癖のない暗い灰色の長髪からのぞく瞳は、虚ろな青。肌は白く痩せぎすで、生気がないのに蠱惑的な美しさがある。
そんな、謎めいた雰囲気をまとった若き青年もまた、黙ってノーナを見下ろしていた。
おそらく、彼がレヴィンと呼ばれた現人神――そして、
(彼が、推し神様……!)
前任のノーナが「推し神様」と呼んでいた、その人に他ならない。
ドクドクと心臓が高鳴り、こめかみが締め付けられるように痛む。ふと、生暖かい感触があったかと思えば、鼻の穴から血が垂れていた。それでも、ノーナは目が離せない。
(これは、推せる……いや、全身全霊で推す!)
呆けた表情で鼻血を流すノーナを見ても、レヴィンは眉ひとつ動かさない。それどころか、興味を失ったかのように、ふいと背中を向けた。
レヴィンが反対側を向くと、またしても周りからわっと歓声が上がった。観衆の中には、レヴィンに向かって手を合わせて拝んでいるような人もいた。
はたして、この異世界転生は、レヴィンの力によるものなのだろうか。前任のノーナ曰く、「彼は利用されている」とのことだったが……今は何も考えられない。
危うい熱気や喧騒など、どこ吹く風。ノーナは部屋の奥へと立ち去るレヴィンの背中を、ひたすら見つめていた。




