第十二話:面影を追いかけて
建物の隙間からのぞく青空には白く薄い雲が浮かび、せかせかと歩く人々の間に爽やかな風が吹き抜ける。
ここはノーナが以前、一人で住んでいた街の、賑やかな声が行き交う大通りだ。
ノーナは涼しい顔をして、雑踏の隙間を縫って歩く。どんなに細く入り組んだ通路であっても、ノーナにとっては通い慣れた道だ。日陰に溜まった水溜まりを身軽に避けて、道案内の看板には目もくれず、迷うことなく進んでいく。
実はその後ろに、フードを被ったレヴィンがついてきているのだが……もちろんノーナは気づいていない。
肩で息をするレヴィンは、ノーナに視線を向けつつ壁や柱に身を隠して、つかず離れずの距離をどうにか保っている。
「うう……気持ち悪い。めまいを起こしそうだ」
家を出てしばらくの道中は、問題なく移動できた。しかし、街に近づくにつれて人の往来が増えていくと、目に見えて疲労の色が強くなった。
案の定、慣れない人混みと喧騒に、レヴィンは後悔の念を抱き、弱音を吐いてしまった。ノーナを追跡するために、魔力を視認する能力を用いているせいで、人々が持つ様々な魔力が混じり合って見えているようだ。
時折、道行く人に怪訝そうににらまれたり、小さな犬に吠えられたりしながらも、レヴィンはノーナの後を追って初めての街中を一人で歩く。
終始、レヴィンの鼓動は速まっているが、それは好奇心を満たす楽しさからくるものではなく、緊張と恐れによる負荷の表れだった。何度か足を止めて深呼吸を繰り返してみても、この状況下では収まる気配はない。
前を歩いていたノーナが、不意に足を止める。そこでようやく手にしていた紙切れ――地図か手紙らしきものに視線を落としている。ノーナの目の前には、古めかしくも大きな建物が建っている。
(あそこは……図書館、か?)
どうやらノーナが立っているのは、図書館の入り口のようだった。ノーナは図書館に入るでもなく、キョロキョロと辺りを見回している。
その様子を見て何かを察したレヴィンは顔をしかめた。おそらくは、誰かと待ち合わせをしているのだろう。
(まさか、ノーナに限ってそんなはずは……)
嫌な想像が脳内を駆けめぐり、レヴィンは首を左右に振った。ノーナのことを知り尽くしているわけでもないのに、あれこれと決めつけるのは早計だ。
レヴィンは少し離れたところに設置された外灯に張り付いて、自然を装いつつノーナを横目に観察する。ノーナは胸元で鞄を抱え、落ち着きなく体を揺らしていた。
それから少し経って、道の向こうからレヴィンも見知った顔が近づいてきた。
――あれは、調査員のロレインだ。彼女の助手なのか、学者然とした男性を引き連れており、笑顔でノーナへ近寄っていく。
ノーナとロレインが今も連絡を取り合っているのは、レヴィンも知っていた。しかし、その会話の内容までは踏み込んで尋ねたことがなかった。
それなりに離れているせいで、彼らの声は聞き取れそうにない。魔法を使えば声を拾えるかもしれないが、誰かに感づかれる可能性が高い。レヴィンは歯噛みしながら、談笑する様子を見つめる。
ロレインと朗らかに会話していたノーナが、持っていた鞄の中から小箱を取り出して二人に見せた。それが視界に飛び込んできた瞬間、レヴィンは大きく目を見開いた。衝撃のあまり路地に飛び出そうとして、やっとの思いで踏みとどまる。
(ノーナはあの小箱に魔封石を入れていた。いつも大事そうに持ち歩いていたのに……どうして、ロレインに渡すんだ?)
まるで半身を割かれたような、痛みにも似た強い衝撃だった。そんなレヴィンの反応をよそに、ノーナは真剣な表情で、二人に向かってこんこんと何かを語っている。
ロレインと助手の男性は、小箱の中身をのぞき込んで、驚いたように身じろいだり目を合わせたりしている。
彼らをじっと見ていると、またもや嫌な想像が湧き上がっては霧散していく。
やがて、彼らが連れ立って図書館の中へ入って、その姿が見えなくなったと同時に、レヴィンはくるりと背を向けて通りを駆け出した。
それから先、レヴィンはどうやって家まで帰ってきたのか、よく覚えていなかった。何回か通行人とぶつかって悪態をつかれたような気もするが、どうにも記憶が曖昧だ。それに、ひどく疲れた。体だけでなく、なんとなく胸の奥が重苦しい。
レヴィンは真っ直ぐに薄暗い自室へと戻り、硬いベッドに倒れ込んだ。ノーナが小箱を手渡す瞬間……あの光景ばかりが、ぐるぐると頭のなかで再生される。
懸命にノーナを追いかけた結果、今のレヴィンに残されていたのは、黒く沈んだ感情――不信感だけだった。
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次の日の朝。レヴィンは体調不良のフリをして、心配するノーナの声を無視して部屋に閉じこもった。そして、ノーナが仕事に出ていったあと、もぞもぞと庭仕事の準備をはじめる。
あんなに穏やかで温かかった二人の同居生活は、いつの間にか窮屈で形式的なものへと変わろうとしていた。
慣れた手つきで支度を済ませたレヴィンが、暗く冴えない顔つきで庭へ出る。すると、誰かがこちらに向かって近づいてくる、ゆっくりとした足音がした。
日中、予告なくこの家を訪ねてくる者はいない。ノーナもレヴィンに気を遣ってか、他人を家に招くようなことはしない。
咄嗟にレヴィンが身構えて、音がしたほうへと視線を投げかける。かすかに識別できる魔力の色は、どこかで見たような覚えがあった。
くしゃり、と小石を踏みしめるのは、牧歌的な風景にはどこか不釣り合いな洒落たパンプス。妙に都会的な身なりをしてはいるが、どことなく不審な女――しかし、レヴィンには見覚えのある人物がそこに立っていた。
女はレヴィンを見つけるやいなや、目を引くような赤い口紅を塗った唇をニヤリと釣り上げて、無遠慮に距離を詰めてくる。
「よっ! 久しぶりだね、レヴィン。元気してた? やーっとお前に会えて、ほっとしたよ」
「……セリーヌ?」
この怪しげな女は、レヴィンの母方の親戚にあたるらしい人物――「セリーヌ」だった。
本人曰く、レヴィンの「はとこ」か「いとこ違い」か、そんな自己紹介をしていた気がするが、実際には真偽不明だ。てっきり、教団幹部として逮捕されたと思っていたが、こんなところで再会することになるとは、夢にも思わなかった。
状況を把握しきれず、レヴィンは眉をひそめて困惑している。しかし、そんな反応などお構いなしに、セリーヌは親しげに肩を組む。
レヴィンは「ぐっ」とうめき声を上げて、思い切り顔をしかめた。セリーヌはどこかに身を潜めていたのか、衣服には乾いた葉や砂がついている。
「いや〜、てっきり忘れられたかと思っていたけど……名前まで覚えているなんて嬉しいねぇ」
レヴィンは億劫そうに体をよじらせて、セリーヌから一歩離れる。
「今さら、何の用だ」
「おおっと、ずいぶんなご挨拶だ。少し見ないうちに、すっかり人間じみてきたね。このボロ家で一緒に住んでるっていう……『嬢ちゃん』のおかげかい?」
「――――」
薄ら笑みを浮かべるセリーヌを、レヴィンが鋭くにらみつける。そのあからさまな態度を見たセリーヌが、クックッと満足げに喉を鳴らした。
「まったく。あの無表情だった人形が、一丁前に男の顔つきになるもんだ」
軽微な魔法でも使って威嚇してやろうかと、レヴィンが片手を差し出すと、セリーヌは両手を挙げておどけてみせた。
「よしとくれ、アタシは丸腰だよ? お前と敵対する気はない。むしろ、逆さ」
「……どういう意味だ」
「あの嬢ちゃんにも関わる話さ。ここで立ち話もなんだ、家のなかで話そうじゃないか」
そう言ってセリーヌはにっこりと笑った。その作り笑いを見ていると、反射的に昔を思い出して、レヴィンは身をすくませてしまう。
きっと、ノーナがいない時間を狙って、自分に話しかけてきたのだろう。そう考えると、ここで提案を断ったところでしつこく何度も押しかけてきそうだ。
話をつけるのなら、早いほうがいい。それに、ノーナにはセリーヌを会わせたくない。
セリーヌはいわば、過去のしがらみのような存在だ。そんなセリーヌを前にして、冷静さを失った自分の姿を、ノーナに見られたくない。
レヴィンはしばらくその場で逡巡していたが、ようやく覚悟を決めたのか、渋々ながら小さく首肯した。
「そうこなくっちゃ! なぁに、お前にも利がある話だよ」
セリーヌは意気揚々と再びレヴィンの肩に腕を乗せ、捕らえた獲物を離さないとばかりにぴったりと密着する。レヴィンはのしかかる重みに溜息をつきながら、のろのろと玄関を通り抜けた。




