第十一話:凶兆の使者
民家も外灯も少ないので、この家の周辺はあっという間に暗くなる。そんな静かな夜に、それはやって来た。
ひとり居間で本を読んでいたレヴィンが、はたと顔を上げた。どうやらノーナの魔力、その接近を察知したようだ。レヴィンがそそくさと、玄関へと駆け寄っていく。
たいていの場合、ノーナは帰宅の挨拶とともにレヴィンの名前を呼んだ。そのため、レヴィンはあらかじめ玄関から見えるところにいることが多かった。
しかし、扉まであと数歩のところで、レヴィンはピタリと足を止めた。
(記憶にない、魔力を感じる……)
扉越しにでも、目を細めればうっすらと感じ取れる。どこか温かい、ノーナの赤みがかった黄色……その近くに、見覚えのない魔力の揺らぎがある。思い当たる節はない。
よくよく耳をそばだてると、二人分の話し声が聞こえてきた。もちろん、一人はノーナだ。そして、もう一人は……
(……これは、男性の声?)
外の状況を察した瞬間、肩と心臓が跳ねた。ノーナが人を連れて帰宅するのは初めてのことだ。いったい、どんな顔をすればいいのか。それとも、急いで姿を隠したほうがいいのか。そうやってレヴィンが戸惑っているうちに、ゆっくりと扉が開く。
「ただいまー……あっ!」
やけに低姿勢なノーナが、ためらいがちに顔をのぞかせる。どんなに疲れていても、自宅に入ればもう少し明るく振る舞っていたはずなのに、今日に限って様子がおかしい。
レヴィンが抱いた違和感の理由はすぐにわかった。ノーナの横から、見知らぬ男性――カイルがひょっこりと現れたのだ。カイルは口角を上げて、レヴィンに向かって調子よく片手を上げた。
「どーもどーも、君が例の……保護観察中の少年くん、だね?」
呆然と立ち尽くすレヴィンと相対しても、カイルはまったく動じない。それどころか、あきらかに見下した態度で接してきた。
詮索好きらしいカイルは、レヴィンよりも向こう側、家のなかをジロジロとのぞき見る。
「へぇー、思ってたよりもいい生活してんじゃん。もしかしてノーナ、結構なお金、もらってる?」
どこの馬の骨ともわからない男が、なぜレヴィンの素性とノーナとの関係性を知っているのか。いろいろと疑問は尽きないが、とにかく今は危険を遠ざけるべきだろう。
レヴィンは息をのんで、カイルを押しのけて家に入ってこようとするノーナに、助けを求めて目配せした。しかし、ノーナもまたこの状況に驚いているようで、その挙動には焦りと怒りがにじみ出ている。
そして、どうにかカイルとレヴィンの間にすべり込んだ。背中でレヴィンを隠すように立ちふさがったノーナは鼻息荒く、カイルをにらんだ。
ここはレヴィンのためにも、毅然とした態度を見せなければ。そう思ったノーナは険しい表情で、
「レヴィンは私の大事な『客人』です。失礼なことを言わないでください。それじゃ、さよなら!」
と大声で叫んでから、思い切りカイルを押し返して、すぐさま扉の鍵を閉めた。
ほどなくして、ズルズルと扉にもたれながらしゃがみこみ、ノーナは大きく長い溜息をついた。
明日からどういう顔をしてカイルに接すればいいのか。いや、何よりもレヴィンを優先すべきだ。自分の選択は間違っていない。様々な思惑が一瞬にして頭を駆けめぐる。
ようやく我が家に帰ってこられたという安堵感からか、一気に疲労が押し寄せる。ノーナは思い切り脱力していた。
しかし、そのすぐそばでは、いまだにレヴィンがぼんやりとした表情で立っている。
「……驚かせてごめんね。彼はカイルといって、街の飲食店で一緒に働いている人なんだけど……どうにも押しが強くて、高圧的なんだよね」
ノーナは近くの壁に手をつきながら立ち上がり、努めて明るい口調で弁明する。
対するレヴィンは、心ここにあらずといった様子で「そう」と、ぎこちなく短い言葉を返すのみだった。
突如として降りかかってきた現実に、レヴィンはひどく打ちひしがれていたのだ。あまりに無知な自分に閉口している、と言ってもいい。
当然のことながら、ノーナにはノーナだけの、レヴィンの知らない日常がある。どうして、ノーナがいつまでも自分だけを優先してくれると思い込んでいたのだろう、と。
(なるほど。僕は、ノーナの『客人』か)
カイルの無礼な態度については、ノーナが厳しく言い返したので少しは気が楽になった。しかし、問題はそのときに放たれた言葉だ。
まさか、たった一言がこんなにも深く突き刺さるとは、レヴィン自身もにわかに驚いている。
ついに黙りこくってしまったレヴィンを、ノーナは心配そうに覗きこむ。
「レヴィン……大丈夫? もう彼からの見送りは断るから、あまり気に病まないで」
ノーナはそう言ってレヴィンをなだめようとするも、夜も更けてから一人で帰宅することが危険なことぐらい、レヴィンも理解している。しかし、その瞳は不安そうに揺れ動いていた。
「もう僕のことはいいから、自分のことだけを心配してくれ」
そう言い残して、レヴィンは踵を返して自室へと引っ込んでしまった。咄嗟に呼び止めようとして差し出したノーナの片手が、むなしく宙を掴む。
無論、ノーナにとっても、レヴィンは単なる同居人ではない。
過酷な現実をなんとか生き抜こうと、少しずつ変わっていく彼を、丁重にもてなして労ることこそが、自分の役目だと心から信じているのだ。
ふと、ノーナが溜息まじりに居間のテーブルに視線を向けると、小ぶりの花瓶が置かれていた。その花瓶には二本の花――以前、ノーナとレヴィンの魔力に似ていると話していた花々が飾られていた。
「……私ってば、何を間違えたんだろう」
柱時計から大きな音が鳴って、ノーナの呟きはかき消された。
より良い未来を目指して懸命に走ってきて、その先に何が見えるのか。今はもう、暗い不安が立ちこめるばかりだ。
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あの日以来、レヴィンのノーナに対する態度が変化した。返事は淡白で短く、顔を合わせる時間も短い。ようやく近づきかけていた心の距離が、ここにきてまた少し離れてしまったようだ。
当然のことながら、ノーナからの態度は相変わらずだったが、それでも時折、悲しそうに笑うことがあった。
そんなノーナはレヴィンの不安を解消するべく、忙しくこなしていた仕事の量を減らしていった。しかし、その代わりに休日に外出することが増えたようだ。
「行ってきます。暗くなる前には帰ってくるけど、鍵はしっかり掛けてね」
そう言って家を出たノーナは、隣の大きな街まで出かけているらしく、すぐに帰宅することはなかった。そして、決まってお土産に本を買ってきては、レヴィンにプレゼントした。
(そんなに僕は、物欲しそうな顔をしているのか?)
レヴィンは本を受け取りながらも、胸の奥底にほの暗い感情が溜まっていくのを感じていた。この感情がなんなのか、レヴィンには理解できない。わざわざ自省して、理解しようとも思わない。
しかし、このままではいけない。そのうち心身にも不調をきたしそうだ。それだけはわかっている。家にいても一人で悶々とするだけで、解決策の見えない漠然とした焦りだけが募っていく。
何度目かのノーナの外出のとき。その後ろ姿を見つめながら、レヴィンは決意した。ノーナには内緒であとを追って、単身で街へと出ていくことにしたのだ。
いい加減、読書にも飽きてきたところだ。それに、そろそろ雑多な人混みにも慣れておくべきだろう。そう自分に言い聞かせ、ノーナが去ったのを見計らって、レヴィンが外套を羽織った。
しかし、勇んで外に出てみたものの、この家から遠く離れようと意識すると、なぜか体がすくんでしまう。
レヴィンの脳裏に蘇るのは、教団生活で人々から向けられていた不気味な視線だった。信者たちの暗く重々しい魔力と、幹部たちの鋭く尖った警戒色のような魔力――思い出すだけで、嫌な気分になる。
(大丈夫。僕だって少しは『人間』らしく成長したはずだ)
唇を引き結んだレヴィンの瞳に、かすかに光が宿った。その深い青の瞳は徐々に、淡い水色へと変色していく。
いまや、ノーナの過剰なまでの励ましの言葉がなくとも、しっかりと自分の意思と足で行動できる。それを実証できなければ、ただ日々を無為に過ごしているだけだ。
無理やりにでも自分を奮い立たせ、レヴィンは前を見据えた。そんなレヴィンの目には、先を行くノーナの魔力がうっすらと見えている。
そのか細い魔力の筋を追いかけるように、レヴィンは力強く地面を蹴って歩き出した。




