第十話:見え隠れする心は
レヴィンのためにも、自分のためにも、もっと豊かな生活を送りたい。そのためにはもっとお金を稼がなければ。
日々の生活に対する向上心が強まった結果、ノーナは次第に仕事量を増やすようになった。案の定、帰宅時間が遅くなったり、休日が少なくなったりしていく。
見かねたレヴィンが、出勤前のノーナに声を掛けた。
「どうして、そこまで必死に働かないといけないんだ? ある程度の金は、支援機関からもらっているだろう」
「うーん、もう少し余裕のある生活をしたいんだ。……私なら大丈夫だよ。レヴィンのことを思えば、疲れなんて吹き飛んじゃうんだから」
ノーナはそう言って、にっこりと笑ってみせた。さすがのレヴィンでもわかる、空元気だ。しかも、ことあるごとに自分の名前を引き合いに出されるのは、どうにも居心地が悪い。
しかし、レヴィンはノーナを心配することはあっても、止めることはできなかった。社会というものについて、知識も経験も不足しているという自覚、負い目があったからだ。
たしかに、住み始めた当初よりも、家具や衣服が増えて、身の回りの道具は充実してきた。
とはいえ、道具や食事が充実していくとともに、ノーナとレヴィンの交流時間が少しずつ減っていることに、レヴィンだけは気づいていた。気づいたうえで、口にしなかった。
ノーナの苦労を否定するような、出過ぎた真似はしたくない。そんなことをすれば、彼女が倒れてしまうかもしれない。漠然とした、恐怖に近い感覚が心の隅に宿っていた。
「うーうー……つーかーれーたー」
ある晩のことだった。ひどく疲れた状態で帰宅したのか、ガチャガチャと乱暴にノブを回す音を響かせて、ノーナが家に入ってきた。
ふらつく足取りで飛び込んできたノーナは、弱々しい声でかろうじて帰宅を知らせる。
それを耳ざとく察知したレヴィンが、不安げな表情をしながら駆け寄る。そして、ノーナがうっかり倒れてしまわないよう手を差し伸べた、その瞬間。
「……ちょっ、ノーナ!? 何してるんだ!」
鞄を置こうとしたノーナの両足がもつれて、勢いよく前方へと倒れ込みそうになった。しかし、そのすんでのところでレヴィンに抱えられる。
もちろん、それなりの重さと衝撃はあったが、毎日の庭仕事のおかげで体力がついたレヴィンが、どうにかノーナを支えたので怪我は防げた。ノーナの頭がずるずると傾いて、レヴィンの肩にもたれかかる。
「ねむいー、ねるー」
脱力しているせいで、余計に重たい。意識が朦朧としているらしいノーナが何か呟いているが、今のレヴィンにはひとつも聞き取れそうにない。
(ノーナ、意外と肩も腰も、華奢なんだな。……って、いや、この体勢はマズくないか!?)
こうしてノーナを抱えていると、なぜだか思考が鈍ってくる。やや間を置いて、レヴィンはようやく状況を理解したのか、ハッとして顔を上げた。その頬や耳は、ほんのり赤く染まっている。
この状況……かつてない距離感だ。以前、手を繋いだことはあったが、それ以上の接近だった。
急に真顔になったレヴィンが、焦ったようにキョロキョロと居間を見回す。そこで目についた一人掛けのソファへと、ノーナを寝かせることにしたようだ。ゆっくりとした足取りで、慎重にノーナを運んでいく。
少しばかり窮屈そうだが、このソファは彼女が格安で購入したと喜んでいた、お気に入りのものだ。できるだけそっと手を離したレヴィンが、ほっと小さな溜息をついた。
ノーナは目を閉じて、すうすうと気持ちよさそうに寝息を立てている。レヴィンは自身の胸に手を当てて、ノーナから背を向けた。
いまだに心臓がうるさく高鳴っている。呼吸もどことなく重苦しい。
普段のノーナは、大げさなまでにレヴィンを褒めては、あきれられている。
すでに自分が「神様」ではないように、ノーナも「信者」ではないのなら、どうしてそんな妄信的なやり取り――わざと距離を置くような、曖昧かつ対等ではない関係を続けているのだろう。
うまく言語化できない、もやもやとした気持ちが湧いてくる。レヴィンはなるべく物音を立てないようにして、自室へと引っ込んでいった。
――その翌朝。ノーナはいつもどおり、元気に朝の挨拶をして、家から出て行ってしまった。
昨日のことなど覚えていないのか、朝食の際にも一切触れられずに、レヴィンはひとり居間に取り残された。
憂鬱そうにレヴィンが肩をすくめ、昨晩ノーナが横たわっていたソファに目を向ける。
(……やっぱり、落ち着かない)
まるで、胸の辺りを冷たい風が抜けていくようだ。この感覚を、なんと呼べばいいのかわからない。
沈んだ気持ちを切り替えるべく、レヴィンは玄関の扉を開けて、陽光が差す庭へと向かった。
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久しぶりの休日がやってきた。ノーナはこの日に用事を集中させていて、朝から忙しそうに出かけていった。
そして、ようやく買い物から帰ってきたとき。庭仕事をしていたレヴィンから、思いがけず声を掛けられた。
「――ノーナ。これを、君に」
そう言ってレヴィンが差し出してきたのは、色鮮やかな花束だった。それは庭で咲いていた花をいくつか束ねたもので、なかには初めて見るような花もあった。
最近は野菜の他にも手広く植物を育てている、ということは知っていたが、こんなに綺麗な花まで咲いていたとは。ノーナは驚きながらも微笑んで花束を受け取る。
「ありがとう! 素敵な花だね」
「この花が纏う魔力と君の持つ魔力は、色合いが似ている。気休めかもしれないが、この花から魔力を受け取れば、少しは体が楽になるはずだ」
どうやら、レヴィンなりにノーナを心配して、気遣ってくれているようだ。ノーナはしばらくうっとりと花束を見つめていたが、いきなり顔を上げて呟いた。
「……レヴィンの魔力と似ている花はないの?」
唐突なノーナの質問に、レヴィンは顎に手を当てて思案する。
「僕の魔力と、似ているもの……? 今まで探そうと思ったことがなかった」
「私には魔力は見えないから、ただの好奇心でしかないんだけどね。せっかくなら私だけじゃなくて、レヴィンの花も見てみたいなって」
照れくさそうに笑うノーナを見ていると、つられてレヴィンも頬が緩む。
深呼吸をしてから、レヴィンは辺りを見渡し、魔力を探る。そのときのレヴィンの瞳の色は、以前も見た淡い水色に変化していた。ノーナはこっそりと、感嘆の声をもらす。
その一瞬で目星がついたらしい。レヴィンがすいすいと庭を歩き、そのあとをノーナが追う。見慣れた野菜畑の奥には、花畑が作られていたようだ。
「あぁ、見つけた。僕の魔力に似ているもの」
満足げな表情でレヴィンが手に取ったのは、黒斑のある不気味な花だった。
それを見たノーナは、反射的に眉をひそめる。レヴィンの魔力ともすれば、きっと美しい植物だろうと勝手に想像していたからだ。
「なんていうか……思っていたのと違うなー」
「そんなこと言われてもな」
互いに苦笑しながら、レヴィンがすっと花を差し出し、それをノーナが受け取る。ごく自然な遣り取りなのに、どこかこそばゆい。ふわり、と柔らかな風が吹いて二人の髪を揺らす。
「――ねぇ、ノーナは僕のことを、どう思っているんだ?」
真っ直ぐにノーナを見据え、射抜くような眼差しをノーナに向ける。その声はいつもより低く、かすかに震えていた。
ノーナは咄嗟に手にした花束で顔を隠した。あまりの驚きと動揺に、後ずさりしている。
「ど、どうって……レヴィンは命の恩人で……私が守るべき人、だよ?」
「それは、僕が神様だったから? 同情や負い目があるのか?」
いつになく強い、食い下がるようなレヴィンの口調に、ノーナは二の句が継げずにいた。そんな及び腰なノーナの様子を見て、レヴィンは悲しそうに目を伏せた。
「違う……ノーナを困らせたかったわけじゃない。ただ、君の気持ちを知りたかっただけだ。魔力は見えても、心は見えないから」
何か答えなければと、ノーナが口を開くも言葉が出てこない。どんな言葉であれば、レヴィンを傷つけずにすむのか、すぐには思いつかなかった。
彼が悲しむ姿は見たくない。そう思って、努めて笑顔で接してきたのに、今はその笑顔すら役に立ちそうにない。
くるりと踵を返し、レヴィンが家のなかへと帰っていく。素直で優しい彼のことだ。そのまま、自室に戻ってしばらく一人の時間を過ごせば、何事もなかったかのように丸く収めてくれるだろう。
(こんな私の気持ちは、不相応だ)
ノーナは去りゆくレヴィンの背中から花束へと視線を移し、こみ上げる感情を堪えるように、ぎゅっと力いっぱい目をつぶった。




