終-4場:流れ出たもの
学校長が頑張ったのか、それとも同窓会で話をした氏子さんや郷土地理史オタク(理史)たちが手を回したのか、花壇跡の発掘は翌週の土曜に有志の手で行なわれた。
多くは神社関係者や卒業生などだ。
かつて神社の回りに住んでいた旧家の半数以上が、遠い過去に洪水でなにかを流出した経験があり、それで興味を持ってくれたらしい。
重機すら、スポンサーという形で、無償で貸してくれた。
俺たちが掘り当てた金属の箱らしきものは、確かに長持だった。
家紋とかは入っておらず、あまり重要な品ではなさそうだった。
だからこそ、洪水での流出後も、そこまで熱心には捜されなかったのだろう。
外部チェックと清浄のあと、翌日には皆の前で開ける事になった。
見つかったのはそれだけではない。長持のすぐ下から、金属製(恐らくは青銅)の鏡が出てきたのだ。
こっちのほうが問題だった。
接触するかしないか近さで見つかったにもかかわらず、長持よりも昔に流されたらしい。
よい古い堆積層に、大きな長持が埋まり込んだ形になっていたから、そう推定された。
いや、そんな事は、鏡自体が、遥か昔に作られたのではないかという疑問に比べれば、些細なことだ。
そして翌日。
開封を見届けに来た俺たちは、発掘された青銅(?)の鏡を改めて見せてもらった。
その形と劣化具合は、御神体を思わせる風格があった。何処かの神様の分霊か、あるは廃れた神様か、その依り代。
一緒に見ていた理史は、
「ここって、昔が氾濫源で、それが次第に埋まって農地になった所、だろ? じゃあ、その時に出来た村で、新たに神が祀られたのかも」
こういう想像は大胆なほど楽しい。
氏子さんも
「そういえば、うちの神社の御神体も鏡だよ」
と、さらに想像を掻き立てる燃料を投入した。
「ああ、そっか。新しい村の神様って、入植者のリーダーが元々お世話になった神社から、分霊を持ってくるのが普通だしな」(理)
それが、明治時代の神社合祀で廃されたとしたら、その御神体は、近くの神社の宝物殿に眠っていたとしてもおかしくない。
「神社合祀かぁ。そりゃあ、分社の依り代は、一応は宝物殿に入れるけど、大雨の時に守られるほどには大切にされないだろうし」(氏)
戦時中や戦争前に、洪水で流された可能性は十分にある。
記録にこそ無いが、戦前は、毎年何度も洪水が起っていたのだ。
後日、年代決定法から、鏡が今から300年前の18世紀前半に制作されただろうと推定された。俺たちの予想は、少なくとも半分は当たっていたようだ。
そんな鏡だが、元々なのか制作後に歪んだのか、凹面になっていた。
もしかしたら、長らく地中にあって、長持からの圧力を受けたせいかも知れない。
理由はともあれ、金属の凹面鏡だ。
そう認識した途端、反射式望遠鏡やレーダー・集光器、そして真空管を思い浮かべた。
いずれも、古典的な増幅器だからだ。
実は、花壇と真空管の記憶(第2幕、第5場)が動機で、花壇の前身の三日月湖を調べただけなく(それが今回の発掘に繋がった)、真空管から想像できるものも調べたのだ。
高校物理(場所によっては中学技術家庭)で習うように、二極管と三極管の組み合わせは電気信号を増幅する。
ラジオやアンプの基本原理だ。
1960年代まではテレビすら真空管を使っていた。
一方、電気信号でなく、光そのものや音の増幅となると、第一選択は凹面鏡で凸レンズ(虫眼鏡)ではない。
望遠鏡だって、19世紀に日本で初めて作られた天体望遠鏡は青銅製の反射式だ【脚注】。
凹面という形態は、レーダーのような長波長でも使える。レンズよりも万能なのだ。
こうなると、想像はもっと走り出す。
「ねえ、青銅の凹面鏡ってことは、電波とかも増幅できるよね」
案の定、理史は
「? 普通の凹面鏡で、電波は反射するのかな? あ、青銅(鉄製)か!」
と、素直に原理を理解してくれた。
ガラスと違って、青銅(鉄製)だから電気を通す。だから、電波をも反射しうる。
それが凹面になっているから、反射後の電波は増幅される。
「ほら、光や紫外線を通さない土の中だって、短い距離なら電波も伝わるだろ?」
だからこそ、地下資源の探査は電磁波を使うのだ。
「もしかして、お前の言っていた、奇妙な記憶を、デンパ(電波)で片付けようとしてないか?」(理)
ぶっしゃけ、そうだ。でも、この2人なら乗ってくるだろう。
「僕は、そのくらいぶっ飛んだ話の方が楽しいな」(氏)
そんな馬鹿話をしているうちに、長持の開封となった。
湿った堆積層の中に埋もれていながらも、中身は余り劣化していなかった。
水や土砂が入り込まなかったのが良かったらしい。
金属製だったうえに、蓋が密着して、気密が保たれたようだ。
事実上のタイムカプセルで、幸運としか言いようがない。
開封に参加した者たちは、冗談まじりに
「こりゃ、あの鏡の加護だろうな」
「鏡、ちゅうな。ばち(罰)が当たるぞ」
と、一緒に見つかった鏡を、後日に回された調査も待たずに、勝手に御神体扱いしていた。
もちろん、幸運をもたらした神様の、だ。
もっとも、中身は別だ。拍子抜けするほどに世俗的なものが入っていた。
レコード十数枚とプレーヤー・アンプ。本。そして漫画。1950年代の出版物だ。
レコードにはドボルザークの「新世界から」があり、漫画にはなつかしい作品もあった。
それは、漫画花壇で描いた二コマ漫画のイメージのリスペクト元。
そこからは理屈では無かった。
『鏡と真空管で「電波」を増幅した結果、漫画が3次元化して、漫画花壇を浸食した!』
それは中二病と揶揄されてもおかしく無い、荒唐無稽な発想だ。
でも、これを思いついた途端、俺は文化祭直後の記憶を確かに取り戻したのだ。
次はいよいよ終幕のエビローグですが、その前に【補足=終幕、第2場】を挿入投稿します。
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【脚注】国友一貫斎が1830年代に作った4基の反射式望遠鏡は、純度が高く、銅(Cu)と錫(Sn)の配合比も最適なお陰で、現在でも現役で使えるほどに反射面が劣化していない。ウィキ以外の参考サイトは以下の通り。
https://nagahama-rekihaku.jp/digital-museum/41
https://hikone-castle-museum.jp/collection/1533.html
https://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/~akitodk/vmuseum/gallery/kunitomo/kunitomo.html
https://m-lambda.blogspot.com/2019/12/blog-post_9.html




