6ー2 ①
「送り返せ」
「……えっと」
翌日、事情を話して聞かせてみれば、ロランから返って来たのはにべもない回答である。あまりにも予想通りと言う他なかったが、容赦のかけらもない一言はそれでも威力を備えた。「ロランは絶対納得しないね」というアニーの予想は、下馬評通りに的中した形となる。
――ま、なに、たぶん何とかなるよ。明日先に話しといて。
そんな言葉と共にルネを連れ帰って行ったアニーであるが、今朝の到着は少々遅れていた。言われた通りに報告を始めたものの、無難に到着を待った方が良かった気はしないでもない。深く、深くため息をつく目の前のロランを見るにつけ、その思いはいや増した。
ロランは事務所の執務椅子に深く腰掛けると、幾分険しいものを宿した眦で、アンリエッタのことを見る。
「君は、何だ、この先依頼者が困窮していればその度こんなふうに骨を折るつもりか。いやそもそも今回は食っていけないという問題ですらなかったな。望まぬ将来を迎えられないとかいう、巷を探れば百や二百は集まりそうな事情だったか」
「そうかもしれませんが、でもルネさんの場合、障害はだいぶ具体的です」
家業の販路拡大か、それでなくとも彼女が自活できる程度の生活基盤を築くことができたのなら、問題はほぼ解決する。そこが困難であると言えば勿論だが、ルネの場合、課題や手段がはっきりしている分、ただ闇雲に他の道を模索しなければならない場合よりも見込みや可能性があるはずだった。
「それにこちらに、全く利益のない話でもないはずです。ルネさんが挑戦して成功すればその分、公書士としての依頼も増えます」
「なるほど慧眼だな、大した営業努力とでも言えば満足かね?」
いかにも響いた所がない様子でそう言って、続ける。
「百歩譲って有望な先行投資と認めたとしてもだ。どのみち我々が手間をかける理由にはならん。君とて、職人を養って育てることが公書士の本分と思っているわけではあるまい」
「それは……もちろんです。ですからルネさんの件は、あくまで私が個人的にする協力です。中には公書士として取り組む課題も出てくるとは思いますが……事務所の仕事に支障は来さないようにします」
就業上の懸念点はそれで解消できるというのがアンリエッタの考えだが、ロランに納得した様子はない。
「個人的、ね。確かに個人的な資産運用にとやかく言うつもりはない。あくまでも職権や、責任を都合良く持ち出さない範囲の話であれば、だが」
職業としての社会的信用に加え、業務上様々な情報を取得できる立場にあることなど、悪用の余地のある特性が公書士には幾つかある。が、そういう根本的な要素よりも先に、この場合該当する事態があった。
「今の取り扱いでルネさんまで上に住まわせるのは看過できない、ということでしょうか?」
現在アンリエッタが住む二階のスペースは、税制上、その使用の名目を賃貸ではなく、事業所設備の利用としている。これは「就業上必要」との理由で実施している処遇だが、家族でも従業員でもないルネをそこに居候させれば、その建前からは外れてしまう。
しかし。
「それもあるが、言いたいのはもっと別のことだ」
「?」
芳しい反応を返せなかったアンリエッタに対し、ロランはわずかに顔をしかめる。
「君は、このあいだ言ったことをもう忘れたのかね?」
「ええと」
「まともな働き方をしろと言ったはずだろう。君はいつもそうだが、自分が負担を負うことで問題を解決しようとし過ぎる。一人でやって一人で倒れるのなら好きにすれば良いがね、そんな不安定なやり方をする者に仕事を任せるのは雇用主の立場から言って避けたいし、指導役としても看過しかねる」
「……っ」
半ば意識的に度外視していたことを指摘され、アンリエッタは言葉に詰まった。
「そもそも、君が本来優先すべきは引き取った子供たちと君の人生じゃないのか。あの兄妹は年を考えれば協力的かもしれないが、それでできた余裕をよそに費やしていては切りがない。君はいつか立ち行かなくなるまで続けるつもりなのかもしれないが、子どもたちはそうではなかろう」
「それ、は」
反論できずに、唇を噛む。
アンリエッタの人生の責任は、アンリエッタが取る。それが当然で、無茶をして生じた負債に二人を巻き込むべきではないし、アンリエッタとしてもそれは避けたい。ロランの言うことは正論で、現実的で、対するアンリエッタの振る舞いは、歪だ。
「……ですが」
そう、呻く。
まともな勘定を投げ打ってでも応えなければいけない思いがあると、アンリエッタは思う。
……欲しいと願うことまでは諦めて欲しくないと思っていたルウィヒが。
……困らせたくないと歯痒そうに話していた、レームが。
後ろめたさを抱えつつもこっそりと企み、大人たちを出し抜いてまでして、あのひたむきさを守ろうとしている!
その思いに、今、アンリエッタは縋られているのだ。
「あの子たちは、私を頼ってきているんです。今、手を取れば、どこか次に繋げられるかもしれないんです」
アンリエッタはそれに応えたい。
例えそれが、行き過ぎた行いであったとしても……。
物事の優先度を見誤った愚かな選択だったとしても、そうなのだ。
「私は、それがっ――」
「おっはよーっ!」
と、快活過ぎるくらいの声が扉の音と共に飛び込んで、思わず注目する。
事務所出入り口、そこには、予告通りに遅めに出勤したアニーがいた。勢いのある朗らかな表情でずんずんと室内を歩いて、遅れてルネが、玄関をくぐって中に現れる。幾分きょろきょろと落ち着かなさげに肩を丸めた彼女はついて行けなさそうにその場に立ち止まり、「お、おはようございます……っ」と、おっかなびっくりとした感じで頭を下げる。




