5ー1 ②
「まずは読むのが早い。本店側が提出してきた草案だ」
ボン・イスタには、事業上発生する膨大な事務手続きを処理する、お抱えの法務部隊がある。この実務のスペシャリストたちが、「いかにこちらの要求をかわし、あちらの要求を通せる理屈を契約書の文面に織り込ませているか」ということは、依頼者と協同して突き止め排除しておかねばならないことである。
のだが。
「ほぼ、従来通り……?」
「ああ」
「これは、ルイーズさんの要望通りでは」
「全くない」
そうなのである。
仕入れや保管、通信販売など、物流ネットワークを始めとする事業インフラの利用条件の維持や、本店における企画顧問というポストへの残留。そういった、いかにもボン・リシェスにとって重要度の高そうな要求を、ルイーズは行わなかった。どころかボン・イスタの機能を利用する際の費用負担や、稼いだ利益の分配……いわゆる上納金のパーセンテージの引き上げを歓迎する。
代わりとばかりに持ちかけたのが、二社合同での企画立案会の創設だ。
「これまで君臨してきた企画部門は、尽力の甲斐あってその全体が既に彼女のシンパだ。ボン・イスタがこれから先も儲けるには欠くことのできない部門の舵を握って、事実上のテリトリーに仕立て上げている。これを恒久的に保つ機会があるなら、ポストにこだわる必要もないというわけだな」
独自の流通経路と巨大な事業規模が生み出すコストメリットはボン・イスタの強みだが、それで他の商店全てを引き離せるわけではない。扱う商品の多彩さにしてもいずれ後追いは現れるし、色褪せる。衰退を避け、他社より一歩先んじようとすれば、広報や開発を含めた販売戦略を絶えず打ち出していく必要があることは、まずもって間違いのないことだ。
その仕事を、ルイーズは既に掌握している。それもポストの有無には関わらない形でだ。
「本店の経営陣も、事態を重く見ているらしい。金銭面での譲歩こそ弱腰だが、企画顧問に関する条項は業務提携の内訳からしっかりと外されている。草案には会議どころか企画のキの字もなく、取り付く島もないといった様相だ。口うるさい親の目から逃れることができるかと思ったら頻繁に家に出入りされそうになっているのだから、無理もないがね」
珍しく、あちらの肩を持つ口振りを見せるロランである。相手のペースを掴んで周囲を支配してみせるルイーズの振る舞いは、この強面の敏腕公書士からしてみても厄介さを覚えるらしい。
かつて、ルイーズが代表から退きつつも本店に籍を残したことは、ボン・イスタにしてみれば利のあることだった。社内的にも社外的にも、創業者夫妻は影響力のある存在だったわけで、企画の提案や教育の促進といった内部での働きのみならず、資金集めや事業拡大という場面でも良い看板になったのである。それでも距離を取ろうと動いている辺り、あれこれと口を出されることが役員たちにとっては相当、目の上のたんこぶであったということだろう。
「しかし気の毒と言うべきか、旗色が悪いのはあちらの方だ」
実際にどれほど憐憫を感じているかはさておいて、ロランは状況をそのように見積もる。
「積年の実績もあって、マダム・ユエの存在は銀行や関係者からの覚えが良い。要は、何か携われば高確率で結果を残すと思われている。本店はタダでその機会を得て、おまけに上納金を引き上げする分、実入りも良くなるわけだ。彼女の提案をふいにするとなれば、これは私欲やプライドを優先した会社の私物化であると、そのように見なされる余地が生まれてくる。経営に重要な関係先は、マダムの肩を持つだろうな」
自身のアドバンテージをルイーズが活かさないはずもなく、外部への根回しを今もしっかりと行っている様子である。おそらく先日の式典にしてみても、彼女の展望を方々へ触れ回る絶好の機会であったのだろう。
しかし、一つ、その狡猾な辣腕ぶりには、首を傾げるところがあった。
「……ルイーズさんは、どうしてここまで本店にこだわるんでしょうか」
「ふむ」
頬骨に指を当てて、ロランは言う。
「初めから手放さなければ、今なお絶対の権力者として会社に君臨できていたはずだと、君の疑問はそういうことかね」
確認に、頷く。
「古巣からの退陣とボン・リシェスの創設は、夫妻の総意だ。しかしその片割れをなくせば、取るべき方策にも違いは出る。おそらくはそういうことだろう」
さしたる意外さも見せずに言ったロランに、アンリエッタはさらに訊ねる。
「その進退の理由というのは、以前の仕事でお聞きに?」
質問に、ロランは過去を辿るように視線を明後日へと向けて、それから吐息交じりに答える。
「さて――ね。今までと違う店を作りたいと、ムッシュ・フランソワはそう言っていたな。実際どれほど違うものが出来上がっているかは、私には測りかねるがね」
普段よりは穏やかな皮肉を交えて見解を述べると、ロランは話題を切り上げる。
「何にしてもだ。今の我々には、依頼者の詮索よりも先に片付けるべき仕事がある」
「それはつまり、ルイーズさんの意向に沿った契約書の作成を?」
聞かされた状況から先回りしてアンリエッタが訊ねれば、ロランは大儀そうに肩を竦める。
「まあ、そういうことだな。当初よりも仕事が増えたが、やることは普段と変わりない。君はひとまず契約書の構成を今日中にまとめてくれ。週末までに、草案をマダムへ送る」
淡々と指示を寄越して、それからいつもの調子で唇を歪めた。
「契約書のコンペなど馬鹿馬鹿しいにも程があるが、話し合いが平行線になるのなら仕方がない。根回しの材料作りをさせられるのは、少々癪だがね」




