5ー2 ①
レーム。
と、ふいにルウィヒから呼び掛けられて、レームは引っ張られるままに屋台の影に戻った。
背中のルウィヒに目をやる。
なに?
向こう、アニーがいる。
視線で方角を示しながらルウィヒはそう云って、週末の露天市の物陰から片目を出す。レームも倣ってそうして、道の左右を行き来するのに張られた規制線、その内側へと目を向けた。水玉のワンピースのスカートを翻らせて通りを横切る、敏腕事務員の姿が見えた。
怒ってる。
などとルウィヒのように断定すべきかは判断に迷うが。きりきりとした早足からは、幾ばくかの機嫌の悪さが窺えた。
わたしたちとは。
「関係ない」
……はずである。今日は事務所は休みだし、先日の百貨店の時と違って、特に彼女の世話になるような手配を聞いてはいない。ニーナとの用事でアンリエッタが不在にしたのをこれ幸いにと二人家から出て来たわけだが、居間に買い物に行く旨書き置きを残してきたし、家族ルールとして取り決めた地区や店の出入りであれば、二人だけの外出にしてみても問題行動とは見做されないはずだった。となれば、自分たちの不在で大人たちを慌てさせている、というわけではない。
うん、そう思う。
思考に同意を向けたルウィヒを、レームは見下ろす。じっと見たせいかルウィヒは幾分表情を固めて、こちらへ目を凝らした。
なに?
訊かれる。レームは、また通りへと目を向ける。肘にルウィヒの手が触れている。
読むなよ、勝手に。
道を渡った先の小道にアニーの姿が消えてから、しばらく経っていた。
「行こう」
通りを横切るべく歩き出す。ちょっと行って振り向くと、まだ同じ場所に佇んでいるルウィヒがいる。大きな手振りで早く来るよう合図を送れば、妹は慌ただしく駆け寄ってくる。
週末の人ごみは、平日の比でない。かつて兄妹二人で彷徨っていた時だと、遠目に覗く以上のことは憚られた。今ではもうそのようなことはないが、難儀さは変わらずある。目抜き通りは、その両端で通行する人の行き先が大まかに違って、一方は駅へ、もう一方は中央市場へといった具合で、道ゆく人ごみには流れがあった。通りを横切り、北側の歩道へ移る。駅に向かう人波に乗って、けれども時たま淀みのある通行の流れは、小柄であるほど一筋縄で進めない。逸れないよう途中から手を繋ぐようにすると、ルウィヒからは、周囲の同行に気を取られた感じの、きょろきょろと意識を散漫にしている感触が伝わった。
目抜き通りを踏破する。
駅に着く。
もう既に何回か訪れた場所だから、足取りに迷いはない。そりたつ壁のように高く立つ石造りのファサードをくぐって中に入り、郵便や馬車、切符の手配の受付所が立ち並ぶ界隈を尻目に、コンコースを闊歩する。駅舎内は決まった経路などがない分、街中よりも人の流れが混沌としていたが、空間が広いために行き来には差したる難を来たさない。混雑した場所を一息に抜け、プラットホームに近付く。大きく広がった視界の先に、一台の列車と四本の線路が見えた。
目的の降り口へと足を向ける。
コンコースとホームを区切った鉄柵の前まで辿り着き、二人、奥に続いた線路の先へと目を凝らした。
「……」
到着するはずの列車は未だ影も形もなく、彼方に黒煙を見つけることもできない。
まだ、かかりそう。
ルウィヒがそう云ったのに、頷く。急に手持ち無沙汰になって、レームは見るともなしに天井を見た。少年の背を十倍しても届かないだろう高さの三角屋根は、その大部分をガラス張りにしてあって、煤けた空気をくぐってわずかに澱んだ光を地面まで注いでいる。
レーム。
隣のルウィヒが呼びかけてきて、けれども応答は、違う音に阻まれてしまう。




