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やがてペンと制度の力で 〜公書士アンリエッタ2〜  作者: ke
第4話「彼女たちとの短くも眩い日々」
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30/32

4ー6

 もしも仮に見つからなくても、来た道をそのまま戻ってしまえば、きっと問題はないはずだ。


 ルウィヒのその考えは実際のところ安直で危険で、少女自身も頭の隅で愚かしさを察してはいたのだが、夜道の暗さがもたらす不安を無視するにはそういう見通しが必要だった。土のでこぼこや膝の下を叩く雑草に足を取られながら、田舎の道を駆ける。


 運良く、空は晴れていた。進む先は転ばないよう警戒できる程度には見えている。少し息が上がって来た頃に、姿を捉えた。


 ルウィヒは立ち止まって、月明かりの暗がりの奥、丸い影に目を凝らす。しゃがんだ後ろ頭は俯いて、彼女の赤い髪もよく見えなかったが、朧げに見える肩や背中の体つき、それと震える息遣いから、それがルネであることはなんとなく察せられた。


「こぼね」


「え……?」


 声をかけると反応があって、肩越しに振り向かれる。


「る、ルウィヒちゃん?」


 いかにも狼狽(うろた)えた声を出したルネが、半歩ずつ後ずさりながら立ち上がった。きょろきょろと首を動かし、やがて拍子抜けしたみたいに肩の力を抜いた。


「……ひとり? 一人で来たの? うそ――」


 と、呆けている内にルウィヒはあちらへ歩み寄る。目の周りを赤く落ち窪ませている、ルネと見つめ合った。


 大丈夫?


 触れて、訊ねる。ルネは起こった現象がなんだかわからないみたいに、耳に片手を当ててまた辺りをきょろきょろとした。


「え、……え?」


 訝しくする仕草を見てようやく、やってしまったことのまずさに思い至るルウィヒである。


「だれ、誰かいますか?」


 辺りに目をやり、問いかけるルネ。その対象が自分でないことにひとまずほっとしたルウィヒは、何のことかと言わんばかりに首を傾げた。


「くもり?」


 口にして、ルネへカードを差し出す。


『どうかしたの?』


「あ、や……」


 ブローチの灯りを添えて示した文面に目を凝らしたルネは、歯切れ悪く周囲とルウィヒを見比べる。


「ごめん、なんか、たぶん空耳が……そう言ってるみたいに見えたのかな」


 目を合わせてくる。


「心配して来てくれたの?」


 頷く。


「じゃ、話、聞こえてた?」


 首を振る。


 カードを再びルネに示して、人差し指で文字を指した。


『どうかしたの?』


「……うん」


 肯定の言葉は、か細く沈み込む。


 ルウィヒはカードの束を捲って白紙のものを出すと、そこに短く書き付けルネに示した。


『話して』


「……」


 ルネは息を深く吸って、けれども言葉に窮した様子で下唇を噛んだ。ルウィヒは、彼女のことをじっと見つめる。その視線から逃れようとするみたいに、ルネの瞳はそこかしこに向く。


「おじいちゃんが……」


 呟いて、声を詰まらせる。


 ルウィヒは何も言わず、彼女のことをじっと見る。


 ルネもまた無言で、わずかに俯く。せり上げた肩と共に繰り返し息を吸って吐いてとして、ろくに瞬きもしないでいる大きく開いた目が、みるみる内に潤んだ。


「おじ、おじいちゃんがね……言ったの。工房、閉めるって。儲けがないから、この先つ、続けられない、って」


 ひしゃげた声で話す。震える頬が赤黒く染まって、ぎこちなく動いている。


「わたし、最初に、言ったの。お弟子、取ろうって。その人をわたしの、お婿さんに、しよう、って。でも、無理、なんだって。そこまでの余裕は、ないだろうって。そんな。いわれて。……う、ぐっ、うぅゔう」


 抑えきれないみたいに唸って、しゃくり上げる。震える呼吸をゆっくりと落ち着かせて、それから「どうしよう?」と、途方に暮れた声音で呟いた。


「どうしよう。わたし、辞めなきゃいけない。家の跡、継ぎたかったのに。絶対に継ぐんだって思ってたのに――どうしよう? もうすぐ、できなく、なっちゃう。どうしよう、どうしよう、どうしようっ」


 悲鳴に近しい声音で言い募って、ルネはその場にへたり込む。


 ルウィヒはとにかくそうすべきだと思って、沈むのを受け止める心地で彼女の方へと腕を伸ばした。ルネの頭を、胸に抱き寄せる。玉の上に置いたみたいにぐらぐらとする気持ちが、触れた部分から染み渡ってくる。ルウィヒは胸に哀れみと悔しさを同時に感じながら、彼女の首の後ろ辺りを撫でてやる。


 ルネはもう、言葉らしい言葉を述べられなくなって、ただ泣きじゃくっていた。


 大丈夫。


 と、伝えた。


 大丈夫だから。


 終わりじゃない。


 大丈夫。


 きっと大丈夫。


 懸命に、そう念じる。でもそれでルネの心が落ち着くなどとは、ルウィヒには到底思えない。


 エッタがいてくれたら。


 と、そう思った。


 あの時のエッタが、ルネのそばにもいてくれたらと思った。


 だけどどこまでもルネの望み通りにすることは、アンリエッタにはできない。彼女は彼女の仕事をしなければならないから。ルウィヒはその理屈をちゃんとわかっていて、けれども――。


「ルウィヒ」


 ……レームの声だった。


 ルウィヒは隣を見上げる。


「み……」


 歩み寄ったレームが視界に現れる。二人を……ルネのことを見下ろして、息を呑んで立ち尽くした。


 やがてその場にしゃがむと、顔を寄せて囁く。


「ルネ」


 ぴくりと、ルウィヒの胸にしがみついたルネの頭が動いた。


「エッタとアンドレさんが、近くまで来てる。どうする?」


 問いかけには、首を振られる。


 レームは立ち上がって来た方を向くと、「まだ来ないで!」と声を上げる。


 再びしゃがんで、言う。


「ルネ。二人は、そばまで来ないよ。まだ……そのままでいていい」


「……」


 啼き声みたいに細い呻きが、ルネから聞こえた。


「り……が、と」


「うん」


 引っかかった声で呟いた彼女に、レームが頷く。


 隣に来た彼の肘に、ルウィヒが触れる。


 なんとかしたい。


 うん。


 でも、どうしたら良いかわからない。


 ……うん。


 レームの伝えてきた応答には、どことなく躊躇(ためら)いめいた歯切れの悪さがある。


 ちらりとまた、レームは大人達の方へと視線を向けた。ぐにゃぐにゃとした質感の後ろめたさが兄からは発せられていて、しかしふと消える。


「ルネ――」


 名前を呼びかける。







4話終わり。明日は投稿お休みです。来週から5話。





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