4ー3 ②
「っ、こほ」
話題の予想こそしていたが想定していなかった角度のパンチが来て、口の中の茶を噴き出しかけるアンリエッタである。教えたのはレームかルウィヒか。デュボワ家の現状を踏まえるとデリケートな事例のわけで、きちんと口止めをしておくべきことだったかもしれない。
「まあ、ええと、そんなことも一応は」
「すごい」
精一杯言葉を濁して肯定したが、甲斐はなく、ルネは目を輝かせてしまう。
「それで、やりたい仕事ができてるってことだもんね」
憧憬へのせめてもの抵抗として、首を振るアンリエッタ。
「仕事に関しての障害は、特になかったんです。その件に関わらず進む予定の道でしたし、受けた方が専念できた可能性もありました」
幾分目を丸くしたルネが、瞬きを繰り返す。
「じゃ、どうして? 相手が嫌だった?」
アンリエッタは首を振る。
「その。私は、その時母とうまくいってなくって。言われたようにするのが嫌だったんです。話をしてもそりが合わなくて、母は私のことをなんでも決めたがった。それが私を考えてのことだというのは、今はちゃんとわかっているんですが」
「その時はわからなかった。だから飛び出した」
言葉を補足して出来事をまとめたルネに、頷く。
「はい。だから、すごいということは全然ないんです。ただ、カッとなってしてしまったというだけで」
「……後悔してる、ってこと?」
首を振る。
「そういうわけでは、ないですけど。少しだけ遠回りをしたとは思っています。私も……母も。そのせいで戸惑ったり傷ついたりもしたと。でもその必要がなかったとも言い切れなくて」
今、時が戻って、いざこざを解消するのに近道を辿ったとしても、きっと今と同じにはならないだろう。アンリエッタにはアンリエッタの時間が必要だし、母には母の時間が必要だ。
「だから、良かったも悪かったも、簡単には言えないんです。誰かに、そうした方が良いと言うことも」
まっすぐ少女の瞳を見つめて、そう述べる。
少しばつが悪そうにして、ルネが目を伏せ視線を落とす。
「ごめんなさい」
とアンリエッタが頭を下げれば、「へえぇっ?」と少女が素っ頓狂に声を上げた。
「なんでアンリエッタさんが謝るのっ」
「もっと、助けになることが言えたら良かったんですが」
「いやそんな! 私が勝手に訊いただけなんだし……! アンリエッタさんが何か言わなきゃダメなんてことは全然っ」
慌てた様子でまくし立てたルネは、やがて脱力し肩を落とした。息を一度吸って、吐いて、それから小さく「わかったよ」と呟く。
「そのうちまた、おじいちゃんと話してみる。結婚のこととか、将来のこと」
それが良い、とアンリエッタは頷く。こちらの肯定をむず痒そうに、ルネはまた視線を逸らす。
それから何か、気が付いた様子で窓へ向いた。
「……うた?」
窺う声で、少女が呟く。
黙り込んで初めて気が付いたが、聴こえていた。
ルネと二人で、外を覗く。物干しを終えかけている兄弟が見えた。不器用に吊った肌着の形を整えながら、ルウィヒが歌を歌っている。
問いかけるようにこちらの方を見たルネに、アンリエッタは頷く。詞と旋律を口ずさむ、ルウィヒの背中を見つめた。
「音の高さだけで覚えているのはね、ちゃんと歌えるんです」
「……これって、恋のうた?」
「この前聞いて好きになったみたいで。……まだちょっと、舌っ足らずなんですけど」
そう言って微笑む。前に聞いたより、もう少し歌いこなせてきているように、聴こえる。
やがて作業を終え、レームがこちらを向いた。終わったよと言われて、お疲れ様と返す。
「良い匂いがしてる」
「うん」
アンリエッタは焼き菓子の一つを摘み上げ、外の二人に示してやる。
「おいで、一緒に食べよ」
誘うと、レームは返事とばかりに大口を開けてみせた。やんちゃな振る舞いに、アンリエッタは「こら」と軽く叱り付ける。
「行儀悪いよ」
「一回だけだって。ほら」
くすくすと笑いながら言われて、アンリエッタは仕方なく肩を竦める。窓から腕を出し、下で待ち構える息子に狙いを付けた。
「いくよ――」
投げる。
ぱくっと口の中にクッキーを捕まえて、後ろへ倒れこむレームがいる。




