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やがてペンと制度の力で 〜公書士アンリエッタ2〜  作者: ke
第3話「旅立ちと出会い」
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3ー4 ①

 固く壁の枠に嵌め込まれた窓を渾身の力で引き上げれば、天部の(かまち)は勢いを付けて上の窓枠にぶつかり、強かに音を立てた。


 途端車内に、風と走行音が吹き込む。アンリエッタは小さく髪を煽られながら、上げ下げ窓の脇に付いた解放用のロック錠を指でいじる。押釦(ボタン)式のそれは内部の引っ掛け(ラッチ)に微妙な不具合があって、何度かしくじった後カキンと音を立て、窓の位置を保った。


「よし」


 と呟いて窓際から身を離し、空いたスペースにルウィヒが飛び込む。少女が興味津々にした外の黒煙はすっかりと消え失せていたが、列車に纏わり付いた煤の匂いは、それとわかるくらいにはまだ辺りに残っていた。


 絶え間なく続く森のそばを、列車は走っている。ちょうど傾斜を抜けて、乗員から窓を開ける許可を受けた所だった。


 レームが遅れて窓の端へ寄り、三人並びで車窓の外を眺める。木立の中にいた一匹の鹿と目が合う。見ている間にすれ違って後ろに置いていくのを、ルウィヒが覗き込んで見つめた。


「身を乗り出すんじゃない」


「んぅ」


 兄の嗜めを、妹がうるさそうにする。


「ルウィヒ。レームの言うことを聞いて」


 アンリエッタが声をかけて、風に髪を乱したルウィヒはこちらとレームを順番に見比べた。


「ひづめ」


 ぶすりと眉と唇を歪めて、けれども従う。少し唇の上を膨らませて窓の外を見つめていたが、鼻先はあくまで、桟を握った指先より前には出さない。完全な反抗とも服従とも言い難い妹の反応に、レームは微妙にくねらせた眉でこちらを見やった。兄の務めを果たさんとした彼にアンリエッタは微笑んで頷き、同時にルウィヒの後ろ頭を撫でてやる。少女からは何も云われず、ちょっと拗ねたような感触だけがこちらに伝わってくる。


『ポン・デュ・ボワ』――トーリア地方の南端に位置する村へと向かう、その途上にいた。


 結局あれからオッテンバールが出立の日取りを訊ねてくることはなく、アンリエッタは兄妹たちと三人、列車と馬車の旅路に漕ぎ出している。ルウィヒの体質に影響されない装飾品を誂えてもらいに行く、というのが今の遠出の用件であるのだが――実はそれとは別にもう一つ、アンリエッタの職業を耳にしたデュボワ氏から、仕事の依頼を受けていた。


 つまり此度の遠征は正式に、ロラン公書士事務所の出張業務ということになる。


「――正気か?」


「は?」


 フランツやオッテンバールと話した、明くる日のことである。


 出張の予定について相談をした際にロランからぶつけられたのは、そんな言葉だった。


「公休を含めた三日間。その期間で先方の下へ出向き仕事をこなす気でいると、そう聞こえたが」


 腕を組み、執務椅子に深くもたれたロランが呆れ顔で繰り返した確認に、アンリエッタは頷きを返す。


「なるべく、こちらの仕事に影響が出ないようにとは思ったんですが……それ以上短くするのは流石に厳しく」


 これで不足となると、戻ってからの仕事を休日返上でこなすしかない。アンリエッタが新たにそんな算段を組み立てかけたところで、ロランは寄せた眉をそのままに、言う。


「移動で実質二日が潰れる中、一日で財産目録と付帯資料をまとめ遺言書の作成を行うと? 寝ない気かね?」


「はあ、まあ」


「まあ?」


 ぬるりと返してしまった肯定の言葉を、ロランが怪訝そうに復唱する。それが応答の粗略さを所以(ゆえん)とした反応でないということは、アンリエッタとてよくわかった。


「いえその、すみません、徹夜をしたとして完遂はできないだろうと思っています。そこで、現地では資料作成のための調査と整理のみを行い、遺言書の作成は書簡をやり取りして実施。その後、先方がこちらへ来るタイミングで浄書を行おうかと……」


「……」


「……考えていたんですが」


 蔑む視線を注がれ、説明に勢いをなくすアンリエッタである。


「そのやり方に文句をつけようとは思わないが。なんにせよ一日での資料作成は君には不可能だ。四十時間止まらずに働けばできるのかもしれんがね」


「……」


「せめて眉くらい動かせ」


 実際そのつもりでいたせいで皮肉への反応ができなかったアンリエッタに、そのような文句が飛ぶ。


 目前の、いかにも仕様がないといった態度を露わにする上司が、小さく息をついた。


「まずは移動を含め一週間、さらに延びるようなら追って連絡を寄越せ」


「よろしいんですか」


「市内でするよりも金と時間がかかる分、この仕事は上がりが少ない。君はそこを懸念して無謀な労働を画策しているんだろうが、そもそも経費の増大は君の勉強代と見なしている。幸い滞在費の方はあまりかからないようだし、驚くような出費にはならないだろう。君が無駄に気を回す必要などはないというわけだな」


 意向を告げたロランは、念を押すようにアンリエッタの目を見据え、言った。


「まともな働き方をしたまえ。大体君が度を越して働き詰めにすれば、子ども達は気に病むぞ。それこそ、君が望む展開ではなかろう?」


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