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第17話 踏み切り


 からんからんとドアベルを鳴らして店に入ると、すぐに人形を探した。さきほどあった場所になく、マスターが取っておいてくれたのかと思ったが、


「ごめんね、シュウくん。さっきみどりさんが来てねぇ。気付いたら、いつもみたいにポンとお金を置いて持って行っちゃったんだ」


 聞き終える前に店を飛び出ると、みどりさんを探した。ふわふわしたような後ろ姿を求めて。記憶にある白い背中と緑色の髪が、ちらちらと逃げ水の如く遠ざかっていくようだった。本当に来ていたのだろうか。ちらと疑い、しかし、首を振って、前に見送った角を曲がり、あちこち探して回った。


 いない、いない、いない。


 あの時のように二人だけが知る場所なんてない。いや、もしかしたら……。僕は、『妖精女王』から公園へ向かう道をたどって走った。川のそば、橋梁の手前の踏み切りがカンカンと音を立てて閉まった。その向こうに、


「みどりさん!」


 叫び声に気付いて、みどりさんがこっちを向いた。にっこりと笑って手を振る。その口が、声に出さずに、さ、よ、な、ら、と告げた。


 上下何本もの列車が走り込み、その姿を掻き消した。かげろうのように、毒々しく溶けたカキ氷のように、川を渡りゆく風のように。


 世の中には二種類の人がいる。踏み切りが開くまで大人しく待てる人と、待てずに川へ飛び込む人とだ。僕自身は明らかに前者だった。踏み切りが開くまで大人しく待てる人、だったのに。気付いたら、上着を脱いで、カバンを放り捨てて、川に飛び込んでいた。


 夏に川で泳ぐなんて小学生以来だ。アミさんと泳いだあの夏以来だった。


 踏み切りの向こう、土手沿いの道路を歩いていたみどりさんに声をかける。待って、待ってくださいと。どこから声が聞こえているのか気付いたみどりさんが驚いて逃げ出そうとした。しかし、その時、僕は半分おぼれかけて、アップアップしていたんだ。


 さすがに見過ごせなかったのか、斜面を降りて手を差し伸べてくれた。が、断じてわざとではないのだけれど、岸辺の水草に足を取られ、その拍子に、引っ張り上げようとしてくれていたみどりさんともども、二人して川に落っこちてしまった。


 ひやっとしながらも、みどりさんを抱き止めて見上げた一瞬の空は、子供の頃と同じくらい青く透き通っていた。


 ……なんとか岸にあがって、びしょぬれになったまま二人で土手に腰を下ろした。子供の頃は濡れるのも平気だったことを思い出す。こんな暑い日なら、いずれ乾くだろう。


 みどりさんの方を見ずに言った。


「僕は、あなたが好きです。たぶん、あの夏からずっと。本当のことを言ってください。アミさんですよね?」


 返事はなく、しかし、視界の端でみどりさんがうなずいたのがわかった。


「気付いていたんですよね。いつから? 初めからずっとですか? どうして言ってくれなかったんですか。どうして……」


 隣をみると、みどりさんが口を動かして声に出さずにつぶやいていた。聞こえなくても、なんて言っているかはわかる。


 ……あたし、バカだから。


 伏し目がちにつぶやき、交差したまつげがしずくを吸い込んでしまった。涙を流さずに泣くアミさんはまるでバカには見えず、魅入られた僕は呆けたように見つめるばかりだった。


 あのころと何も変わらない。無力な子供だったころと。そう思って動けないでいると、みどりさんがポケットから何かを取り出した。それは、リヤドロのフィギュリンだった。天使のような女の子の人形が、真っ二つに割れてしまっていた。


 それを見てやっと気付いた。


 僕は、無力だったんじゃない。傷つく覚悟がなかったんだ。大人になるといろいろなことを忘れてしまう。忘れたことにすら気が付かない。だからこそ、思い出さなければ。言問橋ことといばしから何もかも落としてしまう前に。


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