↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
81/82

4-2 残滓Ⅱ

 特別牢は、王城の主塔最上階にある。

 陽は壁に遮られ、湿った石壁には古い雨水の匂いが染みついている。

 通路に並ぶ松明は最低限で、灯の届かない先は黒く沈んでいた。


 そこを、オリア・ローゼンベルクは慣れた様子で歩いていた。

 普段の第二王女を知る者が見れば、まず目を疑っただろう。


 御空色の髪を片手でかき上げ、苛立ちを隠しもせず、足音を殺す気もない。

 裾が石床を擦るのも構わず、黴臭い空気の中を進んでいく。


 その少し後ろを、フェルテン・クロスが黙ってついてきていた。


 オリアの騎士を拝命する、〈鏡の魔剣〉の担い手。

 そして今は、主人の無茶な行動を止めるでもなく、ただ見届けるように歩いている。


「殿下」


「止めても無駄だから」


 振り返らずに言うと、背後でフェルテンが言葉を呑んだ気配がした。


「そのようなつもりはありません」


「じゃあ何」


「牢へ向かわれる理由を確認しておきたいだけです」


「確認したって、ついてくるんでしょ」


「それが私の役目ですので」


「ついてくれば分かるから」


 説明している時間が惜しいとばかりに短く返して、オリアは足を止めなかった。


 こういう言い方をすれば、フェルテンが黙ることは分かっていた。

 彼は職務に忠実だ。

 優秀で、冷静で、役目を間違えない。

 オリアの騎士として、必要な距離を保つ。

 けれど、それだけだった。


 オリアは前を向いたまま、奥歯を噛む。


 どうせ誰も、自分の言葉なんか聞いていない。

 王城(ここ)にいる者たちは皆、役目を持っている。

 その役目に応じた居場所がある。

 自分にはそれがないことを直視するのが耐えられなかったから、そもそも関わらないようにしてきた。

 王城(ここ)には、自分のモノなど何一つなかった。

 最近までは。


 明日の評議では彼の処遇が話し合われるという。


 あの時、シノ・グウェンは自分の剣として〈竜狩り〉の刃を退けた。

 誰も信じられなかった時、ただ一人、命を預けられた。


 このまま何も見ないことにすれば、自分の剣(あの男)のことを、自分のいないところで決められてしまう。

 それが、どうにも我慢ならなかった。


 特別牢の前に着くと、前にいた黒いローブの魔術師ではなく、見覚えのある若い男が立っていた。


「どーも。久しぶりだ、第二王女殿と……えーと、クロス家のお坊ちゃんだったかな」


「あなた……!」

「貴様……!」


 二人が敵意を露わにする。


「マリアンネ様の命令でね。今はしがない牢番だ。まったく、マリアンネ様はとても慈悲深くあらせられるな。ところで、自己紹介は必要かな?」


「いらない。早く扉を開けて」


「あぁ、いい顔しているなッ。この前会ったときは、まるで死人みたいな顔だったから」


 重い鉄の扉が開く。

 古い金具が軋む音が低く響いた。


 中は外気よりも冷えていた。

 湿った石の匂いに、鉄と黴の臭いが混ざっている。

 並ぶ牢のほとんどは空で、奥に一つだけ、灯りの置かれた区画があった。


 オリアは迷わずそこへ向かった。

 鉄格子の前で足を止める。


 牢の中には、男が一人いた。


 石壁に背を預け、古ぼけた黒い鞘に入った剣を抱えながら、片膝を立てた姿勢のまま眠っている。

 黒い髪は少し乱れ、隻腕の身体は弛緩していた。

 とても無防備に見える。


 オリアは両手で格子を掴んだ。

 冷たい鉄が指に食い込む。


「……ん?」


 人の気配を感じたのか、眠りこけていたシノが目を開けた。


 しばらくぼんやりと牢の中を見回し、それから鉄格子の向こうにいる少女を見つける。

 眠たげに片目を細め、首を傾げた。


「久しぶりだな、端くれ」


「こんなところで何してるの?」


「それは俺の台詞だ。ご覧の通り寝てたんだよ。することもねぇし、ここにいると時間の感覚がなくなってくるんだ」


 オリアは、姉と同じ御空色の髪をかきむしった。


「そうじゃなくって……!」


「何を怒ってんだよ」


「怒ってないッ! 違うの……これは」


 何かを振り切るように、オリアはぶんぶんと頭を振った。


 格子を握る指に、さらに力が入る。

 白くなった指先を見て、シノは少しだけ不思議そうにした。


 オリアは深く息を吸った。


「身体は、もういいの?」


 今度の問いかけは、自分でも驚くほど優しかった。


「あ?」


「姉さんが話しているのを少しだけ聞いたの。〈教国〉で派手に戦ったって」


「ああ」


 シノは思い出したように、自分の身体を見下ろした。


「動くにはもう問題ねぇよ」


「そう、良かった」


「何が訊きたいんだ、お前は」


「心配してるのッ」


 言ってから、オリアは少しだけ顔をそらした。


 背後で、フェルテンの鎧が小さく軋んだ。


 シノはしばらく黙っていた。

 心配、という言葉の意味をあまり理解できていない様子だった。


「……そうか」


「そうか、じゃない」


「あー、身体は大丈夫だ」


「最初からそれだけ言えばいいでしょ」


「悪い」


 素直に謝られて、オリアはかえって言葉に詰まった。

 牢の中の男は、以前と何も変わらない。

 変わったのは自分だ。

 だから、ここに来た。


「ここから出たくないの?」


「牢屋(ここ)も久しぶりだからな。しばらくは我慢する。王女さんとも約束したしな」


「〈教国〉(むこう)ではどうしてたの?」


「あー、普通に部屋で寝起きしていた。見張りはいたけどな」


誰かと一緒に寝起きしていた、ということは言わないほうがいい気がした。


(いい判断だわ。貴方にしては、ね)


「ふぅん……。このままで平気なの?」


 シノは答えに困ったように、オリアを見る。

 それから天井を見上げ、曖昧な笑みを浮かべた。


「出る理由も特にないしな」


 オリアは再び髪をかきむしりそうになって、なんとか手を止めた。


 この男は、何も分かっていない。

 牢に入れられていることも。

 自分の処遇を他人に決められようとしていることも。

 それがどれほど歪なことなのかも。

 あるいは、分かった上でどうでもいいと考えているのか。

 どちらにしても、腹が立った。


「明日の評議には、私も出るから」


「評議?」


「あんたの処遇を決める会議」


「俺の?」


「そう。あんたの。ほんとは評議なんて出たくなんかないけど、私の剣についてなんだから、持ち主が出席しないわけにもいかないでしょ?」


「俺はいつから端くれの剣になったんだ」


「あの時、そう言ったでしょ」


「その役目はもう終わっただろ」


 オリアは小さく息を吐いた。


 以前の自分なら、ここで退いていたかもしれない。

 政治の場など、面倒で、窮屈で、ろくでもない。

 もっともらしい綺麗な言葉で飾った大人たちが、誰かを守るふりをして、自分たちの取り分を争う醜い戦場だ。


 オリアは、そういう場所が嫌いだった。

 それに、そこには姉がいる。


 ユリアーネ・ローゼンベルク。

 何もかもを先に持っていく、完璧な第一王女(お姉様)。

 正面から向き合いたくはない存在だった。

 けれど。


「それを決めるのは私だし、あんたのことを、私のいないところで決められるのは嫌」


 シノは鉄格子の向こうで、少し首を傾げた。


「俺のことを?」


「そうよ」


「お前には関係ねぇだろ」


「関係あるかないかは、私が決めることでしょ」


 言ってから、オリアは自分の声が思ったより強く出たことに気づいた。

 一度だけ、姉に正面から逆らったことがある。

 あの時も、理由はこの男だった。


「……このままじゃ、誰かに持っていかれるし」


「前からだけど、よく分からんやつだな、お前は」


「別に今は分からなくてもいいわ」


 オリアは格子を握り直した。


「だから、明日は頑張るから。姉さんの前にも立つ。嫌だけど」


「嫌なのか」


「嫌よ。すごく嫌」


「ならやめればいい。お前が望むなら―― 」


「いらない」


 オリアは即答した。

 背後で、フェルテンの鎧がまた小さく鳴った。

 オリアは振り返らない。

 今の顔を、背後の騎士に見られたくなかった。


 第二王女が、自分から進んで評議に出る。

 それだけでも、フェルテンには予想外だったかもしれない。

 けれど、その理由が牢の中にいる男なのだと知れば、面白いはずがない。


 オリアは格子から手を離した。


「シノ」


「なんだよ」


「望みはただ一つ。あんたが、最後にはここにいること」


 シノは、すぐには答えなかった。

 その沈黙に、オリアは眉を寄せる。


「返事」


「……りょーかいした」


 ようやく返ってきた言葉は、ひどく軽かった。

 けれど、その軽い返事がどれほど重いものになるのかを、オリアは一度、身をもって知っている。


「もう行くわ」


「はっ」


 フェルテンは一礼し、オリアの後に続いた。


 足音が遠ざかっていく。


 シノはしばらく鉄格子の向こうを見ていたが、やがてまた石壁に背を預けた。


(してやられたわね)


 魔剣はからかうようにそう言った。


「何が」


 聞き返した呟きは、かび臭い牢の中に小さく落ちた。

 返事はない。

 その言葉の意味を、シノはまだ掴めていなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。