4-3 評議Ⅰ
評議の間には、すでに主だった者たちが集まっていた。
長い円卓の中央には、王国の紋章が刻まれている。
交差する杖と剣。
魔術と武を併せ持つアイン・スソーラの象徴は、磨き上げられた黒檀の上で、灯りを受けて鈍く光っていた。
席につく者たちの顔ぶれは、いつもと大きくは変わらない。
国政を預かる重臣。
派閥の中心に立つ貴族たち。
だが、今日に限っては、ひとつだけ異物があった。
オリア・ローゼンベルク。
第二王女は、円卓の一角に座っていた。
背筋は伸ばしているが、肩にはわずかな力みがある。
膝の上で重ねた手は、指先がほんの少しだけ強く絡み合っていた。
視線は正面に向けられているが、時折、落ち着かないように議場を見回している。
場にいる者たちは皆、戦場や政争を潜り抜けてきた者ばかりだ。
静かに場に根を下ろすように構えている。
そんな中で、浮き足立ったその姿勢はかえって経験の浅さを際立たせ、場の空気からは切り離されているようだった。
周囲の貴族たちは、ちらりと彼女を見ては、すぐに視線を戻す。
どう扱うべきか測りかねているような、探るような視線だった。
評議に参加するという話はすぐに伝わっていた。
だが、実際に評議の席に座る姿を見るのは初めての者も多い。
その曖昧な距離感が、議場に薄い緊張をもたらしていた。
ユリアーネは、議場へ足を踏み入れた瞬間、その姿を見つけた。
── 来たか。
そう思っただけで、胸の奥に小さな棘が残った。
喜ばしいことではある。
政治から距離を置いていた妹が、自ら評議の席に着いている。
それだけを見れば、王族として一歩を踏み出したと評価すべきだ。
だが、それがシノ・グウェンのためだという事実が、素直に喜ばせてはくれない。
オリアはユリアーネに気づくと、まっすぐ視線を向け、静かに頭を下げた。
ユリアーネはそれを受け、わずかに顎を引いた。
ただそれだけで、言葉は交わさない。
円卓の上座には、王妃マリアンネが座していた。
白粉で覆われた顔は、表情を読み取らせない。
灯りを受けても陰影が曖昧で、笑っているのか、無表情なのかすら判別しづらい。
ただ、その存在だけで場を支配している。
その背後に、影のように一人の魔術師が控えていた。
特定の人物を近くに置こうとはしなかったマリアンネが、最近になって抱えているという正体不明の人物。
全身が黒く深いフードに隠れ、表情は見えない。
何人かの貴族が、ちらりと怪訝そうな視線を向けていた。
ユリアーネは自分の席へ進み、腰を下ろした。
椅子がわずかに軋む音が、やけに大きく響く。
全員の視線が、自然と彼女へ集まる。
それも当然だった。
今日の議題は、シノ・グウェンの処遇。
そして、その男を〈教国〉から連れ戻したのは、ユリアーネ自身なのだから。
「では、始めましょう」
マリアンネの声は静かだった。
それだけで、ざわついていた空気が収まる。
誰もが姿勢を正す。
衣擦れの音が一瞬だけ重なり、すぐに消えた。
「本日の議題は、シノ・グウェンの処遇についてです。ユリアーネ」
「はい」
ユリアーネは頷き、視線を円卓へ巡らせた。
「シノ・グウェンは現在、王城内に収容しています。これは処罰ではなく、現状を踏まえた拘束措置です」
言葉を選び直す。
「彼には、王城内の魔術師殺害および〈教国〉で称されるところの〈神〉を、消却した罪により収監された経緯があります。〈教国〉への引き渡しも、その咎によるものでした。シノ・グウェンの身柄と引き換えに、全てを不問にすると」
議場の静寂が、わずかに揺れた。
「しかし、そのグウェンという男はこの城にて収監されているようですが」
静寂を破り、口を開いたのは、宰相リューデン・ハルトマンだった。
年老いているが、背筋は曲がっていない。
銀灰色の髪を後ろへ撫でつけ、深い皺の刻まれた顔には、常に落ち着いた理性が浮かんでいる。
ユリアーネを次代の王に推す者たちの中心人物。
「また、ユリアーネ王女殿下は、かの人物の奪還にずいぶんと尽力なさったとか。空間制御術式のスクロールのみならず、ご自身の騎士をお使いになり、また殿下も魔術戦闘を行ったと聞いております」
穏やかな声だった。
「結果として、我々は〈教国〉との不戦と同盟の糸口を得ました。その功績を疑うものではございません」
数名が小さく頷く。
オリアも、遅れてわずかに頷いた。
ユリアーネは黙って続きを待った。
「畏れながら疑問が残ります。シノ・グウェンという人物には、殿下にとっても、〈教国〉にとっても、それほどの価値があるのでしょうか?」
口調は穏やかだが、リューデンの視線は鋭い。
「〈教国〉が彼にどのような価値を見出しているのかは知り得ませんが、首教の個人的感情に依るところが大きいように感じます。同盟の条件には、シノ・グウェンの身の安全が付加されています」
「つまりその男に何かあれば、〈教国〉との戦端が開けるというわけですか!」
目を輝かせながら立ち上がり、発言したのは、軍務卿バルディアス・ロウだった。
広い肩幅と厚い胸板を持つ男で、貴族というより軍人の気配が濃い。
鋭く整えられた髭と、低く響く声。
オリアを女王に推す者たちの中心にいる男でもある。
周囲の視線が集まると、バルディアスはバツが悪そうに腰を下ろした。
「ロウ殿の仰られることは、言葉こそいささか直截に過ぎますが、懸念としては理解できます。グウェンという男は、〈教国〉との間に置かれた火種になり得る。あるいは、〈教国〉が望む時に火をつけるため、あえて我が国へ戻したとも考えられます」
リューデンは一度言葉を切り、円卓を見渡した。
「先日も、〈竜狩り〉の侵入があったばかりです。シノ・グウェンが国内にいることは、それだけで国益を損なう恐れがある。── もっとも、彼が実際にどの程度の戦力たり得るのか、外敵に対して有効に機能するのかによって、その評価は大きく変わるでしょう。ですが、今この場で彼を排することもまた、〈教国〉との関係を考えれば軽率に過ぎましょう」
そこで、ユリアーネはわずかに視線を落とし、言葉を選ぶように一拍置いた。
問われた以上、答えないわけにはいかない── そうした逡巡のあとで、ようやく口を開く。
「彼の戦闘能力は、一般的な枠組みでは測れません」
「殿下の目から見て、どの程度のものと?」
リューデンの問いは穏やかだったが、逃がす気のない圧があった。
ユリアーネは一瞬だけ逡巡し、それから口を開く。
できる限り、平静を装って。
「彼は単独で〈竜狩り〉を正面から制圧できます。しかも、それを消耗らしい消耗もなく行う。通常の魔術師としての戦力と比較すること自体が、すでに誤りです」
リューデンはさらに踏み込んだ。
「では仮に、その男が敵対した場合は?」
ユリアーネの喉が、ごくわずかに動く。
「集団戦力を行使することなく、殺害や拘束をすることは不可能に近いでしょう」
一拍。
「選りすぐった近衛の魔術師を10人ほど集めれば、拮抗するかどうかという水準です」
その言葉が落ちた瞬間、議場の空気が一段だけ重くなった。
リューデンは小さく息を吐き、まるで確認するように呟く。
「……それほどの存在が特別な枷もなく、王城に留め置かれている、と」
その問いに、ユリアーネはすぐには答えなかった。
問われて初めて、その言葉の重さに気づいたように、沈黙が落ちる。
そして、ようやく口を開いた。
「……彼に敵意はありません」
絞り出すようなその声に、リューデンは静かに目を細める。
「左様でございますか。であれば、彼の存在は“個人の庇護下”ではなく、“国家の管理体系”に組み込まれるべきだと考えます」
リューデンはゆっくりと言葉をつなぐ。
「殿下のご気性はよくよく理解しているつもりではありますが、危険であるがゆえにではなく」
リューデンは力を込めて、
「国家が管理しなければならないほどの潜在的な危険性のある存在である、と」
その言葉は穏やかでありながら、議場の空気を決定づけていった。
誰かが椅子に体重を預け直す。
ユリアーネは表情を変えなかった。
―― それが狙いか。
老獪なリューデンらしい。
彼はユリアーネを支持している。
だが、それはユリアーネの意思をすべて尊重するという意味ではない。
国そのものに仕えているといっていい男だ。
「宰相は、彼をどう扱うべきとお考えですか」
ユリアーネが問うと、リューデンは頭を下げた。
「力ある者を眠らせておく余裕が、今のアイン・スソーラにあるとは思えません。戦力として御すべきです」
「戦力、ですか」
「はい。殿下」
リューデンは静かに続ける。
「もちろん、慎重な管理は必要でしょう。しかし、それは単なる隔離をするのでなく、強大な力であるからこそ国家が責任をもって管理し、適切に運用する必要があるのです。然るべき場所に配置し、必要な時に用いる。それこそが国益に適うはずです」
正論だった。
だからこそ、不快だった。
ユリアーネは、拳を作ろうとした手を緩める。
その時、別の席から低い声が上がった。
「宰相閣下のお考えに、私も同意いたします」
バルディアスは、ユリアーネではなく、まずマリアンネに向けて一礼した。
「シノ・グウェンがそれほどの力を持つのであれば、牢に寝かせておくべきではありません。我が国にも強力な刃が必要です」
刃。
その言葉に、オリアの指がわずかに強く組まれた。
「ましてや、その者は第二王女殿下の危難を退けたと聞いています。国を守る剣として、すでに一度機能したと言ってよいでしょう。であればこそ、殿下個人の感情や恩義に預けるべきではない。現有戦力として扱い、必要なら私の管轄に置き、対外的な抑止力として運用することも検討すべきかと」
オリアは視線を落とした。
議場の数名が低くざわめいた。
ユリアーネ派とオリア派。
本来ならば互いに牽制し合う関係だが、シノ・グウェンに関してだけは、奇妙なほど同じ方向を向いていた。
王女個人の傍に置くな。
国家の管理下に置け。
戦力として利用しろ。
言葉は違えど、その根にある意図は同じだった。
あの男が、王女たちに影響を及ぼすことを恐れているのだ。
「戦力として運用」
マリアンネの背後に控えていた黒いローブの魔術師、アシミがゆっくりと顔を上げた。
フードの奥は暗く、表情をうかがい知ることはできない。
だが、空気が変わった。
灯りが大きく揺らいだが、風が吹いたわけではない。
同時に、議場にいた者たちは一斉に呼吸を浅くした。
アシミの声は静かだったが、議場の隅々まで届いていた。
「今、そう言ったか」
リューデンとバルディアスが、同時にアシミを見る。
バルディアスが眉を寄せた。
「何か問題が?」
「問題」
アシミは小さく繰り返した。
次の瞬間、黒い影が円卓の下を走った。
床に落ちた影そのものが薄く伸び、リューデンとバルディアスの足元へ絡みついたように見えた。
議場が凍る。
護衛のいない評議の場で、誰もすぐには動けなかった。
アシミの声だけが、ゆっくりと落ちる。
「シノを、お前達は」
黒い影が、さらに濃くなる。
「使う、と?」




