3−24 約束Ⅰ
「私はグウェンさんの何ですか?」
渦を巻きながら燃え盛る炎の中から、鈴を転がしたような涼しげな声とともに、メルヴィナ・ウォールズが姿を現した。
その手には、レティシアにとって見覚えのある短剣が握られている。
「馬鹿な、さっきまであそこに……! ……転移か!」
目を剥くレティシアをよそに、メルヴィナはシノを見下ろす。
いつも仏頂面だが、今は怒っていることがひと目でわかった。
「金髪、何をしに来た……」
「もう見ていられません。答えてください。私はグウェンさんの何ですか?」
「そんなことはどうでもいい、下がってろッ」
シノは怒鳴ったつもりだったが、口から溢れたのはか細い声だけだった。
「そんなに怪我をして、自分の力で立つことさえできていないのに、勝手なこと言わないでください」
「お前、いい加減に── 」
「グウェンさんは答えを知らないのです。違いますか?」
メルヴィナが、シノに対して抱えていた違和感はそれだった。
「……」
「教えてあげます。仲間、というのです」
「なかま……」
シノがただ口の中で転がした言葉は、なんの実感も伴ってはいない。
「私がグウェンさんを、グウェンさんが私を連れ帰ると約束をしたときから、私たちは仲間です」
「それがどうした。俺のすることは変わらねぇ」
「ええ。ですが、私は変わります。仲間なら、助けるのに理由はいりません」
「これは俺の役目だ」
這いつくばったまま、シノは言い張った。
「そんな状態でですか?」
「元気いっぱいだ」
「……立つことすらできていませんが」
「あぁ、これはな。立てないんじゃない。立たないんだ。あいつを油断させるための作戦だったんだ、お前のせいで失敗したけどなッ」
顔だけを上げて、シノは嘯いた。
「ああッ、もうッ! あまり聞き分けがないようだと、今ここであなたを無力化します」
控えめな雷がシノの目の前に落ち、メルヴィナの周りの炎は勢いを増した。
「上等だ」
シノは両腕に力を入れ、のっそりと上体を起こした。
節々が痛む老人のような身のこなし。
今の彼なら、子供にだって勝てないに違いない。
「なら、まずはお前からだ、金髪。俺はお前が生きて戻ればそれでいい。手加減はできねぇぞ」
ともすれば笑ってしまいそうな状況であるが、彼は本気なのだろう。
ヴォルフラム・ザカリアスの言っていたことは正しかった。
これはもう、そういうモノなのだ。
力なく座り込む格好となったシノに、メルヴィナが深く息を吐き出した。
膝をつき、シノと目を合わせる。
「どうか、グウェンさんを助けさせてはくれませんか? これは命令ではありません。お願いです」
「……む」
ただ、願いを叶えるだけのモノ。
気味が悪く、不自然極まりない。
それしか知らないように見える。
これでいいのだろうかとも思う。
しかし、今この場を生き延びてもらわなければ、改めさせる機会すらも失われてしまう。
「私にも果たすべき目的があり、そのためにはグウェンさんに死なれると困るのです。だからどうか、態勢が整うまで私に任せてください。もしこの願いが叶えられないならば……」
メルヴィナは手にした短剣を、首に当てる。
「あなたは死体を連れて帰ることになります」
「本気か?」
「我が魔力に誓って」
「お前、卑怯だぞ。騎士道精神はどこいった」
「えぇ、グウェンさんを見習うことにしました」
「……りょーかいした。ほんの少し頼む」
渋々、シノは提案を受け入れた。
「はい、頼まれました」
メルヴィナはにこりと笑い、レティシアと向かい合う。
「聞いての通りです、レティシア・グレスロード。お待たせてしまって、すみませんでした」
今度はメルヴィナが勝ち誇ったように笑った。
「頼む……? 頼まれました……?」
待っていたわけではない。
理解するのに時間が掛かっているだけだった。
だんだんと二人の言葉の意味を理解するとともに、どす黒い感情がわき上がってくる。
感情の名前を、レティシアはよく知っていた。
そんなモノを抱いていると知られたら、後ろに従える〈詠隊〉の聖堂騎士達はどんな顔をするだろう。
いや、それでもやるのだ。
シノだけを確実に行動不能にする。
もう、立ち上がってこないように。
これ以上、誰かを傷つけ、自分を傷つけなくてもいいように。
メルヴィナの存在を、意識の外側に追い出す。
「そういえば以前、私を部外者だと言いましたね。今、自分が部外者になった気分はどうですか?」
「貴様、何と言った……!」
レティシアには到底、看過できない言葉だった。
「あなたは部外者だと言いました。そして私とグウェンさんは“仲間”、です。 “仲間”だからこそ、彼は私を守ろうとし、私は彼を背に庇って貴女と敵対しているのですから。あの時に比べて、随分と差がついてしまいましたねぇ?」
笑みを浮かべ、殊更に“仲間”を強調する。
そんなメルヴィナを、レティシアは殺気を孕んだ目で見つめていた。
「もうこれ以上、不愉快な妄言を聞かされるのは耐えられない。── 〈我は乞う〉」
短く唱えると、レティシアの手には再び銀の槍が顕れた。
「妄言はそちらでしょう? グウェンさんは私の仲間であって、あなたの仲間ではありません。対峙しているこの状況、どう考えても部外者はそちらですが?」
レティシアが手にした槍が宙に浮き、形を変える。
両端がより細く。
より投擲に適した形へと。
「貫いたときの感触を、記憶に留めることさえ汚らわしい」
目の前のそれを、軽く指で弾く。
極僅かな指向性が、一瞬で豪速となった。
メルヴィナの握る短剣が熱を帯び、剣から伝わる意志にメルヴィナは身体を預ける。
「……〈炎よ、全てを焼き尽くせ〉」
唇が自らの意志によるものではない詠唱を紡ぎ出すとともに、紅い炎が壁のように立ち上がった。
壁に突き立った銀色の槍はしかし、先端を向こう側へ届かせることはできない。
やがて赤熱し、跡形もなく溶け落ちて蒸発した。
聖性をものともしないほどの、『魔』より生じた炎。
人の身では、到底成し得ない魔的な現象。
「……なるほど。必要ならば、悪魔にも魂を売り渡す。『神』を利用しようなどということを思いつくのも納得の愚劣さ」
「目的が同じなので協力しているだけです。それに、嘘はいけませんね」
「嘘……?」
「『神』なんて、本当はどうでもいいのでしょう? あなたが執着してやまないモノの、一番近くに私はいます。だから私を憎悪する。あなたたちのように心が読めなくても、それくらいは分かります。自分を偽りながら戦っている者に、負ける道理はありません」
「……よく言いました、メルヴィナ・ウォールズ。ならば証明してもらいましょう」
(ほんとに任せるなんて意外ね)
「なかま、らしいからな」
(まさか、真に受けているの?)
疑わしそうな魔剣の声に、シノは答えない。
── もう、失わないように。
自分がなぜ、そう思うのかは分からない。
きっとオドリオソラがいなくなったからだ。
今はそう思うことにした。
全ての力を、脚部の治癒へと傾ける。
傷を塞ぎ、内部を修復。
万全でなくても構わない。
最低限の機能が戻ればそれでいい。
犠牲は一人の予定だったが、少ない方がいいことは間違いないはずだ。
── それでいいんだよな。
「メルヴィナ・ウォールズは、生きていなくても構いません」
レティシアは槍先を下げ、右足を引いてメルヴィナと正対した。
メルヴィナの持つ短剣が震える。
柄に埋め込まれた紅い宝石から熱が発せられた。
「……えぇ、わかっています」
自身も槍を扱うメルヴィナはすぐに理解した。
優れた槍手だ。
打ち合えば、数合ともたないだろう。
が、もとより槍を合わせる気はない。
優先するべきは敵の撃破ではなく、戦況の維持だ。
「どうしました? 槍を執りなさい。音に聞こえたローゼンベルクの英槍、私も見てみたい」
「間違っていますね。得物が槍だからなのではなく、私自身が槍なのです。〈炎よ、その手でつかみ取れ〉」
短剣から巨大な炎の腕が伸び、レティシアをなぎ払おうとする。
メルヴィナが手にした短剣はもちろん、長槍の間合いの外からの粗野な攻撃。
レティシアは槍を地面に突き立てた。
「〈壁に 阻まれる〉」
目標の遥か手前で、炎はなにかに遮られたかのように、前進をやめた。
── 炎そのものではなく、間の空間に干渉したのですか。
ただ願うだけで望む事象を創り上げることができる。
意志の強さや魔術の属性に関わらず、常に優位が保たれる。
「勝負にならない、とはまさにこのことですね……」
「そう……壁に大穴を空けてくれたのは貴女でしたか。どんな悪魔の力を借りているのかは知りませんが、そんなモノでは私には勝てない。絶対に」
虚勢でも脅迫でもなく、ただの事実だ。
「そのようです。倒すのならば、〈聖域〉を開く前に倒すべきでした」
「だからといって、無駄な抵抗をやめないで下さいね。できる限り苦しませてあげたいので」
メルヴィナはただ手にした短剣を、レティシアへと向ける。
「どのような形でも構いません。しばらくの間、あの場に留まらせることはできますか?」
メルヴィナの手にしている短剣の熱が、一層強いものになる。
言葉はないが、意志は伝わった。
── すべて委ねよ。
そう言っている。
メルヴィナは逡巡しない。
「えぇ、もちろんですッ」
メルヴィナが身体を預けると同時に、巨大な紅炎が渦を巻く。
「〈炎よ、その手でつかみ取れ〉」
巻き上がった炎が再び腕を模し、レティシアへ掴みかかった。
レティシアは意にも介さない。
「阻まれる、と先ほど言いました。同じことです」
炎の掌はもがくように宙を掻いた。
レティシアが槍を構える。
「メルヴィナ・ウォールズは生きていなくても構わない」
「 〈より強く〉」
メルヴィナの唇から重ねられた詠唱により、燃え盛る焔は凝集し、青白く激変した。
青白い焔の手が不快な音とともに何かを引きちぎりながら、今度こそ銀槍を掴み取る。
「そんな、一体どれほどの魔を── 」
狼狽する主をよそに、銀の槍が形を変え、盾としてレティシアの前に現れた。
青白い炎と銀色の盾は拮抗している。
「これは……?」
レティシアが、不意に肩に舞い落ちた白い結晶を指で掬い取った。
結晶は一瞬で溶け、ごくわずかな水滴が指先を濡らし、目前の熱によりすぐに跡形もなくなった。
「雪……?」
高温の炎に対している今、最も縁遠い自然の構造物。
そして、自身の上空に無数に漂う凝結した白い結晶に気づく。
「もう十分ですッ」
青白い炎が消え去ると同時に、氷を配し終えたメルヴィナが励起させた魔力を全て『風』に染め上げる。
「力を同時に……! 貴様らは本当に──」
「言ったでしょう、私たちは協力関係だと」
氷に『風』を纏わせる。
振動した氷がつんざくような音と共に眩い白色に発光する。
「私、初撃を外したことがないんです」
閃光が景色を明るく塗りつぶすとともに、戦場に立つレティシアに一条の雷の槍が突き刺さった。
ぶすぶすと全身から白煙を上げながら、それでもレティシアは立っていた。
纏っている銀の鎧は鈍色にくすんでいた。
「……倒れませんか。銀にはとても通りがいいようなのですが」
「掴んだ、力の底を。次はその手を食いちぎってやる」
「えぇ、それは事実なのでしょうね」
「一度で仕留められなかった貴様の負けッ」
「構いません。あなたの注意を引きつける、という役目も果たせましたし、満足のいく戦いでした」
ぽん、とレティシアの肩に手が乗っかった。
「ちゃんと後ろにも注意を払え」
── 後ろにも注意を払わないとな。
派手な音や発光は、意図してそうされたのだ。
全く気付かなかった。
気付こうとしなかったのかもしれない。
よく知っていたはずなのに。
死角にこそ、生き残る道がある。
口調は違えど、言葉に宿る温度は同じままだった。
しかし、銀の魔弾はあと3つ残っている。
今すぐに後退し、あと一つを撃ち込めば決着がつく。
死に体の男を保護し、底の見えた女を始末するのは容易だろう。
しかし、レティシアは全く動けない。
恐れているのではない。
まして、負けを認めたわけでも。
レティシアが振り向くと、そこにはここ数日で少しだけ見慣れた顔があった。
明確な敵意はなく、ちょっとした注意を与えているような気軽さで、シノの手は肩に掛けられている。
それだけで、レティシアはもう動けなかった。
「この期に及んで、まだ私は……!」
「……これが、俺の勝利の意味だ」
自力では立つことすらできずにレティシアの肩を掴みながら、無様に寄りかかるようにしてシノが笑った。
長年の大願を成し遂げたような、満足そうな顔。
鮮明に記憶が蘇ってくる。
ここは〈聖域〉。
支配者の意に沿わぬことは起こらない。
「……卑怯だよ」
── そして、私はなんと欲深いことか。
「なぜか最近よく言われる」
「それで、この後どうするのですか?」
「なんだ、抵抗しないのか」
「私が負けたのだと、あなたが言ったのでしょう?」
「そうか」
掴んでいた肩を抱え込み、熱く、力強く流れているレティシアの精気に干渉した。
── 待っていて、本当に良かった。
歓喜の余韻を噛みしめる暇もなく、レティシアは意識を放りだした。
「……笑ってやがる。なんだったんだ、こいつは」
レティシアの意識の喪失とともに、〈聖域〉は効力を失った。
(あなた、死んだほうがいいわね)
「もうすぐそうなりそうだ」
皮肉に答える余力はもうなかった。
「グウェンさんッ」
メルヴィナが転がるように駆け寄って来るのが見えた。
「なんかさ」
(何よ)
「いつも同じことやってる気がするんだよな……」
(進歩がないってことでしょ)
「仰るとおりで」




