表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
76/77

3ー22 〈白氷〉Ⅰ

 大聖堂は、日常の顔をしていた。

 奇跡を授かるために集まった人々が、静かな熱を帯びて行き交う。

 祈りの列の合間を聖堂騎士が抜け、香の匂いが衣の端にまとわりつく。

 メルヴィナは呼吸を整え、群衆の背に紛れたまま奥を探った。


 本来、『風』の魔術を完全に防ぐことはとても難しい。

 どんなに壁を作ったところで、風はわずかな綻びを拾って奥へ入り、声や匂い、熱の名残を連れ帰る。

 こと偵察においては、その特性を存分に発揮できるはずだった。

 風が奥へ入った途端、束ねた風がほどけてしまう。


 何度試しても同じだった。

 奥へ届かない。

 大聖堂の奥に、シノがいる確信はある。

 けれど、その先が見えない。

 焦りが喉の奥に残り、硬い塊みたいに引っかかる。

 メルヴィナはさらに魔力(マナ)を込め、『風』を練り上げた。

 より強く押し込んだ風が、何か膜のようなものに触れた途端、魔術を操る身体に耐え難い苦痛が走った。


── 聖域。


 痛みに歯を食いしばりながら、メルヴィナはここに確かに“守り”があると確信する。



 遠くで、靴音が揃う。

 甲冑が擦れる金属音が近づいてくる。


「さすがに気づかれましたか……」


 ほどなく、大聖堂の“日常”が剥がれた。

 祈りの場に、銀色の甲冑を着込んだ聖堂騎士達が流れ込んできた。


「下がれ!」

「通路を空けろ!」

「出口へ誘導しろ!」


 人波が割られ、教国民が外へ押し出されていくが、メルヴィナの周囲だけ、壁があるかのように、それ以上前に進むことができなかった。


「これは……」


 既に周囲を〈詠隊〉に取り囲まれていた。


「祈りを持たない者は、この〈聖域〉からは出られませんよ」


 声を発したのは、一際輝く白銀の甲冑に身を包んだ聖堂騎士。


「レティシア・グレスロード……」


「……あぁ、なんということでしょう」


 レティシアの声が、喜びに上ずった。

 この場の緊張感には似つかわしくない。


「一体何をしに来られたのですか?」


「忘れ物を取りに来ました」


「……忘れ物?」


「人の気持ちなんて少しも考えない、仕方のない人です」


「その意見には少なからず同意します。が、あなたが忘れているのは身の程、というものだと思いますよ」 


 レティシアの戦意とともに甲冑の白銀が淡く冴え、その手にも銀色の長槍が握られる。


 メルヴィナは大きく息を吸った。


── 特別なことは、必要ないはずです。


 目を閉じ、自分の意志を『風』に乗せる。

 魔術の初歩とも呼べないような、簡単なこと。


「グウェンさん……」


 普段なら無意識にやっているそれを、今は全身全霊で。


「私は、助けを必要としています」


「無駄なことを。ここで魔術など許すはずもないでしょう。それに、シノも今は〈聖域〉で眠らせています。邪魔者を殺すまで、目を覚ますことはありません」


 メルヴィナは答えず、ただ祈るように目を閉じていた。

 その姿を見ていると、レティシアの中に苛立ちが募ってくる。


「……まだ、戦わせるつもりですかッ!?」


 レティシアの殺意が濃くなる。

 槍先が、メルヴィナの喉元へと向けられた。


「ダメだよ。殺すのは今じゃないでしょ」


 スサナが後ろから制するが、槍先はメルヴィナを捉えたままだった。


 メルヴィナが目を開ける。

 その目は挑発的な光を湛えていた。


「えぇ、もちろん。グウェンさんには私たちの、いえ、私のために戦っていただきます」


 アイン・スソーラの魔術師である以上、その言葉に偽りはないのだろう。


「……虫けらが。今ここで殺せば、その必要はなくなるはずですね?」


 冷えきった蔑みとともに、レティシアは構えた銀槍を突きこんだ。

 しかし── 。


「……〈聖域〉では押しとどめられませんか。次に、その女を目にしたら殺すと言いました。貴方も聞いていたはずですよ」


 メルヴィナを貫くはずだった銀槍の一刺しは、シノの手に掴み取られていた。


「好きにしろ。でも、俺の目的は変わらねぇ」


「〈聖域〉での存在の上書き、自己の再定義といったところかな。そんなこともできたんだねぇ」


 目を輝かせるスサナとは対照的に、レティシアは苦い表情で掴まれた槍を引いた。


「私が、グウェンさんの介入がなければ命を落とす状況になれば、必ず来ると思いました。だって、私が死んだら役目を果たせませんから」


「金髪、お前何で戻ってきた」


「怒っているんですか? それは私もです。自分の約束だけ果たそうとして、私との約束はどうなるんですッ」


「お前はちゃんと帰れたからよかっただろ」


 メルヴィナが大きくため息をついた。


「な、何だよ」


「グウェンさんは私をどう思っていますか?」


「何を言って── 」


「いいから答えてください」


「急にそんなこと言われても── 」


「もう結構!! これ以上は聞くに堪えません。シノ、貴方は利用されているのです。今すぐその女を排除して── 」


「ちょっと待ってレティ。何か来るよ」


 スサナが大聖堂の一角に目をやる。


 するとそこにあった空間が捻じれ、縫い目がほどけるように漆黒が口を開けた。

 焦げ跡のような円が広がり、内側から白光が溢れかえった。

 レティシアの瞳が見開かれた。


「まさか……」


「リアン様ッ」


 メルヴィナが歓喜の声を上げた。


 白光は一度脈打つように膨らみ、その奥から人影が雪崩れ出た。

 着地と同時に、現れた魔術師たちは散開する。

 詠唱が重なり、魔術の杖先がこちらへ定まった。

 転移してきたばかりとは思えない早さで、すでに臨戦態勢は整っている。

 その中心には御空色の髪の魔術師。


「一体、どうやって……」


 レティシアが呆然と呟いた。

 メルヴィナ・ウォールズからスクロールは取り上げたはず。


「まぁ、来るとは思ってたけど、まさか直接〈聖域〉の中に転移してくるなんて。君も大概に無茶をするね」


 スサナの問いに、ユリアーネは微笑みを向けた。


「そうでもない。わざわざ道しるべを置いてくれていたからな」


「道しるべ……。じゃあ、レティが焼き捨てたあのスクロールは空間制御術式(テレポーテーション)ではなかったのかな」


「あれは転移先を固定するためのものだ。まさか焼き捨てているとは思わなかったが、〈聖域〉を越えた時点で役割は果たしている」


「でも分からないなぁ。レティは『空間制御術式(テレポーテーション)の』スクロールを全て差し出せと言い、ウォールズはそれに従ったんだ。君たちは嘘をつけないはずだろ?」


()()()()()そう思っていただけだ」


「そうか……だからボクの目の前でウォールズに渡してみせたのか。コソコソしてみたりして、大した役者じゃないか」


「いかがしましょう? 私ならば、まとめて蹴散らすことができますが」


 黙って聞いているだけだったレティシアが問う。

 スサナは首を横に振った。


「いいや、キミは彼の相手を。どうやら今の〈聖域〉じゃ、押し止められないみたいだ。〈聖域〉を絞り、出力を上げれば拘束くらいはできるかもしれないけど、その場合──」


 〈聖域〉の守りがなくなれば、目の前の魔術師達は、すぐにでも魔術を放つに違いない。


「言わなくても分かるよね」


 スサナは楽しげに笑った。 


── お見事。


 心中からメルヴィナへ賛辞を送る。

 シノ・グウェンが敵意でないとはいえ、戦意を得た時点で一方的な勝利は望めなくなった。

 有利な盤面だったはずだが、〈聖域〉に綻びをもたらしたメルヴィナ・ウォールズこそが、この〈聖域〉の征者(せいじゃ)だ。


「ちょっと見ない間に、随分と彼の扱い方が上達したね……。誰かに教わったのかな」


 シノ・グウェンと敵対している現状は、レティシアが望んでいたものではない。

 しかし、レティシアの心中に広がっているものは落胆ではなく、歓喜だ。


 〈聖域〉の中で相対してなお、勝利を確信できない。

 そんな相手は、シノ・グウェンをおいて他にいなかった。


「やっぱり私の『特別』……!」


「レティ、どうする?」


「力を受け取った時から、答えは変わっていません」


「そう。なら、しっかり喧嘩しておいで。大丈夫、誰にも邪魔はさせないから」


「あれだけの数を相手にできるのですか?」


「別に勝つ必要はないさ。弱まっているとはいえ、〈聖域〉内での転移は一時的なものだろうからね。伊達に大英雄なんて持て囃されていたわけじゃないよ。キミに押しつけた力なんて後付けのものだ」


「それでは……?」


「あぁ、ボクは約束を果たすよ。行っておいで」


「はいっ」


「これは贖罪のつもりなの? 本当にこれが望みだったのかい? ……いや、過去に囚われてるのはボクもおんなじか」


 スサナが思考を振り払う。

 そして、対峙している魔術師達を見回した。

 その中心に立つ、御空色の髪の魔術師を正面に見据える。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ