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3―19 聖者の源流Ⅳ

 侵入者は1人だった。

 ローブではなく革の軽装を纏い、褐色の髪を結い上げた長身の女。

 武器の類は手にしていない。

 隠れる様子もなく、当たり前のような顔をして、いつも鍛錬をしている場所を踏み荒らしていた。


 あそこは、ただ棒を振るうための場所じゃない。

 おとーさんと過ごした時間が積み重なった、私にとっての聖域だった。

 そこに土足で踏み込まれ、私は激しい感情が突き上がってくるのを感じた。


 冷静にならないと。

 息を整えると、おとーさんとの鍛錬で、何度も痛い目をみながら覚えたことを思い返す。


 ――今の私が正面から挑めば負ける。

 動きを読まれたら終わりだ。

 逆に、相手が読めない動きを押しつけられれば、少しだけ隙ができる。


 たぶん、そういうことなのだと思う。

 だから、まず相手を見る。  

 慌てない。

 何を警戒されているのか考える。


 女は明らかに只者ではないけど、丸腰に見える。

 私は武器を持っていて、向こうはそれを知らない。

 体格では圧倒的に敵わないが、子供であることは利用できる。

 見た目はまだ子供だけど、聖域を守るためなら人を殺してもいいと思っている。

 もちろん、あの女はそれを知らない。


 油断させ、近づいたところを短剣で喉元を一突き。

 やれるはず。

 握りしめている短剣の柄の汗を服の裾で拭い、衣服の下に隠す。

 そっと近づき、私から声をかけた。


「ねぇ、何してるの?」


「ん? あぁ、ここに住んでるのか?」


 侵入を見つかった格好だったけど、女からは後ろめたさとか驚きというものはまるで感じられなかった。


「うん」


「人を探している。黒い髪、黒い目の男だ。ここにいるだろう?」


 女の答えに、頭の芯が冷えていくのが分かった。


「うん、いるよ。連れて行ってあげる」


「すまないな」


 何も疑う様子はなく、女はすぐ側まで歩いてきた。


「あっちだよ」


 指さした方向に女が顔を向けた。


 ――今だっ!


 汗で滑る短剣をどうにか握りしめ、服の下から取り出そうとしたが、腕が全く動かせない。


「……え?」


 目の前に立つ女に、短剣を握っている腕が抑えられていた。


「その武器、使い慣れていないだろう? だが、不意打ちは悪くない手だ。この状況なら、お前が勝つにはそれしかない」


 女は授業でもしているかのように淡々と話し続けていた。


「だから、私は不意打ちだけを警戒していればよかった」 


 掴まれた手首が痛い。

 短剣を握る指に力を込めるけれど、びくともしない。

 まるで鉄の輪で固定されたみたいだった。

 私は歯を食いしばって、反対の手で女の顔を狙った。

 目でも何でも攻撃して、とにかく離させたかった。 


 けれど、その手も簡単に払われる。

 何が起きたのか分からないまま身体が回って、次の瞬間には地面に転がされていた。

 息が詰まる。

 背中を打った痛みで、視界が揺れた。


 それでも、すぐに起き上がる。

 短剣はまだ手の中にあった。

 それだけで少し安心した。


 女は追撃もせず、その場に立ったままこちらを見ている。

 私を脅威だとも感じていない。

 腹の奥が熱くなる。

 そんな場合ではないけど、なぜだか負けたくなかった。

 負けたら、何かが終わる気がした。


「遅い」

 女が言う。

 その言い方に、胸の奥がざわつく。

 似ている、と思った。

 誰に、とは考えたくなかった。

 私は立ち上がる。

 膝が笑っていたけれど、構わなかった。

「まだやるのか」

「当たり前でしょ」

 自分でも驚くくらい、声は震えていなかった。

 女は少しだけ目を細めた。

 笑ったわけではない。

 けれど今度は、値踏みするような目ではなかった。

 立ち上がって、なお刃を向けてくる相手として、私を見ていた。

「そうか」

 女は短く言って、わずかに姿勢を正した。

 それだけで空気が変わった。

「対魔即応特殊機動群特殊召喚体第一号、カーラ・ライヘンバッハがその意義を証す」

 何を言っているのか、半分も分からない。

 ただ、その声音だけで十分だった。

 この女は今、自分が誰であるかを名乗ったのだ。

 私は呼吸を整える。

 短剣を握る手の汗がひどい。

 袖で拭う暇も惜しくて、そのまま握り直す。

 正面から行けば負ける。



 それは分かっている。

 じゃあどうする。

 おとーさんとやってきたことを思い返す。 

 読まれたら終わり。


 私はわざと大きく踏み込んだ。

 喉元を狙うように見せかけて、途中で刃を返す。

 狙いは心臓、そのまま浅くても刺さればいい。

 だが、刃は空を切った。

 女が消えたように見えた。

 違う。

 私の視界から外れただけだ。

 気づいた時には、首の後ろに軽く手刀が当てられていた。

 ぞっとして、身体が固まる。

 本気なら、今ので終わっていた。 


「いや、悪くない」


 女が言った。


「二手目を用意していたのはいい。出来は悪いが、まるで私が教えたかのようだな」


 私は反射的に飛び退いた。

 距離を取って、短剣を構え直す。

 何で教えるみたいに喋るんだ。

 何で、おとーさんに似ている。

 頭の中がぐちゃぐちゃになる。

 それでも目だけは逸らさなかった。


「……帰って」


 何とか声を絞り出す。


「おとーさんは寝てるの。あんたには会わせない」


 女は答えなかった。

 代わりに、私の構えた短剣を見て、それから足元を見た。

 地面には、私とおとーさんが何度も踏みしめた跡が残っている。

 削れた土。

 折れた木片。

 打ち込みの癖で偏って荒れた場所。

 棒を立てかけていた壁際には、手入れの甘い木製の武器がいくつも置いたままだ。


 女の視線が、そこから小屋へ向く。

 戸は半分開いていた。

 中には寝床、水桶、使いかけの薬、食べかけの器。

 狭くて、粗末で、でも私たちが暮らしてきた痕跡が、隠しようもなく残っている。

 女はしばらく何も言わなかった。


 私は短剣を握り直す。 追い払わないといけない。

 それしか頭になかったのに、その沈黙だけが妙に重かった。

 やがて女は、小さく息を吐いた。


「おとーさん、か」


 独り言みたいな声だった。

 その響きが、少しだけ悲しそうに聞こえて、私は眉を寄せる。

 意味が分からなかった。

 襲いに来たのなら、そんな顔をする必要なんてない。

 女はようやく私を見た。

 さっきまでと同じようでいて、少しだけ違う目だった。

 強さは変わらないのに、その奥に、どうしようもないものを見ているような色があった。


「なるほど……」


 私は一歩、後ろへ下がった。

 怖かった。

 けれど、それ以上に憎たらしかった。

 この女は強い。

 ただ強いだけじゃない。

 おとーさんのことを知っている。

 それが何より嫌だった。


「誰なの」


 問いかけると、女はすぐには答えなかった。


「さっき名乗っただろう、馬鹿者が」


「おとーさんの、何なの」


「お前の言う“おとーさん”の、知り合いだ」


 知り合い。

 そんな軽い言葉で済ませていい相手には見えなかった。

 でも、それ以上のことは教える気がないらしい。

 私は短剣を下ろさない。


「帰って」


 もう一度言う。 さっきより少しだけ掠れていた。


「誰も入れない」


 カーラは私を見た。

 それから、小屋の中へ視線をやる。

 寝床の方を見ているのだと、すぐに分かった。

 もし踏み込んだら、また飛びかかるつもりだった。

 勝てないとしても、それしかなかった。

 けれどカーラは、すぐには動かなかった。


「お前が守るのか?」


「娘なんだから、当たり前でしょ」


「そうか」


 また、それだけだった。

 カーラはゆっくりと膝をついた。

 突然のことに、私は身を強張らせる。 けれど武器を取る気配はない。

 ただ私と目の高さを合わせて、静かに言った。


「私は戦いに来たわけではない。安心しろ」


 その言い方が、かえって信用ならなかった。

 私は何も答えない。

 カーラの視線が、私の短剣から、擦りむいた膝、土のついた袖口へと移る。

 その目は冷たくない。


「……よく、頑張ったな」


 その一言に、胸が詰まる。

 褒められたかったわけじゃない。

 知らない女に認められても、何も嬉しくない。

 それなのに、さっきまで張りつめていたものが少しだけ揺らいで、私は奥歯を噛んだ。


「うるさい」


 やっとそれだけ返す。

 カーラは怒らなかった。

 ただほんの少しだけ目を伏せた。

 悲しそうに見えた。

 どうしてそんな目をするのか、私には分からない。

 分からないまま、嫌な予感だけが膨らんでいく。

 カーラは立ち上がった。

 小屋の中を見る。

 そして、戸口の前で足を止めた。


「入るぞ」


 私が止めるより先に言う。

 許可を求めているようでいて、実際には確認に近い声音だった。


 私は短剣を握ったまま、動けない。

 飛びかかっても負ける。

 さっき、それを嫌というほど思い知らされた。

 それでも、身体だけは前に出ようとする。

 カーラはそんな私を見て、もう一度だけ言った。


「よく頑張ったな」


 それが誰に向けた言葉なのか、一瞬分からなかった。

 私なのか。

 おとーさんなのか。

 あるいは、そのどちらにもなのか。


 答えが出る前に、カーラは戸口をくぐった。

 私は一拍遅れて、その背を追う。

 小屋の中は薄暗い。

 寝床には、おとーさんが横たわったままだった。

 呼んでも揺すっても起きなかったのと同じ姿で、まるで何も聞こえていないみたいに眠っている。

 私は戸口のところで短剣を構えたまま、カーラを睨みつける。

 カーラは振り返らなかった。

 ただ寝ているおとーさんを見下ろしたまま、低く、ほとんど独り言みたいに言った。


「……まったく、似なくていいところばかり似てしまうな」


 意味は分からなかった。

 でも、その声だけで十分だった。

 この女は、おとーさんのことを知っている。

 私の知らないところを、たくさん知っている。

 それがたまらなく嫌で、私は短剣の柄を強く握りしめた。


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