2-5. 幕引き
501号室の重厚なドアの前に、青年が立っていた。 呼び鈴を鳴らすと、間もなくドアが開き、艶やかな部屋着をまとったアデライトが現れた。彼女は青年の全身を舐めるように見回すと、淫らに口元を緩めた。
「ふふっ……今夜のお相手は、随分とお可愛らしい坊やなのね?」
手招きして部屋へ招き入れようとした――その瞬間。
死角からエーリヒがドアを力任せに掴み、強引に室内へと押し入った。
「っ!!!!エーリヒ様!?!?」
驚愕に目を見開くアデライト。さらにその背後から、死人のような顔をしたクロードが姿を現した。三人は室内へなだれ込み、バタンとドアを閉めた。
フェリシアは仮面を外し、男装の帽子をとって、束ねていた艶やかな髪を優雅に解いた。
「あ、……あなたはフェリシア…嬢」
「本当はクロード様がお尋ねになるべきですが、あいにく見ての通り心神喪失状態ですので、私が代わりに。……まさかアデライト様が、学生貴族を相手に手ほどきをする夜会の関係者であったとは。実に興味深い趣味ですわね」
フェリシアの冷徹な一言に、クロードは「ううっ……」と呻き声を上げてその場に膝をついた。
「違いますわ! わたくしはそんな不純なこと……! 信じてください!クロード様!」
必死に保身に走るアデライトだが、フェリシアは容赦なく追撃する。
「では、その胸元のネックレスは、一体どなたから頂戴したのかしら?」
「えっ…?このネックレスは…」
アデライトはそう呟くと気まずそうに目線を逸らした。
「購入されたのなら場所を…プレゼントで頂いたのならどなたからかご存知でしょう?我が商会が先月、お得意様のご貴族へ納品した大事な商品ですのよ。……どうやって手に入れたのか、説明していただけますかしら?」
静かな、しかし逃げ場を完全に塞ぐフェリシアの追求に、アデライトは完全に言葉を詰まらせた。
「……私の推理を聞いてくださる? あなたはこのホテルの立場と地下道を悪用し、ウブな学生貴族たちを甘い誘惑で骨抜きにしていた。そして彼らに実家の宝物庫から持ち出させた宝石を、夜会への参加や貴方とのお楽しみの対価として巻き上げていた……。最近、我が商会のお得意様から『屋敷の貴金属が紛失した』とご相談を受けておりましたが、まさかあなたの胸元に飾られているなんて思いませんでしたわ 」
完全に暴かれ、アデライトの顔からみるみる血の気が引いていく。
「だ、だから何よ!! これは彼らが好意で私にくれたものよ! 盗んだわけじゃないわ!!」
「ええ、ご自分では手を汚しておられませんわね。ですが――実家の財産を盗み出させて受け取る行為がどういう罪になるか、まさかご存じないわけではありませんでしょう? それに、顧客の盗品を買い叩いて巻き上げていたと知れば、貴族社会があなたの実家のホテルをどう扱うか……容易に想像がつきますわ 」
「っ……!!」
「出入り禁止にとどまらず、実家のホテルごと破滅なさるかもしれませんわね」
フェリシアの横顔を見つめながら、エーリヒは静かに冷や汗を流していた。
単なる友人の浮気調査のつもりだったはずが、蓋を開けてみればキルシュブルーム商会の顧客や貴族社会すら巻き込む大スキャンダルだ。まさかここまで大事を隠し持っていたとは――。
容赦なくアデライトを追い詰める婚約者の凄腕ぶりに、エーリヒはただ息をのむしかなかった。
言葉を失うアデライトの顔から、急速に血の気が引いていく。
実家の破滅という現実を突きつけられた彼女は、一瞬でなりふり構わぬ狂気へ変貌した。
「黙りなさい……! 支配人! 支配人はいないの!? この部屋に不審者が侵入してきたわ! さっさとこの者たちを捕まえなさい!!」
アデライトが狂乱の金切声を上げると、扉を蹴破るようにして、待ち構えていた男たちが部屋へと雪崩れ込んできた。
「フェリシア、僕の後ろへ!」
エーリヒは素早くフェリシアの前に立ち、剣を抜いて男たちと対峙する。
一方、連れてこられたクロードはあまりのショックに打ちひしがれたまま、部屋の隅で膝を突いていた。
「おい!クロード!辛いと思うが今はそれどころじゃない!立ちあがってくれ!!」
「女から先に捕らえろ!」
男の一人がエーリヒの隙を突き、背後のフェリシアへ向かって襲いかかった。
「フェリシアッ!!」
エーリヒの叫びが響く。その瞬間――死んだようにうずくまっていたクロードの脳裏に、これまでアデライトと過ごした甘い思い出と、今眼前に広がる醜い裏切りが駆け巡った。
自分を騙し、利用し、あろうことか罪のない女性にまで容赦なく危害を加えようとする。
悲しみと絶望の底で、彼の中で何かが音を立てて断ち切られた。
「……僕の想いも、プライドも……全部踏みにじっておいて……!!」
ゆらりと立ち上がったクロードの瞳には、暗く燃え盛る怒りの炎が宿っていた。
「もう……僕が失うものなんて、何一つ無いんだよぉぉぉっーーーー!!!!」
絶叫とともに、クロードの全身から凄まじい威圧感が放たれた。
「アデライト!!! 君との婚約を、今この瞬間をもって破棄する!! そして王都警備隊の名にかけて、盗品受領および違法サロン関与の罪で貴様らを逮捕する!!!」
吹っ切れたクロードは、まさに鬼神の如き強さだった。警備隊のエースらしい鮮やかな体術で、襲いかかってくる用心棒たちの腕を折り、次々と床へ叩き伏せていく。エーリヒもまた、フェリシアに指一本触れさせまいと、迫る男たちを華麗な剣技で一瞬で無力化した。
「ひっ……! ひいいいっ!?」
用心棒たちが一瞬で全滅し、腰を抜かすアデライト。クロードは冷酷な目で彼女を見下ろすと、手際よくその両腕を背後で縛り上げた。
「いやっ!!離して! !!」
アデライトの見苦しい悲鳴が響き渡る中、騒ぎを聞きつけたハイデルシュタットの警備隊員たちが部屋へとなだれ込み、アデライトと支配人、そして男たちをまとめて連行していった。
◇
数日後、事件が無事に解決し、エーリヒとフェリシアはハイデルシュタットのカフェのテラス席にいた。
「ん〜〜〜っ! やっぱり、ここのクレープは絶品ですわ!!」
フェリシアは口いっぱいにクレープを頬張り、至福の表情を浮かべていた。エーリヒも一口食べてみると、香ばしい生地と濃厚なクリームのハーモニーが完璧で、思わず顔がほころんでしまう。
一息ついたところで、エーリヒがふと思い出したように口を開いた。
「そういえばあの後、クロードの屋敷を訪ねてみたんだ。まだ少しやつれてはいたけれど……すっかり吹っ切れた様子で安心したよ。警備隊の仲間たちからも『よく自力で逮捕した!』と揉みくちゃにされていてね。アデライトの実家は今回の件で失脚し、正式に婚約破棄も成立したそうだ」
フェリシアはクロードの顛末には一切興味を示さず、皿の上のイチゴを追いかけるのに夢中になっている。
「子爵も、お得意様たちの宝石紛失事件が解決して大喜びしていたし……結果的には全て上手くいったんだよな?」
エーリヒは目の前で無邪気にクレープを堪能する婚約者をちらりと見た。相変わらず己の地理特定と欲求にしか興味のない彼女の姿に、エーリヒはくすりと笑うと、深く考えるのをやめてクレープの美味さに集中することにしたのだった。
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