2-4. 地下の夜会
「……本気かい!? 本当にその格好で潜入するつもりかい!?」
夜会当日、着替えを終えたフェリシアの姿を見て、エーリヒは目を見開いた。 そこにいたのは、仕立ての良い男性用夜会服に身を包み、長い髪をコンパクトにまとめた、息をのむほど愛らしくも凛々しい美青年だった。
「私も色々と確かめたいことがございますの。それに、潜入するなら私のような小柄な男性がいた方が、怪しまれず何かと都合がよろしいでしょう?」
「そ、それはそうかもしれないけれど……もし子爵にバレたら、僕は打ち首だよ……」
青ざめるエーリヒに、フェリシアは無邪気な笑みを向けた。
「大丈夫ですわ! 万が一の時は、エーリヒ様がその強い腕で私を守ってくださると信じておりますもの」
頼りにされてしまっては、もう腹を括るしかない。エーリヒは深々とため息をつき、剣の柄を握り直した。
ハイデルシュタット大学前で待機していたクロードと合流する。
「あれ……? エーリヒ、その可愛らしいお連れの少年は誰だい?」
クロードが本気で気づかないほどの見事な男装ぶりに、フェリシアは密かに口元をほころばせた。
大学の門番を通り抜け、暗がりとなった食堂横の地下階段を下りていく。途中でエーリヒが「これを」と二人に仮面を手渡した。
「ドレスコードの仮面だよ。これがないと入れないらしい」
仮面を装着し、学生牢の奥深くへと進むと、重厚な扉の向こうから怪しげな音楽と熱を帯びた甘い喧騒 が聞こえてきた。入口に立つ仮面の主催者は、新顔の三人を見ると下衆な含み笑いを浮かべ、ニヤニヤと中へと招き入れた。
扉の向こうに広がっていたのは、異様な光景だった。 薄暗い室内に甘い香煙が立ち込め、壁際では仮面をつけた男女が淫らに抱き合い、熱い密語を交わしている。そこはまさに、顔を隠して一夜のパートナーを貪る、淫靡な乱交のサロンであった。
フロアの中央では、仮面をつけた給仕たちがトレーを掲げ、爛れた熱気に浮かれる客たちへ次々とグラスを注ぎ回っている。
そのボトルに刻まれた意匠へ視線を滑らせた瞬間、フェリシアの瞳がわずかに細められた。
漆黒のガラスに映えるのは、見覚えのある繊細な彫り――豊かな『ネッカー川と葡萄』の紋章。そして、ハイデルシュタット近郊の銘醸地を示す特別な刻印。
(間違ありませんわ。高級ホテル『カイザークローネ』の地下セラーに並んでいた、あのヴィンテージワインですわね)
淫らな乱痴気騒ぎの中で、アデライトがこの夜会に関与する存在を確信し、フェリシアは仮面の下で冷ややかな笑みを深めた。
「まさか……アデライトが、こんな不潔な場所に出入りしているというのか……!?」
浮気の域を超えたあまりのおぞましさに、クロードはショックのあまり壁に崩れ落ちた。エーリヒはこんな毒々しい光景をフェリシアに見せてはならないと、必死に彼女の視界を遮ろうとする。しかしフェリシアは、すばやくエーリヒの脇をすり抜け、冷静な目で会場内を見渡していた。
「目的を忘れないでくださいませ。アデライト様を探しますわよ」
堂々と歩みを進めるフェリシア。すれ違う仮面の女性たちから「あら、なんて可憐な男の子なのかしら」「今夜のお相手になってくれないかしら」と熱い視線を投げかけられ、後ろを追うエーリヒはヒヤヒヤしっぱなしであった。
いつ痺れを切らした女性たちに声をかけられ、その愛らしい声で返事をして正体がバレてしまうかと気が気ではない。周囲を警戒するエーリヒをよそに、当の本人は涼しい顔で歩を進めていた。
会場の壁際、柱の影に差し掛かった時、フェリシアの足が止まった。
「……見つけましたわ。あちらです」
フェリシアが目配せする先をエーリヒが凝視する。仮面で顔は隠れているが、独特の髪色と背格好は、確かにアデライトのものだった。
「よく彼女でがあることがわかったね…試飲会で少し会っただけだろう?」
「ええ…彼女が身につけている装飾品ですわ。お顔ではなく、胸元をご覧になってくださいませ」
フェリシアの低い声に、エーリヒは目を凝らした。アデライトの胸元には、絢爛豪華な宝石のネックレスが光っていた。
「あれは先月、我がキルシュブルーム商会がお得意様へ納品したばかりの、一点ものの逸品ですわ。デザインも宝石のカットも記憶しております。……正規のルートで彼女の手に渡ったとは、到底思えませんけれど 」
「…え?どういうこと?」
予想だにしない事態の連続に、エーリヒの頭は追いついていなかった。
その時、アデライトが周りの男を軽くあしらい、会場の奥にある階段へと消えていった。
「エーリヒ様! 追いますわよ! クロード様を引きずってでも連れてきてくださいませ!」
フェリシアは迷いなく後を追った。エーリヒは部屋の角で打ちひしがれているクロードの上衣の襟を掴むと、言い訳する隙も与えず強引に引き連れて彼女の後を追った。
アデライトは地下道を渡り、隠し階段を上っていく。後を追って扉を抜けると、そこは先日フェリシアが宝石を納品したホテル『カイザークローネ』の内部であった。
しかし、廊下に出たところでアデライトの姿を見失ってしまう。
「まずいな……このフロアのどの部屋に入ったのか、あるいは上の階へ向かったのかすら分からない。ここで見失うわけにはいかないのに……!」
焦って周囲を見回すエーリヒの横で、フェリシアは静かに思考を巡らせていた。
(地下通路とホテルが直接繋がっていたこと……そして会場で出されていたカイザークローネのワイン……。だとしたら、このホテル自体が夜会の裏の顔を知っている、あるいは共犯関係にあると考えるのが自然ですわね)
フェリシアの口元に、フッと不敵な笑みが浮かんだ。
「もしかしたら行けるかもしれませんわ……。エーリヒ様、フロントへ向かい『アデライト様に夜会の件で参りました。部屋の番号を教えてください』と言ってみてくださいな」
「えっ……!? ど、どういうことだい? そんなストレートに聞いて、怪しまれて警備を呼ばれたりしないか!?」
「いいから、私を信じて行ってらっしゃませ」
困惑するエーリヒは背中を強く押され、半信半疑のまま渋々フロントへと向かった。 すまし顔のフロントマンの前で、冷や汗を流しながら教えられた通りの言葉を口にする。
「……夜会の件で来たのだが、アデライト様の部屋番号を教えてもらえるかい?」
一瞬の沈黙。断られて捕まるかと思ったエーリヒの心臓が跳ね上がる。 だが、フロントマンはエーリヒの身につけた仮面と身なりチラリと一瞥しただけで、何でもないことのように静かに告げた。
「……アデライト様ですね。501号室でございます」
「っ……感謝する」
胸を撫でおろし、教えられた部屋番号を携えて戻ったエーリヒを見て、フェリシアは「思い通りですわ」と言わんばかりにニヤリと勝利の笑みを深めた。そして、目を丸くしているエーリヒの耳元へ忍び寄り、さらなる計画を密かに耳打ちするのだった。
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