2-3. 手書き地図の謎
その場に崩れ落ちそうな友人を見かねて、エーリヒは試飲会の件を話して安心させようとしたが、クロードは聞く耳を持たず、その紙をエーリヒに押し付けた。
「頼む、この場所を一緒に探してくれ……!!」
手書きの地図は、走り書きで極めて荒々しかった。しかしよく見ると、ネッカー川とハイデル城の間のエリアに、まるでパズルのピースのような四角い箱がいくつも描かれている。そしてそれらは、細い線で複雑に繋がっているように見えた。
エーリヒがちらりと横を見ると、フェリシアはあからさまに不機嫌そうな顔でそっぽを向いている。
「……フェリシア、この場所がどこか分かりそうかい?」
「私、これからクレープを食べに行くところなんですのけれど……」
「頼むっ!!! フェリシア嬢!! お願いだ、どうしても確かめたいんだ!!」
クロードがなりふり構わず、人目の多い路上でドサッと土下座をしたため、流石のフェリシアも引きまくっていた。
「……この依頼はあとできっちり請求させて頂きますわ」
フェリシアは内なるイライラを必死に抑え込みながら、静かに、しかし冷酷に告げた。
◇
「ハイデルシュタットの市街地は建物の密度が高く見通しが利きませんから、街を一望できるハイデル城へ向かいましょう」
三人は馬車に乗り込み、高台にそびえるハイデル城を目指した。
「ハイデル城はかつて宮廷として栄えておりましたが、昔の戦火で落ちぶれ、今では半ば廃墟と化しておりますわ。ですが、その佇まいこそが観光客を惹きつける歴史の情緒となっているのですけれど……」
高台に到着した三人は、街並みを眼下に見渡せる展望スペースへと歩を進めた。
「すごいな...高台から見下ろす街並みもきれいだな」
エーリヒが素直な感嘆を漏らす。眼下にはネッカー川の青と、綺麗に揃った褐色の屋根瓦が美しいコントラストを描いていた。
「さて……先ほどの書き殴りの地図と、実際の街並みを照合してみましょうか」
フェリシアは紙と街並みを交互に観察する。しかし、地図に描かれているような『パズルのように繋がった四角い建物群』など、地上のどこを見渡しても存在しなかった。
「こんな形の建物、この街にはなさそうだな…ほかの街だったのか…?」
エーリヒがつぶやいた瞬間、フェリシアの視線が地図の一点に留まった。
「このパズルのような箱の配置……ハイデルシュタット大学の校舎の位置と完全に一致していますわ。あの大学は敷地が一箇所に固まっておらず、街中に分校が点在しているのです。……ほら、あちらと、あちらですわ」
フェリシアが指し示す先を見るが、エーリヒにはどれも普通の建物に見え、区別がつかない。
「でも、この地図だと校舎同士が線で繋がっているように描かれているよ? 地上にはそんな連絡通路なんて見当たらないけれど……」
フェリシアはおもむろに地図を裏返し、端に書き殴られた文字に視線を留めた。
そしてエーリヒの言葉に、「……あ」と小さく息を漏らす。
「この地図を描いた方、ハイデルシュタット大学の医学生ではありませんこと?」
「え? なぜそれが分かるんだい?」
「紙の端に書かれたこのラテン語ですが……法律や神学の用語ではありませんわね。『骨』や『筋肉』といった、医学でしか使われない用語の組み合わせですの。日常的にこんな書き殴りをするのは医学生くらいですの」
フェリシアは表の図面と街並みを交互に見比べ、不敵に口元を緩めた。
「地上にないパズル状の箱、そして大騒ぎしたい学生たちの存在……。合点がいきましたわ。本来は反省のための謹慎施設――ですが、街の警察の目が届かず、学生たちが集まるにはおあつらえ向きの地下空間と言えば、ハイデルシュタット大学の学生牢以外にありませんわ 」
頭を抱えていたクロードが、ハッとしたように顔を上げた。
「た、確かに……情報をくれた僕の友人は、ハイデルシュタット大学の医学部生だ……!」
「それをどうして一番最初に仰いませんの!!!」
フェリシアの容赦のないツッコミが飛んだ。
「ですが……地下空間への入口を探すとなると、ハイデルシュタット大学の敷地内に入る必要がありますわね……」
フェリシアの表情が、急に苦々しく曇った。
「大学に何か問題でもあるのかい……?」
エーリヒが首を傾げると、フェリシアは深々とため息をついた。
◇
「申し訳ありませんが、本大学は伝統により女性禁制となっております。お連れ様は敷地外でお待ちください」
大学の無骨な門番から、冷たく言い渡されてしまった。
「やはり女性禁制ですのね……! ああ、なんということでしょう、実に残念ですわー!(棒読み)……そういうわけですので、エーリヒ様! お二人で地下への入口を探してきてくださいませ! 私は従者と一緒にクレープを食べに行って参りますわね!」
あからさまな大根役者の芝居を打ち、ようやくクレープにありつける歓喜を全身から溢れさせるフェリシア。
「えっ……僕を置いて一人で食べに行ってしまうのかい……? 実は僕も楽しみにしていたのに……」
すっかり捨てられた子犬のような目で見つめ返され、フェリシアは思わず「うぐっ……」と喉を詰まらせた。 他人がどう思おうと知ったことではないはずなのに、この男の情けない顔を見るとなぜか調子が狂ってしまう。
「……はぁ。仕方のないお人ですわね。馬車の中で大人しく待っていますわ」
フェリシアと一旦別れたエーリヒとクロードは、大学の構内へと足を踏み入れた。
(もしフェリシアなら、図書館にでも籠もって古い文献や正確な構造図を掘り返すのだろうな……)
エーリヒはそんな婚約者の姿を想像して苦笑しつつ、視線を巡らせた。自分は学者でも地理オタクでもない。元警備隊員らしく、泥臭い聞き込みでいくのが一番早い。
彼は通りがかった学生風の男に、爽やかな笑みを向けて声をかけた。
「すみません、学生牢の場所を探していましてね。僕の医学生の友人が、そこに大切な教科書を忘れてきてしまったようなのです。案内していただけませんか?」
嘘と真実を巧みに織り交ぜた問いかけに、学生はあっさりと食堂の方を指さした。
「ああ、学生牢か。食堂の横にある古い地下階段から降りられるよ」
礼を言って教えられた場所へ向かうと、そこには薄暗い地下へと続く怪しげな石階段が存在していた。
(案外あっさりと入口が見つかったな……。だが、女性禁制のこんな場所に、なぜアデライトのような貴族の女性が出入りできるんだ?)
エーリヒの脳裏に、ふとした疑問が浮かぶ。
階段を下りきった地下空間は、壁に掲げられた松明や燭台で意外なほど明るく照らされていた。二人が探索を進めていると、空き部屋からビール瓶を片手に持った酔っ払いの男がフラフラと現れた。
「ようお兄さんたち、夜会に行くのかい?」
エーリヒは咄嗟に話を合わせた。
「ああ、場所を探しているんだが、どこでやっているか知っているかい?」
「へへっ、真面目そうな顔して欲望に忠実だねぇ! だが今日は開催日じゃねえよ。夜会は明後日だ。……それと、夜会に入るには仮面が必要だぜ? 素顔をさらすのはご法度だ」
大事な開催日をあっさりと口にする男に、エーリヒはさらに切り込んだ。
「なるほど、覚えておくよ。ところで……女性たちはどこから入ってくるんだい? ここは女性禁制だろう?」
「あいつらか? あいつらは大学の外……地下で繋がっている別の場所から入ってくるのさ。場所は確か……そこの……」
男はそこまで言いかけると、ガクリと膝を折って爆睡してしまった。しかし、十分すぎる情報だった。夜会の開催日は明後日。仮面が必要なこと。そして、女性たちは地下の別の場所から侵入しているということ――。
二人は一度地上へ戻り、フェリシアの待つ馬車へと急いだ。
◇
一方その頃、フェリシアは馬車で待つはずもなく、ハイデルシュタットの役所(地籍課)を訪れていた。
「ハイデルシュタットの地下構造図と、ホテル『カイザークローネ』の所有者に関する登記書類を閲覧させていただけますかしら」
閲覧料のコインを並べると、職員はすぐに分厚い台帳と羊皮紙の図面を持ってきた。
地下図面を広げると、そこには驚くべきネットワークが描かれていた。ネッカー川沿いの倉庫街から、ホテル『カイザークローネ』の地下、そして先ほど推理した『学生牢』までが、一本の広大な地下道で完璧に繋がっていたのだ。
さらに、資料室で『貴族名鑑』を開き、カイザークローネの所有者(権利者)の欄を追う。
「……あらあら、不条理なことですわね」
そこに記されていたのは、アデライトの実家である伯爵家の名義だった。フェリシアの唇に、冷たく不敵な笑みが浮かぶ。
◇
大学前で合流したエーリヒは、学生から引き出した情報をフェリシアに報告した。
「というわけで、夜会の開催は明後日。仮面が必要だ。……だが、判明している入口は女性禁制の大学構内だ。今回は僕とクロードの二人だけで潜入しようと思うのだけど――」
「いいえ。私も参りますわ」
「えっ……!? どうやって!? だから、女性禁制なんだよ!?」
驚くエーリヒを前に、フェリシアは不敵な笑みを浮かべた。
「不便な入口しか開いていないのでしたら、その入口に合わせた姿になれば良いだけのことですわ。――さあ従者さん、今すぐ王都へ引き返してくださいな! 腕の立つ仕立て屋へ向かいますわよ!」
「えっ、王都!? ちょっと待って、今日のクレープは――」
「お預けですわ!!!」
夕闇が迫るハイデルシュタットの街を、馬車は猛スピードで駆け抜けていく。
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